3.魔王へ謝罪する
ウォーマスポーツクラブ。そこは世にも珍しいモンスター達が身体を鍛えるスポーツクラブであり、異世界と俺の世界の中間に位置するスポーツクラブである。今日は定休日で休みである。
ただ俺は、ちょっとした用事があったのでジムに来ていた。定休日が俺の休日とは重なっていなかったので、会社は有休を取得して休み、服装も普段着ではなくスーツ姿である。
スポーツクラブにスーツ姿で何をしに来たかと言うと……魔王さんへの謝罪である。
先日、ジム内の食堂を罰として手伝った際に俺は食堂の主であるアラネアさんに、魔王さんへ謝罪したい旨を伝えた。
自分がやらかしてしまったことはアラネアさんから教えてもらい、罰の内容についても納得はできたのだが、俺が余計な事を言ってしまったために魔王さんが謝罪行脚に陥ってしまったというのは罰を受けたとしても申し訳ない気分になってしまったのだ。
あまりにも申し訳なさ過ぎたので、直接謝罪をしたいという旨を魔王さんに伝えてもらうことにした。
正直に言うと、アラネアさんがタルトを糸でバッサリ切ったのを見て自分に重ねてしまいビビったというのもあるが……謝罪は大切だ。謝罪が遅れれば遅れる程に後から謝るという行為はしにくくなってくるものだ。最初に謝罪しておけば軽い対応で済んだものが、それをしなかったために後々拗れに拗れてしまうというのは良くある話だ。
俺が魔王さんを友人と言うのはおこがましい気がするのでそうは呼ばないが、それでもジムに通わせてもらっていたりとお世話になっている人なので、そんな風に拗れる前に謝罪をしておきたかった。
謝罪と言うのは自身の誠意を相手に見せることだ。だから俺は普段気慣れないスーツなんかを来て、手土産を持って謝罪に伺ったわけだ。その手土産も、誠意の証として俺としてはだいぶ奮発したものを購入した。デパートの有名ケーキ屋で売っている1ホール6000円するフルーツタルトだ。
普段であれば絶対に買うことは無い、なんせソシャゲの10連ガチャ2回分、食費だとうまくやりくりすれば2週間分だ。それを俺は清水の舞台から飛び降りるつもりで購入した。実際に京都に行ったことも無いし清水寺にも行ったことは無いが、それくらいの気持ちで購入したのだ。
姑息と言うなかれ。相手は魔王さんで曲がりなりにも一企業の社長さんだ。それなりの物を持っていかなければ失礼になるし、これが例えばTシャツにジーンズで手土産に駄菓子を持って謝罪に来た男と、スーツ姿で髪も整え普段購入しないような高級菓子を手土産に謝罪に来た男では、どちらが謝罪した時に相手の気分を害さないかと言うのは子供でも分かる理屈だ。大切なのは相手に申し訳ないという気持ちをどれだけ伝えられるかだ。
……まぁ、タルト以外にもいくつか他のお菓子も買ってきているので、見ようによっては甘い物で相手を釣ろうとしている姑息な男に見えてしまうかもしれないが……きっと魔王さんには俺の誠意は通じてくれるはずだ。きっとそうだ。
「さて……」
まるで今から戦場にでも赴くような緊張感と共に、俺はジム内に足を踏み入れた。もしかしたら骨ヤン達が戦う前はこんな気持ちなのだろうかと、勝手に共感に近い気持ちを覚えるが、たぶん骨ヤンは嬉々として戦場に出そうだとすぐに思い直した。ここまで緊張したのは就職の面接の時以来かもしれない。
ジムの裏口にある内線電話から事前に教えてもらった番号にかけると魔王さんとは違う女性が対応してくれた。聞き覚えのある声だったのでもしかしたら顔見知りの誰かかと思ったが、誰かまでは判別は付かなかった。そのまま俺はエレベーターに乗り、いつもの指定された階層まで移動する。
