其ノ四
その湯殿には常に、息が詰まるような芳香が立ち込めていた。
むっとするほど甘いと言う以外には、形容しがたい香りである。それは果実の爛熟した密林の南洋の楽園にいるようだと言うものもいれば、雑食の巨獣の腸にそのまま居ついたような心持がすると言うものもいるだろう。
一歩踏み外せばそれは、得も言われぬ芳香ではなく腐敗臭であり、もっと言えば死臭であった。さだめし致死の快楽である。
「不吉なる貪婪」
と称されたその言葉を、この湯殿の持ち主は狂喜するほどに気に入っていた。
檜の湯殿いっぱいに、紅色の得体の知れない香油が湧いている。糜爛(腐り爛れていくこと)死すら思わせる異常な香気は、言うまでもなくそこから立ち込めている。
その紅い泉の傍には汗にまみれて、酔い潰れたように女たちが折り重なって倒れている。いずれも身に一糸も纏わぬ姿で、いぎたなく乱れた垂髪の端が触手のようになって、肌に貼りついていた。女たちのまだ若い木苺の実のように赤黒く張って色づいた乳房の尖や、毛の繁茂した陰阜の茂りに紅い滴が珠になって滴っている。その誰もが声ひとつ、しわぶき一つ立てず、ぴくりとも身体を動かさない。時折小刻みに桃色に上気した肌を震わせるばかりだ。
酒池肉林の主はその紅なずむ湯殿に横たわり、折り重なる女たちの裸体に目もくれず、昏い天井の果てのさらなる虚空を睨んでいた。一見、死人と見紛うほどの土気色の肌である。下帯一つ身につけない裸身には肉と言うものがそぎ落とし尽くされ、凹んだ手足に筋が浮き、無惨にへしゃげていた。これで幽かに呼吸器の蠕動が見られなくば、誰もが死体だと判断しただろう。
(これがかの九州きっての源家の大家のご当主か)
と、往時の英邁な時代を知るものたちは口々に嘆いている。大友左衛門督義鎮、後の世に謂う大友宗麟四十六歳の姿である。
大友氏と言えば九州きっての源氏の名家であり、その祖は源頼朝の御落胤とされる。宗麟は若くしてその二十一代目当主の座に就き、風雲急を告げる戦国の九州に覇を唱えてきた。豊後に宣教師を招き入れ、自らも帰依してドン・フランシスコの洗礼名を戴いた宗麟は文化人の趣があるが、『西国盛衰記』によれば、丸目蔵人の創始した体捨流と言う剣術を好み、馬術、水練、鷹狩に日夜励む典型的な戦国大名であったとされる。
その宗麟が家督を継いだのは二十一歳、それも自らを疎んだ実父を陰謀によって殺害したと言う噂が専らである。
その最盛期には北九州の大半を領したと言う実力から見ても、九州きっての英雄の譬えは、決して誇張ではない。まさに戦国大名なるべくして生まれてきたと言う身分と才能に恵まれてきた稀有の英雄だった。
しかしだ。この英雄には困った癖があった。それは自らが得体の知れないものに耽溺してしまう癖である。宗麟は何か神秘的なものに身を委ねていなければ気の済まない、いわゆる宗教依存症であった。
元々の荒い気性はとめどなく、些細なことで家臣を手討ちにしたりしたが、その血の気の多さが時には破れかぶれな自失感となって、宗麟を妄信へと追い込んだ。今は偶々キリスト教に帰依しているが、以前は怪しい密教の秘事に凝ったり、禅道に執着して家臣を当惑させたりしたのだ。
その背景には、舶来の薬物があった。宗教に拘らなかったのはそのせいとも言える。天竺や吐蕃において、秘事に使うマリファナや阿片が、宗麟の精神の均衡を著しく損なったのだ。古今東西、宗教の秘事には、薬物を使うのが常である。特にこれらの薬物には、鎮静効果があり、宗麟の荒ぶる気性にはじめは、一時の安らぎを与えたものと思われる。
特にマリファナは、副交感神経を刺激して気を鎮めるにも関わらず、五感が発達してむしろ色欲が湧くとされる。宗麟があれほどに耽溺した在来仏教をあっさりと棄て、キリスト教に走ったのには、こうした背景があると考えられる。こうした向精神的な薬物を安定的に仕入れるのには、南蛮人たちの持つ南洋の交易路が不可欠だったのである。
