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セブの劫火  作者: 薬袋丞
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「セヴァン・ヘイズ!」

 セルドネア大陸にある世界で最も高い場所、霊峰アンタバの山頂に懐かしい呼び声が響いた。振り向くと、そこに立っていたのは年老いた軍人、レノルドだった。彼だけではない、その後ろには大勢の軍人らしき人だかりが見える。

 アンタバの山頂はまるで鋭利な刃物で切り取ったかのように平坦で、それなりの広さもあって見晴らしがいい。神の座する山と呼ばれ、古代から聖地として崇められてきた。そのおかげで山頂への道は整備されていて、体力と根気さえあれば誰にでも登頂可能だ。とはいえ世界一の標高を誇る山にこの人数で押しかけて来たというのは、いやはやご苦労なことである。

「どうした、レノルド。遂に世界が平和になったのか?」

 私は皮肉などこれっぽっちも含めていなかったが、レノルドはそう思わなかったらしい。息を切らしながら苦虫を噛み潰したような顔をして、憎悪に満ちた唸り声のように低い声で語りかけてきた。

「貴様――どういうつもりだ。ここ暫く、あちこちで世界は滅亡するなどと吹聴して回っているそうじゃないか。過去の事をいつまで根に持っているつもりか知らんが、只の悪戯では済まされんところまで来たぞ。」

「それを言うためにわざわざ大陸を越えてここまで来たのか? 随分と暇そうじゃないか。他にもっとすることがあるように思えるが……それも世界が平和だという証拠か。」

「言葉遊びに付き合っている暇はない。言っただろう、もはや冗談では済まんと。貴様には偽計扇動罪が適用されている。この意味がわかるか? 国家への反逆だとみなされているんだ。」

 反逆、か。確かにその通りだ。ただし、私の相手は国家ではない。この忌々しい輪廻を、因果律を司っている何か。そいつをこの手で焼き尽くし、灰にしてやるまでこの反逆は続くのだ。私はレノルドの怒りなど無視するかのように背を向け、眼下に広がる美しく壮大な景色を愛でるように見渡した。

「私は背中も撃つぞ。」その声の直後、私の背後で銃を構え撃鉄を起こす音が一斉に鳴り響いた。

 ああ、懐かしい。銃口を向けられるのはこれで二度目になるのか、それも、今度は異世界でだ。なんともふざけた話だと思う。結局、前世も異世界も関係なく、人はどこまでも利己的で、世界はどこまでも、何時までも冷え切っている。私はもう一度振り返ると、今度はしっかりとレノルドの目を見据えた。

「で、どうするんだ。思い出話に花を咲かせにきたわけではないだろう……しかし、随分と老いたものだな、レノルド。」

「ああ、おかげ様で。それに比べて貴様は気味が悪いくらいにあの時のままだな。それも忌々しい力のおかげなのか……まあいい。出来る限り生け捕れとの命令だ。大人しく従ってもらおう。」

「断ったら?」

「出来る限りと言った筈だぞ、セヴァン。それが無理なら、ここにいる全員で貴様を殺す。」

 レノルドは僅かな笑みすら見せることなく、眉一つも動かさずに言った。明確な殺意が私に向けて放たれているというのに、悪い気はしなかった。何故ならば、そう、私は絶対的な力を振るって相手を跪かせる感覚というものを、まさに彼らの気持ちを今、理解できたのだ。

「そいつはいい、今までのくだらない研究よりよっぽど楽しそうだ。」この世界に来て、私は初めて心の底から笑った。

()ぇッ!」

 レノルドの合図とともに、銃口から無数の弾丸が放たれる。既に力を発現していた私は、その場から動かずにゆっくりと近づいてくる弾を見つめていた。極限にまで炎を圧縮し、空間が歪むほどの超超高温となったシールドによって、身体に到達するまえに弾を分子レベルで分解し、さらには原子核の結合をも崩壊させていく。私は向かって来た弾丸全てが完全に消え去ったことを確認してから、自然と納得して独り言を漏らした。

「なるほど、こんな気持ちになるものなのか……。確かに甘美なものだな。」

 私の中を駆け巡ったのは、圧倒的な力で相手を制圧する快感だった。力を持つ者というのは、常にこんな気持ちを味わっていたのか。だとすれば私利私欲に走るというのも頷ける。思えば私の力をこのように使ったことは無かったかもしれない。トートと一緒に海賊船を撃退したあの時を除いて。そのおかげか、この力はなにか便利な使い方が出来るものだという程度の認識しか持たれていなかったのだろう。レノルドと兵士たちは何が起きたのか理解できないといった様子で、揃って口を開けたまま立ち尽くしていた。そうだ、彼らに聞いてみなければ。誰かから何かを奪える力を持ち、奪うことしかしてこなかった彼らが今どんな気持ちでいるのかを。

