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7匹の獣

 鏡の前に立ち、自分の姿に息を吐く。

 薄く緑がかった肩まで伸びた黒髪。華奢な容姿で、見た目は美形。とてもではないが、この世界を生き抜くことは不可能のように思えるか弱さだった。


 歴史上大きな戦争があったらしい。ナギが生まれる少し前に世界は人類ではないものによって一旦の終わりを迎えたのだ。しかし、人類史は終わらなかった。大陸の九割を奪われても、海洋を奪われても、人類は終わりを受け入れなかった。


 ゆえに、終わってしまった世界で、人類は未だに戦争を続けている。人類ではないもの――『7匹の獣』との戦争は、苛烈を極めている。そんな世界に、ナギは生まれ落ちてしまったのだ……。


(どこからどう見ても女だよなぁ)


 そして、黒崎凪は転生者である。

 正確には、本人がそういう記憶がかすかにあるというだけで、確たる証拠は存在しない。その記憶というのも人生の際のほんの数分と、度々見る夢のようなものだけで、審議はさらに困難を有する。


 見た目が完全に女であることと、思春期な年齢であることを加味して、これだけの情報で自らを転生者であると言えば、百人が百人笑いものにすることだろう。


 だから、このことは誰にも言わずに黙っている。ある人物を除いては……。


「おせぇぞ、ナギ~。先に朝飯もらってるぞ」

「うんうん。なっちゃんが遅いのが悪いんだよもぐもぐ? アタシは何も悪くないんだからもぐもぐ」

「話すか食べるかどちらかにしたほうが女の子らしいんじゃないかな、アルス」


 おそらく美咲がナギの朝ご飯を作る片手間で迎えに来た綾鷹と、一年中『学園』の指定制服を無視してシスター姿の義妹であるアルテミス=V=神宮寺の朝ご飯を作ったのだろう。それを家主よりも早く頂いているのだ。


 制服に着替えてリビングへと足早にやってくるとこれだ。普段父親と姉が座っているはずの席に二人が座り、朝ごはんの量ではない朝食にありついていた。


 まったく遠慮というものを知らない兄妹だ、と、ナギは心底呆れたように肩を下ろす。美咲も美咲でナギが少食であることを承知しつつ、朝から五人前はありそうな料理を作るあたり、半分以上二人のために作っているようなものだろう。


 席につくと、テーブルの真ん中にバスケットで山盛りにされているロールパンを一つ取り、バターを塗って小さな口で少しずつ食べ進めていく。


「ふたりともよく食べるから料理のしがいがあるよ~。まだまだあるからたくさん食べていってね」

「「は~い」」

「少しは遠慮というものをしてくれよ……」


 娘よりも娘の友人の腹を満たすことに精を出し始める美咲に、ナギはほとほと呆れ果てていた。

 その後、およそ五人前が追加されたが、二人はぺろりとそれらを平らげてしまう。かつデザートのプリンまで頬張るしまつに度肝を抜かれつつ、早々に満腹になったナギは新聞を片手にコーヒーを飲んでいた。


「そうしてるとなんだか、なっちゃんおっさんみたいだね」

「ひっぱたくよ、バカルス」

「ひどい! アタシなりのスキンシップだったのに!」

「スキンシップは触れ合うことだよ。話しかけるのはたぶんコミュニケーション」

「え? そうなの? あれぇ?」


 アルテミスは見ての通りのバカである。タイプ的には周りを明るくする側なので害の少ないバカだ。加えて言うなら、ナギはアルテミスのことを嫌っているわけではなく、親友の一人だと思っている。


 問題はむしろ、その兄のほう。新聞越しから綾鷹を見つめる。綾鷹の正面に座った美咲があれもこれもとせわしなく食べ物を渡し、綾鷹も笑顔でそれを受け取って食べてしまう。


 美咲と仲良く話している姿はとても他人とは思えない。美咲と綾鷹が特別コミュニケーション能力が高いことと、誰にも分け隔てない性格がマッチしてそういう雰囲気になっているようだ。


 別に綾鷹が美咲と仲良くしていることに嫉妬しているわけでは決してない。中身が男であるという認識がある以上、今でも女性を恋愛対象としているナギにとって、綾鷹はイケメンの友人というだけである。ただ、『学園』での二人の関係はそうではない。


