見送り
[ルル、…準備は良いか?」
目の前の少女は、手に神妙な顔つきでゴクリと喉を鳴らした後、コクリと頷くのを確認し、改めて目の前の難題にベクターは目を向ける。
「良いか、時間は気にしなくて良い… 少しでも手元が狂えばここは一つの地獄絵図となるから慎重に行け」
「分ってる」
短く返答し、目の前のそれに手をかけた。
高度な集中を必要とする居合い、それを得手とするルルティア。その彼女が極限までに神経をすり減らすほど集中のなか、対象めがけてゆっくりと手を伸ばす。
目標は卵の如き脆い、だからこそ過敏。故に、慎重に慎重を重ね。ゆっくりと、覆う布を脱がしていくその手つき。
例えるなら爆弾処理班が爆発寸前のそれを解体。一分一秒を争う予断を許さない中、生きる為必死に手を伸ばす。そんな状況に似ていた。
少しづつ剥がされ露になるそれが僅かに動くだけで、ふたりに衝撃ともいえる緊張が走り、その度に作業を中断せざるを得ない状況が続く。
そして、分ミリ単位で対象を覆う布を除々剥がしていくルルティア。その集中力は過去最高と言っても過言ではない程に高められていた。
呼吸一つだけでも部屋中に響く、そんな張り詰めた静寂の中。ルルティアは長い時間を掛けて対象を覆う薄い布の除去に成功した。
「ふーー」
あまりの集中を維持していたルルティアは、この一段落に一旦手を止めてゆっくりと息を吸う。その手は大量の汗の雫が伝い、僅かな時間でも彼女の体力を大きく削り取ったのがありありと見れた。
「深く吸うのは良いが、集中を切らすなよ」
「うん」
「無理そうなら、いつでも変わるからな」
そこに居る二人はプレイヤーとサポーター、まるでプロのアスリート同士の会話の様な言葉を交わし。
「分ってる。大丈夫だから、最後まで出来るから安心して。それじゃ……行くよ」
ルルティアは自然と息を吐いて僅かな休憩を挟んだ後、汚れた布を置きいて新たに綺麗な布を手に取った。
これから新たにその布を着せなければならない。それは、外すのに比べ別段の難易度を必要する。
再び神経が尖るような集中の中ゆっくりと持ち上げ、そのまま手に持つ布をゆっくりと被せる様にずらして行く。
その慎重を期すその手の動きを目で追うベクターも、ルルティアに負けない程の集中力を目に宿し、その動きを少しも逃さずに追う。僅かな汗が頬を流れ、震える拳は既に青白く、出血する程に強く握り締め、ルルティアを見守る様に彼女の側に控えて歯を食いしばり、一瞬でも気を抜くと直にでも手を出してしまいそうになりつつも、その度に激しく痙攣しながら堪え。鉄の自制心で耐えて踏みとどまる。
さっき程を遥かに越える集中の中。
それは来てしまった。
「ナャァア~」
「「!?」」
一瞬時間が止まってしまったのかと錯覚する程の驚愕。喉から心臓が飛び出してもおかしく無い感覚。
事実、驚いたベクターは音も立てずに必死に胸を叩いて、止まりかけた心臓に檄を入れていた。
目の前の最重要案件の前に、フェレットの初歩中の初歩、周囲の監視を怠り外敵の接近を許し、結果、取り返しがつかない事態へと発展。
対象はゆっくりとヒトミを開いた。
「あっ」
それはルルティアの声。
「はぁ~っはぁ~っはぁ~……は!?」
何とか心臓の鼓動を持ち直して、息と動悸を整えながら、その声の方を向いたベクターの視界に入った景色。それを確認すると彼は息を呑んだ。
絡み合う四つの瞳と他一人。
一秒にも満たない空白。しかしベクターとルルティアにとっては長い刻。
「ア……アウ…ッ」「ルルッにげろ!」
ゆっくりと歪められていく輪郭。
それを確認するなり大声でベクターが叫び声が響いた。
そしてルルティアはベクターの叫ぶ前には踵を返し、全力でその場を離れる動作に移っていた。その動きは、まるでライフセーバーのビーチフラッグさながらの動きで後方へと駆け出し、即、その姿を消した。
しかし、目の前の赤子は、姿が見えなくなった程度でその機嫌を直す訳もなく、大きな声を上げて…。
「アァァァーーッ」「良~し良し、怖くない。怖くない」
泣き出した。
