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其ノ五

洗いざらしの白地に、黒の丸十字がはためいている。

音に聞こえた鬼島津(おにしまづ)の陣にはいつも、獣の血を炊いたような色濃い匂いが漂っていた。

薩人たちは獣の肉を喜んで食べる。雉や猪など、他国の陣でも野の獣を捕食するのは珍しくないが、古風な彼らは、野犬すらも(りょう)って食べたようだ。そのためか、永の野陣に剽悍(ひょうかん)な兵たちは逞しく堪え抜く。当時の戦陣には自弁の食糧は三日ほどで尽き、僅かな配給の兵粮ではとても足りないのが常だ。自然、武士たちは戦闘がない間は、食糧を求めて慣れない山野を彷徨(ほうこう)する生活をすることになる。

その日、丸十字の陣に運ばれたのは、大柄なツキノワグマである。槍痕(やりあと)や鉄砲傷も著しい遺骸は、大将自らが狩に出て捕ったものだ。明治期にはすでに九州では絶滅したとの見方が強いツキノワグマだが、この当時は狭隘(きょうあい)な山地を分け入って往くと、ふいに出くわすことも珍しくなかったようだ。

その大将は熊を仕留めた南蛮筒を架けると、佩刀(はかせ)の用意を命じた。いずれも戦陣を潜り抜けてきた男の愛刀である。

後の島津又四郎義弘しまづまたしろうよしひろ、四十一歳。燃えるように陽に灼けた、大柄な体躯には野獣の精気を(みなぎ)らせている。


島津家の軍勢が、九州を席巻し始めたのは天文年間である。

その勢いは南九州を統一してから後、油紙に火を放つように残る北半分にも及んでいた。

島津は大友家に匹敵する、鎌倉以来の源氏の名家である。初代忠久(ただひさ)はそもそも摂関家(せっかんけ)に仕える都の武士だった。それが源頼朝に重用されるに及び世に出たために頼朝から与えられた任地に従って、その分家は本来、若狭、越前、信濃と本州の畿内、中部地方など多岐に渡っているほどだ。

各地を歴訪したそんな忠久が日向・大隅・薩摩の三ヵ国を領し、九州に棲みついたのが今日私たちがみる島津家の(おこ)りである。

その島津家は元々、戦国時代に到って没落していた。本来の領地の三ヵ国を奪われた挙句、代々の居城である鹿児島も追われてしまうと言う体たらくである。言うまでもなく島津家にとって島津代々の領地奪還は長年の悲願であった。

それが一変するのは、世に謂う島津四兄弟の登場によってである。年頭(としがしら)義久(よしひさ)を筆頭に義弘(よしひろ)歳久(としひさ)家久(いえひさ)の四兄弟は大隅の肝付兼亮(きもつきかねすけ)、日向の伊東義祐(いとうよしすけ)を追い落とし、瞬く間に三州統一を成し遂げたのだ。

巷間、島津家の覇道の秘訣は表裏一体の兄弟の分業にある、と言われる。本国中枢の内政を長兄の義久が一手に引き受け、次兄の義弘が謂わば外征における野戦総司令官の役割を果たして転戦する残りの兄弟を統率した。この強固な一枚岩の態勢こそが、江戸三百年、幕末に到る薩摩六十四万石の基礎を築き上げたと考えていい。


当時その島津家の武略の頂点に立つ男が、義弘である。史上無類の薩摩武士たちを率いた義弘の軍勢は、後の朝鮮役においても『石蔓子(シーマンズ)』の名で畏れられる野戦最強部隊の名を知らしめることになる。

義弘本人も後年、徳川の世を迎え七十代の高齢でも具足を着たと言われるほどの豪傑である。広い肩幅に、ほどよく脂肪の乗ったしなやかな大兵は、身軽な関取を思わせる。毛の薄い身体は赤銅色に燃え上っていたが、目蓋が薄く切れ長の瞳に通った鼻筋をしている。その意外に涼やかな風貌は、さすが中央政権から流れてきた名族の末裔(すえ)を思わせる。

