第一話 「バッドエンドは笑っていた」
「嘘、でしょ・・・?」
意識という繋ぎ合わせた糸がプツリと切れた。ブラックコーヒーを口へ運ぼうとしていた左手は振り下ろされマグカップがテーブルを叩く。
服装から髪型まで気のゆるみを見せない雑誌の写真をそのまま切り取ったようなキラキラオーラ全開!の若者たちが長い労働時間の中にある貴重な休憩を過ごすために集う狭い個室。賑わう話し声が消え、耳障りな音の発生源へ一斉に視線が集中する。
マグカップを置いたまま俯いている女性こそが、この物語の主人公--鈴木佳音だ。
アホ毛を生やしたお団子ヘアに外国人意識なのかしっかり描かれた眉毛のライン。だが浮かびあがるクマや眠そうにとろんと垂れた目が見事にそれを台無しにしている。カーキ色と黒しか使っていない服装が色鮮やかなこの休憩室内では更に存在を強調させていた。
個人の時間を過ごしていたところを害された一人の従業員の不機嫌な舌打ち。惣菜を温めていた電子レンジのチンと鳴る終了音。佳音は目線を泳がせながら頭を下げ「すみません」という言葉で再び賑わいが戻った。
「終わった・・・これが人生終了のお知らせってやつか」
佳音が吐く息と共に流れ出た言葉は惣菜の脂濃い匂いに交じって空気へ消えていった。
スマートフォンを握る右手から佳音の身体は徐々に石のように固まっていき、心・・・それよりも深い根源的な部分が砕け空虚な穴が開いた。椅子に深く座り俯いている佳音を眩しい照明が照らし灰色に染まっていく。
スマートフォンのSNSの投稿を映す佳音の三白眼だけが揺れ動いていた。
『この度、女性向けソーシャルゲーム「プリズム・ハーツ~メサイアに捧ぐ愛~」は4月20日にサービス配信の終了をすることが決定致しました。突然のご報告となってしまい申し訳ございません。』
通称、プリハーと呼ばれるこの乙女ゲームはストーリーは少々ベタだが、主人公であるアバターの容姿を自分好みに変更できたり人気声優を起用した多数の個性豊かでイケメンな登場人物。他社のゲーム以上に幅広い展開の物語を攻略すると獲得できるスチル。数百種類にも及ぶ装備品や期間限定イベントの装いの登場人物を引き換えることができる課金システム。
無名の小規模会社地道に細部までこだわり続け制作をした結果、若年層を中心とした女性を虜にし乙女ゲームの業界ではユーザー数が最も多いソーシャルゲームにまで成長した。
相変わらず硬直したままの佳音も虜になったユーザーの1人だった。
メジャーデビューを目指していたバンドの夢を挫折。それからは学生時代に働いていたアパレルの販売員に逆戻り。朝から晩まで働き寝るためだけに帰宅する。それが佳音の毎日だった。
だがそんな繰り返される灰色の日々が明るい色に染まる日が訪れる。
「あれー佳音ちゃん?試合終了しちゃって、どしたの。閉店までまだ先は長いぞー」
「うっ、ぅううううっ。星理奈ァ。プリハーの運営からのコメント見たっ・・・?」
茶髪をふわふわに巻いた髪はチョコレートが流れ落ちているよう。桜色のチークと小花柄のワンピースがよく似合っている。頭から足元までスキを見せない身嗜み。
佳音とは雰囲気が正反対の女性――星理奈は鼻をすすりながら涙目になっている佳音を不思議そうに丸い目をぱちぱちと瞬きしながら見つめている。
そんな彼女から突然、プリズム・ハーツを勧められた。
ドラムやバンドにほとんどの人生を捧げていた佳音には乙女ゲームは未知の世界の存在であり勝手に卑猥な想像をしていた為に最初はゲームを始めるのに抵抗があった。
せっかく勧められたのだからと渋々始めてみる。するといつの間にかイケメンな登場人物たちによるボイス付きの台詞に胸を射抜かれ、主人公を抱きしめるスチルを獲得した時には既に帰らぬ人となっていた。
「見た見た。私はやっぱねって感じかなー」
「ガチ勢の前でそんなあっさり言うか普通」
「だって画面の中だけの平面なイケメンはもう時代遅れじゃない?今の時代はちょっと高いけどゴツいゴーグルさえ買っちゃえば二次元のイケメン君たちと触れ合えちゃうバーチャルリアリティだよ。佳音もやってみなって、おすすめのゲームまた教えてあげるから!」
「ダメなんだよ、プリハーじゃなきゃ・・・。だって私の推しは、咲霊しかいないんだからっ・・・」
佳音は乙女ゲームの世界に溺れたと同時に、星理奈が言う”画面の中だけに存在する平面なイケメン”に恋をしてしまったのだ。
