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客層ボタン  作者: 岩尾葵
1/9

296円:女性:二十代

「いやあ、店員さんのおかげで、まるで俺の人生見違えたようだよ」

 ウラカミさんは籠にお好み焼きパンとスプライトの復刻版、ザ・チーズバーガーを持ってレジに付くなり、そういった。長身に垢抜けたジーンズを穿き、上半身にはTシャツに今風の青いベスト、これからどこかのバーにでも行くのかと思わせるような黒い帽子を頭にかぶり、上機嫌な姿はどこからどう見ても近くの学園に通っている大学生だ。彼がこの姿でうちのコンビニに来るようになったのはつい先日からだが、その口調はこの姿で現れる前と一向に変わっていない。以前と全く同じで、それが逆にカウンターの内側でレジを打っている私を安心させてくれる。

「どういう仕組みなのかは全く分からないけど、便利な世の中になったものだね。やっぱり年老いていちゃあ、体を動かすのも億劫だし、ちょっと歩いただけですぐ疲れちまうから、ろくろく外に出ようとも思えねえわ。今日みたいないい天気の日じゃあ、暑くって日射病になるかもしれねえだろ? 普段だったら帽子をかぶってでも外に出ようとは思えねえんだが、まあ、今日は特別なんだわ……おい、店員さん、あんた人の話聞いてるかい」

「もちろんですよ、ウラカミさん」

 愚痴なのか世間話なのか判断付かないウラカミさんの話をバーコードのスキャン音でかき消して、私はそろそろいつもの注文が来るころかな、と思ってくるりと後ろを振り返った。

「ああ、あとマイルドセブンのライトボックスを二つ」

「畏まりました」

 やはり注文は変わらなかった、と思いながら、指定された青いボックスを二つ、煙草の棚から引っ張り出す。ウラカミさんの注文はいつもこのセットだ。毎日同じ朝七時半ごろに現れては、毎日同じものを買って、同じ値段を払って去っていく。メニューはいつも、お好み焼きパンと、スプライトの復刻版と、ザ・チーズバーガー、そしてマイルドセブンの八ミリショートボックスが二つ。

「お会計が、一三三一円になります」

 そして価格は合計がいつも一と三の鏡数字だ。

「へいへい。ちょっと待っててね」

 ウラカミさんは変わらない態度で持ってきた皮張りのバッグを漁って財布を探し始める。後ろには一人、二十代くらいのサラリーマンが並んだ。カウンターの外で商品陳列に精を出している相方さんに、申し訳ない、と思いながらもレジお願いします、と大きく声を挙げて、助けを求めた。

「そういや、店員さん、珍しい名字だけど、どういう字書くんだっけ」

「シオ、で普通にお塩の塩です」

「ああ、そうだった、昨日も聞いたような気がするんだけど、また忘れてたなあ、ごめんなさいね」

「いえいえ」

 ウラカミさんが雑談に興じている間に、後ろにさらに女子高校生が列を作った。ウラカミさんはやっとのことで財布を取り出すと、千円札を一枚、ごつごつした指にはさんでレジに置いた。

「あと、三三一円ねえ……」

 財布に付いている小銭入れに、武骨な指を突っ込んで十円玉を三枚取り出す。そうこうしている間に、女子高生の後ろにはさらにOLが並んだ。

「いやあ、いっつも三十円はすぐに見つかるんだけどね、百円玉と一円玉がなかなか見つからなくて困るね」

 こちらを見ながら笑顔で言うウラカミさんにハハハ、と笑顔で返す。そうしている間にまた人が並んでしまった。現在こちらのレジには計四人。隣のレジも着々と人が集まってはいるが、皆素早く会計を済ませて去っているため、回転が速い。こちらのレジは、まだウラカミさんがあと一円を出しきれていない。

「よし! これで全部だね!」

「はい、丁度お預かりします」

 自信満々にウラカミさんがレジに置いたお金を片手で入力して、29と書かれた客層ボタンを押し、ありがとうございました、と早口で言ってお辞儀をする。ウラカミさんは頭の帽子を軽く押さえながら、ありがとうね、と礼を言って、ひょこひょこと店のドアへと向かっていった。