その義弘の前に置かれたのが、彼自身がさっき仕留めた熊である。荒薦の上に置かれた熊は、空気が歪むかと思えるほど、堪えがたい臭気を放つ。こんもりと盛り上がった体躯には、すでに蠅がたかっていた。

義弘は並べられた太刀の中から、秘蔵の行安(ゆきやす)の古刀を拾い上げた。遥か上古の昔、大和国(やまとのくに)から薩摩に、良質の鉄を求めて渡ってきたこの刀工の名は、彼が鍛刀に従事した波平(なみひら)の地名を以て知られる。

死んだ熊と相対した義弘は、鉄筋のような太い腕を振り上げ、相撲でも取るかのように腰を落として足を大きく踏ん張った。驚くことに、この熊の太い頸を落とそうとしているのだ。熊に限らず野の獣を斬るのは、人以上の至難、と言う。それがたとえ野犬でも、毛並みにさからって斬ろうものなら跳ねかえってむしろ刃を損なう。

特に硬い毛に覆われた熊は自ら身体に松脂(まつやに)など塗りつけている。野生の知恵だ。銃弾や刃物が肉に到らないように、防御するのである。

斬り損なえば、腕すらやられるだろう。しかるにそれほどの大熊であった。一閃、義弘は剣を、鋭い呼気とともに躊躇(ちゅうちょ)なく撃ち込んだ。ドン、と芯のある重たく抜ける音が野陣を揺るがし、太刀は肉を通り抜けた。

御美事(おんみごと)

大木の幹を伐り倒したかのような、ごとん、と熊の頸が音を立てて落ちた時だ。

この野陣に不釣り合いな艶冶な女の声がしたのは。

「さすがは、島津の鬼どもを束ねる御太守。見るだに、頼もしゅうございます」

義弘は太刀を振り下ろした姿勢のまま、振り向かない。

顔には出さなかったが、背中に毒虫が這ったような嫌悪感を負っていたのだ。

「おはんか」

底錆びた声を、義弘はようやく出した。

「お久しく。大きくなられましたね。今の又四郎殿こそ、まさに百獣を統べる覇王の神々しき御姿(みすがた)

見え透いた世辞にも義弘は、硬い表情を崩さない。無言のまま、かすかに膝を寛げて、振り下ろした刃の峰をどん、と叩く。どす黒い獣の血肉がびしゃりと散った。

(化け(もん)め)

女の唇は淡く綻び、爛熟(らんじゅく)した花のように匂っている。この金臭い獣の血と(わた)の激臭立ち込める惨状の光景に直面して、悲鳴を上げないまでも眉をひそめない女は、義弘の知る限り、どこにもいない。然るに女は眼前に流される血を、(はらわた)を、死そのものを、何より悦ぶのだ。

血戦(けっせん)を始め給う」

女は、男を(ねや)に誘うようにして言うのだ。

「手筈通り、宗麟殿は発ちまする。此度は、待ったは、ありませぬ。間もなく又四郎殿の望む雌雄を決するいくさが始まりましょう」

「雌雄を決する?なんち言うか」

義弘は刃の脂の曇りを拭き取りながら、不機嫌そうに鼻を鳴らした。

「こん(ゆっさ)、おいたちの望んだものになか」


永らく、島津家と大友家は九州の双翼であった。供に流離(りゅうり)した貴種の末裔(すえ)であり、頼朝公所縁(ゆかり)の源家であることを(よしみ)に良好な関係を保ってきた。暗黙の協定がことに怪しくなったのは、ここ数年のことに過ぎないのだ。日向の伊東義祐との諍いのときであった。さる天正五年、義弘たちに本拠を追われた伊東は、豊後大友家に身を寄せた。大国大友氏に仲裁を願い出る肚であった。

そもそも島津氏と伊東氏の相克は、大友氏が仲裁に入ってきた経緯がある。さる永正年間の争いにおいても大友氏の仲立ちで和睦が成った経緯もあり、伊東義祐はそれにすがったに過ぎなかった。

島津側としても、大友家と争う理由はない。島津家にとって大友家は、北九州の海域への守りであった。多年、中国の大国毛利に侵されている。破竹の勢いの義弘であったがその妙味は陸戦であり、薩軍には毛利水軍を相手にするだけの海戦経験はない。義弘は仲裁を受け入れる考えでいた。

