金の斧と銀の斧と悪役令嬢
氷雨そら先生・キムラましゅろう先生主催のシークレットベビー企画参加作品です。
『あなたが泉に落としたのは、この金の斧ですか?』
「はぁ?」
森の中にある小さな泉の中からふわふわと半透明の女が出てきたと思ったら、なにやら珍妙なことを言い始めた。
なんだこりゃ?
『それとも、この銀の斧ですか?』
半透明の女は、右手に金ぴかの斧、左手にギラギラした銀色の斧を持って俺に問いかける。
「どっちでもねぇよ!
俺の斧はミスリル製の業物なんだぞ!
そんな斧と比較になるわけねぇだろ!」
『あなたが泉に落としたのは』
「だいたいな、俺が斧を落としたんじゃねぇだろ!
斧だけ泉の中に引っ張りこまれたんじゃねぇか!」
『そうとも言う』
「他にどう言いようがあるってんだ!
さっさと俺の斧を返せよ!」
今日はホーンラビットを二羽仕留めることができたし、薬草などもいくつか採集できた。
家路につく前に喉を潤そうと泉に立ち寄ったら、これだ。
さっぱり意味がわからない。
新種のゴースト系モンスターなのか?
あの類は物理攻撃が効きにくいから、厄介なんだよなぁ。
『私はモンスターではありません。泉の精です』
この泉には今までに何度も来たことがあるが、こんなことは一度もなかった。
泉の精がいるなんて話も聞いたことがない。
というか、俺の考えが読まれてないか?
「どうでもいいから、早く俺の斧を返してくれよ。
あの斧は、俺の爺さんの形見なんだ」
俺にとっても俺の母ちゃんにとっても、大切な形見の斧なのだ。
泉の精かなにか知らないが、奪われるわけにはいかない。
「返さねぇっていうんなら、この泉を干上がらせてやるぞ」
俺は片手を突き出し、そこに炎球を浮かべた。
少なからずイライラしているから、火力が高めの青い炎になっている。
これを数発ぶちこんで、泉をただの窪地に変えてからゆっくり斧を回収することにしようか。
あの頑丈な斧は、俺の魔法ぐらいでは刃こぼれすらできないのだからそれでも構わない。
『あなたが泉に落としたのは、この金の斧ですか?』
「またそれかよ。いいから、さっさと俺の斧を返せ。
言っとくが、脅しじゃねぇぞ」
『それとも、この銀の斧ですか?』
「そうかい、わかったよ。俺の話を聞く気がないんだな。
そっちがその気なら、お望み通りにしてやるよ」
『それとも、この悪役令嬢エミリアンヌですか?』
半透明の女が手を振ると、泉の中から女が浮かび上がってきた。
「はぁ?」
しびれを切らして炎球を泉に放り込もうとした俺だが、これにはさすがに動きを止めた。
艶やかな黒髪と、真っ白い肌。
瞳は閉じられているから、その色はわからない。
俺には女物の服のことはよくわからないが、都会の女が着ていそうな豪華なドレスを着た、まだ若い女だ。
「あ、あくや……? え? なんだって?」
『悪役令嬢エミリアンヌです』
悪役令嬢というのはよくわからないが、どうやらエミリアンヌというのがその若い女の名であるらしい。
意識を失っている状態でも、その顔立ちが非常に整っていることがわかる。
まるで、おとぎ話に出てくる花の妖精かなにかみたいじゃないか。
ただし、泉の水面の上にふわふわと浮いたままぴくりとも動かない。
「だ、大丈夫なのか? そいつ、生きてるのか?」
『気を失っているだけです。
王城の池に突き落とされたので』
「はぁ~?」
こんなにか細くて、ウエストなんか俺の太腿くらいしかなさそうな女を池に突き落としたってのか?
よくもそんな酷いことを!
っていうか、王城っていうのは、ここから馬車で十日以上かかるくらい遠いところに王都の真ん中にあるはずなんだが。
『エミリアンヌはダルシー公爵家の長女で、この国の王太子の婚約者でした』
「え゛」
王太子って、それって……
なんとなく、この泉の精を名のる何かが俺の前に現れた理由がわかった気がした。
『エミリアンヌは小さなころから、あらゆる礼儀作法や勉学を叩きこまれました。
本人も、立派な王太子妃になるために寝る間も惜しんで努力していました。
それなのに、クソ王太子は胸がでかくて頭からっぽの尻軽女にコロッと篭絡されたのです』
「えぇ……」
『クソ王太子と尻軽女は共謀して、夜会の真っ最中にエミリアンヌに冤罪をふっかけて強引に婚約破棄しました。
エミリアンヌは会場から追い出され、家に帰ることもできず王城の庭園を彷徨っていたところを池に突き落とされ、今に至ります』
酷い。
なんというか、酷すぎる。
話を聞く限りだと、エミリアンヌはなにも悪くないではないか。
しかも、そんなことをしたのが、よりにもよってこの国の王太子だって?