「さて……今の出来事から、何か学びはあったか? レノルド。」

「ああ、よくわかったよ。貴様が正真正銘の化物だということがな。」

「その通りだ。他には。」

「我々は貴様に勝てないだろう。」

「それも正しいな、つまり?」

 私がなおも問い詰めると、レノルドは眉間に皺を寄せて言葉を詰まらせた。その様子を黙って見つめていると、レノルドは私の目を見ながら懸命に何かを考えていたようだったが、諦めたように首を横に振った。「この戦いにお前が勝ち、私は死ぬ。それ以外に何がある? 死ねば全て終わりだ。その先には何もない。そこに学びなど何の役にも立たんだろう……質問の意図がわからんな、さっさと終わらせてくれ。」

 言い終えるとレノルドは構えていた銃を投げ捨て、私を真っ直ぐに見据えた。周りの兵士たちは動揺し、互いに視線を交わし合いながらも、未だ銃口は私に向けたままじりじりと後ずさっていく。

「これは終わりではない……真なる救いの始まりなんだよ。」

 私はその言葉を口にすることに、いささかの迷いも戸惑いもなかった。むしろ、それを語ることで世界が正しい姿を取り戻すような感覚すらあった。彼らもまた、囚われている。無限に続く輪廻の鎖に繋がれ、死に、また生まれるのだ。レノルドはこれが定められた運命であることを受け入れているような表情で訴えかけてきた。「フン……貴様の講釈など興味もないわ。さぁ、さっさと殺すがいい。それが力ある者の権利だ。世界は、そう在るべきなんだ。」

「それは違う。」私はレノルドの目を見ながら断じた。

 私は悲しさと嬉しさが入り混じった不思議な感情を抱いていた。レノルドは正しく人間の本質を表してくれた。例え世界がどんなに姿を変えても、そこに根付く人間は本質的に同じもの。優しい人、怖い人、奪う人、奪われる人。何時でも何処でも、何があってもその構図は不変――人が、人である限り。それでも、世界中で人は何時か変わる時が来ると信じて生きている。そんな瞬間は絶対に訪れないことも知らずに、健気に、一所懸命に――だからこそ私は力を込めて言った。

「世界は、在ってはならないんだ。」

 因果律からの脱却、輪廻からの解放。それが叶わぬ理由は世界が存在しているからに他ならず、世界が在るからこそ全てが生まれ、人は悩み、奪い、そして奪われていく。世界そのものが原因であるという真理に辿り着いた私の言葉に、レノルドたちはどう反応すべきか迷っているような、なんとも言えない表情のまま全員が何か不思議なものを見るような目を私に向けていた。

「さらばだ、レノルド。」

 私は開いた右手を前に突き出すように掲げ、強く握り込むようにして力を解放した。淡い光が握った拳へと吸い込まれていった刹那、周囲に漂う全ての熱とエネルギーが炎の奔流となって集まり、空気が震えるほどの圧倒的な熱量を伴って衝撃波が放出される。それは空気を裂いてあたり一帯を飲み込んでいきながら、視界を白い赤に染めていく。

 次の瞬間には、彼らの姿はどこにも見当たらなくなっていた。灰さえも残らず、ただ空気を焼いた余韻だけが鈍い熱を帯びながら虚空に漂っている。

 私の心に名残惜しさはなかった、ような気がした。

「私はこの世界を消すよ。もう二度と、繰り返さないように。」

 言葉が溶けて消えたあと、私はわざとらしくゆっくりと歩いてアンタバ山頂上の切り立つ崖の縁、世界の終わりの足場に再び立った。その足元では崖の刃が大地を断ち切りって、無限の空を縁取る縁となっていた。顔を上げて見渡せば果てない地平が雲を纏い、天と地が溶け合う遠い場所まで静寂と風だけが支配する世界がどこまでも広がっている。