つまり宗麟にとっては、宗教の種類などはどうでもよかったのだ。ただ浮世の生き様の憂さとおのれの過剰な血のたぎりを発散する途として、宗麟はより強い自失を与えてくれる方向をまだ、模索していたのだ。
そのとき宗麟のうつろな目が、かすかに動いた。焦点の霞んだ目が、入口の暗がりを捉えたのは、音もなく木戸が開く気配を察してのことだ。骸骨のそれのようになった肉厚のない瞳を輝かせて、宗麟はそこに立った女の姿を見た。その彼女こそは、宗麟が崇める新たな救い主になりつつある女だった。
「おお、赤震尼」
朽木のような宗麟の身体から、軋るような声が漏れた。その無様な声音こそは、まさに致死の快楽に溺れ果て、消耗と陶酔の間を揺蕩う廃人そのものの呻きと言って良かった。
「今日もご機嫌麗しく、ご太守殿」
女の唇は瑞々しく色づき、その声音は南洋の雨に濡れた果実のように、蠱惑的な悩ましさを含んでいる。不思議なことに女が声を発しただけで、死人と化したはずの宗麟の瞳に潤いが満ち、死人の表情が不気味な精気を帯びた。
「待ちかねていたぞ。お前なしではわしは、夜も昼も明けぬのだ」
その懇願の声を聞き、女は満足げに微笑んだ。
なるほどその女は、清かに見せていながら匂うほどに色香の濃い女だった。まとっているのは、僧衣である。しかし衣をかすかに押し上げている肉の膨らみは、その声音同様に熟れきって、息が詰まるほどの色気を放っている。
宗麟は老若人種さまざまな女を興味の赴くままに抱いたが、こんな女は初めてだった。見るたびに、この女は何ほどにも見えて不可思議に色めくのである。宗麟の目には赤震尼は清廉な処女にも、熟れきった女にも見えた。どれほど衰えようと姿を見るだけで、飽くことのない欲情に火が灯るのだ。
「赤震尼よ」
と、堪え切れず湯殿を立ち、板の間に出た宗麟は掻き口説くように言うのだ。
「わしは、深い夢を見ていた。遠き遠き、常闇の旅よ。底なしの沼をもがいて渡るより、心もとなき昏い旅路であった。お前が漂っておったと言う場所は、かほどに寂しい場所であったかと思うとわしは、身の内の震えが止まらぬ」
「案ずることはありませぬ。もはやかような恐ろしき場所には、わたしは参りませぬ。ご太守様の覇道こそが、わたしの生きる望みです。ぜひにも九州一統の大望をこそ、遂げて下さりませ」
ふわりと、赤震尼は身にまとった衣を地に落とした。そこに現れたのは、無駄な肉一つない裸身だった。湯殿の薄暗い光にも、光芒を帯びて輝く肌には吸い付くような、名状しがたい弾力を帯びている。日月椀を伏せたような形の整った乳房は舶来の白磁のように少しの型崩れもなく、飛び魚のそれのように長い足に囲われた丘には、赤みがかった草むらがひと摘み、秋草のそれのように楚々と叢れている。
「御心のままに、たわぶれて下さりませ。太守には、現世に覇を唱える気宇がござりまする」
あえて武家言葉を使った赤震尼は、裸身のままに裸の宗麟に寄り添った。正気の宗麟ならば気づいただろうが、添った赤震尼の肌身は灼けるような熱気を帯びている。自らも手に紅の滴を浴びた赤震尼の裸体は、板の間に力なく横たわった宗麟の身体にぴたりと寄り添う。女の細首に宗麟は痩せさばらえた腕を回し、うめくように言った。
「安心せい。もはやお前を放したりはせぬ」
死人とも思える腕に赤震尼は口づけをすると、かすかに微笑むを含んで、右手の指を差し伸べた。水揚げしたての白魚のように艶やかなその指には、強い香気を含んだ紅い石が挟まれていた。
「南方に獣臭立ち込め、悪気、王都を侵す卦がござりまする」
女は春の陽のように麗らかな笑みをしながら、その石を宗麟の唇のあわいに押し込んだ。それからギヤマンの水差しをとると自らその中身を口に含み、宗麟の唇にあてて注ぎ込んだ。すると石を呑み込んだ宗麟の口の端から、紅く煌めく液体が零れ落ちた。