王太子っていうのは、次の王様なんだろ?
この国、大丈夫なのかな……
『あなたが泉に落としたのは、この金の斧ですか?』
「そこに戻るのかよ」
『それとも、この銀の斧ですか?』
「だから、どっちでもねぇってば」
『それとも、この悪役令嬢エミリアンヌですか?』
「その悪役令嬢ってのはなんだんだよ」
『クソ王太子と尻軽女により王都中に広められた、エミリアンヌの二つ名です』
それ、どう考えても悪口じゃねぇか。
こんな生まれたてのホーンラビットより弱そうな女の子に、酷いことをするものだ。
そういうのに巻き込まれるのを防ぐため、爺ちゃんと母ちゃんは俺が生まれる前に田舎に引っ越してきたのだと言ってたっけ。
その判断は正しかったんだろうな。
「ちなみに、俺がどっちかの斧を選んだら、エミリアンヌはどうなるんだ?」
『突き落とされた池の底に再転移されます』
それはつまり、王城の池に戻るってことだよな。
こんなドレスを着て泳げるわけがない。
つまりは、溺死確定ってことじゃないか!
そう思って見るからか、可愛い顔立ちがどこか幸薄そうに見える。
この女の子が池の底に沈む亡骸となったところを想像するだけで、胸が痛くなってしまう。
「ああもう! わかった! わかったよ!」
俺はガシガシと頭をかきむしって、腹を括った。
「俺が落としたのは、そこのエミリアンヌだ!」
爺さんの形見の斧を失うのは惜しいが、だからといって目の前の女の子を見殺しになどできるわけがない。
そんなことをすれば、いつか彼岸に渡った後、待ち構えていた爺さんに地獄に叩き落とされてしまうだろう。
『よろしい。
では、エミリアンヌをあなたに授けましょう』
そよ風に流されるシャボン玉のように俺のほうにふわふわと流れてきた細い体を、恐る恐る受け止めた。
抱えると浮遊魔法が解かれて体重が俺の腕にかかってきたが、それでもまるで羽のように軽い。
可哀想に。
苦労したんだろうな……
我ながらチョロいと思いつつも、俺はもう完全に腕の中の女の子に情が移っていた。
『ちなみに、エミリアンヌの腹にはクソ王太子の子がいます』
「はぁぁぁ~⁉
なんだよそれ!
後だし情報すぎねぇか⁉」
俺はぎょっとして叫んだ。
クソ王太子は、そのことを知っていたのだろうか?
知った上で元婚約者を殺そうとしたのなら、ド畜生だな。
『エミリアンヌを返却しますか?』
俺は腕の中の女の子を見下ろした。
返却したら、この女の子だけでなく腹の子まで死ぬってわけか。
父親がド畜生だとしても、子に罪はない。
これだけ可愛い母親から生まれてくるのだから、きっと可愛い子に違いない。
それなのに、返却?
……うん、無理。どう考えても無理だ。
「そんなことできるわけねぇだろ!
エミリアンヌは俺がもらったんだ!