泣き出すソティシア。彼女が叫ぶその前にベクターはルルティアの作業を引き継ぎ、オムツを履かせてから抱き上げ、必死にあやし付けた。
「アウア…ウ」
抱き続けて数分。
ソティシアは安心したのか、そのまま泣き止むと、じきにその瞼を重そうにゆっくり落として、先ほどまでのまどろみに浸かった。
泣くのは元気な証拠なのだろうけど、今の状況は心と体に悪い。
しかし、周りに気を配るのは自分の仕事だったが、それは今は棚に上げ、失敗の元凶に叱りかける。
「ラウ。 空気読め!」
「ア~オッ」
ラウと呼ばれた青と白の縞々猫に怒気を込めて静かに声を上げるが、その猫は適当な泣き声で返事をして伸びをすると尻尾を振って、その場で寝ようと丸まった。
それを見て小さくない怒りが湧き上がるが、今は、腕の中にいる子供をあやすのが先だ……、そしてラウには後でルルティアにお仕置きして貰うと心の中で誓うと、青白毛の猫はブルリと震えた後、その首を持ち上げ欠伸がてらの一鳴き。
「ナ~ォ」
ただのオムツ交換されどオムツ交換。
まるでその日のエネルギーを丸々使いきったベクター。その顔には深い疲労の色がありありと見られていた。
きっとルルティアの方も同じ様な顔しているだろう。
「しっかし、最初から自分でやればよかったな」
ルルティアは居なくなり、小さな赤子と猫が、まどろみに浸かる中、ベクターの独白が吐き出され、そのまま誰の耳にも届く事無く滲んで消えた。
さて、何故こんな事に成っているのかというと、それは三日前、ログ夫妻を虚穴へと潜った日であり、ソティシアを預かった次の日に遡る。
・・・虚穴・・・。
それは墜天時に出来たであろう巨大なクレーターに、多くの物が棄てられた集積所。
直径10㌔に及ぶ巨大な縦穴、深さに到っては推定すらされていない。なにせ未だ2㌔域までしか踏み入れていない為に、推測の域を出来ておらず、更には何故この様な場所が存在するかも解明されてはいない。その為'虚穴,と名付けられ、数多く存在する遺跡の一つに分類された。
役に立たないゴミから希少な残遺物が数えきれない程に存在するこの遺跡は、探索者達の巣窟になるのにはそうかからなかっただろう。
さて、虚穴。集積所と言うからには、様々な物が乱立し、小さな隙間が数多く存在するものの人間大が通れる出入り口は一つしかない。そこから蛇がのたっくった様な通路が枝分かれする様に道が分かれている。
この通路に関しても不明な点は多い。
まず、人が通れるような通路が何故存在するのか? これについても幾つか推測が飛び交っている。
一つは、自然に出来た通路。 奇跡ともいえる確率だがあり得なくは無い。
二つは、進化した生物の存在。一番あり得るが同時に絶望的な存在が奥に居る可能性も出てきてしまう。
三つは、人若しくはそれに準ずる亜人が掘った。 これには時間と道具を使えば何とかなるかも知れないが、墜天の後の混乱期とはいえ、それ程長い期間掘り進めたなら人々の記録と口伝で残って居てもおかしく無いし。現在は落ち着いたとはいえ、人がやるなら穴を開けるのは一番現実的でない。やるなら上から段々に拾っていけば良いのだ。わざわざ通路まで作って漁るのは非効率とも言える。
とまぁ、謎は多く存在し、様々な推測はたてられているものの。殆どのフェレットは気にせず潜っていた。
多くの者がそうであるように、そこにどんな由来が有ろうと無かろうと、そこにどんな落とし穴が有ろうと、必要なら使い利用する。
赤子を預かった翌日、そのまだ陽の登らない早い時間。準備を終えたであろうベティー達のを見送りに、ルルティアと眠るソティシアを抱いて虚穴へと向かった。
虚穴の入り口には、今から潜るであろう、虚穴の出口で屯す何組かのグループの内、目当ての一グループに声をかけた。
「おーい。ベティー!」
声をかけると全員の視線が集中し、仲間内で話していたベティーは、こちらを向いて声を上げた。
「よう、ベクター。来てくれたのか!?」
「ああ、時間も聞いてたから見送りにな」
「おお、ワリーな」
見送りの事か、赤子の事か。
