感嘆の獅子
アリーと、アリーに抱かれたナギ、さらにアリーの護衛を務めるメーヴィスはとりあえず避難所に設置された備品整理を行う施設の中に入り、身を休めていた。綾鷹との一件後、アリーは目に見えて動揺していた。
『最高戦力』としての認識違いから訪れた疑問は、波紋のように心に広がり、一つの疑惑を彷彿とさせる。
(綾鷹にとって、最高戦力っていう称号は、結局ボクを守るために必要なものだった。でも、アリーにとっての最高戦力の称号はまるで違う。自分自身を守るため、父親に母親を捨てさせないために得たもの。要するに自分勝手な理由、ね)
アリー及び綾鷹の域に達していないナギには、アリーへ送る言葉が見当たらない。手を差し伸べることなどもってのほかだ。忙しなく働く生徒達と比べれば、アリーの時間は止まっているように見える。
そんなアリーにナギは声をかけようとは思わなかった。
きっと、アリーの疑問はアリー自身が解決しなければならないもので、それにナギは口出しをしていい立場ではないのだろう。立場に悩むアリーをそのままに、施設内を歩き出す。
幸いにも怪我をした市民はいないようで、仮設テントの配布や食料品の配給に動いている生徒達を抜けて、何か手伝えることはないか探る。
「奥様」
「……普段はいいけど、人が多い場所でその呼び方はやめてほしいんだけどなぁ」
「事実ですので」
(いえ、違います)
みんなが動揺や焦燥で駆り立てられているというのに、まるで変化のないメーヴィスに、妙な安心を得る。こんなことを本人に言えば怒られるだろうが、メーヴィスの他への無感情さはときに救いになるのだ。
騒がしいが、ここから離れることはイコール死を示しているため、仕方なくこの場で話を聞くことにする。
「それで、どうしたの?」
「お嬢様――アリー様に一言、助言をなさってはもらえませんでしょうか」
「……ボクになんて言ってほしいの。申し訳ないけど、今のかの――アリーに送る言葉は持ち合わせてないけど」
「なんでもよろしいのです。たった一言、それだけで救われるということもあります」
そういうものだろうか。いいや、そういうものだった。記憶ではなく、感情がそう訴えてくる。おそらく、前にもこういうことがあったのだろう。随分と昔、覚えてもいない別の世界で、ナギは同じようにしたのか。あるいは、そうしようとしたのか。
不服だろう。
ナギは下げたくもない頭を深々と下げているメーヴィスを見て、そう思った。全ては主人のため、信じる人のためにそうする姿は、もっと格好のいいものだと思い込んでいた。
「アリーは?」
「依然動かず」
「そ。じゃあ、一言だけ行ってくる」
「ありがとうございます」
お礼なんて必要ない、なんて気の利いた言葉が咄嗟に出ず、ナギは悲しそうに微笑んだ。
避難所の入り口の簡易的に設置された椅子に腰掛けるのは、干からびた獅子だ。生気も気概も失った見果てたメスライオンを観て、不覚にも笑ってしまう。それを横にいたメイドに小突かれて失笑に変える。
「何をしているの?」
「……座っている」
それは見ればわかる。見るからに落ち込んでいる姿も、綾鷹に本当のことを言われて悔しいという気持ちも。手を叩き、ようやくアリーの姿に当てはまる言葉を思い出して呆れてしまう。
「え、拗ね方が予想の斜め上すぎるんだけど」
「拗ねてなんてない」
「加えていじっぱりか。手に負えない子供だなぁ」
図星を突かれて睨むところは小学生男子のよう。しかし、傷ついた心を必死に隠そうとしているのは乙女のようで、矛盾した可愛い王子にナギは呆れたように笑んだ。
辛いことも、悲しいことも、嬉しいことも、楽しいことも、あまねく感情は人それぞれ多少なりとも変化はある。同じ感情であるのに、変化があるのだから、人の持つプライドや生き方、ものの考え方は千差万別であるのだろう。
しかし、この状況で『エデン』の最高戦力にこんな姿をされれば、生徒達の士気に関わる。落ち込むことは後でもできるだろうが、生き残ることは今しかできないのだから。
では、ナギの言葉にどれほどの力が込められているのかなど不可思議だが、約束通り一言だけ、ナギが思っていることを伝えた。