腹の子もまとめて、全部俺のもんだ!」
半透明だからわかりにくいが、泉の精はしたり顔でニヤリと笑ったように見えた。
『では、お幸せに』
そう言い残し、その姿は空気に溶けるように消え去った。
もうすぐ黄昏時の、森の中の泉の畔に俺と俺の腕に抱えられたエミリアンヌだけが取り残された。
さてどうしたものかと、白く小さな顔を覗きこんだところで、濃く長い睫毛が震えた。
「ん……」
小さく身じろぎする様も子猫のようだと思って見ていると、その瞼がゆっくりと持ち上がった。
きれいな空色の瞳が俺を見て、それから大きく見開かれた。
「……きゃぁ!」
「おっと、危ない」
当然ながら、彼女は悲鳴をあげて俺の腕から逃れようとしたが、そうなることを予想していた俺は落とさないように細い体をしっかりと抱えた。
「は、はなして!」
バタバタともがいているのに、非力すぎてちっとも抵抗になっていない。
「わかったよ、放してやるから暴れるな」
そっと地面に両足をつかせてやったが、どうやら足腰が立たないらしくて結局は俺にすがりついてきた。
「あんた、王城の池に突き落とされたんだろ? 可哀想に、怖かったろうな」
それだけ怖い思いをしたんだから、腰が抜けるのも無理のない話だ。
「え……?」
「よくわかんねぇけど、泉の精ってやつがそう言ってたぞ」
俺は斧を奪われてからのことを簡単に説明した。
「そ、それでは……あなたは、大事な斧を」
「いいんだ、気にすんな。
あれくらいの斧は、世の中にいいくらでもあるからな。
人命には代えらんねぇよ」
「でも……私は……私なんかが……」
悲し気に顔を伏せる。
私なんか、か。
その一言で、彼女の自尊心がバキバキにへし折られてしまっているということがよくわかった。
「俺は斧と引き換えに、あんたをもらった。
だから、あんたはもう俺のもんだ。
というわけで、あんたには俺の役に立ってもらわにゃ割に合わねぇ。
わかるか?」
「は、はい……」
怯えた顔をする彼女。
そうだよな、こんな髭面の山賊みたいな男と山奥で二人きりで、怖くないはずないよな。
「これから、あんたを俺の家に連れてく」
「はい……」
青ざめて小さく震えているが、彼女が想像しているようなことをするつもりなど毛頭ない。
「そんでめいっぱい飯を食って、肉をつけてもらう」
「え……肉、ですか?」
「そうだよ。
こんな細い腕じゃ、水汲みすらできなそうじゃねぇか」
頭の悪い俺には女の子の励まし方なんかわからないが、腹が減っていたら元気が出ないってことはわかる。
まずは飯を食わせてやらなくえは。
後のことは、それから考えればいい。
「さ、暗くなる前に帰るぞ」
俺は彼女の体をひょいと抱え上げて、さっさと歩き出した。
「あ、あの……」
「心配んすな。
俺の母ちゃんはガサツだけど、飯はうめぇから」
「お母様がいらっしゃるのですか?」
「そうだよ。
爺ちゃんが死んじまってからは、二人で住んでるんだ。
母ちゃんは面倒見がいいから、あんたのこともちゃんとしてくれるよ。
腹の子のこともな」
「……!」
彼女はまた青ざめて、手を下腹部にあてた。
「この子は……」
「あんたの子だ。そうだろ」
「はい……」
「子は宝ってもんだ。ここみたいな田舎では特にな。
大事に育ててやらなきゃなぁ」
「……で、でも」
「でももだってもねぇよ。
あんたのことは、腹の子も込みで俺がもらったんだからな」
俺はできるだけエミリアンヌを揺らさないように気をつけながら、速足で家路を急いだ。
母ちゃんは俺が突然きれいな女の子を連れ帰ったことに目を丸くして驚いたが、事情を説明すると予想通り即座に受け入れてくれた。
「王族とかお貴族様ってのは相変わらずだねぇ。
このへんにはそんな横暴なのはいないから安心しな!」
「相変わらずって……?」
「あたしも昔は王都にいたんだ。
その時、お忍びで城下町に来てた王様といい仲になっちまってね。
それでできたのが、そこにいるデカい息子だよ」
「え⁉」
きれいな空色の瞳が零れ落ちるのではないかと心配になるくらい見開かれて、俺を見た。
まあ、驚くのも無理はないよな。
「そういうこった。
俺は、あんたに酷いことをしたクソ王太子のお兄ちゃんだ」