ベティーは、どっちともとれるような口調で申し訳なさそうに述べ、その後ろにクラピアが隠れながら、此方に似た様な視線を向ける。
「良いさ。お前には随分世話になったし、それに俺が子供好きだって知っているだろ。ソティーちゃんの事はお前らに感謝しても良いくらいだ」
「そう言ってくれると助かるよ」
どっちの意味か分らなかった為、ソティシアを預かる方だろうと、言葉で返した。
その会話を聞いたクラピアはベティーの後ろで安心した様に胸を撫で下ろしたのを見る限り間違っていない様だ。
「何処まで潜るつもりなんだ?」
昨日までの話だと、一晩クラピアの様子を見てから、経路と期間を決めるとのことだったが。
「そうだなーぁ、まぁ巡りながら下りて100㍍域位で折り返すから1週間前後位には帰って来れるだろう?」
「そうか……。まぁ、気を付けて潜れよ。息抜きは大事だが、お前さん達に何かあったらあの子が可哀想だ」
「そんな事、言われんでも分ってるよ。俺らがこの道を何年生きているかお前も知っているだろ。浅瀬位なら別に問題なく潜って帰れるし、それにこのメンバーならこの間の鎧百足が襲って来ても返り討ちだぜ」
「そんな……数回か潜って、|玄人《プロ》気取りの素人みたいな事言われると、かえって不安になるんだが…」
「うるせー」
ベティーと笑い合いいながらベクターはチラリと他5人を覗き見る。何人かは顔を知られているのか、視線が合うと大きく手を振ってきた。……何人か見覚えは有るが。
正直、名前と顔が一致しない。
しかし、ベティーから告げられている同行メンバーの名前を思い出し、静かに頷いた。
ベティーとクラピア含め7人。それぞれが中堅所のフェレットで、その中にはソロで深部まで潜る猛者までいた筈。
確かに、このメンバーなら、身篭で1年以上戦線から離れていたクラピアと、毎日、家へと帰る為、潜らずにバボネスの庇護の下で門番を引き受けていたベティー。二人が虚穴での感覚が戻らなかったとしても、浅瀬くらいなら問題無く帰って来る事が出来るだろうと、僅かに安堵する。
「ま、とにかく気を付けて行けよ。俺も行った方が良かっただろうが、流石に……な」
「そりゃそーだ。お前まで行ったら、誰にソティーちゃんの面倒見て貰うんだって話だよ」
ベクターの提案は、今の状況の第一条件を無視した発言だった為、苦笑いにも似た顔を作りベティーは頭を振った。
「何なら私、行きましょうか?」
今まで黙って居たルルティアがベクターの前に出てその慎ましい胸に手を当てて提案する。この場に居る探索者は良い案と思い描くと同時に、この場に居た保護者は頬を引き攣らせた。
「ほら私。一応深部行けますし、ベクターと何度も潜っているので戦力不足なら手伝いますよ」
「そりゃ……」
その提案を聞いたベティーは一瞬思案した後。苦虫をダース単位噛み潰したような険しい顔のベクターに視線を向けた。
それだけで、この男と付き合いの長いベティーは理解した。
理解したと同時に出会って15年。この男は全く変わっていない事に、内心深いため息をついた。
「まぁルルちゃんが居れば安心だけど…、逆に、そこの男がストレスで胃に孔が開きそうだから、また今度行こうぜ」
その言葉を聞いたルルティア、隣に居るベクターの顔を覗き見る。
長いこと一緒に居る相棒の顔を確認し、その瞬間、理解すると同時にベティーの言った事が間違っていない事を悟った。
そして、「ついて行く」と言えば、笑顔でOK貰えるだろうが、帰って来た時が安易に想像できる。想像出来てしまって、複雑な感情が心の中に渦巻き、それを絞り出す様に溜息をついた。
前みたいに、浅瀬の連中に八当たりされても困る。
「あのー……すみません。ベクターさん」
今まで、ベティーの後ろに隠れる様に控えていたクラピアが声を上げ。その急な発言に少し驚きながらもベクターは応えた。
「えっと……、どうかした?」
「いや……、あの……、ベクターさんにいきなりこんなこと頼んでしまって……本当にすみません」
