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客層ボタン  作者: 岩尾葵
9/9

1331円:男性:六十代

 四日後、私と益田さんが夕方シフトに入っていると、当初の予定通り、客層ボタンの壊れたレジを回収する業者がやってきた。撤去と新しいレジの設置作業はつつがなく進行した。片方のレジが完全に閉まっている状態で夕方に訪れる大量のお客さんを捌くのは大変だったが、商品の袋詰や、煙草や肉まん、おでんなどレジ回りにあるものを取りに行くのを益田さんが手伝ってくれたお陰で、一回のお客さんを捌く時間が短縮できた。

「どうも、弊社の商品がご迷惑をおかけして、大変申し訳ありませんでした。店長様には、無事撤去が終わりました、とお伝えて下さい」

 回収業者はレジを取り去り、私と益田さんにそう言い残して去って行った。新品だから当然だが、新しく取りつけられたレジは、壊れていなかった方のレジよりも目に見えて綺麗で、埃や泥一つ付いていないのが逆に見ていて眼に痛かった。

「ああ、もうこれでこの一件は終わりなんだな」

 益田さんはため息をついて回収業者が夜闇に消えていくのを見送っていた。

「二週間、豪い疲れたよ。あのレジに立つ度、お客さんにドヤされたり、年齢聞いたり」

「益田さんあのレジに殆ど入ってないじゃないですか。あそこで苦労してたのは、私です。もう疲れました」

 ハハ、だよな、塩さんお疲れさん、と、益田さんは私を労った。疲れているというより、あのレジによって考え込むことが多くなってしまった。その思考回路に、自分自身が疲れていたように思う。

「ところで益田さん」

「何だい」

「あのレジ、回収されたら、結局どうなるんでしょうね。確かまだ、正しい年齢を押し直していない人が、ちょこちょこいると思うんですけど」

 以前益田さんが、仮面ライダーと戦隊ものに例えた話を今更ながらに思い出した。益田さんは、何だ、まだそんなこと気にしてたの、塩さんは真面目だなあ、と冗談みたいに言い放った。

「どうなるかなんて、全然わからないよ。文字通り、箱を開けてみなければ、仮面ライダーか、戦隊ものかも不明だ。ちょっとしたブラックボックスだね」

 レジは白いですけどね、などと言い返すと、益田さんはちょっと笑って、塩さんも言うようになったね、と口にした。

 しかし実際のところ、私はレジが壊された後に今までのお客さんがどうなるのか、個人的にとても気になった。

店長が客層ボタンで女性に変身したということは、私が次のシフトに入るまでの間に、既に従業員中に広まっていた。皆の間では、店長は元々女っぽいところがあったから客層ボタンで女性になることを自ら望んで実行したのだろう、という意見で一致していたし、当の本人もその説明で合っている、と頷いていた。だから私以外に、店長がなぜ女性になったのか、その本当の理由を知る者はいない。店長は店長で、相変わらず妻がいることを誰にも言わなかったし、自分の昔の話についても誰にも教えていなかった。本人いわく、プライベートのことにまで従業員に教えるものではない、噂が噂を呼んで、自分に対する偏見で店の利用客や売り上げが少なくなったらそれこそ困る、とのことだった。そのとき店長に、じゃあなぜ私にだけ教えてくれたんです、と問うと、塩さんは実行した人として知る権利があったし、口堅いからとウインク混じりに返された。

仮に、以前益田さんが言ったように、レジを壊したら今までのお客さんの見た目が元に戻るのだとしたら、それこそただの一時の騒ぎに過ぎなかったね、という感想で、この件には幕が下ろされる。が、それは子供を産めない体の奥さんのために自ら女性となる道を選んだ店長にとって、必ずしも良い結果ではないはずだ。店長は出来ればこのままずっと女性として生きて奥さんを支えたいと思っているはずだし、その覚悟があったからこそ、レジに立ったあの時、押さないなら押すまでレジに並ぶ、といって私にピンクのボタンを押すことを迫った。その店長の決心を、高々一時の騒ぎのもとに終わらせるだけでいいのだろうか。確かに、お客さん全員のことを考えれば、益田さんの言うように戦隊ものの法則であるに越したことはないはずだが。

