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生者のいらない夜

生者のいらない夜

作者: junya nag
掲載日:2026/10/12

 この屋敷には、幽霊が五体いる。


 俺。

 婆さん。

 若い女。

 坊主頭の男。

 それから、幼い子供。


 全員、この土地で死んだ。

 だから、ここから一歩も動けない。  

 地縛霊というやつだ。


 別に、それで困ってはいない。


 人間さえ来なければ、ここは至極静かで快適な住処だった。


 問題は、最近になってこの廃屋が「最恐心霊スポット」としてネットで有名になってしまったことだ。


「また来たわよ。」


 歪んだ硝子窓の外を見下ろしていた若い女が、うんざりしたように声をあげた。


「何人だ?」

「三人。」


 俺も窓辺に寄り、外を覗き込む。


 照明つきのカメラを構えた若い男。

 その後ろに、ビクビクと怯える若い男女が一人ずつ。


 中央の男が、レンズに向かって白い歯を見せた。


「はいどうも! 今日はネットで噂の超有名危険スポット、開かずの屋敷に来ています!」


 俺は深く目を閉じた。


「……頼むから帰ってくれ。」


「言っても届かないわよ。」

 若い女がくすりと笑う。


「分かってる。」


「じゃあ、言うだけ無駄じゃないの。」


「幽霊なんだ。愚痴くらい言わせろ。」


 後ろで、着物姿の婆さんが喉を鳴らして笑った。

「生前から愚痴ばかりの男じゃったからのお。」


「余計なことを言うな。」


「この屋敷には、ある恐ろしい都市伝説があります。」

 配信者の男が急に声を落とし、カメラに顔を近づけた。


「夜になると、どこからともなく『死者の怨嗟の低い声』が聞こえるそうです……。」


 俺たちは顔を見合わせた。


「来るぞ。」

 坊主頭が太い腕を組んで呟いた。


「何がくるの?」

 子供が首をかしげる。


「例のやつだ。」


 その直後、屋敷の奥から、冷たい秋風が抜け落ちた。


 ヒュウウ……。


 腐ちかけた梁が軋み、古い窓枠がガタガタと震える。


 埃っぽいカーテンが大きく揺れた。

 そして――。


 ――か……え……れ……。


 配信者たちの動きがピタリと凍りついた。


「……。」


 俺たちは静観する。


 若い女が耐えかねたように吹き出した。

「今日も出たわね。」


「ただの風だけどな。」


 婆さんが白髪の頭を頷かせる。

「毎晩のことじゃからのう。」


 子供がキャッキャと声をあげて跳ねた。

「風さん、今日もいい仕事してるー!」


 俺たちも苦笑した。


 この屋敷は構造上、山風が吹き込むと特殊な鳴りを潜める。

 

 屋根裏の折れた太梁、煤けた古い煙突、そして隙間だらけの土壁。


 風がそれらを複雑に通り抜けるとき、人間の耳には「帰れ」という低い男の声のように響くのだ。


 ただ、それだけの自然現象である。


 だが、プロの配信者様のご意見は違った。


「いまの、聞こえましたよね!?」

 男がカメラに向かって叫んだ。


「間違いありません!」


「いま、男の霊の声で『帰れ』とはっきり聞こえました!」


 俺はこめかみを押さえた。

「間違いありありなんだよなあ。」


 無遠慮な足音が響き、三人組が屋敷の中へと足を踏み入れてきた。


 泥のついた靴のまま。


「……。」


 俺は自分のかつての家を見回した。

「靴くらい脱げよ。」


 もちろん声は届かない。


 配信者は壁の傷を撫で、埃をかぶった机を触り、仏壇に残された古い写真を手に取った。


「うわ……これ、かなり強い念を感じますね。」


 若い女が鼻で笑う。

「何も感じてないくせに。」


「顔が演技丸出しだな。」

 坊主頭が吐き捨てる。


「そもそも、さっきから『ヤバい』と『感じる』しか言ってないぞあいつ。」


 婆さんが感心したように頷いた。

「便利な言葉じゃのう、現代の若者の言葉は。」


 配信者が、奥の古い食器棚を見つけた。


「これは……。」


 ギィと嫌な音を立てて扉を開ける。


「うわっ!」


 中には、俺が昔使っていた古い皿が並んでいた。


「この皿、持って帰ったら確実に呪われそうですね。」


 俺は眉をひそめた。

「おい、持って帰るなよ。」


 配信者が皿へ手伸ばす。


 俺は思わず反射的に手を伸ばして制そうとした。だが、俺の手は虚しく皿をすり抜けた。


「……。」


 幽霊になって、一番腹が立つ瞬間だ。

 