しかしだ。にわかに暗雲掻き曇ったのは、そのときだった。義弘にも思わぬ横槍が入った。海を渡った向こうから、ある書状が渡ってきたのだ。それは京都を追われ、毛利氏に寄寓していた将軍足利義昭の御教書(みきょうしょ)だった。よりによってそこには決然と、

「大友討つべし」

の命令が、記されていたのだ。義弘は我が目を疑った。

(和睦ではなかか)

まさか将軍家自ら地方勢力の争いを主導するとは思っていなかった義弘には、寝耳に水であった。なぜならさる永禄年間には足利義輝に同じ、伊東氏との争いを仲裁してもらった経緯があるのだ。

義弘は不吉を思わざるを得ない。

その争いの火種たる御教書を持ってきたのが、他ならぬこの女であったからだ。

女は足利将軍家所縁のもの、と名乗った。

言うまでもなく名は、赤震尼である。


(こん赤震尼が)

紅を引いたかのような瑞々しい唇を開いて言うには、豊後の大友宗麟もこの機会に、国境線を侵す島津軍を自ら駆逐する方針であると言う。さる天正六年九月四日、陣ぶれがあり、確かに大友宗麟その人が、軍勢を駆って日向に出馬すると言うことを、赤震尼は告げてきた。

「大友殿(どん)がそン腹積もりなれば、この島津は、矛を止めるつもりは毛頭なか」

「それを聞いて安心しましたよ」

ご存分に。

大の男も食い殺すような大熊も畏れぬ義弘だが、赤震尼の声を聞くときばかりは、猛獣に顔を舐められたような身の毛もよだつ悪寒がした。

(きぞんわり(気味の悪い)(おごじょ)じゃ)

赤震尼はその言葉だけ残すと亡霊のように、そこから立ち消えていた。

恐ろしいことにだ。

屈強な薩摩兵たちが守る義弘の陣幕に、女はいつも誰の案内もなく入ってくるのである。出る時も同様だ。赤震尼はその気になれば、いついかなるときにも、義弘の前に姿を現すことが出来るに違いない。

その女が義弘に、死を望んでいるのだ。命知らずの義弘にして、身の毛もよだたせるほどに、恐ろしい女であった。義弘はいつの間にか、額に脂汗を掻いているのに気付いた。太刀を振るい、義弘は陣の隅に置かれていた焼酎の樽を割った。蓋を取り去ったそれを片手で掴むと、義弘は頭からその酒を浴びた。それでも汚わいを被ったような嫌悪感は立ち去らない。

義弘は北の空を臨む。この地の薄っすらとうろこ雲の青い晴れ間に対して山の向こうの豊後辺りの空は、暗雲が立ち込めているように義弘には見えた。

(なんと、雲の赤か)

義弘は思わず目を瞠った。なんと雷雲を孕んだ雲が、血のように紅いのだ。

(嫌な(ゆっさ)じゃ)

不吉ないくさの予感に、義弘は思わず雷浴(らいよく)を畏れる獣のように顔をしかめた。


対する大友宗麟が、豊後臼杵の居城を進発したのは九月四日である。彼が目指したのは、(あがた)松尾城(現・宮崎県延岡市(のべおかし))である。ここは春に大友氏から離反した土持親成が反旗を翻した城であった。このとき宗麟の破壊行為は、土持氏を滅亡に追い込んだ以上に度を越したものだったと言う。

最も被害を受けたのはキリスト教異教徒たちの痕跡、すなわち土着の寺社であった。四月、大友勢は道行く寺や神社などの建造物を焼き払い、(かね)の仏像は鋳つぶして弾薬にし、打ち壊した石像で軍道を造った。そして旧宗教勢力が一掃された街には、無遠慮に教会が建てられたのだ。

即ちこの秋の宗麟がこの縣に入ったのは、修道士たちとの礼拝を行う意味合いも兼ねているのである。妻ジュリアをはじめ、外国人修道士まで引き連れ、海路美々しくも入城するさまは、軍旅とは思えない。

