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客層ボタン  作者: 岩尾葵
6/9

1500円:男性:二十代

 益田さんから伝え聞いた対策は、その日の引き継ぎで全従業員に回すことになり、その日以降は壊れた方のレジで客層ボタンを間違えた場合、常連さんでなくても躊躇いなく年齢を聞きだして、元の姿に戻す、という対策が講じられた。店の入り口にはお客さん宛に謝罪と対策について書かれた文章が張り紙として掲示された。それによって、これまで迷惑をかけてしまったお客さんの外見を戻すと同時に、失ってしまった店の売り上げを少しでも回収するのが目的だった。私はそんな張り紙一枚で全てのお客さんの外見を元に戻せるとは思っていなかったし、また、失った信用は元のようには回復しえないだろうと思っていたが、他の従業員も概ね似たような考えらしかった。だが、皆、やらないよりはましだろう、と考え、店の新たな方針に従っていたようだった。 

 三日不在だと言われていた店長は予定より二日遅れて店に戻ってきた。店長は何やらやつれた様子で、髪の毛がぼさぼさで、顎には無精髭が生えていた。新たにレジへの対策が加わったのだと報告しても、ああそう、と生返事で、以前のように品がありながらも溌剌とした態度は見る影もなかった。店長のあまりの変貌ぶりに、従業員は皆心配した。皆の間では「レジのせいで売り上げが落ちたことを本部から指摘されて、いよいよ、店が潰れることになったのではないか」「大量に来るクレームにストレスで胃を痛めたのではないか」などと様々な憶測が飛び交った。しかし、結局のところ、休暇の間店長がどこに行っていたのかは誰も知らなかった。

 そうこうしている間に、レジの騒ぎが始まってから、一週間と三日が経っていた。新しいレジが来るまで二週間と言う話が本当であれば、あと四日で壊れたレジは回収されるはずだった。店長に、レジは回収されるのか、と尋ねると、当初の通りあと四日だ、と淡々と返事をされた。もしレジが回収されたら、取り壊されるのだろうか。また、取り壊されたとしたら、益田さんの言っていたように、今まで年齢を間違えてしまった人たちは、元に戻ったりするのだろうか。そうであったとしてもなかったとしても、今私たちにできるのは、一人でも多くのお客さんにレジの謝罪と対処を施すことなのかもしれない。不確実な方法に、何もかもを委ねてしまうのは、楽観的に考え努力を怠ることでしかない。


早朝と午前シフトを通しで入った日の朝に、私はいつものように買い物に来るウラカミさんをレジで迎えていた。見た目、二十代のウラカミさんは、いつもと全く同じようにお好み焼きパンとスプライトの復刻版、ザ・チーズバーガーを籠に入れてやってきた。

「やあ、おはよう、店員さん。マイルドセブンライトボックス二つ」

「畏まりました」

 チーズバーガーとスプライトを袋の中に入れ、体をひねって後ろの棚から取り出した煙草二つのバーコードをスキャン。同じ袋の中に入れる。

「お会計が、一三三一円になります」

 あいよ、と返事をして、ウラカミさんは財布を取り出した。

「いやあ、それにしても、本当、人生って素晴らしいねえ。若いっていいねえ。今日も天気はいいし、若い子はかわいいし、うまいものは入れ歯なしで食えるし」

 ええ、よかったですね、と返事をしつつ、私は先日益田さんが言っていたことを思い出した。このレジの客層ボタンで変わってしまったお客さんは、どの程度までその年齢に近づいているのか。どういった基準で幅のある年齢の中から、変わる年齢が選ばれるのか。益田さんは選ばれる年齢は不規則であり、一定の法則はないだろう、と言っていた。仮にそうだとするならば、この客層ボタンによって選ばれる年齢に、何も意味はないということなのだろうか。

「そういや、店員さん、珍しい名字だね。どういう漢字を書くんだい」

 もう何度目になるか分からないウラカミさんの質問に、今日もまた丁寧に答える。

「普通に、おにぎりに掛けたりする、お塩の塩、でシオですよ」

「ああ、そうだった。そうだ。これいつも聞いてるねえ。いつも忘れちゃうんだよ」

 ガハハ、と豪快にのどを鳴らして笑うウラカミさん。私がシフトに入る時には毎回聞いてくるところをみると、いくら見た目が若返った所で、認識能力や記憶力などが、年齢に見合った若返りをするわけではないらしい。体の中身までは若返らない、ということか。

 ウラカミさんは短く礼を述べて、財布からお金を取りだし、カウンターに置いた。

「一五〇〇円お預かりいたします」

 レジ台からお札を取り、逆の手で小銭を滑らせてキャッチする。一秒に満たない僅かな時間でレジに預かり金を入力し、客層ボタンを押そうとするところで、躊躇いが生じて突然手が止まった。

「ウラカミさん。今当店でご迷惑をおかけしたお客様に、姿を元に戻す対処を行なっているのですが、ウラカミさんはどうしますか」

 私の問いにウラカミさんは一瞬、何を言われているのか分からないといった曖昧な表情をした。が、すぐに怒りに声を滲ませて「ああ?」と聞き返す。

「あんた、せっかく若返ったのに、俺にまた老い先短い六十なんぼの年に戻れってえのかい。俺はまだまだ人生終わらせたくねえよ」

 知らなかった。ウラカミさんの実年齢は、六十歳らしい。

「しかし、このままだとまた二十代から人生やり直すことになってしまいますよ。それに、もしかしたら、このレジが壊れたら、元に戻ってしまうかもしれないじゃないですか。何か妙なことが起こらないとも限りませんし」

 私は考えられる限りのレジの不幸について述べてみた。しかし、ウラカミさんはハハ、とそれを一笑した。

「そんときはそんとき。大丈夫。店員さんに責任を押し付けたりしねえから。今はまだ、この恰好を楽しみてえのさ」

 ウラカミさんはひらひらと手を振り、袋の中からマイルドセブンライトのボックス二つを取りだすと、ズボンのポケットの中に押し込み、袋を片手に持って大股に歩いて店を去ってしまった。私が残された店内ではドアの開閉音が二、三度鳴り響いた。ウラカミさんのあとのお客さんがすぐに空いたレジにやって来たのを見て、フリーズしていた頭が働き始める。

 いらっしゃいませ、おはようございます。お弁当温めますか。畏まりました。お会計がセンナナジュウハチエンになります。カードお願いします。オハシとスプーンはオツケイタシマスか。カシコマリマシタ。少々オマチクダサイマセ。オマタセイタシマシタ、コチラ商品ノオ返シデス。レシートノオ返シデス。アリガトウゴザイマシタ。

 ウラカミさんのように、人によっては客層ボタンの効果をそのままにしておいて欲しい、という人もいるのだろうか。六十にもなる老人にとって、不意に訪れた若返りはそれこそ棚から牡丹餅に他ならないが、ウラカミさんは今まで生きてきた体に思い入れはないのだろうか。

 そんなことよりにウラカミさんにとっては新しい身体を手に入れたのが嬉しいのかもしれないな、と思い、それ以上は考えないことにした。

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