 益田さんは、塩さん、と呼んで私の眉間に人差し指を軽く当てた。少しくすぐったくなって、私は額を押さえた。

「何難しい顔してるのさ。もう終わったことだよ。それに結果は、いずれ分かるようになる」

 そうですね、と曖昧に返事して、私はふとため息をついた。考え過ぎるのも良くない。益田さんは、そうそう、力抜いて、今は仕事に集中だ、と私の肩を叩く。

「これからはレジが新しくなった分、お客さんの足も戻ってくるよ。それこそ片方だけじゃ足りない。もしかしたら人手も足りないかもしれない」

「それは言い過ぎだと思いますが、おおむね同意です」

 よし、と益田さんは私に頷いて見せる。そうだ、今は考えなくてもいいのかもしれない。例え私が考えようと、考えまいと、店長のことは店長のこと。お客さんのことはお客さんのことだ。私がこの件に関して出来ることと言ったら、もうきれいさっぱりなくなってしまった壊れたレジの代わりに来た、新しいレジの客層ボタンを出来る限り正確に打つことくらいだ。今度は間違えてもお客さんの姿は変わったりしない。ただ、メーカーのマーケティングに貢献するだけの、軽い責任しかない。

 自動ドアが開く音がして、店内にお客さんが何人か入ってきた。私と益田さんは、いらっしゃいませ、と声を張り上げる。

「そういえば、この間益田さんの大好きな、特撮ヒーローものを久々に見ましたよ」

 気分を変えようと、一つ新しい話題を提供した。益田さんは、えっ、何だって、とぶら下げた餌に物凄い勢いで食いついた。

「そうかそうか、塩さんも遂に特撮の良さが分かるようになったのか。どういう風の吹きまわしだかは知らないけど、気に入ったら今度映画やるから見に行くと良いよ。あ、あと、その作品だけじゃなくて、今までの作品も見てみると良いよ。特に昭和初期のあたりの作品はお勧めだね。なんてったって映像の重みが今のCG多めの戦闘シーンとは段違いだ。何ならDVDあるから全部貸そうか。あ、今だったらDVDよりも、ブルーレイの方がいいかな」

「そうではなくてですね」

 怒涛の勢いで一人喋り続ける益田さんにストップをかけ、私は言葉を捻りだした。益田さんは不服そうに、何だい人が調子よく話しているのに、とでもいいたそうに眉根を寄せていた。

「益田さんは、戦隊ものと仮面ライダー、どっちが好きですか?」

「え、何それ」

「いいから。どっちが好きですか?」

 似たようなことをどこかで話したな、という既視感が過ぎるのを尻目に、益田さんに無茶な質問を振る。が、益田さんはすぐに、あのねえ、君は全然わかってない、と返す。

「戦隊ものと仮面ライダーを比較すること自体が間違ってるんだよ。それぞれには、それぞれの良さがある。どちらか片方を選ぶなんて言うのは、初心者の発想だ」

「私、初心者なんですけど」

「自分は少なくとも、初心者を温かく見守るポジションくらいの玄人ではありたいね」

 じゃあ初心者にも分かりやすく答えて下さいよ。売り言葉に買い言葉で言いたくなったが、これ以上争っても益田さんは到底応えてくれないだろうと考え、代わりに自分の考えを述べる。

「私は、どちらかというと仮面ライダーの方が好きですね。小さい頃は、戦闘シーンにしか興味ないから分かりませんでしたが、ストーリー追っていくと段々分かることが増えていく感じが、戦隊ものより仮面ライダーのほうが多い気がするんです。以前、益田さんは、仮面ライダーよりも戦隊ものの路線の方がある、なんて仰ってましたけど」