確かに、生後1・2ヶ月の子供を他人に任せるのだ。普通なら後ろめたい所は当然あるだろう。しかし、クラピアは知らんだろうがベティーには結構な借りがあるし、それに何より。
「そんなこと? ベティーに聞いていると思うけど、俺は子供好きだからそんなに気にしなくて良いんじゃ無いかな?」
かしこまって頭を下げるクラピア。その姿に、ベクターの記憶の中の彼女とイメージが違う事に戸惑った。何か木陰で本でもって読んでそうな、そんな感じ。
「イヤ…でも……」
「さっきも言ったが、ソティシアちゃんが来てくれて俺はどっちかっていうと嬉しいし」
「それでも……アッ!?…アゥッ!アゥッ!アゥッ!」
腕の中で眠るソティシアを、左腕だけで抱ける様に持ちかえ、ポンと彼女の頭に手を乗せ機先を制して、今尚頭を下げようとするクラピアの強引に留め、そのままガシガシと撫で回した。
「産んだ事は無いが、赤ん坊の大変さは知っているつもりだ。…たまには息抜きが必要だって事も知ってるさ… それに友人の頼みは無碍には出来んよ」
|薄く白みがかった明るい茶色《亜麻色》のショートボブが、ボサボサに乱しながらも続ける。
「それに自分のせいで母親がストレス溜め込ませるっていうのも、子供が可哀想だ。だからタマには息を抜いて来い」
「………………ハイ。……ありがとうございます」
クラピアは、やっと納得した様に視線を下へと向けて呟いた。
その状況を二人各々の連れは、不服そうに眺め…。
「おい。ベクター。人の嫁さんにあまり口説くなよ」
口を尖らせて拗ねた口調で文句を言うベティー。後ろでルルティアがウンウンと首を縦に振っている気配を感じる。
「そんなこ「チッッ」」
これは少し不味いとベクターが口を開き、何か言おうとした時。不機嫌だと判る、盛大な舌打ちの響きに遮られた。
「……え?「そんな訳無いでしょ馬鹿! アンタは黙ってなさい!」」
またも遮られると同時に、クラピアは頭の上に置いているベクターの手を、体の動きだけで振り解いて、後ろを振り向くなり、文句を垂るベティーに向かって物凄い剣幕で捲し立た。
怒鳴られたベティーは当然。彼女の急変にベクターもビクリと震えるが、そんなの気にせずクラピアは尚も声を荒げて続ける。
「そんなんだから、アンタは駄目なのよ。ベクターさんみたいに、もう少し大人の余裕を持ちなさい」
「でも……」
「でも、じゃない! これからソティーがお世話になるのよ。それなのに、どうしてアンタはそんなゲスな考えしか出来ないの?」
「…ハイ。すみません」
何かを言いつのろうとしたベティー、それをクラピアは怒鳴るが如く遮ると、彼は謝ってションボリと肩を落とし。
ベクターは、振り解かれ所在が無い、自分の腕を1秒程見つめてから、ゆっくりと手を下ろした。
クラピアは、ゆっくり向き直すと、下げられたベクターの腕を、僅かに名残惜しいそうに見つめた後、視線を上げた後、目があった。
「…コホンッ。」
恥ずかしそうに口元を手で隠して咳払い。ちらりと虚穴の入り口に待たしている5人を流し見る。
「それでは、そろそろ皆を待たせているので私達は行きますね。……ソティーのことよろしくお願いします」
取り繕う様に言うと、ひざに手を添えて改めて頭を下げた。それはもう、綺麗なお辞儀だった。が、それと同時にベクターは自分が覚えている彼女イメージが間違っていない事を理解した。
「お、おう。がんばってな…」
内心の驚きを隠せず吃るベクターを尻目に、苛立ちを込めた爆弾発言が、澄まし顔のルルティアから発せられた。
「どうせすぐはがれるんだから、あんまり猫被らない方が良いよ」
ルルティアの喧嘩腰にギョッとするベクター。しかし、彼女らは然も当たり前と、平然とした雰囲気を纏い声を上げる。
「なーに、半人前のルルティアちゃん? 急にそんなこと言って。大人なんだから礼儀と作法は大事でしょう?……あ! 半人前の子供には分らないか?」
その発言にルルティアの眉が僅かに痙攣し、明らかに不機嫌な雰囲気を纏うが、決して声を荒げない。
「別に半人前なんかじゃ無いし、アナタなんかより強いし、余程使えますよ」