痩せ枯れた咽喉が死に際の蛇のようにうごめくと同時に、奇妙なことに、死人と見えた宗麟の身体に凄愴とも思える気が漲ってくるのだ。
口移しを終えると赤震尼は、宗麟の耳元で囁いた。
「九品の言う通りにして下さいませ。あの者は、わたしの信に置ける男です」
「島津とのいくさが始まります。紅屋は手筈通りに、武器弾薬の用意を」
女の声音はいつも、秋霜のように冷えて澄んでいる。赤震尼が博多にある紅屋の本店に現れるのは常に唐突だった。
(とんでもない女やな)
紅屋次郎五郎の中では会うたびに、この得体の知れない尼の像が大きくなっている。八楼、と言う名の倭寇だった次郎五郎は、外海の国々を知っている。それほど昔のことではないが、若い頃から様々な人種に出逢い、数多の国の話を聞いてきたつもりだった。
しかし目の前にいる赤震尼と言う女は、見たことも聞いたこともない人物だった。
「豊後でいくさを起こします。その場合、武器弾薬の買付は、紅屋にお任せてしてよろしいでしょうか」
そんな物騒な話を持ち込んできたのは、九品と言う若い僧だった。学識に明るい僧がどこぞの大名衆の使い番を引き受けることは珍しいことではない。怜悧でどこか酷薄そうなその男は、次郎五郎と相容れぬ質の人間ではなかった。
(ただの大言壮語やないやろな)
確かに南では、島津三兄弟率いる薩摩の強兵が猛威を奮っている。向こうが仕掛けてくればもちろん問答無用でいくさにはなろうが、豊後の大友家はいまだ盤石で、こちらから攻めかけるような積極的な強硬論は出ていなかった。
「それがいくさが起きるのですよ」
と、九品は事もなげに言うのだ。
「私と行動を供にしているお方がいます。そのお方が必ず、豊後の大家、いくさに陥れて御覧に入れましょう」
そうして現れた赤震尼に、次郎五郎はあっけにとられた。まさかこれほどに嫋やかな女が、血なまぐさい陰謀を孕んで暗躍しているとは、夢にも思わなかったからだ。
「紅屋さん、ところで武器はあなた方が独自で用意されるのかしら」
女の声音にいつも、上擦った様子も昂奮した感じもない。これほどの悪事を犯していながら、女はまるでことは当然のように起こるかのように言うのだ。
「え、ええ。仕切りはわしがしますさかい、誰にも邪魔はさせまへん」
と、次郎五郎が言い切ると、赤震尼は穏やかに微笑んだ。
「では、宣教師の助けは要りませんね。九品、あれを」
と、九品が庭に引いてきたものを見て次郎五郎は声を上げそうになった。荷運びようの大きな葛籠の中に、宣教師の男が二人、手足をへし折られて生きたまま、入っていたのだ。二人はいずれも赤震尼の差し金で宗麟にマリファナや阿片を供給していた密売人だった。
「こっ、これを…あんたが?」
曖昧に九品は頷いたが、次郎五郎は知っていた。この男も相当な手練れであり、大柄の宣教師二人を相手にするなど何も難のないことを。
「母上の命です」
「いい子です。よくやりましたね」
赤震尼はその美しい指を伸ばして、九品の肩を慈しむように撫ぜた。どう見てもこの二人は親子の関係になど見えなかった。
「そのまま、海へ流してください。これ以上彼らに騒ぎ立てられると困りますから」
その赤震尼のこともなげな口調を聞いて、次郎五郎はまた背筋が粟立った。
(あれは脅迫じゃ)
裏で何か余計な真似をすれば、お前もこうなるのだ、と言う。
(使い捨てにされてたまるか)
もだえ苦しむ宣教師の箱詰めを見ながら、次郎五郎は歯噛みを禁じ得なかった。
「さあ、あれが博多だ」
夷空が言った。その海焼けした頬に、豊饒な北九州の海の照り返しを浴びている。
麗らかな秋晴れの午後だった。ひんやりを冷え込むようになってきた海風が、肌に心地いい。五鶯太はようやく見えてきた陸に、思いを馳せた。
