8. ダイアログ
※ アサナシア視点です。
私は『そこ』に立っていた。
灼熱の大地が足の裏を焦がしても、凍てつく氷土が足の裏に張り付いても。
私は『そこ』に立っていた。
原初の魔王は、膨大な魔力のかたまりがかたちを成したような存在だった。
原初の魔王は私に聞く。
「おまえは、何だ?」
「私は、にんげん。名前は、アサナシア」
魔王から私は、『そこ』の名前を聞いた。
マヴロスという大地だそうだ。
黒の大陸。
なるほど、かつて赤く熱い液体で覆われた地表は、黒い色に変化している。
「おまえはオレより古くからここにいるのか?
にんげんには到底見えないな。
オレと一緒に来ないか?」
私は魔王に興味がなかった。
私は首を横に振った。
魔王は創造の力を持ち、いろんな生き物を生み出していった。私はただ、マヴロスの大地に立ち、眺め続ける。
私は魔物を見た。動物を見た。
生き物たちはみんな己の目的をわかって生きているようだった。
それは幸せそうな姿だった。
番を得て、子を成して。
その子がまた番を得て、子を成す。
けれど私は、私と番になるような、私と同じようなものを見つけられなかった。
歪なものを見つけられなかった。
だから、生まれた目的がわからなかった。
ずっと少女の見た目で、大人の女性にならない。老いずに死なない。
老いないのなら、子を成す意味もない。
寝なくても死なない。食べなくても死なない。
生きるしかないのに、目的がない。
不滅だなんて名前、いったい誰がつけたのだろう?
はやく、滅んでしまいたいのに。
私は、高台から身を投げた。
けれど私は生きていた。
私は、海に身を投げた。
けれど私は生きていた。
私は、尖った石を首に当てた。
そのとき。
ブブッ と音がして、私の目の前に、黒色の長い四角があらわれた。
黒い四角は、白くて細い線で縁取りされている。そこには白く角ばった奇妙な文字で、こう書かれていた。
『目的:あなたのマスターを探し、助ける』
紫の瞳に、光が差した。
そうだったんだ。
私の生きる目的は、私のマスターを探すことだったんだ。
私は、私のマスターを助けるためにずっと前から、存在していたんだ。
今はひとりぼっちだけど、ひとりぼっちじゃなかったんだ。
ちゃんと生きることに、目的があったんだ。
私は原初の魔王に稽古をつけてもらった。
魔王は私には『聖なる力』と『魔力』の両方があると言った。両方を持ちながら強いのは、とても珍しいことだと褒めた。
私はマスターのために、どちらも持って生まれたのだと思い、とても嬉しかった。
ちらほらと存在しはじめた人間たちを、力の強き者たちが管理しはじめたころ。
魔王は力を失い、眠りについた。
それからは村で暮らしたり、暮らさなかったりした。ある日、いつもどおりのひとりぼっちのある日、私の耳にその声は届いた。
「アサナシア、助けてくれ!」
全身の細胞が喜びに満ちた。
ああ、ようやく。
ようやく、マスターに呼んでもらえた。
私のマスターに。
私のマスターは、たいへん可愛らしい男の子だった。力を失って小さくなってしまった魔王様。魔物たちは、魔力だけを見て彼を原初の魔王そのものだと誤解しているようだ。
でも、私には見える。
歪な魂のかたちが見える。
彼は、原初の魔王ではない。
名を聞くと彼は「リョー」だと名乗った。
マスターの名前は、リョー。
村の高台にある洞窟で。
夜中に、ハッと目が覚めたとき。
マスターがすぐとなりにいた。
寝息が聞こえた。愛らしい寝息だ。
ちいさな寝顔を見て、涙がにじんだ。
なんて幸せなんだろう。
もう、ひとりぼっちじゃない。
マスターがとなりにいる。
私が助けるべき相手が。
出会ったばかりなのに、愛おしかった。
眠るちいさなマスターの手にそっと触れて。
忠誠を誓った。
翌朝、マスターが子どもから少年になっていた。そのときに。マスターは変なことを言った。
「アサナシアに欲情したわけじゃない」
当然だ、と思った。
マスターのような高貴な偉大な方が、私のような化け物に欲情するわけがない。だけど。
私のなかで感情が揺らめく。
私はマスターにならすべてを捧げたってかまわない。長い一生も、身も心も、何もかも。
だってマスターは、私の人生のすべてだ。
恥ずかしいことを言って、逃げ出したあとで。
マスターの困惑した顔が頭から離れなくなった。
(ばかなこというなよ、)
とマスターの顔に書いてあった。
ばかなこと。
私とマスターが、子を成すこと。
私は湖にたどり着く。
水面に映った姿を見て、笑えた。
マスターの気持ちを考えず、勝手にのぼせあがった浅ましいアサナシアが、とても幸せそうに見えたからだ。
幸せそうな、ひとりぼっちのアサナシアがそこにいた。
私はずっと、憧れていたのかな。
番となり、子を宿し、家族をつくることに。
永遠に姿の変わらない化け物なのに。
でも……マスターだって、化け物に言い寄られても困るはずだ。
湖にうつる、マスターのとなりにいられるだけで幸福そうな姿を見て、つぶやく。
「私はキノウに過ぎないのに」
キノウ?
私は、何を言っているのだろう?
言葉に出したあとで、私は私に疑問を感じる。
湖のなかの私は、笑いながら私を見ている。
「カタマヴロスって名前が、広まると良いな。
リョーって名前が、私だけのものになったら良いのに……」
湖に投げかける言葉も、歪む姿も。
本当に浅ましく、そして醜い。