事実、縣に入った宗麟は、いくさのことなど忘れたかのようだった。妻とともに毎日、教会に通いミサを催し、軍議の席にはまるで姿を現さないのだ。


(道雪様の言った通りだな)

他人事ながら、五鶯太はため息をついていた。軍勢が駐屯するはずの街では、オルガンの音が鳴り響くばかりなのだ。宗麟は、いつまで経ってもここを発とうとしない。

「むしろ好都合でしょう」

仰々しいオルガンの音に耳を澄ませながら、初震姫は言った。

「軍勢の足が停まっていた方が、かえって赤震尼は狙いやすいはずです」

「それはそうかも知れませんが」

五鶯太は唇を尖らせた。この街で二人は外出も難しい身分だ。見ての通り、この縣はキリスト教一色である。辛うじて道雪のはからいで陣僧として同行は出来たが、神人の格好で街をうろつけば目立つことこの上ない。

「わたしの方はお蔭で、街をうろつきやすいがな」

と、やってきたのは、革袴ズボンに弾帯で武装した夷空だ。倭寇の彼女にとってはやはり寺社の仕切りが強い港より、異国色の強い街の方が居心地がいいらしい。五鶯太は彼女も首にさりげなく十字架(くるす)をしているのに、かなり以前から気づいていた。

「頼まれた通り、武器と弾薬は角隈の陣に運び込んでおいたぞ」

「ご苦労さまです。戦闘は恐らく、激しくなりそうですからね」

初震姫が言うのは、宗麟がこの縣の陣に運び込んできた国崩(くにくず)し砲だろう。実戦使用経験は薄いとは言え、その威容は陣中に現れただけでもすでにかなりの脅威を予感させる。

「五鶯太、あなたも確か火薬は扱えましたよね?」

「ええ、まあ」

五鶯太は頷いた。武田勢は鉄砲は扱い慣れないにしろ、伝統的にいくさで火薬を扱う。陣中攪乱(かくらん)の火付けから、攻城戦に遣う発破(はっぱ)(ダイナマイトのようなもの)、野戦用の焙烙(ほうろく)(手投げ弾のようなもの)の火薬の調合から使用まで五鶯太も人並みに仕込まれていた。

「こいつを持って歩け」

夷空は、ごっそりと五鶯太に火薬と火付け道具の入った革袋を渡してくる。

「それと、こいつはおまけだ」

ごとん、と無造作に置かれたのは、夷空のエキドナに劣らぬ大口径の短筒だ。

「こっ、こんなの扱えないよ」

「扱えるように訓練しておいてください」

戸惑う五鶯太に、初震姫はこともなげに言う。

「大丈夫、そいつはそもそも散弾を装填するものなんだ。狙いは慣れていなくても、使い方さえ間違いなければ、人は(たお)せる」

謂わばソードオフ(持ち運びを容易にするために、銃身を切り詰めた)したショットガンみたいなものなのだと、夷空は言う。

「後で雉でも撃ちに行こう。こつを掴めば、それほど難しくはない」


「少し出よう。敵の様子を、見極めておいた方がいいと思う」

小野桐峰(おののきりみね)が初震姫に声をかけたのは、縣参着に程なくのことだ。この青年御師は宗麟の軍配者角隈石宗(つのくませきそう)に気脈を通じたお蔭で、豊後臼杵城において、赤震尼と九品にあいまみえている。

「大友の太守はすっかり、あの尼僧の虜だった」

赤震尼に執心の宗麟は傍らに彼女を侍らせ、完全にその身を委ねているような素振りであったと言う。生ける屍と化した宗麟に精気はなかったが、なぜか瞳ばかりはぎらぎらと輝き、茶碗に紅い酒のようなものを注ぎ、謁見の最中も飽かずに飲み耽っていたそうだ。

「あれは、いけません」

桐峰の見聞を聞き、初震姫は無惨そうに顔をしかめた。

「そのとき宗麟が携えていた油滴天目。あれが『血ノ池』、即ち鬼室なのだろう?」

桐峰の問いに、初震姫は、はっきりと頷いた。

「注がれたのは赤水(せきすい)と言って、赤震尼の身体の一部のようなものです。宗麟様がそれで赤水を飲んだとなると…もはや、手遅れになるやも知れません。今は赤震尼の声以外は耳には入りますまい」

