二人の距離
ナギにとっての退屈な授業を一つ答えよという問題があったとしよう。非常に難しそうに思えるが、ナギの身体的能力を考えれば自ずと答えは出てしまう。要はひ弱なナギの最も不得意な授業を挙げれば答えである確率は非常に高い。
ひ弱なナギが不得意なもの。加えて、どれだけ努力をしても成果が絶対に出ない授業と言えば、何か……。
(退屈だ。いつもならボコボコにされて嫌な思いをするだけだけど、これを見学するのは特につまらないよ)
先の事件から七日が経過した。医師が提示した一週間ほどの安静。今日はその検診日だった。傷の治りが早く、痛々しい傷として残ってしまってはいるものの包帯は必要ないほどにまで回復していた。
なので、今日の検診を持って完治と言われるかと思ったのだが、どうやら治ったのは外側だけで、内は治りきっていないようだ。
要するに治療続行である。
と言っても、安静にする以外に治療らしい治療はしていない。
こうして最も嫌いな模擬戦闘訓練を見学しているのは、こういう経緯があってのことである。
「みんな、なんで楽しそうに戦ってるのかわからないよ……」
本日の模擬戦闘訓練の課題は、一体多の戦闘訓練だ。順番で一人が他のクラスメイトと戦うというもので、アリーと綾鷹だけは絶対に戦わないように配置されている。グラウンドをいっぱいに使用して行われている模擬戦闘はとてもじゃないがナギができるようなものではなかった。
硝煙、というよりも土煙が舞う戦場を駆ける生徒たちを見ながら、嘆息する。
アリーと綾鷹は授業が始まる前にナギの元へやってきて、ナギに一言。
「「俺が最も頼りになることを教えてやるぜ‼︎」」
と言って、何やらどちらが強いかを決めるらしい雰囲気で授業へ行ってしまった。
その二人は、ノルマである三人討伐を優に超えて、クラスメイトを端から倒して回っている。
これはこれで授業になっていないだろうと思いつつ、呆れながらに競う二人を見物して、なおも満たされない退屈をどうやって消費しようと悩んでいた。
「つまらなそうですね」
「わっ、驚かさないでよ。ボクは怖いのが――なんでもない。とにかく、驚かされるのは好きじゃないんだよ」
「それは申し訳ありませんでした」
ナギの不意をついて驚かせたのは、アリーのメイド、メーヴィス・フェアチャイルドだった。ついこないだまで、同じクラスだったことすら知らなかったが、あれから姿が見えなかったのでどうしたのかと思っていたところであった。
まだ授業中だというのに、メーヴィスはナギの隣に腰掛けた。こんなところでサボっていると教師に怒られるよと伝えると、メーヴィスは少し怪訝そうに、人差し指で少し遠くを指さした。
「ノルマは達成していますが?」
指し示されたところを見る。三人の生徒が川の字になって寝ていた。ピクリとも動かないところを見ると、死んでいるのかもと青ざめたが、よく見ると呼吸しているのが見てとれた。
まずは一安心しているや、メーヴィスは退屈そうな理由にはてなを浮かべる。
「それよりも、なぜつまらなそうになさっているのですか?」
「ん? 何もすることがないからだよ。この授業を見学する酔狂な人もいないし、そもそも話し相手はこの『学園』にそう多くないからね」
「ですが、あなたがこの授業に参加しても無駄では?」
「ひっどいなー。まあ、その通りだけど」
ナギは弱い。再三言っているが、なおも言おう。ナギは貧弱だ。
風が吹けば倒れてしまいそうなほどに、失望の前に簡単に膝を折ってしまうくらいに、ナギは人並み以上に弱い。ゆえに、どれほどの退屈であろうと、この授業でナギは退屈を忘れられはしないだろう。
それを理解しているメーヴィスは、別に嫌味ではなくれっきとした事実として認識している。
「そりゃあ、ボクはアリーや綾鷹みたいに特別な力は持ってないよ。それどころか、普通の強さもない。きっと、この授業に参加すれば、君が倒した三人のように早々に眠っていたかもね」
「そちらの方が良かったと? ドMですか?」
「そう見える?」
「マジマジと」
「目、腐ってるよ」
授業に参加したいわけではない。けれど、この退屈は耐えられない。それでドM認定されてしまうのは癪だった。かといって、他の言い方が思いつかないナギは、どう納得させようかと頭を悩ます。
結局、いい言葉は思いつかず、数十秒の時間が過ぎ去った。
その間の沈黙が辛い。親しい人物なら、この沈黙も耐えられただろうが、つい先日知り合ったばかりの人とのこの沈黙は、体の芯に響く。
さてどうしようかと、もぞもぞとしていると。
「お手洗いですか?」
「違うけど⁉︎」
「……我慢はよろしくないですよ?」
「だから、違うよ⁉︎ ……気まずいんだよ、知り合ったばかりの人といるのが」
人の気も知らないで、と、言いたくなる気持ちを僅かに抑えて言う。
メーヴィスは、その言葉に少し考える素振りを見せて、冷静に囁く。
「陰キャですか?」
「もしかしてバカにされてる?」
「今更お気づきになるとは……お馬鹿キャラは流行りませんよ?」
「ボク、君のこと嫌いだ……」
「それは困ります。お嬢――ご主人様が気に入っていらっしゃるあなたに嫌われると、あわや無職になる可能性がありますので。嘘でも愛していると言え――おっしゃってください」
「ねえ……君もボクのこと嫌いだよね? 一瞬殺意を感じたんだけど?」
メーヴィスに嫌われているのか、それとも別の感情があるのかはわからないが、少なくとも今すぐにどうこうしようという感じではない。様子見をされていると納得しつつ、ナギの目はチラリと時計へ向く。
あと数分で授業が終わりだった。見れば、一時間戦い走り続けたアリーと綾鷹でも、やはり疲れたようでグラウンドの真ん中で大の字になって倒れていた。もちろん、その周りには二人に倒された人が山積みになっているのが把握できる。
「ようやく終わった……何もしてないけど疲れたぁ」
「私は守りますよ。たとえ、世界が相手でも、ご主人様の存在価値を必ずや、守ってみせます」
「……それ、ボクに言う必要ある?」
苦笑を交えて、ナギは無表情のメーヴィスに告げた。
自分ではなく、アリー本人に言ってあげた方がいいのにと、そう思いながら。
授業が終わる。どうやら勝ったのは一人多く倒した綾鷹らしい。負けを認められないアリーは怒っていたようだが、メーヴィスが隠し持っていたお菓子を持って宥めていた。
服の上からお腹を触る。指先に傷の跡が伝わった。これが癒えることはない。少なくとも一生物の傷になるだろう。しかし、それよりも。
「お腹減ったぁ」
退屈は、存外に空腹を招くものだと、ナギは一つ学んだ。