移動の最中に、そもそも定休日に押し掛けるって実は相当失礼じゃないだろうか、むしろ迷惑だったのではないか、魔王さん甘い物好きって聞いたけどさらに奮発して1ホール10000円するタルトにすればよかっただろうか、6000円って額として中途半端じゃ無いよな、アレルギーとか大丈夫な人なんだろうかと自問自答してしまう。
一人だとどうにも後ろ向きな考えが頭をもたげるが……そもそもアラネアさんには魔王さんの都合の良い日でと相談して、この日を指定したのは魔王さんなので、定休日云々の辺りは大丈夫だろう。
手土産についてはもう買ってしまったのだから仕方ないし、きっとそんなことで怒る人じゃ無いはずだ。そう思いたい。
そんな事を考えていたらエレベーターは目的の階に到着した。指定された階はいつも通っているジムの一つ上の階……魔王さん達の仕事部屋がある階に到着した。エレベーターの扉が開くと、目の前に一人の女性が立っていた。
タイトなロングスカートを履いた、黒に近いグレーのスーツ姿の女性だ。非常に整った顔立ちをしており、掛けている銀縁の眼鏡の奥には猫のような金色の瞳が俺を真っ直ぐに見ていた。髪の色は綺麗な銀色で、それをショートヘアーに短く切りそろえている。そして……頭頂部には髪色と同じ色の猫耳がついていた。
見た目を簡潔に表現するなら社長秘書、もしくは有能なキャリアウーマンと言う感じだ。猫耳だけど。
「お待ちしておりましたロクヤ様、社長室までご案内いたします」
綺麗な姿勢のままで深々と頭を下げてきた女性に俺は見覚えがあった。確か、魔王さんの秘書をしていた女性だったと記憶している。この人のおかげで俺はこのスポーツクラブに通えるようになったのだから、忘れようは無い人だ。ある意味で俺にとっての恩人ともいえる人だ。
その事をこの人が覚えているかはわからないが、とりあえず俺は挨拶をして秘書さんの後をついていくことにした。後ろを振り向いた秘書さんのスカートからは、可愛らしい猫の尻尾が顔を覗かせていた。
秘書さんに先導されて社長室へと向かう途中、俺は尻尾を触りたい衝動に駆られたがそんなことをやったらさらに謝罪をしなければならないので当然のことながら我慢する。見ようによってはお尻を見ながら歩いている変態だと気づいたので、なるべく尻尾にも視線を移さない様に気を配りながら歩いていた。
それでも視線は動く尻尾を無意識に追ってしまう。これはあれだ、人間は動くものに視線が誘導されやすいというやつだな。決して尻尾と一緒に軽く揺れるお尻に目がいっているわけではないと俺は心の中で誰ともなく言い訳をする。
「こちらになります。どうぞ」
唐突に止まった秘書さんに俺はぶつかりそうになりながらも俺は急停止する。どうやら尻尾に目がいっているうちにいつの間にか目的の場所に到着していたようだった。
そこには濃い茶色の木目調の大きな扉があった。両開きタイプのその扉は非常に重そうであり、ゲームのラスボス前の扉をとかはこういうのを言うのだろうかと変な緊張感を持ってしまい、思わず身構えてしまう。
そんな俺の心情とは関係なく、秘書さんはその重そうな扉を開けると俺に中に入るように促してきた。
促されるままに俺は扉から部屋の中に入ると、秘書さんは続いて部屋の中に入ってきた。扉が重厚な音を立てて閉まり、完全に閉まるとガチャリという金属音が響く。なんで鍵かかったんだ?オートロックかな?
