8.青鬼さんは人見知り
えーっと、今度はあれかな。俺がアリアさんを泣かせてると思ってアリアさんと仲の良い誰かが俺に対して怒っているとかそういう事なのだろう。天丼と言うか、こういうのは何回も繰り返すものなのだろうか。非常にタイミングが悪い。
とりあえず俺は声が聞こえてきた方向に振り向いて……そして絶句した。
俺のすぐ背後には、超巨大な青い壁がいきなり現れたかと錯覚するくらいの筋骨隆々の肉体を持つ青い肌の人物が立っていた。俺の顔がその人物の鳩尾よりも下にあることから、身長は二メートル以上あるだろうか。俺が壁だと錯覚したのはその人物の胴体だった。
視線だけを動かしてその腕を見ると、太さが俺の胴体くらいあるんじゃないかって言うくらいに筋肉がつい
ている。先ほどのアリアさんみたいに殴られそうになったら、それだけで失禁してしまいそうだ。足の筋肉も同様に太く、普通に立っているだけなのだが威圧感が凄い。
俺はゆっくりと視線を上にあるであろう顔に向ける。願わくばその表情は穏やかであることを祈ったのだが……。その表情は真顔だが青筋が立っており、静かな怒りを確かに感じさせた。頭部の金髪は短く刈り揃えており、俺と異なる大きな一つ目と、一本の立派な角がその頭部には存在している……一見して人ではないと言う事がわかる存在だった。
俺の知っている存在として一番近いのは、鬼だ。一本角の鬼がそこには立っていた。
いや、今回はダメだろ。さっきは骨ヤンがアリアさんの拳を受け止めてくれたけどこれは無理だろ、こんなので殴られたら余裕で死ぬだろ俺なんて。
全身を小刻みに震わせており、少しでも刺激を与えたら今にも動き出しそうなそれを目の前に俺は青ざめることしかできなかった。何か言葉に口に出そうとしても怯えて声が出そうにない、一気に体中の体温が低くなり、冷たい汗が噴き出してくる。
今すぐ土下座して謝ったら許してもらえるだろうかと考えるのだが、こちらが動いたらあちらも動きそうだと考えると、身体が竦んで微動だにできなかった。
俺が泣きそうなくらいにビビっていると、骨ヤンはゆっくりと俺と鬼の間に身を割り込ませてきた。見慣れた背中に一瞬だけ安心するのだが、方や骸骨、方や筋骨隆々の鬼と、見た目的には鬼の方がはるかに強そうだったのでその安心感も一瞬で引いていった。……骨ヤン、ありがたいけど無理はしないでいいよ。最悪土下座で謝るから。
「……そんなにビビらなくていいんだよ。別にロクヤン強くないし、アリアちゃんをいじめてたわけじゃないからさ。そんな震えなくていいんだよ」
そんな俺の決意とは裏腹に、骨ヤンは目の前の鬼に非常に優しく話しかけていた。……ビビってたのは俺の方なんだけれども、何を言っているんだろうか。こんな強そうな人が俺にビビるとかありえないだろ。
「……ライカ様……んだども……アリアが泣いとるし……」
鬼の人は震えを少しだけ強くして俺の方を睨むように視線を送ってくる。うん、これでビビってるとか嘘だろ、俺の方が怖いわこんな睨まれたら。
俺は骨ヤンの背中に隠れるように身を縮こませる。俺の行動を背中で感じたのか、少しだけ首を動かして俺を見た骨ヤンは、仕方ないなと言わんばかりに小さく鼻で笑いやがった。今日は隠れてばっかで情けないけどちょっとむかつく。
「……オーグ君は相変わらず人見知りだなぁ。むしろビビってるのはロクヤンの方だから、普通に接してあげて。見てよこれ、俺の背中に隠れてるくらいだし」
「……えと……わかりましただ……ライカ様」
目の前に立っていた鬼がその場で力が抜けたかのようにその場に座り込む。肩を落として大きく息を吐きだした姿は、先ほどまでの威圧感を感じさせない姿だった。その鬼に、アリアさんは駆け寄っていき肩にそっと手を寄せる。
「……緊張しただ……知らない人に話しかけるのは……」
「オーグ、私のためにありがとう。でも、今回は私が悪いの。ごめんなさい、貴方に無理をさせちゃって」
「……オラはアリアのためなら、なんだって頑張れるだよ」
「……オーグ」
どうやら骨ヤンの言っていた緊張していたというのは本当だったようなのだが、目の前で唐突に二人の世界を作り上げられて俺は置いてけぼりを喰らってしまった。
唐突に見つめ合い甘い空気を作り出した二人に対してポカンとしていると、骨ヤンが「二人は恋人同士だから、しかもなりたての。」と要らん補足説明をしてくれた。
……綺麗な人はみんな他人の物とはよく言ったもので。素直に羨ましいね……さっきは下手に慰めなくて良かったと思っておこう。
目の前でそんな雰囲気を出されても困るので、俺は咳ばらいを一つすると二人の意識をこちらに戻す。
「……失礼しましただ。オラはオーグと……言います。しがない鬼族の一員ですだ。アリアが何か失礼をしていたようで……」
少し頬を染めた鬼の青年……オーグさんは俺に握手を求めてきた。求めてきた手は俺の数倍はある大きさで、下手に握って潰されないか心配だったのだが、横目で見た骨ヤンが心配ないとばかりに頷いたので、その手を俺は握った。握手された手は力強かったが、俺の手を潰すようなことは無かった。