博多は当時、日本の国際貿易の玄関口と言っていい。現在の明国との交易が始まったのは、室町期になってからだが、大陸貿易の歴史は、上古の昔に遡る。
富貴の家が多く立ち並び、瓦屋根や階層を積み重ねた居館なども珍しくない。板葺きの平屋など、目抜き通りには珍しいくらいだ。軒先から顔を出した蘇鉄や丹塗りの柱などを見ると、もはやほとんど異国だ。五鶯太も西の大都市を見る旅はこれが初めてだったが、これほどとは思わなかった。この博多と較べれば、信玄以来の古府中と言っても、よほど鄙びている。
「船酔いは吹き飛びましたか?」
初震姫が、思い出したように言う。夷空と二人、顔を見合わせてくすくすと笑っていた。さっき上陸した五鶯太が真っ直ぐ歩けなかったのを、からかっているのだ。同じ山育ちの癖に初震姫は永い旅路に慣れているのか、まるで船酔いはしなかった。五鶯太が残した食事まで爆食したので呆れたほどだ。
「桐峰殿たちが先に待っています。早くわたしたちも宿をとりましょう」
そうして連れて行かれたのは、彼の花と言う湯屋だ。まさか女連れ二人でその手の店に入るとは思わなかったのだが、ここに夷空が話していた小野桐峰が滞在していると聞き、納得がいった。
通された座敷では、まるで野鹿と言ったようなはしこそうな少女が、こちらを睨みつけてきた。初震姫はにこやかに自分の素性を告げた。少女は不機嫌そうに、自分は明那、と言う桐峰の連れだと返した。言葉に大和の訛りがある。
「桐峰はすぐ戻る言うてた。御師の商いがあるんやて」
それを訊き、五鶯太はすぐに得心した。行商こそ、旅の神人たちの正しい生業の姿だ。博多にも寺院は多いようだし、初夏からここにいるのならさぞ馴染みも増えただろう。
「あんたが初震姫ね」
明那はなぜか、唇を尖らせて初震姫を睨んだ。何か言いたいことがあるようだ。
「なあ、あんたもようけ食うねやろ?」
五鶯太は目を丸くした。
しかしそれは桐峰が帰って来たときに分かった。
夷空が酒宴の準備をしてくれたのだが、初対面の桐峰の食うこと食うこと。
神人はお腹が空くらしい。いや、そんなはずはない。初震姫と小野桐峰の二人に関してはそうだと言うだけだ。証拠に明那は爆食する二人を見て、げんなりしたようだ。この子も自分と同じ苦労を味わってここまで来たのかと思うと、五鶯太は感慨深かった。
(だがまあ、腕は立ちそうだ)
幸い、と言うか、大食漢でありながら小野桐峰は身の引き締まった剣人だった。元は西国の激戦地、上月城の尼子氏に属していただけはある。大太刀を振るう辺り、五鶯太は武田の古格な武者たちを想った。
夷空が言っていた。桐峰は『斬り峰』と戦場であだ名をとるほどの太刀取りだと言う。
『太平記』時代に大流行したこの武器は、当今、扱い易い槍が普及してからと言うもの、使い手が減るばかりだ。しかし桐峰を見ると鬢に残る兜ずれや手足に残る細かい刃物傷の跡といい、実戦勘を潜り抜けてきた野戦の大太刀使いの風格が言わずと知れた。
それにしても初震姫といい、二人とも挨拶もそこそこに爆食とはどういうことだろう。珍しいと思って五鶯太も楽しみにしていた海豚の煮込みがどんどん減っていく。この人たち、これほど段取りをとって待ち合わせていた癖にいざとなると会話がないのだ。五鶯太と明那は顔を見合わせて、重たいため息をついていた。
「道中、話したとは思うが、博多は紅屋の本拠だ。監視の目が光っているとなれば、畿内以上だと思ってくれ。問題はその上でどうやって大友家に近づくか、だが」
仕方なく夷空が仕切ることになる。九州の地図を拡げてくれたので、来たばかりの五鶯太にも地勢が分かりやすかった。大友宗麟のいる豊後臼杵城は、赤震尼たちの魔窟に化しつつあるらしい。
「俺はすでにわたりをつけてきた。これから、軍師の角隈石宗殿に会うつもりだ」