「魔王様、ロクヤ様がいらっしゃいました」
社長室は一人ではかなり広めの部屋だった。部屋の左側に応接用の2つのソファーとその間にテーブルが置かれており、右側には仕事用のデスクにノートパソコンが置かれていた。その近くにはプリンタや、各種書類を置くための棚などが置かれている。魔王さんはそっちのデスクでパソコンに何かを打ち込んでいるようだった。うん、パソコン使えるんですね魔王さん。
入った第一印象は仕事場兼応接間と言うところなのだが……なんかすごい普通の仕事場だ。いや、社長室って言うから当然なんだろうけど、魔王さんの部屋って言うからもうちょっとこう禍々しい感じの椅子とかあると思ってたのに、そう言うものは一切ない。
「そ……そうか、良く来たなロクヤ。久しぶりだな。お前がここに迷い込んだ時以来か」
「あ、はい。お久しぶりです魔王さん。今日はお時間いただきありがとうございます」
秘書さんの言葉で俺達の来訪に気付いた魔王さんは、椅子から立ち上がるとソファーの方へと移動した。仕事中だったのだろうか、邪魔をしてしまって申し訳ない気分になる、謝りに来たのにさらに負い目を作ってしまった感じだ。
魔王さんはソファーに腰かけて足を組んだ。腰まで届くかと言う長い髪は赤黒く、光が当たった箇所が綺麗に赤く光っていた。現実ではまずお目にかからない髪色をしているが、不思議と不自然には感じなかった。
顔は切れ長で二重の目が非常にきつい印象を与えるが、瞳の色が髪の色と同様で綺麗な赤い色をしている。
肌の色は浅黒く、非常に健康的だ。初対面の時はジャージ姿だったので活発な人に見えたが、今日はパンツスーツを着こなしているので格好良い女性と言う様に見える。……胸は真っ平だけど。
初対面の時はこうやってまじまじと見る機会が無かったが、こうして改めて見ると非常に美人である。謝りに来たのに別な意味で緊張してくる。
……しかし、魔王さんのところって結構目つき鋭い人が多いな。アラネアさんも、秘書さんも結構目つき鋭いし。やっぱり戦う人ってそういう人が多いんだろうか。全員美人さんだから怖いって言う印象よりも綺麗って言う印象が強いけど。
「……なんだ、ジロジロ見て。座れよ」
俺が不躾な視線を魔王さんに送ってしまっていたためか、魔王さんは俺から顔を反らしてしまった。しまった、謝罪に来たのに不快な思いをさらにさせてしまったようだ。さっきから仕事の邪魔をしてしまったり、視線で不快にさせてしまったりと失点しかない。ここは直球で謝るしかないな。場合によっては土下座も辞さない勢いで。
俺は魔王さんの向かいのソファへと腰かける。魔王さんは逸らした顔のままで秘書さんにお茶を二人分催促して、秘書さんはそのままでお茶を用意しに部屋を出ていってしまったので、部屋の中には俺と魔王さんの二人だけとなった。謝るならこのタイミングで先に謝ってしまった方がいいだろうな。
「魔王さん……あの……」
「……ロクヤ待て、私から先に言わせてくれないか」
俺が口を開こうとした瞬間、魔王さんは右手をこちらに掲げて俺の言葉を遮ってきた。そして、姿勢を正すと逸らしていた顔を俺に向けて、真っ直ぐに俺に目線を合わせてきた。そして、きわめて真剣な口調で俺に告げた。
「ロクヤ、私はお前の気持ちに応えることはできない」
魔王さんの一言に、俺は身体の温度が一気に低くなってしまったような錯覚を感じた。これが血の気が引くという感覚なのだろうか、この感覚を味わうのはいつ以来だろうか。
……何という事か、俺にはそもそも謝罪する機会すら与えてもらえないと言う事なのだろうか、それほどまでに俺の一言で魔王さんは辛い謝罪行脚……いや、謝罪地獄に追い込まれてしまったのだとすると・・・慙愧の念に堪えないとはこのことか。
謝罪をしても許されないことがあるというのは理解しているつもりだったが、実際に自分が当事者になると結構堪える……。いや、それでも話を聞いてもらわなければ始まらないのだ。許されないなら、どうすれば許してもらえるのかを聞かなければ。
「魔王さん、俺は……」