「よろしく、齋藤六也です。アリアさんには誤解されていただけなので、失礼と言う程ではないので気にしないでください……」
「そう言ってもらえると……恐縮ですだ。アリアは思い込みが強いんで……そこが可愛いところなんだが」
さらっと惚気られてしまった……。アリアさんはオーグさんの横で両手を頬にあげて嬉しそうに顔を綻ばせている。その姿を見てオーグさんも嬉しそうに笑っている。なんか、初々しいカップルを見ているみたいで微笑ましいな。
「アリアさんみたいな綺麗な人を恋人にできて羨ましいですよ。どこで知り合ったんです?」
「あ……アリアは……えと……。」
「その……私は……。」
「アリアちゃんはもともとは敵国の騎士さんだったんだよ。結構強くてねー、敵ながら正々堂々として好感を持てる存在だったんだよね」
二人が言い淀んでいると、骨ヤンが横から説明をしてくれた。勝手に言っちゃってるけど、それってけっこうデリケートな問題なんじゃないかと思うのだが……いいのだろうか。二人は苦笑いしてるけど。
「あの時は大変だったよねぇ。アリアちゃん、自国の人に裏切られちゃって。ボロボロの状態で一人でポツンといるんだもん」
「敵陣で味方に後ろから撃たれて、孤立させられた時は本当に絶望しましたからね……ライカ様に捕虜にしていただけなかったらと思うと……今でもゾッとします」
「しばらくはアリアは何も喋らず本当に死んだ目をしてただよ……全てを諦めて絶望している姿が痛々しくて……放っておけなかっただよ……」
二人が苦笑いをしていたのは、どうやら当時を思い出してのことだったようだ。そしてこの二人の出会いには骨ヤンも何かしら関わっているようで、三人は思い出話に花を咲かせる。
どうやら、自分の国に裏切られたアリアさんは捕虜として骨ヤンに保護されて、その保護されたアリアさんの世話係になったのがオーグさんで、それが二人が出会ったきっかけなんだとか。
そこから、アリアさんが自国にいちゃもんを付けられて送還されて、送還された先で処刑されそうになったところをオーグさんと骨ヤンで助け出して、そこからアリアさんとオーグさんのお付き合いがスタートしたのだとか……。オーグさん、物語の主人公みたいなことやってるな……。
でも、この筋肉でオーグさんが世話係してたってのは何とも違和感と言うか……。顔立ちは優しそうにも見えるけど、弱っている人が見たら筋肉の威圧感で委縮しちゃわないかな?
そんな事を考えていたら、骨ヤンが横からどこからか取り出した写真を見せてきた。
「ロクヤン、これ見てよ」
「ん?何それ写真?なんか随分細い人が映ってるけど……誰?」
唐突に俺に突き出してきた写真には、青い肌で一つ目、一本角を持った金髪長い髪を一つ縛りにした青年の姿が映っていた。オーグさんに似ているが、今の姿とは似ても似つかないくらいに線が細い……非常に華奢で触れただけで倒れてしまいそうな青年だ。
たぶん、俺でも勝てるんじゃないかってくらいに線が細い。
「数か月前のオーグ君ね。これ。二~三ヵ月くらい前かな」
「はいっ?!」
俺は写真の青年と今のオーグさんを見比べる……確かに青い肌に一つ目の一本角でパーツは同じだが、同一人物とは思えないほどに体型が異なっている。今のオーグさんの腕の太さだけで、写真の青年の胴回りがすっぽりと収まるほどだ。
「ライカ様……恥ずかしいだよ……。オラの昔の写真なんて、この頃は本当に落ちこぼれでガリガリで……」
「この頃のオーグも、私は好きですけどね。可愛くて」
「アリアも……そう言うのやめて……」
俺が写真とオーグさんを交互に見ていると、アリアさんから可愛いと言われたオーグさんは真っ赤にした顔を両手で覆い隠していた。二人の言動を見る限り、この写真の人物は確かにオーグさんの様だった。
確かにこの姿なら世話係として威圧感も何もない……顔立ちも整ってるし、可愛い恰好させたら女の子でも通用するんじゃないかこれ……。
……いや、今と変わりすぎだろう……完全に別人じゃん。
「え……なんでこんな変わったの?」
「アリアを守るために、このジムで……鍛えただよ。もうアリアに怖い思いはさせないだ」
……このジムで鍛えたらこんな別人レベルになるの?数ヵ月で?怖すぎないこのジム?愛の力だねぇと骨ヤンが納得してるけど、絶対そんな精神論ではないと思うんだけど……種族的なものもあるんだろうなきっと、鬼だって言ってたし。
「オーグ君が鍛えてここまでの筋肉になったんだし、俺もそのうちあれくらいの筋肉を付けたいねぇ。腹筋とかも割りたいし」
「いやー……骨ヤンは無理でしょ。筋肉付けるって……。骸骨なんだし」
「夢は諦めなければいつか叶うんだよロクヤン」
「そんな君には人の夢と書いて儚いと読むのだという名言を送るよ」
自分の着ている服をめくりあげて綺麗な肋骨を見せてくる骨ヤンは、俺の言葉にわかっていないなと言わんばかりに肩を竦めて首をやれやれと振っていた。
その態度に少しだけむかついたので頭をペチンと一度だけ軽く叩くと、骨ヤンはカラカラと楽しそうに笑い、今度は特に誰からの怒声も聞こえなかった。