あの泉の精が彼女を俺のところに連れてきたのは、そのあたりが関係しているのだと思う。
母ちゃんによると俺の顔は父親にそっくりなのだそうで、俺がもじゃもじゃ髭を生やしているのはそれを隠すためなのだ。
「俺はここで生まれ育った。
王都になんて行ったこともないし、父親は俺の存在すら知らねぇ。
血は繋がってるが、それだけだ。
俺も母ちゃんも、王都のやつらみたいにあんたを虐げるようなことはしねぇよ。
そうだよなぁ、母ちゃん」
「当り前さね。
こんな可愛い女の子を虐めるなんて、できるもんかい!」
ぷりぷり怒る母ちゃん。
そんな俺たちを、エミリアンヌは不安げに見ている。
「俺はこれでも、この近辺じゃ名の知れた冒険者なんだ。
あんたと腹の子を養うくらい、なんてことない。
贅沢はさせられねぇが、ひもじい思いもさせねぇって約束するよ。
というわけで、ひとまず俺たちを信じてくれねぇか?」
「そうだよ。悪いようにはしないよ!」
エミリアンヌは俺と母ちゃんを交互に見つめて、それから覚悟を決めるように頷いた。
「……はい、信じます」
よかった、と俺と母ちゃんは拳をぶつけあってガッツポーズをとった。
「よし! じゃあ、母ちゃん、あとは頼んだぞ。
俺はホーンラビットを外で捌いてくるから」
「はいよ、任せときな!」
こうして、エミリアンヌは俺たちの家族になった。
ちなみに、爺ちゃんの形見の斧は、翌朝家の前にぽんと置かれていた。
生まれて初めての田舎暮らしは都会のお嬢様には慣れないことだらけだったようで、最初は苦労していたが、彼女は一度も弱音を吐くことはなかった。
妖精のような儚げな見た目をしているのに、その忍耐強さには驚かされた。
母ちゃんが言うには、甘ったれた俺よりよほど根性があるのだそうだ。
悪阻の時期は食が細くなり心配したが、それを過ぎるともりもりと食べるようになって俺も母ちゃんもほっとしたものだ。
そして、彼女が俺たちの家に来てから約十か月後、無事に元気な女の子が生まれた。
前が見えないくらいに泣いている俺と母ちゃんに、彼女は呆れながらも嬉しそうな顔をしていた。
月日は流れ、それからさらに十八年後。
「……本当に、行っちまうのか……?」
「もう、お父ちゃんったら。
昨日は賛成してくれてたじゃない!」
「でも、でも……やっぱり、ラシェルが心配で……」
旅装姿の娘を前に、俺は情けなくうじうじとしていた。
俺たちは生まれた娘にラシェルと名づけ、大切に育てた。
小さかったラシェルも年頃になり、輝く金髪と澄んだ空色の瞳をした美しい娘へと成長した。
「おまえは母ちゃんに似て美人だから、変な虫がついちまったら大変だし……」
「大丈夫よ。
腕っぷしで私に勝てる男がいると思う?」
ラシェルは、とんでもない量の魔力と天賦の才を持って生まれてきた。
背丈は母親と同じくらいだし、どちらかといえば華奢な体形をしているのだが、身体強化の魔法を駆使して剣でも槍でも斧でも弓矢でもなんでも器用に使いこなす。
攻撃魔法や回復魔法もお手の物で、向かうところ敵なしだということは、手合わせして何度も吹っ飛ばされた俺がよくわかっている。
「……思わねぇけど、そんな問題じゃねぇっていうか……」
「お父ちゃん、心配しなくてもお姉なら大丈夫よ。
この前も、素手でツインヘッドベアを五体も殴り殺してたじゃないの」
そう口をはさんだのは、現在十三歳の次女のイレーヌだ。
イレーヌは俺とエミリアンヌの間にできた娘で、容姿は母親と姉によく似ているが、姉ほどずば抜けたものがあるわけではない。
とはいえそれで卑屈になるようなこともなく、「お姉が異常なだけ。私は普通よりちょっと上くらいでちょうどいいの」と言って泰然と構えているあたり、俺よりよほど頭がいい。
そういうところも、母親に似てよかったと俺は思っている。
そんな二人の娘たちは、俺にとって目に入れても痛くないくらい可愛い存在なのだ。
「ラシェル、お弁当よ」
そこにもう一人の可愛い存在が現れた。
娘が二人もいる母になった今も食べちゃいたいくらい可愛い俺の妻、エミリアンヌだ。
「ありがとう、お母ちゃん!」
「気をつけて行ってらっしゃいね」
「はぁい!」
「これも持っていきな。
あんたの好きな干し肉だよ」
「わぁ! おばあちゃんも、ありがとう!