「いいんだよ。自由に生きれば」
「……なに?」
視線が怖いがナギは引かない。
自由に生きればいい。自分が思う通りに生きればいい。
力がある者にしかできない芸当だ。ナギには到底できないだろう。けれど、幸いにもアリーには自由にするための力を持っていた。だから、自分への皮肉も含めて続ける。
「綾鷹がボクを守ろうとして立場を守るように。アリーが自分とお母さんを守るために今の立場を守ることは、決して恥ずかしいことじゃないよ、そうでしょ?」
「だから、拗ねてるわけじゃないと言った――」
「ボクは弱くて良かったと思ってる。綾鷹やアリーがボクを守ってくれるから。結果論でしかなくとも、今の生活がなくなってしまうなら、ボクは力なんていらないよ」
手を差し出す。
老人用の腰掛け椅子にいつまでも座らせておくわけにはいかない。それに、座らせたままではナギを守れない。ナギは誰かに守ってもらわなければ瞬きほどの時間で容易に死んでしまえる、か弱い存在だ。
例えば、この世界が本気でナギに楯突いたとすれば、ナギは本当にわずかな時間もなく消滅してしまうだろう。今のところ、ナギは死にたいとも、消えたいとも思っていない。むしろ、明日もほどほどの幸せと平穏の中で生きていたいとさえ思っていた。
ナギは生きたい。そのために、自分を守ってくれる人が絶対に必要だ。そして、それは何も一人だけとも限らない。ナギにとって綾鷹も、アリーも、麟太郎も、アルテミスも、父親も、母親も、かけがえのない大切な人であり、自分を守ってくれる力だと思っている。
したがって、アリーにこのままではナギが困ってしまう。
気力がなくとも獅子は獅子だ。どれほど弱ろうと、王子は王子であることに変わりはなく、ナギにとって、アリーという存在は色褪せたりはしない。大切な友達であり、守ってくれる存在に変わりはないのだ。
ナギの手を取ろうとする手が震えている。それをナギは無理矢理掴んで引っ張った。
「そんなところにいたらボクを守れないよ。いいの、ボクが死んでも?」
「いいわけ……ないだろ。はあ……仕方ないから、守ってやるよ。お姫様」
ようやく気概を取り戻したようだ。表情にはもう、先ほどまでの迷いや暗さがさっぱり消え去っている。
中身が男であることから、お姫様抱っこをされるのは百歩譲って気分が良かったが、お姫様呼びをされるのは少しだけこそばゆかった。頬をかきながらナギは、瞳に宿る王子らしさを取り戻したどうしようもない子供に仕方がないと想う。
「うんうん。お姫様呼びはむず痒いからやめてね? まあ、元気になってくれて良かったよ」
「だから、拗ねてないって言ってるだろ」
(頑固だなぁ)
どうにかこうにか復活したアリーに笑いかける。すると、入り口の方で大きな荷物を下ろした青年が見えた。その荷物から離れるように市民や学生が円状に広がっていった。
青年が唐鐘麟太郎とわかるのに、数秒も必要ない。ナギは気付かせるように大きな声で麟太郎を呼ぶ。
「りんくん!」
「お嬢! 良かった、無事だったのか」
「うん。りんくんは?」
「ええまあ。道中で《ピンディーラー》と思われる輩を縛り上げてたから遅れたけど、なんとか無事に――」
どうも下ろした荷物とやらは件の《ピンディーラー》のようだ。見れば三人ほど縄で縛られているのが見える。電話先で争っていたのは麟太郎で、争った相手がおそらく囚われの《ピンディーラー》だろう。
しかし気になるのは、《ピンディーラー》の服装が『学園』の制服と似ているが少し違うことだった。
(あれは……『エデン』の第一師団団員に送られた特製の制服……?)
覗き込むように見ていたナギを庇うように麟太郎が立ち塞がった。
何事かと振り返り、麟太郎が何からナギを守ろうとしているのかを把握する。麟太郎を挟んで先にいたのはメーヴィスだった。
「どうかなさいましたか?」
「白々しい。もう顔を合わせたことすら忘れたのか。どうかなさいましたかとはこちらのセリフだ。どうして《ピンディーラー》がお嬢と一緒に避難所にいるのかの説明を求めたいな。あぁ、是非ともね」