 世界は美しいというのに、何故人間だけがこんなにも醜いのだろうか。それを考えるには遅すぎたのか、私は自らが出した結論に何の疑いもなく、ただ静かに両の手を広げて祈るように目を閉じた。揺らめく炎がその勢いを徐々に、そして激しく増していくのが伝わってくる。今の自分では世界そのものを消すには出力が足りないことはわかっていた。恐らくこの力を解放しても、世界は変わらずそこに在るだろう。それでも何もせずにいることなど出来はしないし、世界を消すには至らずともこの星に根付く生命の悉くを滅ぼすことは出来る筈だという自信があった。

「先ずは眠っていてもらおう。真なる救いはその後だ。私がそれを成し遂げるその日まで、暫しの別れを……愛しき人類よ。」私は心からの祈りを込めて、広げた両の掌を胸の前で静かに重ね合わせた。

 身体の奥に滾る力が外へと押し出され、炎となって溢れ出すその瞬間、あらゆる音が消え去っていく。私の身体から放射状に広がった灼熱の劫火は、世界の頂点から轟々と膨らんで地を裂き、海を呑み込みながら凄まじい勢いで空を焦がしていった。その圧倒的な破壊の中心で、私はこの美しい世界の終焉をただ冷静に見つめていた。

 大地を焼く熱波の向こうに見えるのは、かつて豊かに実り、命が育まれてきた地。その中で踊るように吹き抜けた風や、潮騒の響き、そして柔らかな陽の光。それらすべてが崩れ去り消えていく今でさえ、その美しさは揺らぐことなく私の心に突き刺さっていた。それでも、この世界が燃え尽き、跡形もなく消えて無くなることが正しいと信じる自分を確かに感じていた。この瞬間が、悲しみと歓喜、愛と憎悪、創造と破壊すべてを同時に宿した究極の刹那だと、ずっと昔から知っていたかのようだ。

 もう見えている部分は大方焼き尽くしたか、だが勢いは衰えない。劫火はやがて星を覆いつくし、天をも呑み込むだろう。私は暫くの間そこに佇んで、世界の全てがまるで夜明けのように暁に染まっているのを見つめながら改めて声に出した。

「これは始まりだ。」


 それからさらに長い年月が経ち、死と灰で覆いつくされた星が俄かに緑を取り戻しつつあることを認めた私は、信じられないものを見た。地下深くに隠れていたのか、はたまたなにがしかの奇蹟が起きたのか……様々な要因で生き残ったのであろう人類が、予想を超えて多く残っていたのだ。

 暫く観察していると、生き残った人類は次第に一か所へと集まり、結託し、集落を築き始めた。それでも文明はほぼ全て破壊しつくしていたこともあって、生活は酷い有様だった。便利な道具もなければ医者すらいない。怪我をすれば死に直結し、火もまともに起こせず凍え死んでいく。そんな様子を眺めながら、もはや文明に慣れた人類に生き残ることは不可能だろう、そう思っていた。しかし、人類はしたたかだった。厳しい環境に適応し、失敗を繰り返しながら新たな閃きと力を得て、幾度となく襲い掛かる絶滅を免れながら根気よく繁栄を続けていた。

 生き残っていたのは人間だけではない。魚を始めとした海洋生物、淡水生物、牛や鹿、鳥……それぞれの個体数は減少したものの、生存していることが確認できた。世界が変わり果てても、彼らは確かにその姿を保っていたのだ。私が世界を焼き付くしてからたった五百年余りで、世界は再び蘇ろうとしていた。エネルギーを全て失う訳にはいかなかった私は、あの時自分が生き永らえるだけの力を残していた。この世界を消し去る前に自分が力尽きることは避けねばならなかった。そのせいか、どうやらこの星に根付く命を根絶することは出来なかったようだ。

「私の力不足だったか……まあ、仕方がないな。次はもっと上手くやるとしよう。」

 納得しながらも悔しさ半分に独り言つ。私の力が足りなかったことは事実だが、こうして目の当たりにすると堪えるものがあった。無駄な苦痛を味わうことなく世界が消えるのをただ待っていればいい、そんなふうにしたかった。それが私に出来る精一杯の情けだったから。ただ、思っていたよりも人は、世界は強かった。

 古来より、失敗は成功の母だという。ならば私はその教訓に倣い、またここから歩き出そうじゃないか。蘇った大地を歩き、人々と共に暮らし、見て、聞いて、もう一度世界を知るのだ。そうすればこの歪んだ輪廻を、メビウスの輪をより確実に打ち砕く方法が見つかるかもしれない。さらなる力を蓄える必要もあるし、とにかく私には時間が必要だ。今まで過ごしてきた時間よりも途方もなく長い時が。その悠久の旅路で、この世界がどのように歩んでいくかを見守らせてもらおう。