私、頑張ってくるね!」
俺の母ちゃんも、相変わらず元気だ。
一家の大黒柱は俺だが、屋台骨は母ちゃんだと思う。
祖母になった母ちゃんも、嫁と孫娘二人をとても可愛がっている。
「じゃあ、行ってきま~す!」
ラシェルは元気に手を振って、旅立っていった。
向かう先は、なんと王城だ。
王城に勇者だけが抜くことができるという聖剣が突き刺さった岩があるというのは、この国では誰もが知っているくらい有名な話だ。
魔王が復活する兆しがあるということで、勇者探しが始まったというお触れがきたのは先月のことだった。
それを知るとすぐにラシェルは「私になら、聖剣を抜けると思うんだよね~」といいだし、俺の反対を押し切って王城に行くことにしたのだ。
「ううう、ラシェルぅ……俺のラシェルが……ぐすっ」
遠ざかる背中を見送りながら泣く俺の頭を、母ちゃんがスパンと叩いた。
「なんだい、情けないね。
いい年したデカい男が泣くんじゃないよ、鬱陶しい」
「だって、母ちゃん……あんなに小さかったラシェルが……」
「お祖母ちゃん、なに言っても無駄だって。
こうなったお父ちゃんは、お母ちゃんにヨシヨシされないと復活しないんだからさ」
「それもそうさね。
子離れできない父ちゃんはほっといて、私たちは木苺でも採りに行こうかね」
「うん! 今年もたくさんジャムを作らないとね!」
母ちゃんとイレーヌは、籠を下げて賑やかに森のほうへと歩いていった。
「ううっ……ラシェル……」
「もう、そんなに泣くことないじゃないの」
ぽろぽろと涙がつたう俺の頬をエミリアンヌが手ぬぐいで拭いてくれるが、まだまだ涙は止まらない。
「しかたがないひとねぇ。
ほら、いらっしゃいな」
「えみりぃぃぃぃぃ~~」
俺は妻をぎゅっと抱きしめた。
出会ったころは母ちゃんの半分くらいの厚さしかなくて、触ったら折れてしまうのではないかと怖くなるくらい細かったエミリアンヌだが、今は当時の三割増しくらいになった。
個人的にはもう少し肉がついてもいいかなと思っているが、怒られるので口に出したことはない。
「エミリーは、俺を置いていかないでくれよぉぉぉ~」
「大切な旦那様をおいてどこに行くっていうのよ。
私はあなたのものなのでしょう?」
「そぉだけどぉぉぉぉ~~~」
抱きしめられながら、妻は俺の背中をポンポンと叩く。
こうすると、俺が落ち着くことを知っているのだ。
「ラシェルなら大丈夫よ。
だって、私たちの娘なんですからね」
「わかってるけどぉぉぉぉ~~~」
「きっとすぐに戻ってくるわ。
あの子のことだから、本当に聖剣を抜いてしまうんじゃないかしら」
「らしぇる~~~お父ちゃんは寂しいよ~~~」
「はいはい、わかったから。
久しぶりに、二人でゆっくりお茶でも飲みましょう。ね?」
「…………うん」
ラシェルは旅立ったし、母ちゃんとイレーヌは森に行った。
ということはつまり、今は俺がエミリアンヌを独占できるということだ。
悪くない。
夫婦だけでのお茶というのも久しぶりだ。
「お湯を沸かしてくれる?」
「ああ、わかった」
俺の魔法なら一瞬だからな。
「胡桃のクッキーと干しアンズがあったわね。
お茶請けはどっちがいい?」
「両方」
ひょいと妻を抱え上げると、俺はいそいそと台所へと向かった。
それから俺は妻を膝にのせて、妻の手からクッキーと干しアンズを口に入れてもらい、小さかったころのラシェルの思い出を肴にお茶の時間を楽しんだ。
思う存分妻に甘やかされ、それでやっと気持ちを切り替えることができたのだった。
結論から言うと、ラシェルはやっぱり勇者だった。
あっさり聖剣を抜いたかと思うと、すぐさま単独で魔王城に乗り込んで魔王を封印してしまったそうだ。
そういった報せが俺たちが住む田舎の村にまで届くか届かないかのうちに、ラシェルは悠然と堂々と帰還した。
なんでそんなに早かったのかというと、魔王のペットだったというドラゴンを調伏して、それに乗って空を飛んで帰ってきたからだ。
「らしぇるぅぅぅ~~‼」
再びボロボロ泣きながら駆け寄って愛しい娘を抱きしめようとした俺は、娘の後ろになんだかやつれた顔の青年が乗っているのを見つけてビシっと動きを止めた。
二人が交わす視線が、なんだか必要以上に親し気に見えるのは気のせいではないことは俺にもわかる。
「そ、その男は……?」
「ケバい王太女の元婚約者なんだって!
散々こき使われた挙句にポイ捨てされてたから、拾ってきちゃった♪」
王太女というのは、俺の腹違いの弟の娘だ。
つまり俺の姪で、ラシェルからしたら腹違いの妹になる。
この国の王太子とか王太女ってのは、婚約者をポイ捨てしなきゃならないっていう決まりでもあるのか?