「もう一人、まだ若く見える美僧がいた。あれが恐らく(とも)の公方から鬼室をせしめた若衆であろう」

これが信長の調べに拠る、九品と言う僧で間違いないようだった。桐峰の話では、九品はそれほど年齢が違わぬと思える外貌の赤震尼を、母上、と呼んで慕う様子だったと言うのだ。

「まさか、赤震尼が同胞(はらから)を作っていたとは…始末しなければなりません。必ず、その二人は息の根を止めねば」

切迫した調子で、初震姫は爪を噛む。五鶯太は思わず、息を呑んだ。普段、のほほんとしているように見えるあの初震姫が赤震尼に接近するにつれて、危機感を剥き出しにしてきたのだ。

「宗麟様とその二人は礼拝の後、鷹狩りに出る様子」

桐峰もそれに少々、面喰ったようだった。

「なし崩しに斬りかかるか否かは別として、風体は検めておくに如くべきでしょう」


「赤震尼は人外のものです。五鶯太も、そのように認識しておいてください」

初震姫は、五鶯太にも掻き口説くように言う。だが正直、その五鶯太にもその切迫感の理由が実感できなかった。

「あの女は人ではありません」

きっぱりと、初震姫は断言するのだ。しかもそれは、目的のためには手段を辞さない人外、と言う修字句的な意味合いとは、別の意味であった。確かに話を聞く限りでは、赤震尼の跳梁(ちょうりょう)は、人の世界の常識からは測り難い。

(まさかな)

五鶯太もつい、思ってしまう。あの戸次道雪の元に現れて彼を半身不随にしたのも、二十年以上前の話であり、その頃から、変わらぬ美貌を保っていると言うのだ。さらには初震姫の話を信じるならば、その伝説は源平の昔にも及ぶのだ。あの壇ノ浦合戦は、この時代からでも悠に五百年は昔のことだ。

無論、神人の五鶯太にもそうした手合いの話は案の内である。武田信玄存命の折にも、そのようなはったりで売り込みをする僧やら忍びやらは、腐るほどに来た。怜悧な信玄はその素性を余すことなく看破すると、一人の間違いもなく、それを殺させたものだった。つまりその大概はペテン師なのである。しかし初震姫は、赤震尼ばかりは違う、と口を極めて言うのだ。

「わたしは父とともにこの刀を鍛えた母を、目の前で殺されているのです」

その言葉に、五鶯太も黙るしかなかった。自分の眼前にいる女性は、途方もないほどに長い長い、時間の宿業に否応なく囚われた挙句に、ここにいるのだ。

「…任せておいてくれ」

決して無茶はさせない、と桐峰は言ってくれた。彼もまたすでに赤震尼からの刺客を始末していたらしい。その目は冷たく冴えていた。


狭い日向の山間に、宗麟は獣の血を求める。無益な殺生禁断のキリスト教の教えに叛くはずだが、宗麟の方は、はなからそのようなことは気にするつもりがないようだ。軍装のままに宗麟は鉄砲を駆る。肌寒さが気になり始めた秋の野に、しゃがれた金切声が響き渡るのが遠くからでも分かった。

「撃てェへエッ!」

鴨も雉も兎も、根こそぎに仕留めてしまう。吊るし首になったような森の動物を愛おしそうに撫でながら、宗麟の傍らに侍るのは赤震尼だ。こんなところにまで鬼室を携えた宗麟に、瓶子に満たされた赤水を矢継ぎ早に注いでいる。

挿絵(By みてみん)

あの有様だ、と眼下のあり様を説明する桐峰に、初震姫は昂奮を禁じ得ない様子だった。赤震尼は、何百年の年を経た今も、まるで容色に陰りが見えない。それは女に見えるこの化生が、赤い凶星とともにこの本邦に降り注いだ災厄そのものであるためだと、初震姫は、語るのだ。