 何も触れない。何も守れない。


「これ、リスナープレゼント用に持っていこうかな。」

 配信者がヘラヘラと笑う。


 若い女の目が吊り上がった。

「最低ねあいつ。」


 婆さんも皺だらけの顔を歪める。

「持って帰ったら、わしが本気で呪ってやるぞい。」


「だから婆さん、俺たちは何もできないんだって。」


「気持ちの問題じゃ!」


 調子に乗った配信者は、さらに屋敷の奥へと進んでいく。


「それではここで、検証のために幽霊を呼び出してみます!」


 俺たちは一斉に顔を上げた。


「来たぞ。」


「また始まったわね。」


「今度は何する気かしら。」


 配信者はカメラを見つめ、大声で叫んだ。

「幽霊さーん!」


 俺は配信者の目と鼻の先に立った。

「おう、ここにいるぞ。」


「いるなら、姿を見せてくださーい!」


 俺は顔の前で手を振った。

「真ん前にいる。」


 若い女も横から手を振る。

「こっちこっち。」


 坊主頭も顔を覗き込む。

「目の前だぞ、ボウズ。」


 子供が足元でぴょんぴょん跳ねる。

「ここだよー!」


 婆さんまで手をひらひらさせた。

「ここにおるぞい。」


 配信者は眉ひとつ動かさない。

 カメラを見つめたままだ。


「……ふう。やっぱり、何もいませんね。」


 俺たちは一瞬で真顔になり、沈黙した。


「……。」


 若い女が呆れたように呟く。

「定員オーバーなくらい勢揃いしてるのにね。」


 俺はため息をついた。

「五体もいるんだがな。」


「ここまで無視されると、霊とはいえ普通に傷つくわね。」


 すると突然、配信者が目の前の柱を強く叩いた。


 バン!


「幽霊さん!」


 バン!


「いるなら、何か現象を起こしてくださいよ!」


 バン!


 俺たちは一斉に柱を見た。


「……。」


 婆さんが静かに、だが恐ろしい声で言った。

「こやつ。幽霊が出る前に、わしの思い出の家を壊す気じゃな。」


「同感だ。」


 配信者がさらに勢いよく壁を蹴りつける。


 ドン!


 その瞬間だった。


 山頂から駆け下りてきた強烈な突風が、屋敷の隙間という隙間に雪崩れ込んだ。


 ヒュウウウウウウ……!


 ――か……え……れぇぇ……っ!


 鳴り響いた音の太さは、先ほどの比ではなかった。


 三人組の顔から、一瞬で血の気が引いた。


「出たあああ!」

 配信者が悲鳴をあげる。


「いま、めちゃくちゃはっきり聞こえました!」


 俺は思わず笑ってしまった。

「だから風だって。」


 声は届かない。配信者はカメラに向かって狂ったように叫んでいる。

「この屋敷の悪霊は、明確に殺意を持って『帰れ』と言っています!」


 俺は呆れて頭を振った。

「だからただの風なんだよ。」


 若い女が肩をすくめて笑う。

「でも、当人が気づかないんだから世話ないわね。」


「気づくわけないさ。」

 坊主頭が鼻で笑う。


「気づいたら売れる動画にならないだろ。」


「なるほどのお。」


 婆さんが膝を叩いた。

「世知辛い世の中じゃのう。」


 配信者はすっかりテンションが上がってしまったらしい。


「幽霊さん!」

 喉がちぎれんばかりの大声で叫ぶ。


「俺たちは、何があっても絶対に帰りませーん!」


 俺たちは呆れ果てて顔を見合わせた。


「……。」


 子供が泣きそうな声で呟いた。

「ほんとうに、かえってほしいのに……。」


「俺もだ。」

「私もよ。」

「わしもじゃ。」


 幽霊五体の意見が、完璧に一致した。


 配信者はカメラに向かってドヤ顔を決める。

「絶対に帰りません!」


 俺はニヤリと笑った。


「しょうがねえ。こうなったら『風さん』に頼むか。」


 その瞬間。


 まるで俺たちの願いに応えるかのように、腐食していた窓枠が一斉に跳ね上がった。


 ガタバァン!

