34. 差しのべる手
白いドレスの少女が、暗い穴へと落ちてきた。亡霊のような俺は、届かない声で聞く。
「なあ、アサナシア。俺って――死んでいると思うか?」
百年に一度、魔王の遺骸の封印のために、神聖力を持つ少女が供物として捧げられる。
アサナシア教会が「聖女」と呼ぶ彼女らは、魔王の遺骸に触れると、ひどい苦しみに晒される。そして、神聖力と生命力のすべてを用いて魔王の遺骸を封印で覆いはじめる。
魔王の遺骸と呼ばれる黒い魔力のかたまりは、もとは俺の魔力だが、質が変容して以降、俺には自由に扱えなくなってしまった。肉体がないためなのか、魔力が想いに反応しない。
最初に聖女が落ちてきて、その末路、遺体を見てから――どうにか魔力を動かして助けたいと考えた。次の百年をかけて努力した結果、少し動かせるようになった。ほんの少し、微々たる変化を与えるだけだったが――
だが、次の聖女が落ちてきた瞬間、俺は魔力を動かすことが全くできなかった。
見知らぬ少女の死体を前に、
何故かと考えていると、アサナシアの笑い声が聞こえた。
俺は気づく。
アサナシアは俺に、協力していない。
魔王の遺骸は、俺の意思だけでは動かせない。
俺ひとりのものではないからだ。
無関係な少女たちが何百年も前に起こった『俺たちの選択のせい』で死んでいくことを、俺は認められず、助けたいと思った。
何度もアサナシアに問いかけ、説得を試みるも、静寂が返ってくるのみだった。
魔王の遺骸のなかで、何もできずに人殺しになり続けるのなら、俺たちは本当に、死んでいるのと同じだ。
なあ、そうだろう? アサナシア。
あの日、俺がアサナシアに生きることを願ったために、アサナシアの代償は失敗した。
アサナシアの願いは叶わなかった。
闇の中に来た当初、アサナシアは『願いを妨げた俺』を憎んで、顔を見せてくれないのかと思っていた。
百年 過ごすうちに、気づいた。
もし憎んでいたら、気配すら感じさせないはずだ。
アサナシアはちゃんと、俺のそばにいることを選択している――
聖女たちの封印は強固なもので、聖女が死んですぐは、俺は外の世界に魔力を干渉させることが一切できない。しかし、百年の節目が近づくと、結界のほころびから外の世界に、かすかに魔力を漂わせることが可能となった。
俺は願う。
アサナシアとつくった大陸が、今どうなっているかを見たい。マヴロスの大地にて、仲間がどうしているかを知りたい、と。
アサナシアと俺の想いは一緒のようだった。
俺たちはかすかな魔力を動かして、大陸中を漂わせる。それは幾ばくかの情報を、俺たちにもたらしてくれた。
俺にとっては、聖女を助けるための魔力操作の練習にもなっていた。だが、やはり聖女を助けることはアサナシアの意に反するようで、百年ごとの儀式の際は、うまくいかない、助けられないという結果が続いた。
魔力を外に向けて動かせるとき、俺は「生きている」と感じた。
聖女が助からずに死ぬとき、俺は「死んでいる」と感じた。
六度目。六度目の儀式のときだ。
その年、穴に落ちてきた白いドレスの少女は、血を流していた。そして、魔力の気配を帯びていた。
俺は一瞬、代償かと考え、すぐに違うと気がついた。
少女は、魔石を持っていた。
苦しみ、痛みに絶叫する声を、厚い膜の向こうに聞きながら、思う。
なぜ。状況への対抗打があるなら、なぜ使わない?
しばらくして、慌ただしく誰かがやってきた。白いローブ姿の青年が、少女に呼びかけている。しかし少女にはもう、聞こえていない。
関係性はわからない。兄妹なのか、恋人なのか。
青年は、魔王の遺骸を攻撃し、少女を助けようとした。敵わないとわかると、俺を見た。
憎むような、縋るような目で。
その後、彼は床に何かを描き出した。ものすごい勢いで。幾何学的な模様が連なり、どんどん増えていく。これは――魔法陣だ。
何をするつもりなんだろう。
心が踊った。
魔法陣に彼の血が滴ったとき、強い願いを感じた。
戻りたい、と。
ああそうだ、俺も戻りたい。
アサナシアと初めて会った日に。入り江で魚をとった日に。美味しいものを食べて嬉しそうだった日に。俺のとなりで怒ったり笑ったりしていた日に。はじめてつながりを持った日に。麦の穂波を見つめた日に。「リョー」と呼んでくれた日に。
ちゃんと顔を見たい。
会って、話をしたいんだ。
俺は、強く想う。
俺は、死んでいない。
生きている。
アサナシアとつくった大陸の行く末を、アサナシアと共にみるんだ。
魔王の遺骸は動いた。
アサナシアと俺の気持ちは一緒だ。
アサナシアの手が、俺の手に重なるのを感じた。
救いの手を、差しのべたのか。
差しのべられたのか。
俺たちは彼に協力し、彼の願いを叶える。