「いや、待ってくれ。お前の気持ちは非常に嬉しい。嬉しいんだが私達はまだ知り合って日も浅い、いや、浅いどころか一回会っただけなんだ。そんな状態で言われても私も困るというか……いや、本当に嬉しい事は嬉しいんだぞ。迷惑とかじゃなくて、こうやって面と向かって言われるのは初めてだから、ビックリしているというか……。私も慣れてないんだ、いつもは私が言う側だからな」
魔王さん、そんなにいつも謝罪しているのか。トップや責任者は謝ることが仕事だというが、実際には責任を逃れて部下に押し付ける奴が多いからこういうのは非常に好感が持てる。しかし、嬉しいと思ってくれているのはありがたい。迷惑じゃないのであれば後は俺が誠意を見せるだけだ。
……知り合って日も浅い事と謝罪の受け入れに何か関係があるんだろうか?なんか認識にずれがある気がする。
なんだか少しおかしいなと思い、俺は魔王さんをじっと見つめると魔王さんは赤面したり視線が泳いだりとしどろもどろになっている。俺は何を言っていいかわからず、少しだけお互い無言になる。俺はその間に少しだけ考えることができた。やっぱり何か、認識に相違があると。
「だからほら……えっと……まずはそうだ、友達!友達だ‼︎ 友達から始めないか⁉︎ ライカもお前と友達だろう‼︎ だからまずは友達としてお互いを良く知って行けば、私の気持ちも色々と見えてくると思うんだ、だから……ね?」
胸の前で両手を合わせながら魔王さんは小首を傾げてくる。可愛らしい仕草に即座に頷きそうになるのだが、やっぱり致命的な違和感を感じたので即答することを何とか自制して、俺は魔王さんに俺が何故訪問したのかをどう認識しているのか聞くことにした。
おこがましいと思っていた友達になってくれと言う申し出は非常にありがたいし、是非にとお願いしたいところではあるのだが、この違和感を解消しなければ後々にとんでもない事態を招くのではないかと言う予感があった。
「あの……魔王さん……」
「や……やっぱり私と友達は嫌か? めんどくさいか? いい歳して余裕が無いから呆れたか?」
「いや、そうじゃなくて……今回の俺の訪問ってどう聞いてます……?」
「え? えっと……」
魔王さんは何故そんなことを聞いてくるのかときょとんとした不思議そうな顔を俺に見せる。なんだろうか、目つきの鋭い美人さんにそんな顔をされると非常にドキドキしてしまう。謝罪に来たというのにこれはいかんと気持ちを少しだけ引き締める。
躊躇いがちに俯いたり手を合わせてもじもじと動いたりしていた魔王さんは、やがてほんの少しだけ顔を上げると上目使いでこちらを見て口を開いた。
「ろ……ロクヤが私に告白しに来るって……」
……やっぱり変な風に伝わっていた。
どうしてそうなったんだ? これが伝言ゲームの恐ろしさなのだろうか? 俺はあくまでも謝罪したいから魔王さんにアポを取って欲しいとアラネアさんにお願いしただけなのに、それがどうして告白しに……いや、謝罪だから罪の告白と言う意味ではあってるのか? でもわざわざそんな言い方する人はいないだろ。
だいたい、怒らせておいて謝罪より前に告白しに来る男ってどう考えても断られるだろ。いや、付き合ったことないからわからんけど、神経逆撫でするだろそれは。
「いや……告白じゃないんですけど……」
「おや、告白ではなかったのですか?」
唐突に横から出てきた声に身を震わせそちらに目をやると、そこにはお茶をトレイに乗せた秘書さんがいつの間にやら立っていた。……入ってきたのに全然気がつかなかった。
秘書さんはお茶を三つ持ってきたようで、一つを俺の前に、もう一つと魔王さんの前に、そして最後の一つを魔王さんの横に置くと、自分はそこに着席した。
魔王さんは先ほどの表情とはうって変わって、非常に険しい目で隣に座った秘書さんを睨みつけている。両手はかすかに震えており、今にも秘書さんに飛び掛かりそうだ。
「シャル……てめぇロクヤが私に告白しに来るって言ってたよな……?」
「はい、アラネア様よりロクヤ様から魔王様へと非常に大切な話があるので魔王様に取り次ぐように言われました。男が女にする非常に大切な話なんて告白以外にはありえないと判断いたしましたので、魔王様にもこれは期待していただかなければならないと若干誇張表現を盛り込んだうえでご報告をさせていただいた次第です」