「お待たせいたしました、お預かりいたします」

 ウラカミさんの二分ほどの会計を終えるまでイライラしながら待っていたであろう、後ろの女子高生が商品を入れた籠をレジに置く。商品はポップコーンに緑茶のみ、どちらもこの店がフランチャイズ契約している本社のオリジナルブランドだ。メーカーの商品のようにブランド価値が付いていない分、少しだけ安い。

「お会計が、二九六円です」

 言いながら、レジ下にある十ニ号の袋を引っ張り、その中にペットボトル緑茶とポップコーンを詰める。ふと見ると、レジにはウラカミさんが並んでいた時よりももっと多くのお客さんが列を作っていた。もう後ろのお客さんが何人いるのかもわからない。早くさばき切らなければ、またレジが混雑してしまう。私は焦ったが、目の前の女子高校生も後ろに並ぶ人々に配慮しようとしているのか、それとも単に自分が急いでいるのか、かなり早くバッグから財布を取り出して、レジにお金を置いた。百円玉が三枚。

「三百円お預かりいたします」

 硬貨をレジ台で滑らせてキャッチ、そしてすかさず預かり金を入力後、客層ボタンを押す。

客層ボタンは、私たち店員が商品会計の時に何度も何度も押し続けるボタンだ。右側のピンク色のボタンが女性、左側の水色のボタンが男性で、それぞれ12から50まで、五つずつ、12、19、29、49、50と並び、計十個のボタンが置かれている。これを、お客さんの見た目に応じて、正確に押す。十二歳未満は12、五十代以上のお客さんは50のボタンでひとくくりにされる。今の場合は、女子高校生だから。

 私は29と書かれたピンクのボタンを押した。

 その瞬間、目の前の女子高生はすらりと身長が伸びて、急に大人びた顔つきになった。美しく手入れされ、ネイルアートが映えそうな綺麗な爪をもつ指が、袋に詰められたポップコーンと緑茶を引き寄せて、すぐにレジから離れ去った。

 本人は気付く暇もなかったようだった。またやってしまった。背筋に嫌な汗が一滴、じわりと沸いた。きっと彼女は、学校に登校した際に、同級生や先生から「何事か」という目で見られるに違いない。もしかしたら、突然現れた妙齢の女性に、教職員・生徒・保護者、全員が大騒ぎするかもしれない。

「お次のお客様、どうぞ」

「あ、はい」

目の前で起きた出来事に一瞬固まっていた次の女性のお客さんが、私の出した声でようやくレジへと進みでた。おそらく彼女は何が起こったのか分からなかったに違いない。客層ボタンの存在自体、普通のお客さんは知らない。彼女が見たのは、自分の目の前にいた女子高生が、突然成長してそのまま店を後にした、という事実だけなのだ。

やってしまった。胸に苦い汁が充満していくような感覚に苛まれていたが、私はもう一度、バーコードのスキャンを開始した。ピーク時の客層ボタンの押し間違いはさして珍しいことではない。それよりも、今は目の前の列を出来る限り早く捌かなくてはならない。レジにはもう、自分の会計の順番を今か今かと待つお客さんで溢れている。

躊躇ってはいけない。例え、高校生を二十代の女性にしてしまっても、私たちコンビニの店員は、レジを打つため、店の商品を売るために存在しているのだ。手を止める店員は、存在価値を失っていると言っても過言ではない。だからこそ、躊躇ってはいけない。躊躇している暇などない。

今や、この店は売り上げよりも深刻な危機に直面していた。

それは、店員がレジで客層ボタンを押し間違えると、お客さんの姿が間違えた方の年齢に変わってしまう、という奇妙な事故だった。つまり、十代の女子高生がレジに並んでいる際に、客層ボタンで二十代のボタンを押し間違えてしまうと、十代女子高生はたちまち、二十代女性へと成長してしまう。客層ボタンの正確な入力は、今や顧客ニーズを計る商品開発部のマーケティングのためではなく、お客さんの外見を維持するために義務となった、うちのコンビニの店員の重要な使命だった。

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