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現代病床雨月物語   第14話  「生戦(せいせん) その6 病とどう向き合うか2017年12月」 秋山 雪舟(作)  ~遭病と未遭病という考え方~ 

作者: 秋山 雪舟

 2017年12月の血液検査の結果は、血小板数23万9000(正常値)、白血球数2530(低い)、好中球数820(低い)でした。この年の瀬にあたり病について深く考えました。

 2度の手術、また骨髄穿刺・骨髄生検・血小板の輸血などを経験して今に至っています。昔なら死んでいても不思議ではありません。

今があるのは周りの人の協力により生かされていると感じています。

 2017年の9月には、2018年度の「特定医療費(指定難病)受給者証が届きました。そこには「重症患者認定(経過措置)H29年12月31日に終了」と書かれています。私は、2017年の入院での難病治療で血小板数がレボレードで増え重症ではなくなりました。2018年からは、重症ではない指定難病になるということです。

 大病になると死生観が変わると言われますが確かに病気になる前と今では明らかに意識の変化はあります。

 人の運命は、生老病死から逃れられないわけですが、そうであるからこそどう生きて行くのかが大切だと思っています。人は自力本願100%でも他力本願100%でも生きられないのでその間に浮かんでいる小舟のようであると思います。またハードボイルド風に言えば、「人はタフでなければ生きられない、優しくなければ生きる資格がない」ということでしょうか。本当にどちらも重要だと考えます。

 そこで病のことですが、昔から諺でもあるように「犬も歩けば棒に当たる」と同じく、人も生きていれば病気に遭遇すると言うことです。ですから社会は遭病者と未遭病者の人達の集まりでもあります。

 病気ではない未遭病の時は何も考えず過ごすことが多いですが病気に遭遇すると色々な事を必然的に考える様になります。

 難病の遭病者である私は、弘法大師と同行二人のように難病を連れ添って生きているようなものです。

 現在の私の境遇は、ある意味ではとても幸せです。なぜなら今が1940年代の日本であるなら確実に死んでいたでしょう。1940年代の日本人は戦争に動員され、1945年の敗戦で焼け野原からの再起をしなければならないからです。私の様な状態なら生存する条件がかなり低いだろうと考えます。

 地震・津波・火山噴火は天災ですが戦争は人災です。人間どうしが関係しなければ戦争にはならないからです。人間とは不思議な生き物だと思います。戦前も戦後も好戦的な人達は必ずいますが、戦前と戦後では一つ違うところがあります。戦前の好戦的な人達は、生き残っているならば戦争と敗戦を経験しそこから深く人生を考えたことです。戦後の好戦的な人達は戦争を知らないことです。知らない状態が長く続く方が良いに決まっています。私は今の平和が砂上の楼閣であったとしてもこの平和が続くことを強く願っています。

本当に戦争のない時代に生きていることを感謝せずにはいられません。

 また現代の医療については年々、遺伝子研究の発展が進んでおり医療の進歩に希望を持っています。これからも平凡な毎日を大切にしていきたいと思います。


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