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セブの劫火  作者: 薬袋丞
2/10


 集落の広場には、ところどころに焦げ跡の残る木製のテーブルや椅子が並べられていた。村人たちはちらちらとこちらを見ながらも、距離を保とうとするように、端のほうに集まっている。その中でも特に目立つのは、薄汚れた壁の後ろでこちらを伺いながら不安そうに目を泳がせる若者だった。

「おい……おい! ちょっと待てって。あんた、本当に船を動かす気か。」

 私の後を追って来た粗野な男が問い詰めるように声を荒げた。村人たちもその声に反応し、耳を傾ける。私は視線を集められることにわずかな緊張を覚えつつも、足を止めて振り返り、口を開いた。

「その船の動力部を私に見せてくれれば、もしかしたら修理ができるかもしれない。」

 その言葉に場がざわめき出した。村人たちは顔を見合わせ、互いに何かを囁き合っている。一人の若者が声を上げようとしたが、隣の男に肩を掴まれて口をつぐんだ。誰もが動けないまま、ただ視線だけがこちらを捉えていた。彼らの間には期待と疑念が入り混じった空気が漂っている。

「修理、って……俺の話を聞いてなかったのかよ! ここには燃料どころか部品だって無ぇんだぞ、そんな状況で何をどうするってんだ!」粗野な男が再び声を荒げる。その言葉に一瞬、広場全体が静まり返った。だが、その沈黙を破るように私は答えた。「これは賭けだが……。」

 何故か自分の中に眠っていることがわかる炎の力。それがどこから来たのか、どうして私に宿ったのかは分からない。だが、かつて研究所に籠っていた頃は、いつも私を照らしていた。そう、私の人生は常に燃え上がる炎と共にあったのだ。その感覚が、今まさに蘇るようだった。この力を使えば、村の船を動かすことができるかもしれない。この閃きは論理的なものではなく、直感的だった。

「信じるかどうかは自由だ。とにかく、試すことくらいはさせてほしい。」私はその直感を信じて、もう一度男の目を見ながら言った。

 村人たちの目に向けられる疑念と恐怖が、まるで針のように突き刺さる。それでも、この力を試さずに終わるわけにはいかない。村人たちは再びざわめき始めている。一部は首を振り、他の者たちは迷うような表情を浮かべていた。私が静かに息を整えていると、一人の老年の女性が静かに前に進み出た。

「嵐と飢えで仲間を失うたび、船が動かないたびに、私たちは何かを諦めてきた。でも、あんたが本当にこの船を動かせるなら、それが奇跡だろうと幻だろうと……私たちは信じたいよ。」

 その言葉は広場全体を包むように響き渡った。村人たちは顔を見合わせ、次第にその目に僅かながらの光を宿し始めた。

「仕方ねえな……そこまで言うなら、あんたの言葉が本当かどうか確かめてやる。」粗野な男はそう言い放つと「ついてこい。」と続けてどこかへ向かい始めた。私は胸の奥で小さな緊張と高揚感が入り混じるのを感じていた。これが自分の力を証明する最初の一歩になる、そんな気がして。


 寂れた港の船着き場に到着すると、小型の商船らしきものが見えた。船体の木材は所々黒ずんでおり、焦げたような跡もある。その部分には今も黒い炭の臭いがこびりついていた。船にあがり、そのまま機関室の内部へと潜り込んで動力部を確認していく。錆びついた見た目はかろうじて原型を留めていたが、触れれば砂のように崩れ落ちそうで、配管の継ぎ目には亀裂が走り、油の匂いももはや感じられない。長年の放置がその生命力をすり減らしていることは明らかだった。

「さぁ、何ができるのか見せてもらおうじゃねえか。その代わり、妙な事しやがったらただじゃおかねえぞ。万が一船がおじゃんになったら、あんたも一緒に海の底だ。……わかってるな?」

 粗野な男が腕を組みながら言う。その視線は依然として冷たいが、どこか興味の色も混じっているようだった。彼は『万が一船がおじゃんになったら』と言ったが、どう見ても既に使い物にならない状態だ。が、余計な事を言ってこのチャンスを棒に振るのも望ましくないので、私は頷くだけで黙っていた。

 私は慎重にエンジン部分に手を置くと、その瞬間に微かな熱を感じたような気がした。それはまるで、この船がまだ生きていると私に告げているようだった。

「とにかく、やってみよう。」

 言葉と共に、私は眠る力を呼び起こした。目を閉じ、心の奥底にある炎を探り出すように意識を集中させる。呼吸を整え、全身に広がる脈動を意識すると、その熱は体の中心から手のひらに集まり、まるで自分の心臓の鼓動と一体化しているように感じられた。指先から炎が静かに広がり、船に命を吹き込む感覚が伝わってくる。その輝きは次第に増していき、掌から赤い光が漏れ出すと錆びた金属に反射して輝き始めた。船の外の様子はわからなかったが、息を呑むような押し殺した声やあとずさるような足音が聞こえてきた。外にいる彼らにもこの光が見えているのだろうか?