「あの女が血を求めるは、おのが眷属(けんぞく)宇宙(そら)から召喚するのためなのです」

ここで、初震姫が語ったのを五鶯太も聞いている。

伝承によれば数多の女の焼死とともに、赤震尼はこの世に生を享けていた元凶として産まれた。赤震尼は星震郷を脱けた後も累代、自らの一族をこの星に根付かせんと、様々な謀略を凝らしてきたようだ。しかしその不吉な血脈は、中々その地に根付かない。半分人間ではない赤震尼には、普通の男性と交わっても子を作る力がないのだそうだ。仕方なく赤震尼は、生きながらえることでその機会を待っているのだと言う。それにはこの星の人間の、より多くの命の力が必要だった。

そこで赤震尼は権力者に取り入って、人々を争いに導き、より多くを弑逆(しいぎゃく)するようになったのだと言う。星震郷から幾多の刺客が現れたが、赤震尼はこれを残らず返り討ちにしてきた。不死身の化け物に致命傷を負わせる方法が、判らなかったのだ。

その赤震尼を傷つけたと言う道雪のところへ現れた初震姫の母は、藁にもすがる思いだっただろう。『雷切』がこそぎとった赤震尼の血肉を使えば、赤震尼を斬ることの出来る隕石刀を必ず鍛えられる。そのために彼女は、その業をなすにもっとも相応しいと思える鍛冶師の男を、夫に迎えていたのだ。

「父と母はわたしが物心ついたときには、この星震の太刀を完成させていました」

しかしその冬だ。星震郷に無数の流星が降り注いだ晩、二人は揃って謎の死を遂げた。夫婦の頸には、蛇が巻きついたかのように見える火傷の痕があったと言う。赤震尼の襲撃を受けたのだ。

孤児(みなしご)となったわたしに、郷は星震の太刀を与え、そこに伝わる技の全てを託して下さいました。わたしの身は、剣は、赤震尼を斬り伏せるためにだけあるのです」

幸か不幸か、と言うべきか幼い初震姫には、赤震尼の忌まわしい記憶はない、と言う。しかし、その赤震尼と実際、相対したとき、それがどのような形で蘇り、自分に影響を及ぼすか分からないのだ。

「道雪殿が左足を奪われたように、わたしもこのとき両親(ふたおや)とともに光を、奪われたのだとしたら」

そう言う初震姫の声は、あらゆる感情がない交ぜに、強く震えていた。

「わたしはどうなってしまうのか、それすらも分かりません」


視えぬ初震姫はいつまでも。

すぐそこに、宗麟と赤震尼の気配を聴きながら飽かずに立っていた。

赤震尼からは独特の芳香がするのだと言う。視覚以外の五感の鋭い初震姫はそれを身体に刻み付けようとでもしているようだった。

誰かが止めなければ初震姫は二人を付け狙い、何をするか判らないところだったと聞いて、五鶯太は、桐峰に感謝した。

「焦ったよ。我らは一応、大友勢の人間だ。宗麟と供周りのものたちがいるところで、赤震尼に斬りかかったら、どうにも収拾がつかないところだった」

明那とともに五鶯太も、鷹狩りを引き上げる一行の中から、目指す赤震尼の姿を目撃している。辺りの風景から浮き立つほどに、妖やしく艶めかしい尼だった。初震姫は旅をしながら各地で、赤震尼の足跡を追い続けてきたのだ、と言う。その特徴とも寸分違わず合致した。

「そして、あれが九品だ」

桐峰が示した先に、長身の清げな青年の僧もいた。年頃どうしても母子には見えないが確かによく見れば顔だちが、赤震尼のそれと似ている。

「あれは赤震尼の貴重な末裔(たね)の一つです。恐らくこたびのいくさが終わる頃には、また別の同胞(はらから)が増えておりましょう」

赤震尼は何百年もあのまま生きている。それがにわかに信じがたいが、実際目の当たりにすると、その話すらも手放しで否定出来そうにない雰囲気が赤震尼にはあった。五鶯太が見たのはその女が確実に源家五百年に渡る名家の屋台骨を腐らせ、倒壊させようと画策する姿であった。


「きっ、桐峰あれ!」

帰途、明那が堪らず声を上げた。

「赤震尼や」

五鶯太も息を呑んだ。なんと山間を貫く獣道の果てにふわりと、僧衣がたなびいたのだ。さっきまで宗麟といたはずの赤震尼が、こちらを向いて立っていたのだ。思えばその明那の驚愕の声が、初震姫を変えた。