石宗の名は知らなかったが、出自を聞いてぴんときた。かの足利学校を出た軍配者と言う。五鶯太の甲斐ではかの武田信玄がこの足利学校出身である山本勘助晴幸を重用している。石宗の軍配者としての名は、大友家のみならずこの九州に轟いていると言う。
「わたしもこの筑前で会う人がいます。しばしの間、別行動になり、申し訳ないのですが」
「申し訳ないと言うことはないだろう」
「大友家は広いからな」
夷空の言葉に、桐峰が和した。
「初震さんも、俺とは別につてを持ってくれていると助かる」
五鶯太もさすがに慣れっこになっていた。また、とんでもない人物と知り合いなのだろう。
翌日、五鶯太は初震姫と遠出をした。
目指す立花城はこの博多の街の東の要衝を守る山城だ。現在の博多市東区にあるこの城が築かれたのは元徳二年(一三三〇年)であった。城は標高三六七メートルと言う立花山の山頂に天守を頂き、続く二つの連峰そのものを要塞化する大規模なものだ。
この厳重な防衛態勢を見ても分かる通り、博多港を見下ろすこの城は、激戦地の名に相応しい激動の戦歴を潜り抜けてきている。
五鶯太たちが訪れた天正六年のこの時期で、この要塞は対岸を渡って攻め寄せてくる大内氏や無敗の軍略家元就率いる全盛期の毛利勢の猛攻に耐えきってきたのである。
言うまでもなく在城するのは、最前線で激戦を潜り抜けてきた、大友方でも最強の指揮官だ。男は六十を過ぎてなお、四隣にその名を以て恐れられていた。
「筑前立花城の戸次道雪殿です」
世に鬼道雪の名で知られる猛将である。鬢に著しい兜ずれはあると言うものの、戦場焼けの赤銅色の身体に清げな青い素襖をまとった道雪の居住まいは正しく、中央の大名と引き比べても決してその威容にひけはとらない。
老人は跛行であった。何でも若年の砌、事故で左足をやり、不随になったらしいが、老人はその左足を引きずりながらもなお、太刀を駆って戦場を闊歩したと言う。
「なんん。近頃は歩きの辛くなっち、いくさ場行くのに輿に乗るごとなったばってん」
老人はからからと笑って頭を掻いたが、普段の移動に介添えは要らないから矍鑠としたものだ。五鶯太はかの軍神上杉謙信を思った。常在戦場に生きた謙信だが、彼も幼い頃に患った股の腫瘍のお蔭で生涯左足を引きずっていたと言われる。
「貴殿が初震姫か。ますます、母上殿とそっくりのごとなられた」
愕くことに初震姫を見るなり、道雪は目を細めて何度も頷いた。なんと大友家の最前線を守る鬼神が、初震姫を肉親を見るかのような目で慈しむのだ。
「こん城では遠慮はよか。肉親んごと、ゆっくりしていっちくれんね」
「さっち(必ず)来てくれるち、思っちょった。わしはほんなこつ、臼杵が心配でいかん」
座敷に通されるなり、がぶがぶ酒を注がれた。道雪は手酌でそれ以上に痛飲していた。
「さあさ、お客人!どんどん食わんね」
ずらりと大皿に並べられたのは、筑前の自然の幸の粋だ。見事と言う他ない鯉の洗いは都でも見たことのないほどに山盛りだし、これに珍しいウツボの叩きやすっぽん鍋などはどれも野趣溢れる味の濃さだ。彼の花でも圧倒されたが、九州の土壌の豊かさだ。
「いやあ、初震殿は母上がごたる、よか女にならんしゃあばい!」
道雪は豪快に飲む。戦場御用達らしく、都渡りの澄酒はそこそこに、傷の消毒にも使う強力な焼酎をくいくい流し込んでいる。
五鶯太などはあっけにとられっぱなしだった。初震姫が道雪に会うなり遠慮も会釈もなく、爆食しているせいもある。
「なあお二人、筑前が飯ば黄色かろう?」
突然、道雪が言った。そう言えばこれもびっくりしたのだが、道雪の屋敷で出た飯は、黄金のように黄色いのだ。道雪はこれに鍋いっぱいに作った『かやく』を注ぎまわして食べる。エソと言う魚の焼き干しで出汁をとったそれは、牛蒡や人参などの根菜を炊き合わせてあり、豪快に粗塩だけで煮てある。
