その11
子供達は彼を食堂に案内し、食事を取らせた。腹は減っていない、と言っても聞かずじまいだった。曰く「病人はたくさん食べて栄養をつけろ」、とのこと。お前たちが食えばいい、と言っても聞かずじまいだった。
食事が終わった後、ニュイは修道女に呼ばれ、院長室へと向かった。子供達は教室で待っている、早く来てねと名残惜しそうに言った。
ドアをノックすると、どうぞ、と穏やかな声が聞こえてきた。静かにドアを開けると、修道女が茶か何かを用意しながら、彼を出迎えた。促されるままに椅子に座る。
「……どうです、体調の方は」
「今は、何とか」
「……そうですか」
修道女はカップに口をつけた。話の切り口を探しているのだろうか。何か言いたげな修道女に、ニュイは口を開く。
「……シスター。用があって、俺をここに呼んだのでは?」
修道女はため息をつき、カップを置く。
「……私は、差別なく、助けられる人間はここに置いてきました。あなたもその一人です。できることなら、あなたにはここにいて欲しいのです。しかし……」
そういうことか、とニュイは少しだけ安心した。先ほどまでの悩みも吹っ切れたような気がした。
「……わかりました。今すぐにでも、ここから」
言い終わる前に聞こえてきたけたたましい足音と、あってないような警告じみた謳い文句。ニュイには聞き覚えのある声だった。
修道女は彼の顔も見ずに立ち上がると、ドアの方へ向かっていった。
「逃げなさい、ニュイ」
恨み言ひとつ漏らさない(その余裕もなかったのかもしれないが)彼女とここに暮らす全員に向けて、ニュイは小さく謝罪した。修道女は何も言わなかった。そのまま部屋から出ていく彼女を見つめ、彼は立ち上がる。
窓から外へと出る。まだ、彼らはこちら側まで来ていないようだ。今は少しでも早くここから出ていくことが、ニュイにできる精一杯のことだった。ここに長く留まってしまうと、ここにいる全員の命が危うい。ニュイはひたすら走った。どこでもいいから、あの修道院より離れた場所にいかなくてはならない。
整備されていない、獣道だけしかない森を、彼は必死に走った。
咳き込みながらも必死に走った。息がうまく吸えず、ニュイは立ち止まってしまった。木に手をつき、息を整える。無理に足を動かそうとすれば、一瞬だけ目の前が暗くなり
思わず木に体を預けた。急に走ったせいか、朝食べたものが口から出てきた。根本と自分の足を、吐瀉物が汚す。足元から胃酸特有の饐えた匂いがした。
木々の隙間を縫ってエンジン音が聞こえた。耳を澄まし、音を聞き分ける。エンジンの音が一つだけはないことがわかった。道に並んだ車には、武装した軍人たちが乗っている。車は奥まで続いているので、おそらく待機するようにしじされているのだろう。
ニュイは道に向かって石を投げた。陽動になって、少しでもこちらに気を向けてくれればいい、あわよくばこちらに向かってきて欲しいと願っていた。そうすれば、あの修道院の全員とまではいかないが、助かる可能性がある。
石が車に当たった音がする。こちらに向かって警告のようなものを言っているのを聴きながら、ニュイはわざと音を立てて再び森を駆けた。自分を追うよう命令しているような声が聞こえた(走り出していたので、詳細はわからなかったが)。
号令と、抵抗した時のための発砲許可が後ろから聞こえる。打てるものなら打ってみろ、とニュイの中に開き直った気持ちが生まれた。
ある程度走ったところで、ニュイは足を止めた。それが功を奏したのか直後、ニュイが足を踏み出そうとしていた場所に銃弾が撃ち込まれた。足を踏み出していたら、片足は間違いなく吹っ飛んでいたに違いない。
いつの間にか回り込まれていたようだ。無数の足音に、ニュイは身構え、作業着のポケットに入れていた万年筆を一本取り出した。それを指の間に挟み、仕込み刀のようにして構えた。本来、これは字を書くためのもので、このような持ち方をするべきものではないが、そんなことを思っている余裕もなかった。
ニュイに銃口を向けながら、近づいてくる雑兵。彼らが纏っている軍服は、かつてニュイも着ていた帝国の軍服だった。襟章から察するに、おそらくこの雑兵は二等兵なのだろう。使い捨てとして利用されているのだろうな、とぼんやり思った。
「……見逃してくれ、頼む」
対話での解決を試みたが、相手は取り合ってすらくれていない。返ってきたのは口汚い罵詈雑言だった。雑兵の一人は引き金に指をかけ、引きたくてたまらない、という顔と嫌悪の目でニュイを見つめていた。先ほどの発砲は止まれを意味する警告だったのだろう。無傷で連れて返って来い、傷は最低限に、とでも命令されているのだろうか。
「……引きたいなら引けばいい、俺はもうあそこへは戻らない」
もう戦場へは行きたくなかった。懐刀とも呼ばれたくなかった。これは相手への挑発でもあり、ニュイの本音でもあった。