「赤震尼イッ!」

五鶯太はそのとき確かに訊いた。初震姫が、聞いたこともない怒声を上げたのを。気づくと我を喪ったまま、初震姫は星震の太刀をふるってそこに殺到していた。大ぶりの一撃が、赤震尼の右袈裟を捉えた。そのまま力任せに、胴体を両断する勢いの斬撃だ。

しかしだ。

その剣は空を切り、初震姫の身体はバランスを喪ってつんのめった。

「見たぞ」

気づくと赤震尼の姿そのものがない。代わりに、聞いたことのある不気味な声が梢の間から木魂した。

『泥顔』の声だ。

大山崎の廃社で弱法師を(たお)したときに、野棗を傀儡で操った女だった。

「やっぱりだ。赤震尼を前にすると、お前は星震の剣をまともに振るえない。感情の昂ぶりから元のお前に、立ち戻ってしまうからだ」

的確に初震姫の弱点を指摘した泥顔の言葉に、五鶯太は声を上げそうになった。確かに今の斬撃に、いつもの初震姫の剣の正確さと鋭さはない。彼女は剣を振り下ろしたまま、肩で息をするばかりだった。

「お前は闘神(いんどら)の口寄せを使いきれてないね。それでは、赤震尼に相対するまでもない。今のお前ならわたしでも仕留められそうだ」

「オノレエエエエッ!」

無茶苦茶に剣を振ろうとする初震姫を、五鶯太は桐峰とともに留めた。

何もかも泥顔の言う通りだ。五鶯太の経験上も、感情の起伏の強い人間は口寄せの芸は出来ない。口寄せをする巫女は多かれ少なかれ、普段の初震姫みたいにどこか実体がなくて茫洋(ぼうよう)としているものなのだ。

それがどうだ。今の初震姫は手負いの(しし)のように気負い立って我を喪っている。これではいつもの戦闘状態には入れない。初震姫は目の前に何があるかも、認識できていない様子だった。

「落ち着け」

桐峰は五鶯太と明那に初震姫を(なだ)めさせ、朱い剣を抜いた。泥顔の声は、森の中を反響するように落ちてくる。

「小野桐峰。お前も、殺さねばならなかったね。よくわたしのこの世の主人を始末してくれた」

「紅屋か」

くくっ、と失笑する声が聞こえた。

「まあ、それはいいんだけどね。あの男は、欲を掻き過ぎた。遅かれ早かれ、九品あたりに始末されていたろう」

女の声はしわがれていたが、よく響いた。

「わたしはね、そもそもあの紅屋に加担しようと言う肚でもないんだ」

この忍びの業さえ活かせればそれで満足なのだ、と泥顔は謂う。

「あの尼の肚の深さは中々、興味深い。海賊上がりの三下で終わるはずが、この分では中々楽しめそうだ。いくさは止めさせないよ」

その瞬間だ。

四方から、紅い何かが桐峰に向かってほとばしり出てきた。

歴戦の剣人は決して、焦らない。霊刀丹生(におう)の剣線が閃き、一瞬でそれを斬り祓った。

「無駄だ」

ぼたっ、と重たく湿った音がして、それが斃れる。五鶯太が見ると地面に落ちたのは、山査子(さんざし)の実のように、ぎょっとするほどに赤い蛇だった。寸分違わぬ精度で頭を落とされた蛇は地面をのたうったかと思うと、跡形もなく消えた。悪い夢を見せられているかのようだった。

「そいつは赤震尼から、死出の(はなむけ)だ。来るといい。そこに死が待っている」

くくくっ、と泥顔の声が響いてすぐに消えた。

「無事か」

剣を構えたまま、桐峰は言った。初震姫は感情を昂ぶらせたまま、肩で息をしている。息を切らせあえぐ初震姫を前に五鶯太の危惧は去らない。

(この人は本当にこのまま、赤震尼を斬れるのか)


秋が更ける。島津勢が動いた。

泥顔の謂う、死が待つ戦が幕を開けた。

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