「これが大友の兵の戦陣食ばい」
道雪によればかつてこれを、大友家のいくさ場の食に決めたのは、宗麟だと言うのだ。黄色い飯は豊後で活動した宣教師たちが、パエリアを作って献上したことに宗麟が感動してから、だと言う。が、飯を染める黄色は当然、宣教師が使ったサフランではない。
「梔子ん実たい」
大友兵は梔子の実を常備していると言う。戦場ではこの干した実を、打撲傷やねん挫の湿布薬として広く使っていた。道雪はこれを宗麟が最前線の兵にまで目が行き届いてのことだからこそ、戦陣食に採用したのだ。
「じゃがあのお方ん目ば、すっかり蕩かされてしもうたけん。あいはいくさ場がおる武士が目と違うとよ。そいで鬼島津といくさと。あたら兵を死なせるいくさばい。馬っ鹿馬鹿しか」
吐き棄てるように道雪は言うと、驚くべきことを口にしたのだ。
「初震殿が母上が予言は中っちしもうた」
そう言うと道雪は、一本の刀を持ってこさせた。
太刀の銘は『千鳥』。別名を『雷切』と称される。『大友興廃記』によると道雪三十六歳のときに、ふいに天から襲ってきた雷獣を斬ったのだと言う。それが原因で道雪は左足の自由を奪われたのだ。
だが道雪が語る話は、それと違っていた。
「御仁の御命、貰い受けに参りました」
女はすでに武名をほしいままにする豪傑、道雪を前に堂々と言い切ったと言う。その当時の道雪ですらが息を呑んだ。女の身体からは鼻が曲がるような血と臓物の饐えた臭いが立ち込めていたからだ。
「あなたはとても、邪魔なのです」
差し伸べた女の右手に、山査子の実の色をした紅い蛇が絡みついている。それを見た瞬間、道雪ほどの剛の者が寒気を覚えた。女のまとう空気は道雪が戦場で出会うどんな怪異よりも不吉で不気味だったからだ。
「わたしたちに害を成さぬうちに、死んでください」
「こんッ化け物がッ!」
腰が浮き立つほどの恐怖を抑えて道雪は、問答無用に抜き打ちに仕掛けた。このときに躊躇せず、自分の勘を信じたのが功を奏したのだろう。すれ違いに女が放った蛇が、道雪の頬を掠めた。同時に道雪の『千鳥』の太刀は、袈裟がけに肩口から赤震尼の胴をぶち割っていた、と言う。
「確かに肉を斬る手応えはあったと」
だが斬った瞬間、空を切ったようにつんのめったかと思ったら、全身に灼けるような激痛が走った。道雪は視た。女の身体はいつの間にか紅い雷に形を変えていたのだ。
「後悔しますよ」
意識を喪う寸前、その女が憎たらしげに顔を歪めたのを見た。
次に目覚めたとき道雪は、あの雷で左足の自由を喪ったことを知った。
「んでも、わしはその女に太刀ば浴びせたばい」
紅い雷を斬った、その太刀の物打ちには夥しい血と肉の痕が残っていたと言う。
それからほどなくのことだった。道雪の元に、見慣れない寺社の巫女が突然、現れた。
「紅い雷を斬ったそうですね」
道雪は内心、驚愕した。実を言うと道雪はあの怪異を恐れて余人には、あれは雷獣を斬った刀だとしか言っていない。しかるにその巫女は確かに初対面でその経緯を看破していたのだ。
「それが初震姫の…お母さん?」
初震姫は道雪と顔を見合わせると、頷いた。星震の大社の巫女が、悪縁を祓う旅をしながら赤震尼を求めて代々さまよっていると言ったことは嘘ではなかったのだ。
「御母上は、わしに申されたとくさ。赤震尼なる化け物の災いで遠い未来、さっちこの大友家に存亡の危機が訪れるて」
「赤震尼はそのときに邪魔なあなたを、消しに来たのでしょう」
初震姫の母は、事もなげにそう予言したと言う。そしてそれを防ぐためだと言って、こう申し入れてきた。
「ついては、その刀についた血錆びを貰い受けるわけには、いきませんでしょうか」
「そのときこそぎとった赤震尼の血肉をまじえて鍛え上げた刀が、星震の太刀です」
