ソドムの切り札
ギオン公国は、野戦で敗れたものの、素早く体勢を立て直したため、大和帝国の追撃はなかった。
報告では、むしろ後退して距離をとっていて、攻撃してくる気配はないという。
白髪混じりの総髪、眉間に深いしわが刻まれている、いかにも気難しそうな初老の騎士が、矢継ぎ早に指示をだしていた。
今、ギオン公国ではソドム王が不在、将軍ゲオルグは戦死、次期当主であるアレックスは若く経験不足のため、実権を握っているのが、連邦から軍事顧問・連邦第二王子でもあるアレックスの教育係として派遣されてきたポール・カーペンターという男なのだ。
ポールの為人を一言で表現するなら「実直」。
公国に派遣されてから10年くらいになるが、防衛設備の設計・設置、公王不在時の戦、アレックスへの教育など幅広く担ってきた。
現在のように、公王ソドムが物見遊山にでかけようが、彼には関係ない話で、やるべきことをやる。
ソドムからすれば、「面白みがない奴」で一蹴されそうだが、組織には規律・規則にうるさい馬鹿真面目な人間も必要で、ソドムやシュラのような斜め上行く人間ばかりでは成り立たない。
ポール、齢60を前にして焦りがある。
野心家ではないのだが、アレックスを連邦王に推したてて、連邦王国を大戦前の大陸盟主の地位に戻したかった。
その足がかりが、ギオン公国の併呑だった。
今、成長著しい公国を併呑し国力を向上させ、大和帝国を駆逐するのが、彼の悲願だった。
現在の連邦王ファウストが能力不足とは思わないが、人徳からしてアレックスの方がより多くの味方が集まり、軍民をまとめて帝国を打倒できると信じている。
そのために、間者が公国を探りに来ていても、大和帝国にはない技術である攻城兵器の設計図が紛失しても、そ知らぬふりをした。仕上げには、戦鬼兵団を殿にして、捨て石にした。
彼の「実直」は、あくまでも連邦王国に向いており、ギオン公国などは二の次だった。
主力の戦鬼兵団が全滅すれば、一般兵達は烏合の衆。
公国が自衛すらできなくなれば、すべてを連邦に頼らざるえなくなり、ソドム王の求心力は失われるだろう。
それを機に、ソドム王に隠居を迫り、アレックスに家督を譲らせる考えだ。
どの道ソドム王は、本気で家督を譲る気などないはず。
ならば、強引に奪うのみ。
連邦を上手く利用しているつもりだろうが、総取りするのは、連邦王国である。
ソドム王の物語は、はたして喜劇か悲劇なのか・・、そう含み笑いをするポール。
(にしても、戦鬼兵団が本物のトロールとはな。亜人などという化け物を飼い慣らすソドム王は、叩けばいくらでもホコリがでそうだ)
策を巡らすまでもなく、少し調べれば簡単に追放できるかもしれない。
ただ、レウルーラとかいう魔術師の実力も未知数、ソドム共々 利用価値があるかもしれないので、何事もなかったように様子を見るのが得策だと、ポールは結論づけ、当面は軍の再編に取り組んでいる。
ギオン公国の絶望的状況と同じく、闇の大神殿を目前にしたソドム達も、泥干潟で絶望的状況になっていた。
凶暴なデスリザードマンの群れに取り囲まれているのだ。
刺激しなければ襲ってこない協定があるにもかかわらず、木の板に乗ったシュラが一匹の横っ面にブチ当ててしまったのだ。
岩のようなワニ顔だけでも、人間の半分くらいの大きさ、そして全長は3mくらい。
皮の色は黒く、腹の部分だけ赤い不気味な亜人。
ワニとの違いは、尻尾を支えにすれば直立でき、手には槍を持っていること。視力と聴覚は、やや鈍いが、知能は人間並みでコミュニケーションも可能だ。
ぶつけたシュラは、小声で言い訳をする。
「い、今のは・・わざとじゃないわよ。いや、挨拶代わりっていうか、肩叩いて オっす的な?」、かなり苦しい言い訳をしている。
さっきまで、しつこくシュラと冴子の尻を啄んでいたコカトリスは、ヒタヒタと泥の表面を歩いて反対側に逃げていく。