 バァン!

 バァン!


 猛烈な山嵐が屋敷の中を吹き荒れる。


 カーテンが狂ったように舞い上がり、数十年分の埃が竜巻となって舞い散った。


 そして――。


 ――カ エ レ ッ !


 共鳴した梁と煙突が、まるで屋敷そのものが叫んだかのような大音量を轟かせた。


「うわあああああ!」

 三人組が抱き合って悲鳴を上げた。


「危険だ! 逃げろ!」

「呪われる! もう無理!」

「帰る! 帰りますからあ!」


 機材も放り出す勢いで、玄関へとなだれ込んでいく。


 俺たちは腹を抱えて大笑いした。


「風、強すぎだろ!」

「最高ね!」

「今日の風さん、いい仕事するわあ!」


 脱兎のごとく外へ飛び出した三人組が、ドアを叩きつけるように閉め、車のエンジンを爆音で吹かす。


 タイヤの焦げる匂いを残し、車はあっという間に山道を下っていった。


 静寂が、再び屋敷を包み込む。


 俺たちはゾロゾロと玄関に集まった。


「追い払ったな。」

 坊主頭が満足そうに頷く。


「あたしたち、指一本触れてないけどね。」

 若い女が笑う。


「風が勝手に追い払ってくれたからのう。」

 婆さんが頷いた。


「そこらの人間より、よほど頼りになるわい。」


 子供が空を見上げた。

「風さん、また助けにきてくれるかなあ。」


「来るさ。」


 俺は笑って子供の頭を撫でるフリをした。 


「この家、隙間だらけだからな。」


 ◇


 数日後。

 性懲りもなく屋敷へ入ってきた別の若者たちが、手元で光る小さな板――スマートフォンを眺めていた。


 俺たちは彼らの背後に並び、その画面を上からこっそり覗き込んだ。


 動画サイトに投稿された、あの時の動画。


 タイトルは大きくこう書かれていた。


『【閲覧注意】本物の悪霊に「帰れ」と脅迫されました。命の危険を感じて緊急脱出』


 再生数は、すでに五十万回を超えている。


「……。」


 俺たちは沈黙した。


 若い女がボソッと呟く。

「……ただの風なのに。」


「風なのになあ。」


 流れてくるコメント欄を目で追う。

《あの「帰れ」はマジでヤバい》

《絶対、強い悪霊が潜んでる》

《最後、霊が何体も叫んでた気がする……》

《神回確定》


 俺たちは顔を見合わせた。


「何体もいた気がする、だってよ。」


 子供が楽しそうに笑う。

「あたりー! 五体もいるよー!」


 婆さんが誇らしげに胸を張った。

「おるのに、誰ひとり見えんのじゃがのお。」


 俺は可笑しくてたまらなかった。


「人間ってのは本当に、見たいものしか見えないんだな。」


 若者たちが怯えながら奥へ進んでいくと、窓の隙間からすうっと冷たい風が吹き込んできた。


 ヒュウウ……。


 風は俺たちの体を心地よくすり抜け、屋敷の奥でまたあの低い音を響かせた。


 ――か……え……れ……。


 俺たちは顔を見合わせ、一斉に吹き出した。


 若い女が窓の外へ向かって声をかける。

「風さん、今日もお疲れ様。」


 俺は硝子窓の向こうを見た。


 澄み切った青空と、鮮やかな緑の山々が広がっている。


 俺は小さく息を吐いた。

「さて。」


 がらんとした我が家を見回す。


「次にやってくるのは、どんな馬鹿だろうな。」


 その直後、山道の下から、またブォンと車のエンジン音が聞こえてきた。


 俺たちは全員で顔を見合わせた。


「……。」


「もう来たわね。」


 婆さんが大きなため息をつく。

「やれやれ、人間というやつは、本当に懲りんのう。」


 俺はニッと口角を上げた。


 吹き抜ける風が、屋敷を小さく鳴らす。


 ――か……え……れ……。 


 俺たちは声を揃えて、玄関の方角へ叫んだ。


「そうそう。とっとと帰れ!」


 今度だけは。


 風と俺たち幽霊の意見が、完璧に一致していた。

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