と、初震姫は言う。道雪は蒼い光芒の散った黒いその剣を取り上げて、しばらく言葉もなく眺めていたが、やがて大きくため息をついて、
「こいは何たる眼福か。御母上はこの剣ば使えば、あん赤震尼を屠れると申されたとな?」
初震姫ははっきりと、頷いた。道雪はその剣を掲げて愛おしそうに拝んだ。
「御母上はわしばかりでなく、大友が命の恩人ばい。この道雪、力を尽くすゆえ、ぜひに赤震尼討伐のこと、お願い申し上げる」
「そう言えば五鶯太、お腹が」
「空いてないでしょ」
道雪の歓待を受けてなお、初震姫は言うのだ。どんな胃袋してるんだ、と突っ込む前に思わず心配になってしまう。
「本当に大丈夫ですか?」
道雪の言うには、すでに赤震尼は宗麟の臼杵城に籠もっているのだと言う。怪しげな行を催し、日がな一日漁色に耽っているようだ。
「わしもかつては御諫めしたが、ああなっちもえば、人と獣の区別もつかんばい」
病み衰え、正常な判断力すら怪しい宗麟だが、迫る島津勢に対して戦闘の準備は着々と進められていると言うのだ。
「あの九品とか言う青坊主の仕業たい」
最前線にいる道雪だからこそ、肌で感じるのだろう。宗麟がその気で準備を進めているのなら、島津との正面衝突は自ずから避けえない、と言うことを。
「いくさは止められません。それは確実に起きるでしょう。それも大きなものが、間もなく」
初震姫は断言した。しかし、彼女の関心はそんなところにないようだ。
「それでもわたしの目的は、赤震尼を斬ることです。わたしはそのために、亡き母に送り出されてきたのですから」
初震姫の意志は固いのだ。五鶯太は、期せずとしてそれを肌で感じた。そう言えば五鶯太が知っているだけでも彼女は、ここへ来るまでに多くのものを背負っているのだ。すべては赤震尼によって導き出された災禍である。
「五鶯太も見たと思います。あの『翁』も『弱法師』もああして、赤震尼に生涯を狂わされたのです」
その女は悠久の時を生き、ことごとにこの地に棲む民たちに災いをなしてきた。
数多の人を唆し、無益のいくさを重ね、屍を積み上げ。
星震社の重代はその、途方もない赤震尼の野望を鎮める旅だった。
それがついに赤震尼の血肉を斬れる刀を鍛え、出来上がった星震の太刀が託され、初震姫が発ったのだ。
博多の海まで夜通し案内をしてくれた、平家の亡霊たちに五鶯太は思いを馳せる。暁闇に消えた蒼い魂の群れに、初震姫は日が昇り切るまで鎮魂の舞を踊り続けた。それは凄まじい光景と言えた。御師の経験を積んでいれば、それなりに怪異や神事に出逢いもするが、初震姫のそれは桁違いだった。この日本の天地そのものが、初震姫に手を貸すために動いている気がする。
その初震姫が捨て身で、斬りたい赤震尼とはまさに途方もない妖異だろう。神職の身ながら、五鶯太は自らの心もとなさこそ、不甲斐なく想えてしまう。
「心配することはありません、五鶯太」
するとそんな五鶯太の思惑を察したのか、初震姫は言うのだ。
「わたしの生業はそもそも宿世の縁を祝るもの、あなたとは良い縁を結びました」
と初震姫は、かすかに笑みを含んで手を差し伸べた。
「誰かから聞いたはずです。わたしが、供連れを択ぶのは、これが最初で最後です、と」
瞬間、五鶯太は息を呑んだ。ここまでいやいやついてきたと思っていた。しかし、何度も五鶯太は初震姫の導きで命を拾ってきたはずなのだ。
「介添えをお願いします」
昏い夜道である。五鶯太は延べられた初震姫の手をとった。
そのとき思った。初震姫の手は細長い指に囲われているとは言うものの、やはり男のものに較べれば華奢だった。この手は独り、巨大な宿業を担って剣を振るって来たのだろう。
ふとその先の道案内を頼むと言うように、初震姫は言った。
「いくさが始まります」
この九月四日、宗麟は島津討伐のために自ら発つ、と言う。
天正六年秋、世に謂う耳川合戦の始まりである。