聖女アメリアには霊感があった
聖女アメリアには霊感があった。
教会はアメリアに「聖女は死ぬ」と伝えなかったが、アメリアは、聖女は死ぬと知っていた。
エオニア国のアサナシア教会本部大聖堂、その裏にある霊園を訪れたときに2番目の聖女が幼いアメリアにささやいた。
「逃げて」
「聖女は魔病封印の生け贄、貴女は騙されている」
「魔王は花嫁を愛さない。魔王の遺骸の封印には、痛みと苦しみしかない。だから、魔王のところに行っちゃダメ」
アメリアは忠告に感謝した。感謝したが、聖女の役目から逃げようとは思わなかった。
アメリアには信仰があったからである。
アメリアはアサナシア教会の孤児院で育った。
赤子のころは、聖なる音色を子守唄に眠り。祈る意味のわからないよちよち歩きの頃から、寮母に手を引かれて、礼拝堂で一日に何度も祈りを捧げるのが日常だった。
アメリアは、母の顔を知らない。
女神アサナシアの石像の慈愛あふれるお顔を見上げては、きっと母はこのような顔なのだろうと想像した。
そして、女神アサナシアと聖女アサナシアに祈りを捧げた。
アメリアが聖女であったとわかったとき、アメリアは祈りが通じたと思った。生まれ育った教会の皆が好きだった。聖女となり魔病を封印することは、皆に恩返しができることだと考えた。
聖女は死ぬと知っても。
聖女として大陸の民のために死ぬことは、アメリアにとっての生きることだった。
アメリアは祈り続けた。
そして18歳のときに、歴代の聖女たちのなかでもずば抜けた神聖力をもって、魔王の遺骸の封印に臨んだ。
封印に臨む聖女は、「魔王の花嫁」とも呼ばれた。アメリアは花嫁衣装になぞらえた、質素な白いドレスに身を包む。
そしてみずから、強い意志をもって、魔王の遺骸に向かって飛び降りたのだ。
魔王の遺骸に触れると、
アメリアは、深い闇のなかに落ちていった。
ここはどこだろうと考え、はびこる魔の気配に、魔王の遺骸のなかかもしれないと気づく。
霊園のふたりの聖女たちの話とは違った。
彼女たちは「遺骸に触れた瞬間に想像を絶する痛みがあった」「自分の身が引き裂かれて、魔王の遺骸を覆う膜になるのを感じた」と言ったのに。
闇のなかを彷徨い歩くと、可愛らしい声を聞いた。
「リョー」
アメリアの前に、闇のなかに座り込む少女の背中があった。生成りのワンピースに、金色の長い髪。
少女は、闇に向かって何かを呟いている。
「私たちの大陸をとりもどそうね」
誰だろう、とアメリアはぼんやり思った。
白いドレスの長い裾を少し持ち上げて、少女に近づく。
少女はアメリアを振り向いた。
綺麗な顔立ちだ。白い肌、金色の長い髪、憂いのある紫色の瞳――
アメリアは衝撃を受ける。
少女はすぐに顔を背けて闇を見つめ、また、独り言を再開する。
「私たちの赤ちゃんが、安全に暮らせるように」
「アサナシア、様?」
アメリアの前に、聖女アサナシアがいる。
伝承どおりの金色の長い髪、紫色の瞳だ。
だがアサナシア教の教えでは、聖女アサナシアは魔王の封印後に女神アサナシアに楽園に迎え入れられたことになっている。
『私の分身アサナシア、よく務めを果たしましたね』と、女神に褒められ、楽園に眠る。
そのアサナシアが、魔王の遺骸のなかにいる。
(でも、考えてみれば――ひとりめとふたりめの聖女も霊園に眠っている。楽園へは行っていない)
アメリアは心のどこかで、女神アサナシアに。『よく務めを果たしましたね』と褒められたかった自分に気づき――おのれを恥じながら立ち尽くす。
アメリアは、アサナシアを見つめる。
アメリアが衝撃を受けたのは、アサナシアがこんなに暗く寂しいところにひとりでいる、それだけではなくて。アサナシアが想像以上に幼かったからだ。アメリアより年下、多く見積もっても16歳ほどにしか見えなかった。