「違ったじゃねえか……」
「どうやらそのようです。私としたことが判断を間違えていたようです。まぁ、ミスは誰にでもあるものです。大事なのはそこからどうリカバリーするかです。それよりロクヤ様、先ほどから馨しい甘い香りをさせておりますが何かお持ちですよね? だと思いましたのでお茶請けは持ってこなかったわけなので、それをお茶請けにさせていただければ……」
自分のミスを一言で終わらせると、秘書さんは俺が持ってきた品をご所望の様だった。だから自分の分もお茶持ってきたのかこの人。横では魔王さんが顔を真っ赤にしてその身を怒りと羞恥で震わせている。
これは魔王さんにあげるために持ってきたのであってお茶請けとして持ってきたのではないのだが、タイミングを逃してしまったのは事実なのでここで出しても良いのだが……まずは魔王さんへのフォローが先だろう。今にも暴れだしそうなほど震えているし、何かわからないが静電気のような肌をピリピリと刺す感覚が止まらない。
「魔王さん、スイマセン。俺がちゃんと伝えきれていなかったようです。今回は骨ヤンに俺が余計な事を言って魔王さんが謝罪することになったと聞いたので、それのお詫びに来たんです」
座ったままで俺は頭を下げる。顔が見えないためどんな表情をしているかはわからないが、先ほどまであった肌を刺すような刺激が弱まってきているので、どうやら意識を怒りから反らすことはできたようだと認識できた。顔を上げるのは相手から声がかかってからだと決めて、とにかく俺は頭を下げ続けた。
「……なんでお前が私に詫びにくるんだ?」
困惑に満ちた魔王さんの声が耳に届き、俺は恐る恐る顔を上げると魔王さんの表情を見る。声だけじゃなく表情も困惑に満ちていて魔王さんは大きく首を傾げていた。なんだか予想外の反応に俺の方も戸惑ってしまう。
「えっと……いや、ほら……俺が余計な事言ったから」
「それはもう罰を言っただろ。そもそも悪いのはお前のことを真に受けて勝手に行動したあのバカだ。ただ、お前にも何かしら罰を与えないと示しがつかないから比較的軽めの罰を言ったんだが……」
「えっと……でもほら、魔王さん謝罪行脚に陥ったって聞いてたので俺にも怒ってるかなと……」
「問題が起きた時に謝罪するのはトップとして当然だろう? まぁ、確かに謝罪しまくったがあのバカの行動の結果とわかると割と相手は同情的に受け止めてくれたし……そもそも私はロクヤに対して怒ってはいないしな」
その後も俺は色々と魔王さんに聞いてみたのだが、全て返ってきた答えは俺に対しては特に怒ってもいないということだった。どうやら俺は勝手に早合点して行動してしまっていたようだ。考えすぎていたのか。
ただまぁ、悪い事をしてしまったのは事実なのでお詫びに来ておかなかったらモヤモヤとした気持ちが続いていたかもしれない。そういう意味でははっきりと魔王さんの気持ちを聞けて良かったと言う事だろう。
なんだか気が抜けてしまった俺は、ソファに深く腰を掛けて身体を預ける。そして、一息をついてから持ってきたお詫びの品の入った箱と袋をテーブルの上へと置いた。
「これ、お詫びに持ってきた品なんですよね。持ち帰るのも何なので秘書さんの言う通り、お茶請けに食べましょうか」
箱を開けフルーツタルトを二人に見せると、二人は目を輝かせてタルトを凝視している。甘い物が好きなようでよかった。袋の方にはちっちゃいお菓子などを入れているので今はそのままにして、フルーツタルトの方は俺も一緒に食べてしまうことにしようか。6000円も払ったんだから食べてみたいとは思っていたのだ。
「タルトですか、ワンホール丸々とは豪勢な。それではロクヤ様に代わり私が切り分けましょう。三人いますし四等分にして私が二切れいただきます」
「ふざけんなシャル、これは私に買ってきたものだ。私が二切れに決まってるだろうが」
いや、どれだけ食べる気ですか貴方達。そのケーキ確か10個に分けれるサイズなんだけど……半分も食べたら5人分は食べることになるぞ……太らないのかな。いや、それ以前に食いきれないと思うけど、食べられるのか?
