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セブの劫火  作者: 薬袋丞
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 旅立ちに際し、特別な準備は必要なかった。すでに私は何も持たずに生きてきたし、必要なものは道中で手に入れれば良かったからだ。港を離れるとき、背後で響いた船員たちの喧噪も、波の音も、まるで遠い世界のもののように感じられた。私はこの世界の一部になったと、以前は確かにそう思っていたが、今でははっきりと違うと言える。この旅の目的は「私が何者なのか」を知ること。そして「何を成すべきなのか」を理解すること。

 その想いを胸に、私は時間を忘れて各地を巡りながら神話や伝承を辿った。宿屋の老人や街の語り部から話を聞き、古びた寺院に残る文献を漁り、疲れたら泥のように眠って、また起きては繰り返す。いつしか集まった情報は本を書けるほどの量になり、するとそこには幾度となく繰り返される、ある共通した概念があることに気が付いた。

『炎とは破壊であり、そして再生の象徴である』

 炎がすべてを焼き尽くすのは事実だ。しかし、同時に新たな芽吹きを生むための礎ともなる。ある地域では、かつて世界を燃やし滅ぼした存在がいたとされ、その者は神の裁きと呼ばれたそうだ。一方で、別の土地では大いなる焔によって文明が蘇るとの記述も見つかった。まさに二面性、炎が持つ二重の意味。しかしこれは、私の力そのものではないだろうか。

 さらに旅を進めるうちに、もう一つの共通点が見えてきた。どの神話や伝承にも、ある特異な存在が語られている。それは世界を導く者であり、同時に破滅へと導く者。何度も生を繰り返してはこの世界に現れ、時代を動かしてきた者。

そう――『転生者』だ。

 それは神の遣いとして描かれることもあれば、災厄として扱われることもあったようだ。ある王国では『三千年前、神より与えられし者がこの地に革新をもたらした』と記されている。しかし、その者たちは最後には必ず破滅する運命にあった。歴史の中に消えた、幾人もの転生者たち。今はただの活字となって、書物の中に息づく存在。もし、これがただの御伽噺でなく事実ならば……。

 私だけが特別なのではなく、私だけが選ばれたのでもない。この世界は、過去に何度も破壊と再生を繰り返してきたのではないか。そう思うと、いつかのように全身が熱を帯びるような感覚に襲われる。ならば、この世界の運命は。私が、今ここにいる意味とは。

 破壊と再生、これは私の存在意義に関わる重要な要素であるように思えた。この世界のどこかに、私が探し求める真実があるはず。転生者とは何なのか。なぜ世界は何度も焼かれ、そして蘇るのか。その答えを知る者はどこかにいるのか、それともすでに歴史の闇に埋もれてしまったのか。旅を続けるうちに、私はこの世界の神話や宗教観というものに徐々に呑まれ、傾倒していった。


 どれほどの年月が過ぎたのか、ただ只管に世界を彷徨い続け、もはや時を数えることすら無意味にすら思えていたが、有意義なこともあった。とある時に朧気な意識の中で歩き続けていたら、崖から足を踏み外し生死の境をさ迷うことになってしまい、そこでふと思いついてから、自身の力を生命エネルギーへと変換する術を編み出した。何故、もっと早くに試さなかったのか今でも不思議に思うくらい便利な使い方だ。

 それからすぐに、食事に頼ることなく身体にエネルギーを供給し、動き続けることが可能となった。さらには疲れることもなく、傷ついても瞬時に癒すことの出来る力を自在に操ることが出来るようになり、この瞬間に私は自らの意思で、人間であることを辞めたのだった。それからは世界を巡る速度が飛躍的に向上した。なにせ食事をとる必要も、休む必要もないのだから。

 とはいっても、世界に炎を語る神話は数多にあったが、私が求めるものはそれらの表層ではなかった。寺院の壁画、朽ちた経典、語り部が残した古い物語。それらの奥底に潜む、誰もが見落としているか、あるいは見ようとしない本質を探していた。そうしていくつかの記録を照らし合わせるうちに、また一つの確信が形を成し始める。

 やはり、この世界は繰り返されているのだ。

 幾度も燃え、その度に新たな『焔を継ぐ者』が現れ、時代を変革し、あるいは再生させ、幾度も蘇った。そしてその度に焔を継ぐ者は例外なく消えていった。そう結論付けるに十分な情報が集まった時、ふと頭に一つの疑問が浮かび上がってきた。

 これは定められた運命なのか?