袴を履いて長大な日本刀を持つ姿は侍を連想させ、黒髪に鋭い紅い瞳。そして咲霊の特徴がそのまま表現された低く少し色っぽさがある声質に年頃の男性らしい自然な話口調。
そんな彼の甘い言葉に酔ってしまった佳音のサービス残業まみれの日々は薔薇色に変わり、プリハーに熱中している間は仕事のモチベーションも向上していき上司からも感心していた。
「結局、佳音の推しの声優誰か分からないままだったね。配信終了するなら発表するかと思ったけど。これは咲霊ファン・・・というより佳音からの炎上が起きるね」
「声優とかよく分かんないけどさ。プリハー、ていうか。咲霊が居てくれたから、私の人生がやっと明るくなれたと思ったのに」
「気持ちは分かるけど、元気出そうよ。休み被ったら久しぶりにカラオケ行こ?その時バーチャルゴーグル持ってきてあげるから!ほら仕事戻るよ!」
涙を堪えようと目を伏せながらスマートフォンの画面の中に映し出される咲霊のスチルを寂しそうに見つめながら駄々をこねる佳音。同情の眼差しで見つつも星理奈は佳音のジャケットの裾を掴み休憩室から引っ張り出した。
喪失感を漂わせている休憩上がりの佳音を見て一度は職場の仲間や店長も心配するが星理奈から事情を聴き呆れ果てた一同は「なんだよ」と声を揃え持ち場に戻る。
何もない灰色の日常が再び戻って来た。
運営から発表された配信の終了日時まで佳音は時間の許す限り咲霊や他の登場人物たちのルートを攻略しようとプリハーのログインに専念した。
その時には既に星理奈やこのゲームで繋がったプレイヤーたちは他の乙女ゲームへ乗り換えておりログインは止まっていたことに寂しさを覚えつつも。
時間というのはまれに残酷になものになる。
運命の日。人生を変えた恋が終結する日。その日は佳音を待たずに容赦なく訪れる。
「あーあ、もう配信終了しちゃってるのか。結局仕事で最後はログインできずに・・・咲霊に会えずに終わっちゃった」
遅番のアルバイトたちを定時で退勤させ館内のスタッフが続々と帰りだす中、日中の賑わいが眠りについた静けさが経理報告をしている佳音ひとりだけがいる店内を覆っていた。
覗いたスマートフォンのトップ画面からは星理奈からのメッセージ。そしてSNSからの通知。「今日までプリズム・ハーツをプレイしていただき本当にありがとうございました」という運営からの最後の投稿。
運営の投稿を見ながら佳音は喉から湧き上がるものを唇でぎゅっと閉じ込め飲み込んだ。目元から感じる熱を手で仰ぎながら報告を済ませたノートパソコンを閉じ、店内を消灯すると足早に従業員入り口へ向かう。
他の店舗のスタッフも慌てた様子で許可証を見せ館の外へ飛び出していく。佳音もその流れに乗って退出をしようとするが足を止め、何かを思い出し鞄の中を漁り始めた。
「こんな時に財布忘れるとか私、やさぐれすぎ?」
受付に事情を話し嫌な顔をされながらも、足早で従業員入り口から遠い位置にある佳音が働く店舗に戻る。労働から解放された従業員の話し声や帰るよう煽る警備員の大声も既に消え、天井の高く広い館内に一切の物音もなく少しばかり不気味に感じ鳥肌が立つ。
ロッカーから財布を見つけ再び閑静に響く自分の足音に追われながら近道である立ち入り禁止のエスカレーターを駆け降りようとした時だった。
「あの、すみまーー」
「・・・ッ?!」
館内の時計の針はとうに退館の時間を過ぎた時間を位置している。もう誰もいない。そう佳音は思い込んでいた。
エスカレーターを一段降りようとした背後からこちらに向かって発せられた声と同時に佳音の肩を強く握る感触が一驚で身体全体を麻痺させる。
佳音は声がした方向へ勢いよく肩を大きく回した瞬間、視界が急降下した。
視界だけではない。佳音の身体も静止しているエスカレーターの先、一階に向かって落下が始まっていた。
佳音は連なる段鼻に頭部を強く打ち続け、徐々に世界がぼやけていく。今更どうにもならないが声の主の顔を拝んでやろうと佳音はその人物に視点を集中させるも薄暗く全体が黒い物体にしか見えない。
――みんな、咲霊もありがとう・・・って、死ぬ直前まで推しのことが心残りかよ。
――中途半端な私らしい、死に方なのかな。
――・・・でも。
「こんな終わり方な、んてっ・・・」
佳音の瞳には死の瞬間を見届ける人物の歪んだ冷笑が映っていた。
そして地に叩きつけられる直前で佳音の意識の糸はプツリと切れ世界は真っ黒に染まった。
次回は来週のどこかになります!忘れないで待っててください。(笑)