「このチキン野郎!」、シュラは舌打ちした。やりたい放題やって、逃げるとは。
もしかしたら、戦ってくれるかも・・という淡い期待を裏切られた。
冴子はシュラの隣で、ただ青ざめている。
間合いと足場からして、魔法詠唱は間に合わない。
後方にいるソドムが何とかしてくれないか、視線を送った。
ソドムも動揺していた。
「協定があるのに、体当たりする奴があるかー!」、と怒鳴りたいが、やったものは仕方がない。
シュラとの距離は5m、しかも膝上くらいの泥なので、駆けつけることはできない。
ちょっとした暗黒魔法とて、群れには効果が無いだろう。エサを投げる?にしても距離がある。どうしていいか分からなかった。
こう着状態がしばらく続いたが、群れがワサワサ円陣のように集まり、どうやら「セーフ」という結論に達したようだった。徐々に群れから殺気が消えてゆく・・・。
三人は、なんとなく「セーフ」だったと気が付いて安堵の溜息をした。協定に従い本当に襲撃はしないようで、遠巻きに見守るような形になった。
「ふ~、まったく勘弁してくれよな。危うく、俺の本気をみせるとこだったぞ・・・」、軽く抗議するソドム。
「さすがに、ここでは魔法が使えないので、どうしようかと思いました」、冴子も同調した。
「だってワザとじゃないもん、しょーがないじゃん。でも、わかってくれたみたいだし!」、喉元過ぎればなんとやら・・シュラは能天気に言った。
若い?デスリザードマンが人間に興味を示し、一匹だけシュラの近くに残っていた・・。今の騒ぎで右目に泥を被ったままで、少し気になっているようなしぐさをしていた。
「あ~泥が目に入っちゃったのね」シュラは気がつき、可哀そうだから何とかしてあげたいと考えた。いくらなんでも、手で拭っては痛いだろうし・・・・・。
「そうだ、水で洗い流してあげる!」そういって、宮殿で皮袋に水を入れてきたこと思いだし、近づいて泥を洗い流してやった。冴子とソドムは、微笑ましい光景を眺めている。
「ギャオオオオ!」、水をかけられたデスリザードマンが叫び悶絶した。水をかけられた右目から湯気が出ている。
せっかく離れていった群れが、「何事が起きた!?」と戻ってきた。明らかに攻撃された時の叫び声だったためか、二回りほど大きい長のような個体までも這いよってくる。
「おぉ~まえぇ~、そ・の・水・どこから汲んできたんだぁー!!」ソドム、声を押し殺しながらも結局叫ぶ。
「えっ?宮殿の・・・神殿みたいなとこ・・・キラキラしてる水が・・・流れてて・・」、なに興奮してんの、と言いたげにシュラは答えた。
「だから、それは聖水って教えただろが!闇の眷属は当然だが、魔を帯びた亜人にも火傷負わせたりするんだよ!」、覆水盆に返らず・・・いまさら叱っても詮無きことだが、言わずにはいられなかったソドム。
「あ、ヤバッ!」、目を丸くして驚き・・・デスリザードが怒ってないか覗き見る。
群れは、ただ傍観している。人間を狩るにせよ、一匹で十分だし、若者の貴重な狩りの練習を邪魔する気はなかった。いずれ独り立ちしなくてはならない、この機会に成長しないさい・・・という視線を送るのみだった。
若いデスリザードは、やっぱり怒っていて、魚が泳ぐように体全体をくねらせて泥を進み、シュラの眼前まで近づいた。
「ちょ!」、シュラは確実な殺気に反応して、板を乗り捨て、後ろにさがる。そして、太ももまで泥に沈む。
視線をデスリザードに戻すと、厚みのある板を、クッキーでも噛み砕くように、易々と真っ二つにしていた。一噛み即死は、本当らしい・・そんな分析をしている場合ではないのだが、現実味がないほどインパクトがある光景だった。
足場が悪いどころではないので次の攻撃すら、かわせるかわからない。なにより、斧によるダメージも期待できるのだろうか。
だが、諦めるわけにもいかないので、シュラは片手斧と盾を構えた。