と自信たっぷりと断言する口調ではっきり言うが、長い年月共に居るベクターには言葉に動揺による震えがはっきりとわかった。
「おい、ベティー。この二人って仲悪いのか?」
ベクターは口喧嘩する二人を避け、先程クラピアに怒鳴られ未だに落ち込んでいるベティーに声をかけた。
「あ? そんな事も知らんかったのか?」
肩を落としていたベティーは、声をかけられ顔を上げた。
「ああ、あまりクラピアと会う事も無かったからな、こんなに仲が悪いとは知らなかった」
「そうなのか? ……いや、そうかもな」
「なに一人で納得してんだよ」
一人で結論づけるベティーに、若干苛立ちを込めた声を上げるが、ベティーは何でも無い様に首を振る。
「いや、こっちの話だ。…動機はともかく、あの二人は前から会う度あんな感じだぜ」
「そうなのか?」
「ああ、それも、この界隈にあの二人の仲が噂になるくらいには有名だ」
「全く知らなかった」
「まぁ、お前さんはそういうの疎いからな……、この間も隣のオアシスでやり合ったって話だぜ」
ルルティアとクラピア、相性が良さそうなだけに少しだけ意外な気がする。
「この間って、ルルに買い出し頼んだのが半年位前だから……。!ッ、クラピアは妊娠中じゃん」
「おう。動けるうちに買い溜めしておくって、出かけた日だからそれ位かな? 」
「妊娠中に喧嘩するってどれだけ仲が悪いだよ」
あっけらかんと言うベティー。しかし、その話を聞いたベクターは気が気で無い
「いや、そうでも無いぜ。ほら喧嘩する程なんとかって言うだろ、結構二人とも言いたい事言い合ってスッキリしてるみたいだし、だからみんな問題視してないし、止めもしないぜ」
そう言われて周りを見るが、これだけ騒いでいるのに誰も気にも留めない。
「此処の連中どれだけ大らかなんだろう……」
「まぁ、大雑把ま連中は多いが、どっちかって言うと、触らぬ神に祟り無し。って言う方が正しいな。女の喧嘩に巻き込まれて無事に済むとは思えんし」
「そう…だな」
溜息をついて、視線を喧嘩する二人に戻すと決着がつく所だったらしい。10cmも離れていないだろうが、高い視線からルルティアを見下ろしているクラピアの姿が伺える。
「まだ、そんなこと言っている内は、ベクターさんに半人前扱いされると知りなさい。」
「ッ!」
先程のベクターの反応を思い出したのか、悔しそうに唇を噛みルルティアはクラピアを睨みつけ、次にベクターと視線が重なる。
その不安げな視線を受けて、軽い溜息を吐いたベクター。彼は、ルルティアの援護に入った。
本当に喧嘩する程仲が良いのか疑問になる。
「言い過ぎだ。そこまでにしてくれ。…別に俺は、別にルルを半人前扱いしてる訳じゃ無いぞ。今のルルなら深部の怪物と遣り合えるし、パーティ編成次第なら未踏まで行ける実力は有るんだ。それを半人前扱いしていたら、俺や此処に居る探索者軒並み半人前になっちまう。」
「いや、ベクターさんは……」 クラピアは何かを言おうとしたが、ベクターはそれを遮り、ルルティアの頭に手を乗せて撫でながら続ける。
「それにまだ15才だ……、俺とは違って、まだ伸び代が有って、これなんだ。将来有望だろ」
その言葉を聞いたルルティアは、満足げに目を細め、逆にクラピアは悔しげに唇を噛みしめた。
「まぁ、それ位にしてだ。……ベティー!」
未だ睨み合うクラピアとルルティアから離れたトコを指さして、続ける。
「クラピアも気ぃつけてな、100m域までだとしても、初心者には何が有るか分らないからな。息抜きも大事だが、親が帰らないって言うのも子供が可哀想だからな」
その言葉を聞いたクラピアはコクンと頷いたが、拗ねたように口を尖らせて、不満気に呟いた。
「私…、初心者じゃないですよ」
これは、言葉を間違えたと思い訂正する。
「すまん。復帰者だったな…… まぁどっちにしろ、無事に帰って来いな。それだけ守ってくれれば良いさ。その間のソティシアちゃんの世話は、責任を持って引き受けるから」
再びコクンと頷くクラピア、その瞳は若干潤んでいるのは悔しさか?
