怪事警察(読み切り版)
お化けに国境も法律もない──そんなことを曰ったのは、どこのどいつだったか。
「えーっと、センパイ。調書分類どれでしたっけ? 『都市伝説』、『妖怪・怪異』、『神話生物』……」
「アホ。〝メリーさんには戸籍も国籍もない〟とか言ったクチが何を言うんだ!」
こいつだ。
薗田茉莉花。おれの後輩。事務仕事が壊滅的。にもかかわらず、警視庁に勤める根っからのエリートでもある。
「浅岡センパイ。わたしが言っているのは調書の分類の話であって、妖ものの種別の話ではありませんよ」
「知ってるよ。だが、おまえさっきおれに『都市伝説』と『妖怪・怪異』がどう違うのかをちゃんと説明しただろうがよ!」
いわく、土着性や土地柄にその性質を左右されるローカルなモノが『妖怪・怪異』で、そうじゃないグローバルなモノが『都市伝説』って言うんだろ!
おれだって底辺大学出身だがそんなことぐらいの記憶力ぐらいはあるってんだ。
「だからてめえが説明した通りの種別を取りゃ済む話だろうがよ!」
「んー? つまりどれを取れば?」
「あのなあ」
「仕方ないじゃないですか。国家公務員試験にこんな問題なかったんですから」
まったく、おれには過ぎた相棒だよ。
なんでこいつは勉強ができるのに実務がこんなにすっからかんなんだ?
おれはこれみよがしにため息をついて、『都市伝説』の方を取った。突き出して、先ほど聴取した内容を復唱した。
概要──大手ネットショップのコールセンターに奇妙な非通知電話が大量に架電。
内容──「わたしメリーさん」に始まる名乗りと女性的な音声が共通し、以降は現在地の報告と思しき内容が連続する。
被害──営業時間内外問わず架電するため通常営業に支障をきたすほか、センター職員にも噂になり自主退職が後を絶たず。
要するに、迷惑電話の類なのだが。
最初は番号の受信拒否設定や無視などで済ませていたものが、徐々にエスカレート。毎回拒否設定を通過するほか、しかるべき手続きで開示請求がなされた通信記録のナンバーも、顧客名簿にある無関係の人物のもので、確認しても知らぬ存ぜぬの繰り返し。はてには顧客トラブルに発展した。そのためサイバー攻撃の懸念で通報されたのだ。
ところがこの手のよくある迷惑電話の、悪質犯罪かと思われた捜査は、当初のスケールを超えて複雑化する。
まず、そもそもこの手の事件に一々首を突っ込むほど警視庁も暇じゃない。だから最初は所轄の担当かと思われていた。
だが警察権限で電話回線を引いている企業に、〝メリーさん〟を名乗る非通知の通信記録を見ると、なんと実在しない。そこで逆探知を仕掛けてみたものの、それを嘲るように大量架電が発生。現場の人間が気を利かせて〝メリーさん〟との二〇秒以上の会話に延ばすことに成功したものの──
『わたし、メリーさん、いまそこにいるよ』
逆探知結果は、ビンゴ。
まさにコールセンター、その場所だった。
誰が? なぜ? どのように?