「俺は少しあれば十分ですので、具体的には十分割したうちの一切れあれば十分です」
「そんな……ロクヤ、遠慮するな。これはお前が買ってきてくれたものだろう?」
「魔王様、余計な事言わないでください。取り分が増える分には良いじゃないですか」
魔王さんは俺を信じられないという目で見て、秘書さんは自分の食欲に忠実だった。
その後も二人はどちらが多く食べるかで言い争いを続けて、結局はお互い四分の一ずつ食べて、残った分は半分ずつ分けて保存しておくという結論に至った。俺は一切れあれば十分なので……残るのはだいたい四切れ分くらいか……。目の前で大きく切り分けたタルトを二人は幸せそうに頬張っている。秘書さんは上品に、魔王さんは大きな口を開けてタルトを口に運んでいる。
「秘書さんも魔王さんも仲良いですよね。友達なんですか?」
「シャルと私は幼馴染だ。就職の面接に失敗しまくったこいつを私が秘書として雇ってやったんだ。こいつは見た目だけ有能でポンコツだからな。ドジも多いし、私はフォローに追われる毎日だ。だからもう少し私に多くタルトをよこせシャル。」
「お断りします。幼い頃から魔王様の恋愛相談に乗ったりフラれた後のやけ酒に付き合ったりしてるんですから。むしろ私に多くよこしなさい。だいたいなんですか、ロクヤ様にしどろもどろになりながら断って、断れる立場ですか偉そうに。どうせフラれ通しで今は好きな男もいないんだから付き合ってみればいいじゃないですか。」
「……死にたいようだな」
幼馴染だからこその遠慮のない物言いなのだろうが、またもや魔王さんが鋭い目で秘書さんを睨みつけ、握っていた金属のフォークを指の力だけで簡単にへし折った。曲がるではなく綺麗に真っ二つに折れた。どんな力を加えればそんなことが可能なんだろうか? なんだかまた肌を刺すような刺激が魔王さんから発せられ寒気がしてきたので、俺は話題を強引に変えることにした。
「そう言えば! 秘書さんってお名前シャルさんって言うんですね、知りませんでしたよ」
「あぁ、自己紹介していませんでしたね。そういう機会もありませんでしたし……。私はシャルトリューと申します。主に魔王様の秘書を務めさせていただいております。近しい人間はシャルと呼んでおりますので、ロクヤ様もぜひそうお呼びください。これでもう私達はお友達なのですから、こういうお菓子をこれからもどんどん差し入れしてくれると私、嬉しいです」
秘書さん……シャルさんはタルトを口に入れたままで俺に微笑みかけてくれる。先ほどまでは終始無表情でそんな顔を見せてこなかったので、不意な笑顔にドキリとしてしまう。
こんな綺麗な人に友達と言われれば悪い気はしない……。なんだか非常に図々しいお願いをされている気もするが、こんな美人さんに要求されれば男としてはこのレベルの毎回無理だとしても差し入れをしても良いかと言う気分になってくる。
俺が絞まりのない表情を浮かべているのが自分でもわかっていると、魔王さんが半眼で呆れたように俺を見ているのがわかった。そのまま頬杖をついて溜め息を一つつくと、俺に対して忠告するように口を開く。
「ロクヤ……鼻の下伸ばしているところ悪いが、こいつは単に万年金欠で甘い物食うために媚び売ってるだけだからな、気を付けろよ」
「ばらさないでください、魔王様」
シャルさんは魔王さんからの言葉を聞くと一瞬で笑顔は崩れて真顔になる。まぁ……わかってたけどね。お菓子持ってくるだけで綺麗な人と話しできるならいくらでも買うさ。なんだかキャバクラっぽい気もするけど、キャバクラよりよっぽど安上がりだし。きっと健全だし。
……今度は骨ヤンも一緒に来てみんなで食べようかな。その方が楽しいし、美味しいだろう。あいつも俺の友達だしな。
そこで俺はふと、先ほどの魔王さんからの発言を思い出した。勘違いだけど、俺と友達から始めるというやつだ。別に男女の仲になる気は無いのだが、かと言ってそれで友達じゃないと言ってしまうのもどこか寂しい気もするので、俺はその点を確認してみることにした。
「そういれば、認識違いからの発言でしたけど、魔王さんも俺と友達って言っていいんですかね?」
「へ……?」
「ほら、さっき言ってたじゃないですか。有耶無耶になってましたが、俺は魔王さんと友達が嫌ってわけは無いので、魔王さんさえよければ友達になってくれると嬉しいなと」
「……いや、確かに言ったけどさ。あれはその……」
魔王さんは俺の言葉に少し赤面をしたようだが、すぐに真顔になって腕を組み、何かを考えているようだった。その隙にシャルさんが魔王さんの前のタルトにフォークを伸ばそうとしたが、それに対しては睨みを聞かせて無理矢理に引っ込ませていた。