「おん? どしたの、ナギ?」

「いやぁ、母さんと仲いいなと思って。クソパパさまに連絡しようか本気で迷ってたところ」

「やめろよ!? あの人、誤解したら話も聞かないんだぞ!?」

「あらあら、痴話喧嘩? いいよいいよ、もっとやっちゃえ~」


 『学園』での二人の立場はカップル……しかも、他人に絶対にバレてはならないヒミツの(・・・・)カップルである。

 なぜヒミツなのかは、綾鷹の精神的な部分によってそういうことになったのである。


〈俺が女の人苦手なの知ってて言ってる!?〉


 たらりと焦りから流れた冷や汗をそのままに、すり寄るようにナギの横へと立つ綾鷹が小声で耳打ちする。


 そう。綾鷹は女性が苦手だ。近づかれると脂汗をかいて、胃が痛くなるほどには苦手だった。しかし、綾鷹の女子嫌いを知っているのはナギだけだ。妹であるアルテミスもこのことについては知らない。


 見た目がいわゆるイケメンの部類に分けられる綾鷹には、連日女子生徒の群れがやってくる。

 なぜか近くにいても胃が痛くならないナギは、その女子生徒たちを散らせるためだけに彼女として振る舞ってもらっているのだ。


 そのことについてナギは何も思うことはない。ただ利用されているわけではないからだ。ナギを必要とする綾鷹にとって、ナギに嫌われること、失うことは死に直結する。なので、是が非でも守らなければならないのだ。


 つまり、二人の本当の関係は、利害の一致という一言に尽きる。


 痴話喧嘩を応援している美咲に、そんなことをするほど仲は良くないといい、その言葉への返答を考えていた。思い出して綾鷹にとっての自分の立場というものを教えるために一つ質問があったのだ。


〈だから、ボクと付き合っていることにして女子を遠ざけようとしているんだろう?〉

〈そうだよ! そんな俺がナギの母ちゃんを狙うわけ無いだろ!?〉

〈どうだか。随分と仲睦まじくしていたじゃないか〉

〈お前、さては社交辞令ってのを知らないな?〉


 社交辞令で他所様の母親を口説いていると勘違いされるようでは先が思いやられる。いや、ナギが綾鷹の先を思いやることは死んでもないことだと自負しているのだが、おそらくは『学園』を卒業するまでは続くであろうこの関係を危ぶんでのことだった。


 ナギにとって、綾鷹が自分の家族とあまり仲良くされても困るのだ。なぜなら、現状においてナギが前世の記憶を持っており、かつ男であるという事実を知っているのが綾鷹のみなのだから。


 もし、何かのはずみでそのことを家族に言うような事態が無いよう、こうして適度な距離を保ってもらいたいと考えていた。


 やれやれと首を振っていると、横でさらにお菓子をもらったらしいアルテミスがお菓子を片手に時計を指差して、


「あやっちとなっちゃんが痴話喧嘩するのはいいんだけど、そろそろ出ないと遅刻じゃない?」

「「…………」」


 二人して時計を凝視した。時計の針はおよそ『学園』に間に合いそうにない時間を示している。


 「あー」と考えをまとめるために声が揃う。そうして、次の瞬間には互いに意見が一致していた。


「「一時休戦。学校行こう、いますぐに」」


 こうして、痴話喧嘩――ならぬ、秘密の隠し合いを中断させ、三人は『学園』へ行くために玄関へと足早に向かう。靴を履こうとしたその時、背後から声がかかって足を止めた。


 振り返ると、まだエプロン姿の美咲が立っており、優しい笑みはどこか寂しさを感じさせる。


「凪ちゃん。ちょっとこっちにおいで」

「いやでも、時間が――」

「少しだけだから」

「はい……」


 口答えできるはずもなく、ナギは言う通りに美咲の前へ行くと、急に抱きしめられた。柔らかい感触と、想像の二割増しで温かいぬくもりが全身を駆け抜ける。


 何事か。思考が追いつかないまま言葉を話そうとして、美咲の質問が邪魔をする。


「私は凪ちゃんのお母さんじゃない?」

「あ……いや、あの……」

「凪ちゃん?」

「お……母さん、です……」

「そ。じゃあ、いってらっしゃい」


 開放され、身なりを簡単に直される。朝の出来事をまだ根に持っているらしい。当然といえば当然だ。ナギがこの家にやってきておよそ十年が経過した。


 生まれは違えど、小さい頃からいるのだから、もう本当の娘のようなものだろう。そう考えれば、朝の言葉は反抗期というものを著しく逸脱しているものだった。


 ひどいことを言ってしまったと後悔しそうになるが、さらに思い出したかのように美咲がナギの首につけられているリボンに笑顔で手を伸ばす。


 リボンが曲がっていたのかと思って無防備に首元を晒したのが運の尽き、次の一呼吸が終わる頃にはリボンの端が引っ張られジリジリと首が絞められていく。


「それと、また同じこと言ったら、今度は絞め殺すから」

「あ゛い゛」


 やはり、母親は怒らせたら怖い。

 そう実感したのはナギだけでなく、その様子を玄関から出遅れた神宮寺兄妹もマジマジと感じたことだったそうだ。

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