この絵図は、まるで見世物の拳闘場に似ていた。歴戦の剣闘士が若いデスリザードマンで、ソドム達が殺されるために異国から連れてこられた奴隷、周りのデスリザードは観客といったところだ。
いつの間にか、観客たる周りの群れは二本足で立って、まるで応援しているように見える。
先に仕掛けられたら避けれないので、シュラは奇策を行使する。
噛みつこうを大口を開けているところに、斧を投げ込み、つっかえ棒にして閉めれなくするのだ。
だが、気合の声をあげて投げつけた斧は、当たる瞬間に大顎でキャッチされ、「ギギギ」と締め付けられ・・グニャリと頼りがいもなく曲がって、横に吐き捨てられた。
「えええーーー!」、これで武器もなくなったシュラは・・もはや、打つ手がない。得意の格闘戦も、体格差がありすぎて無理である。冴子も役に立たない・・・。ソドムは・・・。
いや、まだまだ!ソドムには切り札がある。
しかも、二つ。
一つは、詠唱時間が長くて不確実なもの。そんなもん、切り札と言えるか微妙なのだが。
二つ目は、詠唱も魔力消費もないが、やる気がなくなるもの。
この緊迫した状況では二つ目の切り札を使うしかない。
その切り札というのは、暗黒魔法の奥義たる「変化」。
かつて、レウルーラが犬に変化して戻れなくなった忌まわしき魔法。ソドムは、その犠牲を無駄にすることなく完成していたのだ。
ビビり症のソドムが、この魔法に挑んだのは、レウルーラを戻す術がないとわかってからで、自暴自棄になっていたという側面があったのだが、どうせ変化するならば、強力な魔獣がいいということで、死に物狂いで獲得したものだった。
制限時間内で正々堂々、一人で魔獣を倒すは命がけなのだが、知恵を絞り、勇気を出して勝利をおさめた人生2番目の偉業。
ちなみに、1番目の偉業は、レウルーラを口説き落としたことだとソドムは思っている。
そして今、魔獣に変化すれば、圧倒的力の差で窮地を脱することができる。
いや、そもそも力の差がわかれば、魔物にせよ亜人にせよ、命をかけては戦わないものだ。
では、デメリットは?という話になる。
今まで、危険はいくらでもあった。
変化して魔獣になっていたら、解決してたのではないか?という疑問もでるだろう。
デメリットは、強大な力ゆえに俗世に興味がなくなり、人間ごときに戻りたくなくなるのだ。
自分が大きくなれば人間など、寝床を飛び交う忌々しい蚊のようなもので、人間の街や軍隊は、散歩中に遭遇する蚊柱のように邪魔な上に顔の高さにわくために、引き裂き・蹴散らしたい衝動にかられる。
そのような下等生物になどなりたくない。しかも、喰ってもマズいので興味すらわかなくなる。
訓練次第で感情をコントロールできるのかもしれないが、面倒なので保留にしていた。
後は、正体がバレたとして・・討伐しようとするものが、変化前の倒しやすい人間の姿を暗殺しようとするだろうから、今以上に騒がしい日常になってしまうのもデメリットだった。
それに冴子には見られたくない。シュラにも見せたくはなかった。
「さて、どうしたものか」ソドムは思案しているが、その間にもシュラは噛みつかれそうになっていた。
健気にも「助けて」とは言わないシュラ。
それを見て、ついにソドムは決意する。
「いま助ける!」そう言って、自分の板に立ち上がりポーズをとった。
右手を水平になるよう右に伸ばし、左手を水平にまっすぐ添える。その手を右から上へ、次は左、そして下へと ぐるりと回す。最後に膝を曲げて、万歳するかのように両手を上に伸ばしつつジャンプした。
これが変化するための一連動作だった。
簡単な仕草や合言葉でもいいのだが、そのような設定にすると、寝言などでウッカリ変化して、建物を壊したり、仲間を下敷きにしたりする事故が発生しやすい。
なので、やや面倒くさい設定にしたのだ。万が一のために、手錠されていてもできる動作にしておいたのは、レウルーラと同じ轍は踏まないための工夫だった。
ついにソドムの真の力が発現する。