 炎は破壊の象徴であり、再生の原点でもある。それは正しくこの世界の理であり、私が持つ力もまた、その枠組みの中にあるのだろう。ならば、私がこの世界に再び生まれ落ちたのは必然ということか? 私は、すでに何度目かの『焔を継ぐ者』であり、世界を滅ぼし、または救うために今ここに立っているとでも? 

 世界は何度でも燃え尽き、蘇る。それが世界のあるべき姿。果たして、本当にそうだろうか。

 この連鎖に、一体なんの意味があるというのだろう。そうやって気が遠くなるほどの時を経て、それでもなお繰り返される歴史の果てに、何が残るというのか。それを知るためにはさらに奥深く踏み込まねばならなかった。歴史書や神話を収めた書物からだけでは、真理に到達するには何かが足りない。

 それに、書物からは有益な情報ばかりに出会えるわけでもなかった。ある夜、私はとある寺院の書庫で黄ばんだ古文書を見つけたが、文字はかすれ、意味を成さない部分も多く解読に時間をかける価値があるとも思えない代物だった。そういった誰の手によるものかも定かでない、ただの風化した羊皮紙の束のようなものは、価値のある書物より遥かに多く存在した。


 私は思い返すのを止めて本を閉じ、深く息を吐いた。これまで集めた情報はどれとも完全には噛み合わない。ただ、歴史が繰り返されるのは確かだ。そして、もう一つ決定的なものがあった。誰かがこの輪廻を断ち切ろうとした、という記録が一切見つかっていないことだ。根本的な解決を求めた転生者は、今までに存在してこなかったのだろうか。それとも、試みはしたものの、成されずに消えていったのか。

 何度滅びようとも人は、世界は蘇り、同じことを繰り返している。真の平和とはなんなのだろう。私が目指したものは、叶わぬ願いであり、永遠に到達することの出来ない幻なのかもしれない。

 私は長い旅路の中で街の片隅で生きる者たちの笑顔を見た。泥水を啜るような暮らしの中で、ささやかな喜びを分け合いながら生きる者たちがいた。あるいは、戦争の中で何かを守ろうとする兵士の姿を見た。彼らが守ろうとするものが本当に価値のあるものなのか、そんなことは関係ない。ただ、彼らはそれを信じて剣を振るっていた。

 その一方で、私は金に目の眩んだ貴族たちを見た。彼らは人々を搾取しながら、まるでそれが当然であるかのように振る舞っていた。飢えに苦しむ者を見捨て、富を肥やすことに何の疑問も抱かない者たち。彼らの冷たい笑みは、かつて私がいた世界のそれと何も変わらず、醜かった。

 人は生まれ変わるのかもしれない。だが、人そのものは変わらない。

 希望を掲げる者が現れ、それにすがる者が現れる。彼らは何かを変えられると信じて動く。しかし、結局のところすべては同じ結末に向かって転がり続ける。繰り返し、繰り返し、果てしなく。

 世界は夢だ。夢のように移ろい、夢のように繰り返される。

 だとすれば、この輪の中でどれほど足掻こうとも、私はただ同じ道を歩むだけなのではないか。いずれまた世界は崩れ、また誰かが火を灯し、そしてまた、全てが灰へと帰していくだけで。それが輪廻というものなのだとするならば――そこに意味などあるのだろうか? 輪は終わらない。ただ、回り続けるだけ。ならば――。

 私は、抜け出さねばならない。

 いや、この輪廻そのものを壊さなければならない。今なら理解できる。

 それこそが、真の救済なのだと。

 私は顔を上げて前を見る。激しく燃え盛る夕陽が、地平の彼方に沈もうとしていた。その色は、まるで炎の残光のようにこの世界の行く末を映しているかのようだった。

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