「そうよ。あんたが1年近く大人しくしていた事、自体が奇跡なんだから、何処かで爆発する前に発散して来なさいよ」
さも当然と言うルルティア。今度は先程の険悪な雰囲気は無く、唯の軽口の様だ。
「そうね、私もよく耐えたと思うわ」
それを受けたクラピアも同じ様に受け流す。そのやりとりを聞きベクターは、やっぱり、二人とも実は相性良いだろ。と思うが……。
まぁいい。
唯、ベクターのクラピアのイメージはもう変らないであろう。
「ベティー、気を付けろよ」
ルルティア達から離れ、ベティーとベクター。ベクターはいきなりそう切り出した。
「なんだよ、急に」
「この間、鎧百足が浅瀬で駆除されて半月。異変らしい異変は全くないから、ただ迷い込んだだけだろう。て言うのがバボネス達の見解だが、何か有るかもしれんからな」
「オイオイ、何か有るかもで、潜れないって言ったら虚穴になんか入れんぜ」
「それもそうだが……」
「それに深部の連中が浅瀬まで上がってくるのなんざ、珍しいっちゃ珍しいが、別に無い事じゃ無いだろ?」
確かに虚穴に巣食う連中は光を嫌い、大型になる程底へと傾向が強い為、深部の怪物が表へ出て来る事は珍しいが、無い訳では無い。
3年位前にも、深部から切断蟷螂が迷い込んで多大な被害をもたらし、結果駆除された。
その他にも多々似たような事例は、おとがない。
「まぁ、お前らは他と違って子が産まれたばかりの親だからな。どんなに小さい事でも気を付けた方が良いだろ。…まぁ、お前が居れば、多分、問題は無いと思うが一応な」
そして、浅瀬が安全かと言うと、そうでも無い。状況によっては、有る意味深部の怪物より脅威になることだってある。その為、初心者のフェレットの被害報告は後を絶たない。
「そうだぜ… 10年以上の付き合いで何百回一緒に潜ったよ? バボネスやお前が居なくたって問題無いぜ。それに心配だからって、単身赤ん坊担いで深部まで潜った馬鹿に比べれば、ずっとマシだ」
「…………」
「それに、腕のいい同行者も居るんだ。だからこっちは気にすんな、だからお前はソティ-ちゃんの事頼むぜ」
そう言いベティーは、ベクターの腕の中で眠るソティシアの頭を、まるで壊れ物を扱うが如く優しく、そっと撫でた。
それだけの事でベティーの娘への愛情が分る。
戻るとルルティアとクラピアは虚穴への入り口へと移動し、他の連中と輪を作り談笑していた。
「わり、待たしたな」
ベティーがそう言って輪の中に入ると、ルルティアはそっとはなれ、ベクターの後ろへとまわる。
そして、ベティーは自分たちのチームに声をかけ最後の打ち合わせの様な事を行う。装備 所持品 雰囲気を見る限り全員、大分潜り慣れしているのが見て取れる。
「じゃあベクター、そろそろ行くぜ。見送りサンキューな」
「ああ、行って来い」
ベティーはそう言って虚穴へと向かい。他の五人もベティーの後へついて行くように歩きだし、クラピアだけは後ろを向いてベクターの下へと小走りで近寄って来た。
「それじゃぁ、行って来るね。」
クラピアはベクターの腕の中で、静かに眠るソティシアを優しく撫でて一言言うと、そのままベティー達を追い、合流した。
ベティーは同僚であろう入り口に立つ5人程の門番に、二・三言話し掛けると門番達は、笑って道を開け、彼を含めた一団が虚穴へと足を踏み入れる。
