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セブの劫火  作者: 薬袋丞
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「まさか本当に完成させるとはね。」

 額に銃口が突きつけられた瞬間、私の思考は凍りついた。汗が頬を伝い、心臓の鼓動が耳に響く。

 研究施設の一室に沈黙が落ちた。未だに落ち着かない心臓の音だけがやけに大きく、さらに早くなって聞こえた。壁一面のガラス窓越しに街の夜景が煌めいていて、部屋には研究用の高性能なスクリーンが壁一面に並び、そこには私が手掛けた実験データが次々と表示されている。白衣に目を落とすと、袖に焦げ跡が残っているのが見えた。まるでこの場所で過ごした時間と成果を物語っているかのようだ。だが、今その余韻を味わう暇はない。何故なら目の前には厳めしいスーツ姿の男が立ち、冷たい眼差しを向けているからだ。そして私はその顔を知っていた。もちろん、名前も。

「ヴィクター……ヴィクター・カッセル。CIAの嫌われ者がどうしてここに?」

「ほう、私を知っているのか。さすがはパイロノヴァ社の技術開発部門長……いや、今は次世代エネルギー開発部門の研究統括責任者(C S O)か。ま、いずれにしてもキミの理想は素晴らしいよ、セヴァン。だが、現実はそれを許さない。」私の問いを無視しながら、背筋をまっすぐに伸ばして淡々と話す〝掃除屋〟ヴィクターの声は凍てついた湖面の如く冷え切っていた。彼の背後にはやはりご丁寧に銃を構えた護衛たちが沈黙を守っている。

 先ほどから額から流れる汗が止まらない。私に向けられた銃口と彼の声色から、この会話にはもはや交渉の余地がないのだということを悟るには十分すぎた。目線だけを動かすと、部屋には既にこと切れて転がっているチームメンバーが視界に入る。ヴィクターが率いる黒スーツの連中は部屋に押し入って来ると同時に、私以外の人間を容赦なく撃ち殺した。あたかも不要な書類をシュレッダーにかけるかのように、何の躊躇いもなく、そして、酷くつまらなそうに。徐々にこみ上げる怒りを抑えながら、私が握った拳を震わせていると、それに気付いたのかヴィクターはおどけるようにして続けた。

「いやしかし、この技術はまさしく炎そのものだな。ああ、扱っているものがそうだという意味ではないぞ。キミが生み出した世紀の大発明は確かに暖を取るために役立つが、使い方を誤ればすべてを焼き尽くしてしまう……諸刃の剣とはよく言ったものだね。」ヴィクターは皮肉な笑みを私に向けた。

「お……君たちは、この技術がどれほど多くの人々を救う可能性を持っているのか、分かっているのか?」

 本当は『お前たち』と言いたかったのだが、乱暴な言葉を使うべきではないと思わず訂正してしまった。それは私が意外にも冷静を保てていることの証明でもあったが、それが一体何の役に立つというのだろうか。それに、声が震えたのは怒りだけのせいではない。焦りと恐怖も激しく絡み合っていた。

 しかしヴィクターは微動だにせず、鼻で笑うように短く息をついた。

「救う、か。たかが人間風情が、おこがましいことだ……それで本当に世の中が幸せになるとでも? どうやら科学者というものは、頭が良くなければなれないというわけでもないようだ。流石に現実が見えてなさすぎやしないか。ええ?」そう言ってヴィクターは私から目線を外すと、ガラスの向こうに広がる夜景に目を細めた。

「この技術が世界にもたらすものは安寧ではない……少なくともキミが言うような理想郷は生まれない。()()が普及すれば、既存の秩序は瞬く間に崩壊してしまうだろう。そしてそれは新たな争いを、戦争を生む。こんな簡単なことを科学者であるキミが理解できないとは思ってもみなかったが……。いいか――世界の平和を保つためには、キミの理想主義は邪魔でしかないんだ。」

 最後に聞こえた言葉に胸が軋んだ。世界平和だって? それこそ私が目指したものじゃないか。この技術をもってすれば、世界中に安定したエネルギー供給が可能になるというのに。資源に乏しい国にだって、負担をかけずに余すことなく豊かさを届けられるのだ。理想が現実を越えられない――そんな冷酷な事実を突きつけられるたびに、私の中の情熱が壊れていく。

「最後に、言い残すことは?」ヴィクターが無表情で問いかける。その声はあまりに事務的だった。目の端に汗が滴るのを感じながら、私は精一杯の強がりで歯を食いしばって言った。

「権利や欲に従うしか能のない君たちが平和を語る……まさにそれこそがこの世の終わりだとは思わないか?」

 その言葉に、ほんの少しの自分を賭けてみたけれど、返ってきたのは氷のような微笑みと、冷たく鳴り響く銃声だった。耳鳴りが消えると同時に、遠くから炎が燃え広がるような音が聞こえた。それは、現実には存在しない不思議な音だったように思う。激痛と共に、視界が暗転する。

 床に倒れ込むと、冷たいタイルの感触だけが頬に伝わった。意識が遠のく中、頭の中を埋め尽くしたのは悔しさと、無力感。

『私の夢が……こんな形で終わるとは……』

 しかし、その瞬間。どこか遠くで微かな声が聞こえた気がした。熱が揺らめく音と共に、何かが私を包み込む。暖かくて、力強くて……ああ……これは炎だ。そのぬくもりは、かつて私が追い求めた理想そのもののように感じられた。だが、その炎はただ燃えるだけではなかった。深く、柔らかく、静かに心の奥底にまで染み込んでくる感覚は、まるで何かが私を新たな場所へと導こうとしているかのようだった。視界が揺らぎ、音が遠のいていく。私の意識は深淵へと引き込まれていくようで、抗う力は残されていなかった。やがて身体の重みが消え、ただ無限の温もりに包まれる。