「だ、ダメだダメだ!
ドラゴンはいいけど、人間の男はダメ!
元のところに返してきなさい!」
「ヤダ! 私のお婿さんにするんだから!」
「むこぉ⁉」
「そう決めたの!
お父ちゃんが反対しても無駄だからね!」
ぎょっと目を剥く俺に、ラシェルはぷくっと頬を膨らませた。
「そ、そんな、婿だなんて……俺のラシェルが……」
生まれたての赤ちゃんだったころから今までの、様々なラシェルが脳内を駆け巡る。
俺の可愛い可愛いラシェルが、婿だなんて……!
そこに、他の家族が駆けつけてきた。
「なにやってんだい、頭ごなしに否定しちゃいけないよ。
ラシェルが選んだんなら、きっといい子なんだろうよ」
「でも、母ちゃん!
ラシェルはまだ十八なんだぞ!」
「私がラシェルを生んだのも十八歳の時だったわよ。
あなたも似たような感じで私を拾ってきたんじゃないの。
とりあえず、家に住まわせてあげましょうよ」
「エミリーまで⁉
ラシェルが心配じゃないのかよ!」
「お姉、私のお婿さんは?」
「イレーヌ! おまえまでなに言ってんだ!
二十までは絶対に嫁になんて出さねぇからな!」
一人でわちゃわちゃとする俺をよそに、女性陣はあっさりとやつれた顔をした青年を受け入れてしまった。
「とりあえず、家に入んな。
王都は遠いからね、ドラゴンに乗って移動するのも疲れただろう」
「お祖母ちゃん、夕食はバイコーンのヒレステーキにしない?
お姉の凱旋祝いってことで、ご馳走にしようよ!」
「やったぁ! 木苺ソースもある?」
青年は戸惑いつつもほっとしたような顔で、母ちゃんと娘二人に連行されていった。
こうなってはどれだけ抵抗しても無駄だということを、俺は経験的によくわかっている。
何も言えずにそれを見送っていた俺の手を、エミリアンヌがそっと握った。
「エミリー……」
「さっきお義母様も言っていたでしょ。
ラシェルが選んだんだから、きっといいお婿さんになってくれると思うわよ」
「そう、なんだろうなぁ……」
俺も、それはなんとなくわかっている。
だってラシェルは、勘も嗅覚も野生動物並みに鋭いのだ。
あの子の直感が外れたことは、俺の知る限り一度もない。
だからといって、見ず知らずの男を婿だって連れてこられて、はいそうですかってなるわけがないではないか!
「勇者だろうがなんだろうが、ラシェルは俺の可愛い娘なんだよぉ」
「ふふふ、そうね。
ラシェルはこれからもずっと私たちの可愛い娘だわ」
エミリアンヌは俺の腕に抱き着くように身を寄せた。
「どうした?」
「なんでもないの。
あなたに拾われてよかった、って思ってただけ」
「俺も、あんたを拾ってよかったと思ってるよ。
ラシェルもイレーヌも、あんたがくれた宝物だ」
肩を抱き寄せ、白い額にキスをした。
エミリアンヌも二人の娘たちと同じくらい大切な俺の宝物なのだ。
「お父ちゃん! お母ちゃん!」
入っていったばかりの家から、ラシェルが飛び出してきた。
何事かと思えば、タタタタッと駆け寄ってきてぴょんと飛びついてくる。
「ただいま! 私、頑張ったんだよ!」
そうだ。
なにはともあれ、ラシェルはとても頑張って、勇者として立派に魔王を封じて帰ってきたのだ。
こういう時は、しっかり褒めてあげるのが親の役目というものではないか。
「おかえり、ラシェル。よくやったな。おまえは俺たちの自慢の娘だ」
「おかえりなさい。偉かったわね。あなたなら大丈夫だって信じてたけど、帰ってきてくれて安心したわ」
ラシェルは両親に頭を撫でられ、嬉しそうに笑った。
こういうところは、まだ子供だと思うんだよな。
やっぱり、婿なんて早すぎるのでは……
「お土産をたくさん持ってきたよ!
お父ちゃんとお母ちゃんも、きっと気に入ってくれると思う!」
「まぁ、それは楽しみね。どんなのがあるのかしら。
さ、あなた。行きましょう」
俺は妻と娘に左右から手を引かれ、賑やかな声が響く家へと入っていったのだった。
主人公とラシェルが親子二代でシークレットベビーという設定でした。