……もしかして、俺と友達になるの嫌だったかな?馴れ馴れしかったかな?俺と骨ヤンが友達になって、シャルさんもお菓子目当てとはいえ友達と言ってくれて、これで魔王さんだけ友達じゃないというのはなんだか寂しいと俺が思ってしまったのだ。だからつい言ってしまったのだが……さっきのは誤解から来ていた提案だったみたいだし。……なんか凹んできたんで、撤回するならいまかな。
「えっと、嫌だったら別にいいんですけど……。やっぱりおこがましいですよね俺なんか……」
喋っているうちにさらに凹んできて、段々と後半の言葉が小さくか細くなっていってしまう。なんだか非常に恥ずかしく思えてきて頬が熱くなってくると、魔王さんは唐突に、口の端を吊り上げて非常に悪そうな笑みを浮かべた。見るからに何かを企んでいるという顔で、俺は少しだけ背筋が冷たくなる。
普通に顔が怖い。さっきまでちょっと可愛いと思っていたのが全て吹っ飛ぶ表情だ。俺が少し引いたのを察したのか、魔王さんは咳ばらいを一つすると表情を笑顔に戻した。
「誤解させたらすまんな。私としても男友達って少ないから友達になってくれるなら嬉しいよ。これからよろしくな」
そう言って右手を差し出して握手を求めてきたため、俺はその手を握り魔王さんと握手を交わした。なんだか女性とこうして握手するのはドキドキしてしまうのだが、目の前の魔王さんが嬉しそうに笑ったので俺も嬉しくなってしまう。そしてその笑みが……先ほどの恐ろしい笑みにまた変わる。
その表情を見て、心臓の動機が先ほどまでとは別の意味に変わってしまうのを感じる。単純に怖い。だからこの人フラれっぱなしなんじゃないかと唐突に理解した。
「これで私とお前は友達だ」
「え……えぇ、そうですね」
「そこでだ……友人として一つ頼みがあるんだ。聞いてくれるか?なぁに、難しい事じゃないんだ」
「頼み……ですか? まぁ……俺にできることなら」
なんだろうか。簡単な事って言うとさっきシャルさんが言ったみたいにお菓子を差し入れしてほしいとかかな? 別にそれくらいなら構わないけど……魔王さん、社長って言う立場なんだから別に俺から差し入れなくてもいいんじゃないだろうか。
「うむうむ。聞いてくれるか。良かった良かった。なに、簡単なことだ。これから先、ライカのやつのストッパーを頼みたいんだ」
「ストッパー?」
「ストッパーと言うか、手綱を握ると言うか……監視役と言うか……言い方は何でもいいが……今回みたいにあいつがアホなことをやらかしそうなときはやんわりと止めるとか、私に報告するとかしてくれればいいんだ」
「……は?」
「いやな、あいつって基本的にやたら強いもんだから誰の言う事も聞かないで自分で突っ走る傾向にあるんだが、ロクヤには相談したりしているからな、たぶんお前の言う事ならある程度聞き入れると思うんだよ。だから……」
「ちょっ……ちょっと待ってください!!」
骨ヤンが無茶をする奴と言うのは先日の話で分かったが、それを監視するというのは気分のいい話ではない。それも何かした時に魔王さんに報告するとか、友達を売るような真似は絶対にしたくない。
今回の件で魔王さんは色々と苦労したのでそういう話になっているのだろうが、それとこれとは話が違う気がするし、何より俺がそんなことを引き受けたらあの骸骨男と普通の友人ではいられない気がする。
俺が断ろうと反論しようとする前に、魔王さんの言葉が俺の言葉を遮った。
「心配するな。全部ライカには言っておく。そのうえでライカが断ればこの話は無しだ。お前もライカに対して聞いたことは私に言うというのは事前に言ってもらって構わない。お前だって自分がアドバイスした内容がどう影響するかとか、知らないままだと今後怖いだろう?」
魔王さんの発言に俺は言葉に詰まった。確かに今回の件で俺は軽い気持ちで発言をして、それが結果として色々な人に迷惑をかける事態になった。これがもしも、もっと重大な事だったら……。
「まぁ、別に隠れてこそこそする必要は無い話だ。私と話した内容もライカに言って構わんから」
「……わかりましたよ。でも骨ヤンが断ったら無しですからね」
「あぁ、よろしくな」
随分と長い間握手をしっぱなしな気がするが、とりあえず俺が了承したことで魔王さんの笑顔も悪人顔から普通に可愛らしいものになる。なんだか騙された気分だが、骨ヤンの事で相談できる人ができたと思えばいいのかもしれない。都合の良いように考えすぎかもしれないが。
長い握手が終わり、魔王さんは俺から手を離しタルトの残りに取り掛かろうとする……しかし、その皿にはちょうどシャルさんがフォークを伸ばしている所であり、またもやシャルさんと魔王さんの喧嘩が始まった。俺はその喧嘩をただ眺めていた。
こうして、俺は魔王さんと友達になった。
文字数多すぎたかも…