30. 最悪の選択
【これまでのあらすじ】
妻アサナシアと息子のレフコスにとっての最善は、プレーヤーに保護されることと考えるリョー(魔王カタマヴロス)は、アサナシアに自らを封印させることを画策する。
勇者の剣撃により、魔王城の壁の一部が崩落した。ハチドリのタフィは大きな音に驚き、はばたき、俺の頭の上へと舞い戻る。
剣撃を避ける俺に魔術師の詠唱が飛んでくる。タフィを守ることを優先しながら、すべての魔術を跳ね返す。
一対八で勇者一行と戦う。魔王は、人間と異なり魔術の発動に時間を要さないので、脅威には感じてもらっているようだ。
できれば頭の上のタフィをアサナシアに託してから、敵と対峙したかった。勇者一行と共にアサナシアが来なかったので、タフィを頭に乗せて戦うはめになっている。『危険を感じたら逃げろ』と話すも、もちろん、ただの小鳥にわかっている素振りはない。
しかし戦ううちに、タフィも俺と共にアサナシアを待っているのだという気持ちになってきた。
小鳥の体の重みが頭に戻ってくるたびに、それは俺に力を与えた。
俺は、タフィに願う。
アサナシアと共に、永遠に生きてくれ。
アサナシアを、笑顔にしてほしい。
俺にはもう、それができないから。
勇者たちの攻撃の手が止み、ようやく廊下の向こうから聖職者たちに連れられ、アサナシアがやってきた。俺は城の床が崩れた、一段下がった場所に立っており、アサナシアを見上げた。
妻は白い、見覚えのないドレスを着て俯いている。手のなかに金色に鈍く光る『聖なる剣』が見えた。
そうだ、それでいい。
魔王を封印し、聖女として過ごすことがアサナシアの幸せだ。
聖職者が魔王への敵意を叫ぶなか、頭の上からタフィが飛び立つのを感じる。
アサナシアのもとへ行くのだと俺は思った。
しかし、違った。
アサナシアを見たタフィは、まるで別の方向へと飛び立っていってしまったのだ。
戦闘によって壊れた壁の隙間から、光差す外へと。アサナシアのことを、無視して。
何故?
呆然と、タフィの飛び立っていった壁を見つめる。
アサナシアと共に居てくれよ。
アサナシアも、タフィを見ていなかった。
アサナシアは、俺を見ていた。
タフィの姿を見送ったのは俺だけだ。
動揺する黒い瞳を、爛々ときらめく紫の瞳が見つめている。希望に満ちあふれるような明るい瞳で。アサナシアは剣を手に、俺に飛び込む。
「リョー!」
俺はアサナシアに向けて、両腕を広げた。
アサナシアを抱きとめるが、剣で刺された感覚はない。いつもの、やわらかなアサナシアの髪のにおいがしたのは一瞬で。血のにおいが満ちる。
俺はアサナシアを腕に抱いている。
金色の剣が胸に深く刺さった、血まみれのアサナシアを。
どうして。
不滅なのに。こんなこと――
強い違和感が俺の胸にさす。神聖力よりも、アサナシアの魔力を感じるからだと気づく。理解より先に、恐怖で体が震える。
カラン、と音をたてて、聖なる剣が床に落ちる。何故? アサナシアの背中にあった俺の手に、あたたかな血があふれだす。恐る恐る探ると、アサナシアの心臓があった場所に、ぽっかりと穴があいている――
『アサナシアもだぞ』
『え?』
『代償を使うな』
何を、願って――
俺の腕のなかで、アサナシアの魔力がほどけて。神聖力と混じり合い、霧散していく。胸にあいた穴からはじまって、アサナシアの体が、存在が、血にまみれてぐずぐずに崩れ落ちようとしているのを全身で感じる。
嫌だ。
嫌だ、嫌だ、嫌だ、嫌だ、嫌だ、嫌だ。
願いの代償に崩れていくアサナシアの命を、俺は俺の魔力で、命で、包もうとする。アサナシアのかたちをその場に留めようと。必死で。膨大な魔力が、体が、魔王という存在が、すべてその目的に向けて動く。身体中の血がぐらぐらと煮えたって、魔力が制御できなくなり――視界が暗転した。




