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心緒  作者: 宮田カヨ
38/62

その38

 宿舎に帰って、部屋に戻ってまず目にしたのは、ナハトのいない部屋だった。フィデーリタースの顔には痣があり、口端から血を流している。イノセンスは泣きながら部屋の隅に蹲っている。

 イノセンスはシュティレの姿を見るなり、駆け寄り、抱きついてきた。子供のように震え、必至の縋り付いてくる。

 泣いているイノセンスを慰めながら、シュティレがナハトの所在を問いただす前に、フィデーリタースが口を開いた。

「……グレーゼ中佐が、ナハトを」

 焦ってんなら助けに行けよ、そう言ってやりたかった。

 大切なものは手の中にあっても、見ていないとすぐに何処かにやってしまう。ちゃんと握って、管理していないといけないのに。

「イノセンスのこと、お願い」

 駄々をこねるイノセンスを引き剥がして、シュティレは急いで部屋を出る。目指すは地下だ。

 地下の入り口から漂う血の匂いと、響き渡る悲鳴。おそらく尋問官が罪人や捕虜を拷問しているのだろう。どこにいるんだあのバカは。地下に行こうとすれば、見張り兵にいく手を阻まれた。

「ねえ、ナハトは? あいつ、どこにいるの? というか、どいてくんない?」

「申し訳ありませんが、お引き取りください。ヴォルカニック大尉」

 グレーゼのやつ、シュティレは舌を打つ。大人しくついていったナハトもナハトだ。手間かけさせやがって。

「……ねえ、そういえばさ」

 見張り兵は面倒臭そうにシュティレに帰るよう促した。

「あんたの横領のことって、ご主人様は知ってるの?」

 シュティレの言葉に、見張り兵は固まった。

 こういう輩には金を払うだけ損をする。どうせ金だけ貰って、後々告げ口をするのが目に見えているからだ。

 こういう奴に一番効くのは、弱みで揺さぶることだ。

「今、俺のこと通してくれるなら、ご主人様に黙ってあげててもいいよ? 側近の立場と、グレーゼさんの言うこと聞くの、どっちが大事?」

 見張り兵は憎悪と嫌悪が入り混じった目でシュティレを睨みつけた。側近としての地位をようやく手に入れ、浮かれていたのだろう。シュティレも見張り兵を睨みつける。昔はよくこうしてたっけ、と負けじと睨み続ける。

しばらく睨み合いが続き、見張り兵は渋々といった感じに道を開けた。

「ついでに教えて、どの部屋にいるの?」

「……一番奥の部屋です」

 シュティレは急いでその部屋まで向かう。地下室には血の匂いが漂い、悲鳴が響き渡っている。ここには数多くの部屋がある。尋問官が捕虜や罪人を尋問したり拷問したり、ストレス発散のために暴行を加えるために使ったりと、用途は様々だ。

 シュティレは扉を開ける。

「……ヴォルカニック」

 心底疎ましそうな、グレーゼの声が耳に届く。数発殴られたのか、ナハトの顔にはあざと、口元からは血が滲んでいる。

「こんにちは、グレーゼさん……ナハト、何してるの。帰るよ」

 ナハトの腕を引っ張り、部屋から出ようとする。当然、グレーゼが割って入った。

「己の邪魔をするな」

「邪魔も何も、あんたが勝手にやってるだけでしょ?」

 ナハトは何も喋らない。暴力を甘受するなんて、今まであっただろうか。

 グレーゼは厄介だ。弱みでいくら揺さぶろうが、金を積もうが、なびかない。グレーゼが求めるものは暴力で得る快楽。

 それが過去の出来事から来るものだということを、シュティレは理解している。元来サディストということもあるが、グレーゼは過去に自分がされたことをナハトにしているだけだ。この事実を知るのは、シュティレとウィンチェスターだけだ。

 唯一グレーゼを止めることのできるウィンチェスターも、今日に限っていない。

「ともかく、俺ら帰るからさ、他のやつで遊んでよ」

 グレーゼ相手にまともに取り合えば負ける。逃げるが勝ちだ。

 シュティレはナハトを連れて急いで部屋から出る。後ろからグレーゼが何か叫び散らかしている声が聞こえるが、聞く耳を持たずいればすぐに地下から逃げ出せた。

「お前さ、なんでついていったの?」

 さっさと医務室に連れて行かないと。怪我をしたままだと、後々面倒だ。

 ナハトは何も言わない。シュティレはため息をついて、話を続ける。

「フィデーリタースも焦ってたよ。お前、イノセンスのこと見とけって命令したでしょ?」

 フィデーリタースが焦るなんて今まであっただろうか。無理をして感情を押さえつけていた、あの男が。

「……焦る?」

 ナハトが口を開いた。

「あいつが焦るわけがないだろう! 俺の気持ちに……これっぽっちも気付かないようなやつだぞ……」

 シュティレは黙ってナハトの手を引く。

 やっぱり、ナハトが逃げ出したのはそれもあったのか。本当、なんであいつなのか。他にもいい奴はいっぱいいるだろうに。シュティレはため息を吐く。

 ナハトの手を引き、シュティレは医務室へと向かっていった。

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