『学園』のクソパパさま
どうして女の子はスカートを履いて走ることができるのか。長らく疑問である。
未だに解決できていない謎について考えることで現実逃避を確実なものにして、ナギは確定的に怒られる未来から目をそらす。
潮風が強く髪をなびく。駆けてほてる体を冷やすには日差しが強いが、ないよりはマシだろう。願わくば、追い風であればなおのこと良かったが。
『海上極東国家』。通称『極東』はかつて日本と呼ばれていた国が、未曾有の脅威から逃げるために、終わってしまった世界にて、島をまるごと移動拠点としたことで生まれた国家のこと。
この世界には他に空中国家『エデン』、戦争の最前線『大帝中華連邦』、貴族のための自由都市『リンデルヴァーム』の計四つの国しか残されていない。
その中でも『極東』では未曾有の脅威と戦うための戦士を作るための教育がなされており、戦士として戦場に立つのは教育されたここで育った各国の子どもたち。そこに、ナギたちは住んでいた。
「遅刻したら何言われるかわかったもんじゃねーぞ」
「大丈夫だよ。なんたって、この国の当主さまのご息女さまがいるんだもん!」
「クソパパさまはむしろボクがいるから、三割増しのバツを与えそうだけどね……」
遅刻ギリギリアウトの時間で、三人はまだ校門をくぐったばかりのところにいた。
予鈴が鳴り終わるが、三人の担任はそれぞれがある程度遅刻して教室へ入ってくるため、あと数分で教室へ向かうことができれば、あるいは遅刻ではなくなるといった間際の話をしていた。
建国以来、この国家を治めているのは黒崎颯人――ナギの義理の父親である。加えて三人が通う『学園』の学園長をしているのも颯人である。
颯人は娘に甘いが容赦はない。悪いことは悪いと割り切っており、娘であろうと罪を犯せば慈悲無く断罪する。理想のヒーロー像そのものと言っていい。
一方で良い行いをすれば、誰よりも褒め、豪華な報酬が待っている。こないだはテストで満点を取ったことで『極東』の領地を渡されそうになって政治的問題に発展しかけた。
颯人の中で遅刻がどの程度の罪なのかは検討もつかないが、バレればひどいバツが待っていることは目に見えて明らかであった。
ゆえに、ナギの足取りは自然と早くなる。だが、時すでに遅し――いや、最悪は待たずしてやってきたというやつだった。教室へ向かう廊下の真ん中に、見慣れた青年が立っている。その人物とは……。
「クソパパ……」
「おうおう。随分な物言いじゃないか。せっかく、愛する娘を迎えに来てやったって言うのによ。ほれ、パパ大好きとでも言ってみな」
腕を組み、お前の考えることは全部まるっとお見通しだと言わんばかりに勝ち誇った笑みを見せつける青年は、ちょうど今しがた最も会いたくないと思っていたナギの父親だった。
時間は戻らない。逃した予鈴は再度鳴ることはないし、言い訳が立つ状況でもない。そもそも、颯人に言い訳など無意味である。正義と悪の線引が画然と存在する颯人に、言い逃れは通用しない。
だから、この場で唯一颯人と話せるナギは半ば諦めた様子だ。
「パ、パパ大好き……」
「俺も大好きだぜ、マイスイートベイビー。それはそれとして、遅刻はいけねぇよなぁ?」
「すべてボクの彼氏の綾鷹のせいです」
「え!?」
見え透いた嘘だった。しかし、効果的な嘘であることは間違いない。颯人は娘を溺愛し、綾鷹は娘を奪おうとしている彼氏役なのだから、言うまでもなく二人の関係は最悪だった。
颯人はナギと綾鷹が付き合っていることを認めていないが知っている。そして、綾鷹とナギの家族との仲はそろそろ五年目となる。颯人は綾鷹の揚げ足を取るために躍起になっているのだ。
