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二百七十三年 ケイス邸にて




2




王国歴273年

インダルフ・ケイス





祖父が死んだ。天寿を全うしたようだった。


わたしは祖父に育てられたと言っても過言ではない。言いようもなく深い悲しみにわたしは包まれる。決して言葉にすることはないが、わたしにとって祖父は親以上の存在であった。


両親はわたしが幼い頃、王都を襲った大火災によって死んだ。これついて、わたしはまだ幼かったし、今では、天命だと思い、特にこれといった感慨はない。しかし、いつもそばにいた人がいなくなるということは、いくらか覚悟をしていたこととはいえ、なんとも身に迫るものがある。


葬儀も終わり、参列者もぼちぼち帰ったところでわたしはまだ、祖父のなきがらが収められた棺の前に立っていた。棺は庭の中ほどの安置台の上に飾り立てられて置かれている。白亜の細工の施された棺は荘厳にも美しい。いままでの幾度かの親類の葬儀である種見慣れた光景であるが、どうにも勝手が違うようにわたしは思えた。ただ美しさのみには表せない、死への感傷。わたしは葬台を飾る花に手を添える。


最後にまで残った叔父がわたしのそばに寄ってくる。堂々たる偉丈夫である。働き盛りの三十代である叔父はこのところの政変にも関わりがあると思われるが、忙しい中に色々と私たちの世話をしてくれた。危篤におちいった祖父の面倒をここ数日は見てくれており、この葬式についても細々とした対応をしてくださった。


「そうしょぼくれた顔をしていると、天に昇られたお前の祖父上も浮かばれないぞ。しゃんとしろ、ケイス家はお前に受け継がれたのだ。一家をまとめる気概がなくてどうする」


この頃わたしたちについて何かと気にかけてくれていた叔父であるだけに、それは心からの言葉に思えた。武人として名高いその人の言葉はいちいち重みがある。


「叔父上、この度は色々とありがとうございました。そのようなお言葉をいただけることは感涙の極みではございますが、どうにもわたしにはそのようなことは不向きであるような気がするのです。わたしはここでこうして花でも愛でている方がよほど性に合います」


しっかりと目を合わせて叔父は言う。


「これからの世に羽ばたこうとする若者がそのような小さいようでどうするというのだ。この動乱の時代、そのようなことが許されるはずもないということをお前も理解しているだろうに。お前には期待しておるのだぞ」


「それはありがたいお言葉。ですが……」


口を濁らすわたしに仕方がないというふうに叔父はわたしの言葉を遮る。


「ですがということもないというのに……。まあよい、今夜はわが屋敷に来るといい、レオーンもお前のことを待っているのだ。とりあえずはこのことは忘れて今夜は故人を悼むとしよう」


こうまで言われては断りようがないし、そもそも今夜は誰かと共にしたい気分であった。それにわが親愛なる従弟を引き合いに出されてはとてもかなわない。


「わかりました叔父上、お招きには有難くあずかりましょう」


叔父は笑みを漏らしつつ言う。しかしその瞳は深い悲しみをたたえているようでもあった。


「おう、それでよい。では今晩待っている」


そういうと叔父は棺に向かい一礼し、しばらくそのまま立っていたが、やがてその黒い喪服の裾を翻し去っていった。


「ではな」


人の去ったわが家の庭、おおいに飾り立てられた棺の前で一人佇むわたしは冷たい風を一身に受けている。白いマントが風にはためく。


ここ数年でこの国は大きく変わってしまった。それも、おそらく、悪い方向に。否が応でも小さいながらもこの一家を支え、面倒を見る、責任のある立場へと立つことになる。この双肩に重い何か、権威とか歴史とかそういったたぐいのものがのしかかっているようでいて、逆に背筋が伸びる。これから何が起こるのか、わたしには想像もつきようがない。しかし、もちろん、今まで通りの生活と行かないだろうことはわたしにも容易に想像できた。新しい時代がこの辺境にもすぐそこにまで迫りつつあることは、わたしにもありありと感じられていた。


わたしが祖父を看病しつつも、手塩にかけて育てたいくらか季節遅れの花々が咲く庭園を眺める。それは祖父の葬式を盛り立てることにはひとやく買ってはいたが、なんともお仕着せでこれといって真新しくはない。雪の降ろうとするこの寒空にはいっそ滑稽ですらあった。


「おい、だれか」


「はい、旦那様なんでございましょうか」


呼びつけた下男にそう言われ、慣れぬ呼称に思わず彼を見返す。彼はよく仕えていてくれる。もうすぐ彼も五十にはなろうか。わたしが生まれた時から彼はここにいる。これからわたしはそんな彼からそう呼ばれる人物になるというのか。彼は特に以前と変わらずそこに跪いている。偉大なる祖父の影を幻視する。


「うん、ランプを持ってきてくれないかな」


気後れすることなく言うことができたろうか?


「ランプですか、わかりました」


夜はまだ、先である。空を夕焼けが染めるこの時間にはまだランプは必要ない。かすかに怪訝そうな顔を浮かべながら彼は屋敷にさがっていく。その様子を見つめながら、いまは亡き人に思いをはせる。風は未だ吹いている。寒さがこたえる。


風向きが変わった。背からの風が白いマントを大きくはためかせる。よく燃え広がりそうだ。


咲き誇る花々というものはとかく美しい。わたしはそばに寄って一つの花に軽く手を触れた。ちょうどこの日にもっとも美しく咲いた。天に昇る祖父への手向けとなっただろうか。明日の朝には祖父と同じくしおれゆく花たち。


懐から小刀を取り出しいくつかを切り取る。亡き祖父を偲び、食卓に飾ろうと思った。戻ってきた下男からランプを受け取り、代わりに切り取った花を渡す。


「今夜、叔父上の家に持って行こうかと思う。軽く束ねておいてくれないか」


「かしこまりました、そのように」


しばらく静かに夕暮れの空を見つめた後、わたしはまた静かに庭に火を放った。







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