 そして――。


 ゆっくりと目を開けると、私の周囲は柔らかな光に包まれていた。空は青く澄んでいて、どこまでも広がる大地には黄金色の草原が風に揺れている。

「……ここは?」

 口から自然と言葉が漏れる。身体を起こして状況を把握しようとしたが、何もかもが現実離れしていた。手に触れる土の感触は妙に柔らかく、暖かい。それにこの空気――不思議なほど清浄で、生命力に満ち満ちていることがよくわかる。

 手のひらを見下ろすと、いつもの自分の手ではなかった。硬さや疲労が消え、妙に軽く感じられる。身体全体に漲る活力がどこか違う世界に立っているという現実を否応なく実感させた。この風景が現実なのか、夢なのか。その境界が曖昧なまま、私は暫くの間ただ呆然と立ち尽くすしかなかった。目に映る世界はあまりに非現実的で、足元から根が抜け落ちたような感覚に襲われるかのようだ。

 気付いたように自分の身体を確認すると、見覚えのない服を着ている。白衣ではない、粗末な布地のシャツとズボン。

『一体……何が起こった。』私は内心で戸惑いながらも出来得る限り鮮明に思い出そうとした。私は……私は、セヴァン・ヘイズだ。パイロノヴァ・インダストリーズの技術開発部門長であり、そして次世代エネルギー研究統括責任者でもある。たしか昨晩は遅い時間までチームメイトとミーティングをしていて、そこで……。

懸命に意識を巡らせても、直前の記憶は銃声と燃えるような痛み、そして不思議な炎の音で途切れている。私は、誰かに撃たれたのか。だが、この感覚――確かに生きている。

 足を踏み出すと、遠くに小さな集落が見えた。石造りの建物が点在し、その周囲には人々の姿がまばらに見える。建物はどれも古びていて、ところどころに崩れた壁と屋根。貧しさと苦労が滲み出ているかのような村だった。何かを運ぶ者、動物を引く者、楽しげに話す子どもたち。そのどれもが、どこか寂しさ感じさせる。

「考えていても埒が明かない。まずは、あそこに行ってみるしかないな。」

 私は呟くように言って、足を踏み出した。考えるよりも今は行動する時だ。そう思って足を進めるごとに、集落の様子がはっきりと見えてくる。さらに近づくと、人々の視線がこちらに向けられるのが分かった。好奇の目、警戒の目、それに少しの恐れが混じった視線。子どもが手を止めてこちらをじっと見つめ、大人たちは顔をひそめながら小声で何かを話しているのが見えた。だが、誰も声をかけてくる様子はない。


「おい、そこのあんた!」

 突然、荒々しい声が背後から響いた。振り返ると、なにやら粗野な男がこちらを睨んでいる。筋骨隆々の体に革の鎧を身につけ、腰には刃こぼれした剣がぶら下がっていた。

「どっから来やがった? ここらじゃ見ねえ顔だな。」

 その問いに一瞬言葉を詰まらせたが、すぐに答えを絞り出す。

「……さっき、この近くで目を覚ました。どこから来たか、正直――自分でも分からないんだ。」

 男は眉をひそめ、しばらくこちらを観察するように沈黙した。そして、鼻で笑うと肩をすくめた。

「ま、なんでもいいけどよ……声を掛けておきながらこう言っちゃなんだが、今はそれどころじゃなくてな。悪いがあんたに構ってる暇もねえ。」

「どういうことだ?」

「見てわかんねえかい、もう何年も前から燃料が尽きて、船が止まっちまってる。おかげで満足に部品や資材も手に入らなくなっちまって、船も錆びつく一方よ。こんな田舎にゃ目立つ特産品もねぇからな、みんなお手上げってわけだ。それに、もう直ぐに食料も底をつくだろう。この村はもうすぐ死んじまうんだよ。」その言葉を聞いた瞬間、胸の奥がざわついた。燃料……エンジン……そして船。間違いない、ここの人々はエネルギーを必要としている。それがわかると同時に、頭の中で閃光のように研究所で理想を追求した日々の記憶が――全てが頭の中を駆け巡った。「ちょ……っと待ってくれ。ひょっとすると、私にできることがあるかもしれない。」言いながら私は無意識に眉間を指先で強く挟みこんだ。

 この世界に来た理由は分からない。だが、そんな迷いを吹き飛ばすような希望が胸に灯った瞬間に、私は思わずそう口走っていたのだ。状況は飲み込めていなかったが、この世界でもう一度自分の力を試せるかもしれないという妙な思いが湧き上がるのを感じていたから。

 男は目を細め、不信感を露わにする。

「できることって、あんたにか?」

「試すくらいの価値はあるだろう。」

 そう言い切った自分の声には、不思議な確信があった。恐らくあの時、私は死んだのだ。だが、なんの因果か今はここにいる。それも以前の記憶を持ったままに。それになんの意味があるのかは想像もつかないが、今この瞬間に何もしないという選択はあり得ない気がした。何かを成すべきだと。人生があの薄暗い研究室の一角で終わらなかったのは、これが自分に与えられた新しい使命だからなのかもしれないと、そう強く感じたのだ。私の足は自然と、村の中心部へと向かって歩き出していた。


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