そんな5W1Hが錯綜したまま、コールセンター所内を捜査員が駆けずり回ったが、人っこひとり見つからない。次第にこいつは人間の手では負えそうにない奴らだとわかった。
そこで、おれたちの出番だ。
警視庁公安部。
特殊不特定対象事件捜査課。
略称はS.U.C.I.D──またの名を、怪事警察。どちらにせよ有り難くないお名前で、言うのも恥ずかしい。
この国では、訳あって一部の政治・経済・社会活動に支障をきたすレベルの怪異を事件と認定し、対処に相応の人材を集めた。
怪異に法律は適用できない。例えば今回のケースで、偽計業務妨害罪と威力業務妨害罪のどちらを適用すべきかなんて議論は全くもって意味をなさない。
要するに、人里にクマが降りてきたのと同じなのだ。
人口の少ない、影響の少ない場所なら民間で対処を強いることもある。
だが本件はまあそこそこ政治献金もしてる大企業サマで、ここの流通が止まると日単位で云千万円単位の損害が発生するのだとか。
そりゃ、お巡りさんの出番なわけだ。
「で、どーすんだ? 薗田警部補?」
おれは、口述筆記が完了した調書を受け取って、その後の案を促した。
ここまで言っておいてなんだが、おれにはその手の勘が全くもって、ない。
課長の渡会さんによれば、「あなたのその、フツーなのがいいんですよ。だからあなたは必要なんです」と褒められたのか貶されたのかよくわからない理由で抜擢された。
この女は違う。のだが。
「さあ? 今日のミッションは片付いたから別にどうだってよいのでは?」
「捜査はしないのか」
「すでに人の手が尽くされたあとです。いまさらわたしたちが出しゃばっても、何も出てきませんよ」
「言い方……」
第一〝メリーさん〟なる音声が示した現在地は、ここ武蔵野市のコールセンターの営業所なのである。
ご自慢の勘の強さで察知できないかと訊ねてみたものの、彼女は首を振った。
「おそらく通話しているときだけ具現化するタイプの怪異です」
「なんだ、その、オンラインになった時だけ動作するコンピュータ・ウイルスみたいなのは?」
「……いいですね、その例えがとてもしっくりきます」
薗田警部補は、不気味なほど長い黒髪を翻して、両手を上下に指し示した。
「いいですか。簡単にいえば、この場所は〝あの世〟と繋がる回線にタッチしてしまったわけです。おそらく日々の業務で顧客のクレームを受け続け、負の力場を形成してしまったのでしょう。ヒトの思念が作った怨霊のWi-Fi通信──そう、言い表せます」
「ほうほう」
「ここで問題がふたつ。ひとつはそのWi-Fi環境は、コール音が鳴るまでは接続されていない。だから向こうの出待ちをしなければならない。そしてもうひとつは、この手の負の力場なんてどこにもあることです」
前者はわかる。だが後者がわからん。
「莫迦にわかるように──」
「言い方」
「──要するに作為的なんです」
「ほお?」
「正直〝メリーさん〟なんてどこにでもある話で、意味がありません。しかしそれを悪用している何者かがいるはずです。おそらく、この職場に恨みを持ち、明確な動機を有する人物──」
「じゃあそいつ捕まえれば事件は解決か?」
「いいえ。この手の怪異は、一度動き出したら止まりません」
だから〝お祓い〟が必要なんです、と薗田茉莉花は結論づけた。
「不正なネットワーク回線を遮断する工事、のようなものと思ってください。しかしこれは良くも悪くも対症療法でしかない」
言いつつも、少し考え込んでいる。
おれは、しかしそれよりも気になったことを確認する。
「しかしこういうのって立件できるのかね?」
おそらく威力業務妨害の容疑だろうが──
「それはわれわれの仕事じゃないですよ。刑事部の捜査一課だか二課だかがやればいいことです。しかしそうですね……物証くらいは押さえないと話になりませんか」
仕方ありませんねぇ、と薗田警部補は嫌そうにぱきぱきと拳を鳴らした。
「〝お祓い〟のついでにやりましょう。浅岡センパイ、概略を説明するので共同作戦をお願いします」
「おいおいなんでおれが──」
「わたしは自分のことで忙しい、ので、現実のことにはかまってられないんです」
まったく、おれには過ぎた相棒だよ。
※
あたりはすでに暗くなっていた。秋の日は釣瓶落としはよく言ったもので、日が傾いたと思った途端にみるみるうちに夕焼けが差し込み、濃い青のカーテンでも引いたみたいな明るい夜空になっていた。
夜。
それは──怪異の時間だ。
「もー、いー、かい?」
我ながらガキくさい確認の仕方だが、これが薗田警部補の指示なのだ。おれは恐る恐る背後で控えている彼女を見る。
