その13
ニュイは手を差し出した。フィデーリタースは、その手を見つめた。
「……お前を置いて行ったこと、後悔していた。何度も、お前を共に連れて逃げるべきだったと後悔していた。無責任なのはわかってる。俺は、お前やあいつら、シスターたちにたくさんの迷惑をかけた。今だって、あの人たちを危険に晒して、一人で逃げている。情けない男だ」
ニュイは泣き出しそうになっていた。
「……頼む、俺と一緒に逃げてくれ。帝国も、戦争も、何もない場所へ行きたいんだ……もう、お前を置いては行かない」
フィデーリタースはニュイの手を見つめた。何を都合のいいことを、と思っているのだろう。ニュイ自身もそう思っていた。こんな都合のいいことを言ってしまう自分自身が、情けなくて、惨めでたまらない。
フィデーリタースの手が上がった。
「……あなたが望まれるなら、俺は、どこまでも……」
手を取る寸前、ニュイはその体を思いっきり突き飛ばした。
フィデーリタースがいた場所を銃弾が通った。もしニュイが突き飛ばさなかったら、確実に死んでいたに違いない。
「グレーゼか……!」
咄嗟に万年筆を構え、相手を警戒する。グレーゼは帝国の中でも、優秀と部類されるほどの狙撃の名手だった。先ほどの、二等兵の狙撃とは比べ物にならないほどの正確性を持っている狙撃を、忘れたことはない。
「……相変わらず、無駄に勘だけはいいんだな。ジェニングス」
とっくに逃げ場は無くなっていた。既に周りは囲まれている。隠れたところで意味はない。向こうも同じことを考えていたようで、余裕綽綽と言った感じで二人の前に現れた。
草むらから出てきた長身の男は、相変わらず憎たしらく、人を卑下するような笑顔を浮かべている。グレーゼのトレードマークのようなものだ。
「……俺にかける時間があるなら、さっさと前線へ赴いたらどうだ?」
体制を整えたフィデーリタースは、少し離れた場所でこちらを見ている。
はめられた。そう気づいた時には遅かった。
「それは己の仕事じゃない。前線はお前の仕事場だ」
「……そんな仕事、とっくの昔にやめた」
「なんだ?『懐刀』としての誇りはないのか?」
「そんな誇り、元から持ってないもんでね。それと、お前たちは俺がいないと何にもできないのか? 教えてくれグレーゼ」
「そうだな、己たちはお前がいないと戦地へ行くこともできない。怖くてたまらない」
芝居のかかった口調も相変わらずだ。人をおちょくる時、グレーゼはいつもそうする。
「……お前が大人しく戻るなら、手荒な真似はしない」
グレーゼの言葉を合図に、銃口を向けた雑兵が一歩ずつ距離を詰めてきた。
「……断りたい、そう言ったら?」
「そいつを今ここで打ち殺すか、修道院の奴ら全員収容所送りかお前の手で処刑させるっていうのはどうだ?」
「……下劣だな」
そう吐き捨てられた言葉は、フィデーリタースとグレーゼに向けられていた。
「なんとでも、連れて行け」
ニュイは最後まで抵抗した。多勢に無勢とはまさにこのことで、さすがに「懐刀」と称された彼でも、大勢の人間を一度に相手することは無理があった。逃げ道を探したが、まるで虫のように湧いてくる雑兵のせいで、ろくに前に進めなかった。いや、逃げようと思えば逃げられた。そうしなかったのは、倒れている側近のせいだろう。
後方へきた雑兵には、さすがに手が回らなかった。後ろから頭を殴られ、その次に顔を殴られた。恐らく銃の柄の部分で殴られたのだろう。
「……くそったれ」
そう呟いた次の瞬間、再び衝撃が襲ってきた。