「いや、それとこれとは関係ないでしょう。あんなのただの例え話じゃない。え、今は塩さんの好みの話じゃないの?」

 頭こんがらがってきたよ、それより、さあ、仕事に戻らないと。益田さんはレジに置いてあった籠の山を持ち上げると、売り場の四隅に置いてある籠置き場に向かっていった。先ほど入ってきた何人かのお客さんが売り場で品定めをして、ゴンドラの前をうろうろしている。もうじきレジが混むだろう。

 益田さんに言った感想は、嘘じゃないですよ、と心の中で言ってみる。私は戦隊ものより仮面ライダーの方が好きです、どちらかといえば、ですけど。ただ、前にしたレジの例え話でも、仮面ライダーの方が、今は魅力的です。おそらく益田さんは、実際そうだったらうちの店の対応とか責任が、それこそ面倒だよ、と顔をしかめるでしょうね。

 うろついていたお客さんが一気にレジへと歩き始めた。いらっしゃいませ、お預かりいたします、と挨拶をしながら、新しい方のレジの前へと進み出る。目の前には、お客さんが三人、早くも列を作っていた。売り場に出たばかりの益田さんに、申し訳ない、と思いながらも、レジお願いします、と大声で呼びかける。すぐに隣のレジに益田さんが入り、後ろにいたお客さんの一人が移動を始める。

「やあ、こんばんは、店員さん」

 私のいる方のレジに最初に並んでいたのは、レジが回収された今もなお変わらず二十代の姿をしているウラカミさんだった。こんばんは、と挨拶をし、さっそく持って来られた籠の中に、いつもの、お好み焼きパンとスプライトの復刻版、ザ・チーズバーガーを見つけて飛びつき、バーコードスキャンを始める。ウラカミさんはおや、レジが新しくなったんだね、これで他のお客さんが変わっちゃうこともなくなったんだ、よかったね、とまたいつものように気さくに話しかける。スキャンが終わると、「マイルドセブンのライトボックスを二つ」、例の煙草の注文が来る。

 いつもの通りだ。ウラカミさんはどんな姿でも、どんな時間帯に来ても、変わらない注文をする。お会計が一三三一円です、と告げると、すぐにその金額がレジに置かれる。レジが古くても新しくても壊れていても、ウラカミさんはこの店に来る限り、ずっと同じ買い物をして、ずっと同じ煙草を注文し続けるだろう。それはおそらく、自分の見た目が変わっても、店長の見た目が変わっても同じだ。

 ウラカミさんのお会計を受け取って、一秒に満たない時間で預かり金を入力する。次いで飛び出したドローアーから一五〇〇円のおつり、一六九円を順番に用意する。百円玉が一枚、五十円玉が一枚、十円玉が一枚、五円玉が一枚、一円玉が四枚、左手に収めてまとめる。プリンタから出来てきたレシートを右手で取り、お返し金額を言いながら、お客さんの手へと渡す。ウラカミさんはそれを受け取り、私がその合間に袋詰めした商品を持って、レジを後にする。

「ありがとうございました、またお越しくださいませ」

「どうも、ありがとうね。お塩の、塩さん」

 レジ袋を提げたウラカミさんが片手を挙げて笑顔で言う。一瞬、名前を言われたのに反応できず、あ、はい、と生ぬるい返事を返してしまったが、すぐにウラカミさんが、今まで覚えていなかったはずの私の名前を呼んだのだと気付いて、少し嬉しくなった。

もしかしたらこの先、少しいいことがあるかもしれない。

 ウラカミさんの会計の時に押したのは、水色の50のボタンだった。合っているかどうか、正しいか正しくないかは分からない。しかしもう、客層ボタンを押すことでお客さんの姿が変わることはない。ボタンを押す以外の方法で、何かが変わることはあるかもしれないが。

ウラカミさんが私の名前を覚えてくれた喜びに浸る暇もなく、次のお客さんが、新しいレジに籠を置いた。いらっしゃいませ、お預かりいたします。そう言って、また商品に取りつけられたバーコードのスキャンを始める。

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