そしてベクターとルルティアは、彼ら全員が潜ったのを最後まで見送った。
「行ったな」
「うん」
「さて、これから如何する。此処まで来たついでにバボネスにでも会っていくか?」
ベティー達が虚穴へと侵入したのを確認するとベクターはルルティアに問いかけるが、その声音はあまり返答を期待していない様に感じれる。
しかし、虚穴から家まで歩いて一時間以上かかる。そして赤ん坊を抱いて馬を走らせる訳にもいかず。次、いつ一緒に行けるか分らない組合に、顔を出しても良いだろうと、多分、その程度の提案。
彼女も分っているのだろう。少しだけ悩むそぶりをして簡単に応えた。
「う~ん…… ソティーちゃんも居るし帰ろっか?」
「そうだな。帰るか」
「それにしても良く寝るね~、この娘。昨日からずっと寝てない? 大丈夫なの?」
虚穴から帰る途中、ぽつりとルルティアが少し不思議そうに言う。
確かに、昨日から起きる気配は全くと言っていい程に無いのだが。しかし、ベクターの腕の中で小さくも相応に吐息が聞こえ、小さい体も上下しており、小さく儚くも生の息吹と脈動が感じられる。
「んー? 大丈夫じゃないかな。昨日ベティーのトコで結構元気に泣いていたし。それに夜中に何度か起きて夜泣きの対処と落し物の後始末してるから、どっちかて言うと元気な方かな?」
「そうなの? 全然気付かなかった……」
「昨日のルルは機嫌が良く無かったから、俺の部屋で出来るだけ起こさない様静かに……って? 何か有ったか?」
ベクターが途中まで言うと、何故かルルティアは複雑そうな顔をしていたので聞くと。
「べっに~… ただ、ベクターが嬉しそうだなーって思っただけ」
ただ素っ気ない答えが返ってきたが、声の質から決して機嫌が悪い訳でも無いことが分る。
「そう」
「うん。……あっそうだ! ソティーちゃん抱かしてよ。まだ一度も触ってもいないんだし、良いでしょ」
話を変えられた感は有るモノの、別に気にする事でも無ければ、断る理由も無い。
「ああ、良いよ」
ベクターの返事を聞くと、ルルティアは表情を一転させ、目の奥を輝かして腕を伸ばす。
「頭の角度に注意な。まだ、首がすわって無いし、少しでも息苦しかったり窮屈だったりすると、起きちゃうから、首の下に腕を入れる感じで……。そうそう、そのまま体にかける様に腕でおさえて。それに体を支える腕は、股下から背中に添えて自然体になる様に添えて。それだけで、体の負担は大分抑えられるから」
ソティシアを、ゆっくりとベクターは自分の腕からルルティアの腕の中へと移した。
「そうそう、上手い上手い。」
「♪~」
両腕が開いたベクターは手を叩いて喝采し、褒められて悪い気がしないのだろう。ルルティアは上機嫌に鼻を鳴らして少々ご満悦の様子。
しかし、残念な事にそれは長続きしなかった。
「アァ~、ウゥ~」
寝苦しいそうに唸るソティシアの声によって瞬く間に狼狽えだした。
「ねぇ~、ベクター起きそうだけど、どどどどうしよう! ねぇ、どうすれば良いの!?」
「ルル落ち着け! まだ唸っただけで起きたわけでは無いんだから落ち着ついて対処すれば大丈夫だ。まず深呼吸して呼吸を整えてからゆっくり俺に渡してくれ」
「うん…」
そしてルルティアの腕から渡される瞬間。
ブビッブビビビイ
「アウアァ」
鈍い放出音。そしてルルティアの顔が引き攣ると同時に、彼女の腕で眠っていた幼子は元気に目をさました。