その10
ニュイは飛び起きた。飛び起きた拍子に、何かが彼の膝の上に落ちる。触ってみると、それは冷えたタオルだった。
窓の外と部屋は暗く、ベッドサイドの上に置かれた蝋燭だけがわずかな光として存在していた。雰囲気からして、ここは自室では無い。消毒液の匂いがすることから、おそらく医務室だろう。
あいつの夢を見るなんて、とニュイは涙を流した。
未練がましいにも程がある。捨てたのは自分なのだ。いくら後悔したって意味は無い、とわかっていたはずなのに。つくづく傲慢な生き物だな、とニュイは自嘲した。
「ニュイ? 起きたんですか! よかった!」
カーテンが開き、若い男の声だった。ニュイと対して歳の差が無い、若い医師だ。
彼は急いで涙を拭う。幸い、その様子を見られはしなかった。
「俺、なんでここに……」
「覚えてないんですか? いつまで経っても広場に戻ってこないからみんなで探してたら、あなた、台所で倒れてたんですよ。しかも、すごい熱出して。体調悪いんだったら言ってくださいよー、みんな心配してましたよ。頭痛くないですか? だるいとか、どうです?」
そう言われたものの、部屋から出て以降の記憶がない。
「……すまない。大丈夫だ」
「……まあ、今は寝てください。そんで風邪治してさっさと元気な姿見せてください」
若い男はタオルを手に取ると、持ってきた桶の中につけた。若い男はちょっと失礼、とだけ言い、彼の額に触れる。
「まだちょっと熱っぽいっすね。まあ、今日と明日寝てりゃ治りますね」
「……すまない、何から何まで」
「やだなー、なんかニュイ、謝ってばっかじゃないですか」
ニュイはベッドに横たわる。男は絞ったタオルを彼の額の上に置いた。
「謝るくらいなら礼言ってくださいよ。そうか今度、酒でも奢ってください」
「……酒はシスターに禁止されているはずだが」
「黙ってりゃバレませんよ」
「それもそうだな……ありがとう」
若い男は、それを聞いて満足したようだ。
「なんかあったら言ってくださいね。俺が寝てたら叩き起こしてください」
「……ああ」
この医師は夢に出てきた、あの若い医師によく似ている。少し馴れ馴れしいところや、分け隔てのない部分が、とても似ている。あいつの方が性格はきつめか、と少し笑った。
ニュイため息をついて閉じていた目を強く瞑る。
明日の朝にでも、さっさとここを出て行こう。荷物も何もまとめていないが、仕方がない。シスターには話をするべきだろうか。随分と世話になった人に、何も告げず出ていくほどニュイは恩知らずではない。しかし、あの人の顔を見ると、ここを去るのが名残惜しくなってしまいそうだ。ならせめて手紙を書くか、とも考えたがそれはなんだか格好が悪く感じられてしまう。
ともかく、今は一度眠ろう。少し寝れば、頭も冴えてくるはずだ。
目が覚めた時、部屋は明るかった。それが人工的な光や蝋燭の光ではなく、日光の光だとわかった時、ニュイは思わず飛び起きた。額に置かれていたタオルは、昨晩と同じようにニュイの膝の上に落ちた。
時間を確認するために時計を探す。近くの壁にかけてあった時計が、既に正午を超えそうになっていたことを知らせてくれた。昨日(真夜中だったため、日付を跨いでいた可能性もあるが)に比べたら頭痛も喉の痛みもなくなっている。今この空間には、ニュイ以外誰もいない。あの医師は外にでもいるのだろうか、とぼんやりと考えていると、誰かが部屋の中に入ってくる気配がした。
「ニュイー! 起きてるー?」
大きな足音を立て、元気一杯の声をあげながら、子供達が医務室へと入ってきた。その後ろから、それを諌めるような医師の声も聞こえてきた。子供特有の甲高い声が、少し頭に響いたが、嫌な気分にはならなかった。
カーテンが引かれ、子供の一人がベッドの上に登ってきた。
「ああダメだって! こら!」
その光景を見た医師が子供をベッドから降ろしつつ、ニュイに話しかける。
「ニュイ、おはようございます。どうです、体調の方は?」
「昨日に比べたら随分とマシになった。ありがとう」
ベッドから降りると、子供達の一人がニュイに声をかける。
「ニュイ、大丈夫?」
「ああ、もう平気だ。心配かけて悪かったな」
その子供の頭を撫でると、子供は彼の手を引いた。医師がそれを諌めるように声を上げるが、ニュイがそれに首を振った。
本当に、こいつらの顔を見ると覚悟が揺らぐな。手を引く小さな手が、嬉しくもあり、悲しくも感じてしまった。