彼女はすでに紅白の衣装に身を包んで、業者が〝お祓い〟の設備を整える一部始終に指示出しをしていた。その慣れた口調、手つきはおれより六つも下だってことを忘れるくらいには手際がいい。
だしぬけに、薗田茉莉花はおれに言った。
「恥ずかしがらずに、返事があるまで繰り返してください」
「うっせーな、わかってるよ」
「ならその無駄口やめて、とっとと業務に専念してください」
このやろう。
「……言い方」と、言いかけた時。
「──ご存知の通り、わたしにはヒトの気持ちの機微はわかりかねます。その点、〝普通〟の感覚をお持ちの貴方のほうが適任かと思いますがいかがでしょうか」
なんだなんだ、藪から棒に。
「そもそも自身を不当に扱う職場環境など、自分から辞めてしまったほうが得です。先方から言ってきたなら尚更でしょう。にもかかわらず、職場環境の劣悪さを嘆き、世の中を恨み、縁のない他人すらも呪う──この非合理について、わたし個人としては理解はしても共感は全くできかねます」
「…………」
「しかし呪術において、重要なのはこの〝共感〟なんです。相手の感じているものを同様に感じ取る。その能力は、同じ人間相手に仕事をしてきた貴方だけの力ですよ」
彼女が指摘しているのは、刑事部捜査一課を務めてきたおれの過去だった。
おれのツテで得た情報によれば、この件の被疑者と思しき人物は思ったよりあっけなく面が割れた。お世辞にも良くない学歴と転職歴で、非正規雇用で入ったこのコールセンターも、実績が上がらずセンター長やほかの職員にいじめられ、疎外されてきたのだとか。
ことが済んだら、令状持った警官がそいつをお迎えすることになるはずだ。
でも、ほんとにそれで万事が解決、めでたしめでたしかは、もうわからない。
「いまから千年前、日本の法律は人を呪うことを立派な犯罪と見做しました。時によれば明確な殺人罪として極刑を下した判例だって存在します。もちろんいまのような人権思想に基づいたものでもなければ、理路整然とした刑事裁判で裁かれたわけでもないですが──それでも、現実の有り様を見ていると、きちんと法整備を固めておくべきだとは思うのですがね」
「だが、それじゃ、そいつの想いはどうすりゃあいいんだ?」
「呪いという手段以外で、昇華する。それが世間一般の処世術では?」
「でも、しかしだ──」
「少なくともわたしたちは呪うことを肯定してはならないんです。浅岡さん、それだけはくれぐれもお忘れなきよう」
「…………」
そうこうしているうちに、彼女は〝お祓い〟の支度に向かった。
おれはしぶしぶ、見えない存在とのかくれんぼを続けた。これも一種の呪術的行為らしい。呼びかけて、応えがあるまで、続けた。
変化があったのは、給湯室のあたりだ。
『……るよ』
最初は空耳かと思った。
だが。
『──るよ、ここにいるよ』
おれはすぐにスマホで連絡した。
「そうですか」と彼女は言った。「ではすぐに〝お祓い〟に入ります。センパイは呪いの根っこを捕まえてください」
「根っこって──」
「見てればわかりますよ」
すかさず電話口から、意味不明な言葉が聞こえてきた。
「高天原尓神留坐須。神魯岐神魯美乃命以氐。皇御祖神伊邪那岐ノ命。筑紫乃日向能橘乃小戸乃阿波岐原尓。御禊祓比給布時尓。生坐留祓戸乃大神等。諸/\乃枉事罪穢乎。拂比賜幣清米賜閉登申須事能由乎。天津神圀津神。八百萬乃神等共尓。天之斑馬能耳振立氐聞食世登。恐美恐美白須」
とたんに電話から、割り込むようにたくさんの女性の声がなだれ込んできた。
『わたし、メリーさん『わたし、メリーさん『わたし、メリーさん『わたし、メリーさん、『わたし、メリーさん『わたし、メリーさん『わたし、メリーさん『いま──』』』』』』』』
「知ってるよ。そこにいるんだろ」
目の前に現れた、女性の霊に、おれは話しかけた。
一課から連携された通りの容貌だった。
「ずっと誰かに見つけてもらいたかったんだな──」
その生き霊は、こくりと頷いた。
「だが、もうかくれんぼは終わりだ。出口はこっちだから、な?」
彼女は。
ゆっくりと、立ち上がり、それから。
自分の足で立ち去った──
とたんに身体が軽くなった。それまで別に重さを感じていたわけでもないのに。
放置していたスマホから、薗田警部補の声が聞こえた。応じる。二、三、業務的なやり取りをして、それから。
「物証は?」
「ああ、ええと──」見つけたのは、指紋がベッタリついた、オモチャの人形だった。
「これは一説でしかないのですが──」と彼女は言った。「メリーさん、というのは捨てられた〝人形〟のことらしいですね」
「ほう」
「だから、モノ扱いされたことに怒っていた、という解釈も可能なのだと、ふと思いましたがね。いかがでしょう」
まったく。
おれには過ぎた相棒だよ。