 やがて炎がエンジン全体を柔らかく包み込むと、細かなヒビや亀裂が嘘のように塞がっていく。まるで逆再生された映像のように時間が戻っていき、エンジンはその姿を若々しく蘇らせていった。

 ふと、金属の奥からかすかな振動音が響き出した。振動が波のように船全体を駆け巡ると、周囲から村人たちの歓声が上がった。「おいおい、本当に動いたぞ!」船の外に出て彼らに目をやると、一人の若者が拳を振り上げて歓声を上げる中、隣の初老の男性が地面に膝をつき、涙をぬぐいながら祈りの言葉を繰り返していた。その後ろでは子どもたちが跳ね回り、彼らの母親が安堵の笑みを浮かべて見守っていた。

 エンジンの振動が安定すると炎は自然と収まった。私は深呼吸を一つする。村人たちの歓声が徐々に広がり、誰もが驚きと喜びの表情を浮かべている。粗野な男も腕を組んだまましばらく船を凝視していたが、やがて大きくため息をつき、こちらを見た。

「こいつは……たまげたな。まさか本当に直しちまうとは。あんた、一体何者だ? 何をどうやって……。」

 その問いに私は一瞬答えを躊躇った。ただの旅人だ――心の中でそう答えながらも、疑問が渦巻く。自分は何者なのか。何故この世界に再び生を受けたのか。そして、この力は何のためにあるのか――今はまだ、その答えは見つかりそうもない。ただ一つだけ確かなのは、目の前の人々を助けたいという気持ちがあることだった。

 曖昧な表情をする私を見ながら男は眉をひそめたが、それ以上追及することはなかった。「いや、いいか。今は船を動かすほうが大事だ。心臓が動いたってこいつの身体はボロボロだからな……これから整備しなきゃなんねえし。」そう言うと、彼は私を見ながらエンジンを指差して続けた。「船さえ動けば、この村の交易が再開できる。物資が戻れば、飢えや病気に苦しむ仲間たちを救えるかもしれねえ……頼む、力を貸しちゃくれねえか。」

 彼の目には不安と希望が入り混じったような、なんともいえない不思議な色が宿っていて、先ほどまでの疑念は影を潜めていた。

「正直言って、まだ信じきれねえ部分もある。けど、あんたがやる気になってくれんなら……なんとかなるかもしれねえって、そう思っちまったんだよ。」

 その言葉に私は少し驚いた。最初はあれほど疑念を向けていた男が、今では協力を求めてきている。つまりそれほどまでに、この村が困窮しているということなのだろう。私は迷うことなく答えた。「分かった。私に出来ることなら……力を貸そう。」

 聞いた男は満足げにうなずき、周囲の村人たちに向かって声を張り上げた。

「おい、聞いたか! 船が動くぞ! みんな準備しろ、それと機関士をすぐに港に集めるんだ!」

 村人たちは次々と動き始め、急に活気づいた。そんな時、ざわめく村人たちの中から老年の女性が近づいてきて、私の手を握りしめながら感謝の言葉をかけてきた。「本当にありがとう……あなたが現れてくれなかったら、この村はもう希望を完全に失っていたわ。嵐で家族を失い、もう船が動くことなんてないと思っていた……この村はただ死を待つだけだったのよ。」彼女の声は震えていて、手を握る力には切実さが込められているのが伝わってくる。その瞳に浮かぶ涙を見て、私はほんの少し胸が締め付けられるのを感じた。しかし、同時にどう答えていいか分からず、私はただ小さく頷くことしか出来なかった。自分がこの村にとって一時的な救いでしかないことは理解していたが、それでもこの瞬間だけは彼らに希望を与えられたことが嬉しかったのは確かだ。

 かつて、私は理想を追い求めた。人々を救う為の技術を研究、開発し、世界を少しでも良くしたいと願った。だが、それが引き起こしたのは酷い争いだった。私の理想は人間の欲望と恐怖に踏みにじられたのだ。信じていたものが崩れ去ったあの感覚は、今でも脳裏に焼き付いている。この村の人々には同じ絶望を味わわせたくはない。

 そんなことを想っていたその時、一人の若者が息を切らして駆け寄ってきた。「トート! 大変だ、海の向こうに……あれ海賊船だよ、真っ黒い船だ!」若者の息が詰まるように震えた声が響いた瞬間、広場の空気が凍りついた。村人たちは互いの顔を見合わせ、次第にざわめきが広がっていく。子どもを抱き寄せる母親、無言で拳を握りしめる男たち――恐怖の影が広場全体を包み始めたのがわかる。

「黒い海賊船……テンパーズか、 くそっ、こんな時に……!」トートと呼ばれた粗野な男が舌打ちしながら拳を握りしめた。「テンパーズ、とは?」私が純粋に知りたい気持ちで訪ねてみると、トートは苛立ちながらも捲し立てるように返してきた。

「ここらで好き放題やってる連中だ、まるで台風みてえに海を渡っては港町から上陸して、村や集落を襲って根こそぎ奪っていきやがる。〝嵐を掴む者〟って呼ばれてるクソ野郎どもさ。」

 なるほど、無法者の集まりか。見渡すと村人たちは不安げに集まり始め、次々と意見を言い合い始めていた。「あいつらはただ奪うだけじゃない。村を焼き払い、生き残った者を鎖で繋いで船に乗せる……誰も逃げられねえ、もうおしまいだ。」村人の誰かが擦れた声で喚いている。その中で、私は静かに空を見上げた。この村を救うつもりが、次の危機がすぐそこに迫っている。だが、今の自分なら――。

「悪いな、せっかく直してくれたのによ……いよいよ本当に終わりかもしれねえ。」トートが私に向かって低い声で呟いた。諦めのような、絶望のような、暗く寂しい声で。

 私は暫しトートをぼんやりと眺めたあと、ハッとしてから頭の中に浮かんだ言葉をゆっくりと紡いだ。

「だめだ、トート。火を絶やすな。」

 その言葉を口にした瞬間、自分の中で何かが変わるのを感じた。決意したのは世界を救えなかった過去の自分ではない。今こそこの村の人々の希望を守るために、自分に与えられた力を使う――その決意が心の奥深くで火柱のように立ち上がった。かつて失ったものを、この場所では守り抜ける。そう信じるために。それは、言うなれば決意の炎。希望を守るための、私自身の答えだった。


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