前書き
1
王国歴340年
レオーン・ヴァインベルガー
ついに、親愛なるわが従兄インダルフ・ケイスも天に召されていった。
世界は徐々に平和を甘受しつつあるように思う。街行く人々は兎角ひどかったあの頃を忘れつつあり、いまでは穏やかな毎日を過ごしているようだ。あのひどくも、ある種美しかったあの頃を知るわれら老人としては、心寂しいような安心するようなそんな複雑な心境だ。
ともかくいいことには違いないはずだし、もとよりそれを目指して力を尽くしてきたのだから、嬉しいことではある。ただ、なぜか、心に残るこのわだかまりは何かをこうやって残したがっている。
わたしも残り少ない余生を意識するようになり、その数少ない楽しみとして、この一連の騒動の顛末をこのように手記に残そうと思い立った。これはわたしの個人的な回顧録ではあるし、わたしは歴史家でもないが、できる限り客観的に、ただわたしの知りうる限りを記したいと思う。わたしは常にインダルフ・ケイスのそばに立っていたとも言えるので、彼の視点に立った、彼についての記述が主になるだろう。言い換えれば、これは一連の騒動についての覚え書きではなく、彼の一代記だと思ってもらっても構わない。
彼についてはさまざまな人がさまざまに記述していることはわたしも知っている。もちろん彼は世間で言われているような完璧超人ではないし、聖人君子でもない。誰よりも彼の近くにいたとわたしは自負しているし、彼を知るものはみながよくそのことを知っている。
むろん、彼のみの視点に立ってあの時代、そして今の時代を語るのは困難である。ときに、わたしとかつては敵対した者のことにも言い及ぶと思う。ただ、いまはもう過去の因縁は忘れ、彼らの視点に拠っても、歴史の糸を辿りたく思う。滅びゆく者も、意志を持っていた。
あの日々には言い尽くせないほどの思い出があるが、他に何をするということもないという身の上である。話題には困らなさそうだ。時間がかかるのは良いのか悪いのか。寂しい老人の、老後の唯一の楽しみが尽きることがないのが嬉しいのか、いつまでたっても書き終わらずに、死を迎えることを恐れるのか。
ともあれ、この手記が後世の好事家たちの思索の一助とでもなれば幸いに思う。
果たしてわたしが死ぬまでにこの長い長い物語を上梓できるのだろうか?仮にわたしがわたしが思うよりも老いつつも生きながらえたとして、この手記を一体誰が読むというのか?考えても詮なきことではあるので、この手記はわたしがわたしのために書くということを前提にしたいと思う。これに目を通すものは、そのことを念頭においていてほしい。
なんとも前置きが長くなってしまった。ではおいおい始めるとしよう、この長い一連の騒動の顛末について。
おそらく全ての事の始まりは、王国歴270年10月10日、くだんの王陛下がなにものかに暗殺されたことであろう。わたしがまだ10かそこらの何も知らない少年の頃の話である……。