「まるで神にでもなった気分だ。」

 呟いてはみたものの、実際は正反対であることはよくわかっていた。まあ、仮に神がいるとすれば、だが。

 神がこの世界を作ったのならば、それを壊そうとする私は一体なんなのだろう。ふとそんなことを考えていると、そもそも神とはなんなのかという疑問と、それに対する一つの答えのようなものが浮かんできた。「命そのものが神……。」

 自然と漏れた言葉は、何故か真理のような気がした。生き続けようとするその執念、力強さ。何度となく同じ過ちを繰り返しても、それでも何かを信じて進み続け……例え世界が灰になっても、生きることを止めない。元々、そう在るもの。世界とは神そのもので、初めから壊せないものなのかもしれない。つまり私が神になったのではなく、今まさに、私が神に挑まんとしているのか。

 なんとなく腑に落ちた途端に、世界を焼き切ることが出来なかったこの現状は「ほんの挨拶代わりだ」という神からのメッセージに思えてきた。

 面白い、受けて立とうじゃないか。例え何千年、何万年かかろうとも必ず消し去ってやる。そう心で強く念じると、やれるものならやってみろと言わんばかりに私の頬を一筋の風が薙いでいった。


 吹き抜ける空気の先を目で追いながら、私はまだまだ解決すべき問題も残っていることを改めて思い返した。この身体のエネルギーの問題は解決したが、恐らく老化が極端に遅くなっただけで完全には防げていないことは薄々感づいていた。細胞を修復できるだけでなく、少なくともテロメアの再構築と代謝の完全制御を実現しなければ不老不死とはいかない。このままでは、いずれこの身体を捨てる時が来る。無論、世界から文明を消し去ったことは問題ではない。最初から自分の力で解決するつもりだった。

 が、どうせ生き残ったのなら、人類を利用しない手はないと確信した。彼らならば数百年か数千年もすれば文明をある程度まで復活させるだろう。そうなれば、私一人で地道に研究を続けるよりかは幾らか時間の短縮になるかもしれない。初めはそんなつもりはなかったが、その辺りは臨機応変に対応しようじゃないか。あるものは使う、それだけだ。

 ただ、今の人間たちは崩れた積み木を拾い集めて、また同じタワーを作り始める子供のようなものだ。なにせ私が殆ど焼き払ってしまったから、次はもっと上手く作れるように手助けしてやらないといけない。私は暫しの間彼らに混ざり、繁栄に一役買ってやろうと思った。そうすることでこの世界への理解も深められるだろうし、善良な力ある転生者としての隠れ蓑も手に入って一石二鳥だと。面が割れていることはどうでもいい。あの激しい熱波を生き残った者はごく僅か。私の顔を覚えている人間が何人いたか知らないが、殆ど生き残ってはいまい。

「先は長いな……まあ、折角だから楽しませてもらうとしようか。」

 私は改めて眼前に広がる景色を眺めた。

 かつて濁った塵に覆われていた大地には、今や柔らかな緑が広がっていた。焦げ付いた大地の割れ目から力強く芽吹いた草木が、幾度もの季節を超えてその範囲を広げている。無機質だった大地は今や深い緑と淡い黄緑のまだら模様を描き、そこに生命の律動が戻りつつあることを示していた。どこまでも野生の森が広がり、その間を蛇行する川が静かに銀色の帯を引いている。空は真紅に染まったあの瞬間が嘘だったかのように澄んでいた。厚い雲の帳はとうに消え去り、青空の下にいくつもの雲が緩やかに流れていて、時折、翼を広げた鳥が音もなく空を横切っていく。植物はより逞しく、花の色は鮮やかさを増し、動物たちもこの過酷な再生の時代を生き抜くために新たな姿を得たようだった。

 目を細めると、遠くにかつての都市の遺構が緑の波に飲み込まれ、まるで自然の一部であったかのように佇んでいるのが見える。鉄と木が交じり合った骨組みには蔦や苔が絡みつき、朽ち果てた塔の頂を越えて飛んでいく鳥の影が見えた。

 人類の遺したものはもはや過去ではなく、ひとつの風景となったのだ。


 私はそっと背を向け歩き出した。再びここに立つ時が私の長い旅路の終わりだと、そう信じて疑わないままに。

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