あまりの驚きに目が飛び出そうになっている綾鷹を無視して、ナギの頭の中では虚実をいかに織り交ぜて、意味のないそれっぽい本当を作るかにキャパシティーを割かれていた。
「寝坊したことも正直関係するけど、目が覚めたらボクの寝顔を覗き込む綾鷹がいたんだよ。しかも、ボクは下着姿だったし」
「ほほう?」
「おい待て、ばかばかばか! だから、俺は起こしに行っただけだって――」
「ちょっと黙れ、小僧」
ガツンと、鈍い音が響く。颯人の立ち位置、ナギの視線は動いていない。動いたものと言えば、颯人の足が僅かに振れたことくらい。ナギの視線は静かになった綾鷹のほうへ流れる。
綾鷹は地面に大の字になって伸びていた。その傍らには乾いた雑巾が落ちている。続いてアルテミスを見る。
おそらくは一部始終を見てしまったであろう彼女は青い顔をして頭のウィンプルをプルプルと揺らしていた。
アルテミスが恐怖から言葉を話せない状況が故、ナギは一部始終を状況証拠だけで想像するしかできない。
ナギの予想としては、うるさい綾鷹を黙らせるために、足元にあったであろう雑巾を蹴ってぶつけたというもの。
しかし、問題としてはその威力だ。本来ならパチンと乾いた音が鳴るはずなのに、鈍器で殴ったような音がしたことから、相当の速度が掛けられていたに違いない。
(ごめん、綾鷹。せめて安らかに眠ってくれ……)
死んではいないが、仮死状態であってもおかしくはない姿に、思わずナギは合掌する。
うるさい外野を沈めた颯人は、両腕を組んでナギの言葉の続きを聞く態勢になる。
「それで?」
「あ、あー、えーっと。欲情に駆られて襲おうとしてきたから、反撃してたら母さんが乱入してきて、それで……遅刻、した……感じ?」
「なるほどなるほど。じゃあ、悪いのは神宮寺のガキでいいんだな?」
「じゃあ、ついでにアルスも」
「なんで!? ついででアタシも巻き込まれるの!?」
「実はアルスも一緒になってボクを……」
「違う! 違いますよ、黒崎パパ!? アタシ、そっちのけは――」
ずんずんと近づいてくる颯人に固まる二人と気絶している一人。それとは裏腹に颯人の表情は優しいものだった。
先程とは考えられないほどの優しいデコピンがナギのおでこを弾く。それでもやはり痛みはあるようで、とっさにおでこを擦りながら、涙目で、快活な父親を覗き込む。
「嘘をつくならもう少しまともな嘘をつけ。それに遅刻くらいで取って食ったりはしねぇよ」
「パ、パパぁ」
「おうおう。でもまあ、神宮寺のガキにはお灸を据えねぇとな。……よっこらせっと」
気絶している綾鷹を担ぎ上げ、颯人は背を向けた。きっと、学園長の部屋へ連れていくつもりだろう。曲がりなりにも自分のせいで気絶するハメになったため、申し訳ないという念は多少なりともある。
加えて言えば、理事長室に連れて行って、好意的ではない綾鷹に何をさせようと言うのかも、気になる問題の一つではあった。
念の為、どういうことをされるのか気になったナギは引け目を感じながら、答えてくれるか分からないが、愛想をこれでもかと振りまいておねだり。
「あぁん? こいつの処分? そうだな。とりあえず外周三ヶ月くらいしておくか」
「それは死ぬ。パパ、その単位は死んじゃうから」
「はは、冗談だよ冗談。少し腕のことについて聞かなきゃいかんことがあるからな。それを聞くために連れて行くだけだよ。安心しな、マイスイートベイビー」
ケラケラと小馬鹿にするような笑いをしつつ、担いだ綾鷹を連れて颯人が去っていく。何を安心すればいいのか最後までわからなかったが、一応綾鷹には念仏を唱えておくことにした。
残された二人は、仕方がないと教室へと向かうのだが、ナギは失念していた。
今日は一限からグラウンドで模擬戦闘訓練だったことを。