人間の聖女アサナシアは、華奢で、顔色が悪く、不健康そうに見えた。
アメリアは気づく。
なぜアサナシアがここにいるのかを。
(アサナシア様のご遺体は、霊園にはなく……ここに、あるのだわ)
アメリアは悲しくなる。
聖女は「魔王の花嫁」と呼ばれはするが、儀式が終われば遺体は回収されて霊園に眠る。安らかな眠りがある。
本当に魔王の花嫁にさせられてしまったのは、最初の聖女、アサナシアだけなのだ。
アメリアはアサナシアを助けたいと思う。女神アサナシアだけではなく、大陸を魔王から解放した聖女アサナシアもずっと、アメリアの心の支えだったから。
アメリアはアサナシアの前までまわると、白いドレスの裾をつまみ、カーテシーをして深々と挨拶をする。
そしてアサナシアと目線を合わせようと座り込むと、微笑んだ。
「こんにちは、アサナシア様。
私は此度、貴女の意志を継いで魔王の遺骸を封印しにきました、アメリアと申します」
アサナシアは、俯いている。
アメリアを見ない。
「アサナシア様、提案がございます。
私と、とりかえっこしませんか?」
アサナシアは、呆然とアメリアの顔を見つめた。ようやく見てもらえた、とアメリアは嬉しく思う。
「貴女様は、こんな寂しいところに居て良い方ではありません。ちゃんと霊園に眠って弔われるべきです。私たちのアサナシア様ですもの」
「ですから、私の遺体と貴女様のご遺体を、とりかえっこいたしましょう? 聖女ふたりで祈れば、きっと、女神様は想いに応えてくださるはずです」
アメリアは立ち上がると、もう一度、白いドレスを指先でつまみ、裾を広げた。
「ほら、アサナシア様。見てください、私のドレスを。私が『魔王の花嫁』を貴女様と代わりますから――」
アサナシアは、静かに立ち上がった。
アサナシアは両手をアメリアに伸ばす。
「私、」
急に首を絞められて、アメリアはもがき苦しむ。
「私の、」
細い手首のどこにそんな力があるのだろう、というような強さで。
アサナシアは首を絞めたまま、黒く淀んだ空間にアメリアの体を強く押し当て、『遺骸の外』に押し出す。トプン、と体が外に出た瞬間、アメリアは身が引き裂かれるような激痛を感じた。
長い苦しみが終わるころ、アメリアは、そばにアサナシアとは別の幽霊がいるのに気がついた。
黒いローブを羽織った黒髪の男が立っている。
横たわるアメリアのそばに男は静かに両膝をつき、うなだれる。
アメリアの人生において、祈り続けた聖女アサナシアはアメリアにこたえなかった。代わりに見知らぬ男が、死に行くアメリアを見守っている。
男は、掠れる声で言った。
「無力で、ごめんな」
次に名を呼ばれて目覚めたとき、アメリアは暖かな陽射しのなかに居た。聖女の眠る霊園にアメリアは立ち。よく知る顔が目の前にあった。
それは生まれ育った教会をとりまとめている聖職者で、アメリアにとって父のような男だった。
顔に刻まれた深い皺のなかに、大好きな藍色の優しい瞳があった。
「アサナシア教の聖職者として、本来、こんなことは決して口にだしてはいけないことは、わかっている。だが」
アメリアの好きな花ばかり。好きな色ばかり集められた大きな花束が、アメリアの足元にあった。
「生きていて欲しかったよ、アメリア」
霊園に眠る幽霊となっても。アメリアはときおり目覚めると、女神アサナシアに祈った。不本意な死を遂げて、闇に囚われている聖女アサナシアの魂が救われるように祈った。
死人に口はない。
だからアメリアはもう、どんな事実も想像も、どんな想いも口には出せない。
ただ、聖女アメリアには霊感があった。
だから、アメリアだけが知っていた。




