25. ちがう
※ アサナシア視点です。
知らない土地に急に連れてこられたあと。
「マヴロスに帰せ」と私は獣のように暴れまわった。リョーのもとに敵が押し寄せているときに、こんなわけのわからないところにいられない。
はやく助けに行かなくちゃ。
私はリョーと一緒にいたい。
見たこともない、美しく整えられた豪華絢爛な部屋はたちまち、めちゃくちゃになった。カーテンは引き裂かれて、家具は壊れ、私は割れた木片で頬を切り血を流している。
『そのひと』の召使いたちは、私を暴れるクマを見るように遠巻きに怯えていた。
『そのひと』が部屋に入ってきたとき、私は動きを止めた。
銀色のさらさらとした髪に、赤い瞳を持つ男は。獣のような私を見て笑った。
「アサナシア」
私は理解した。理解したくないことを。
私の中にもうひとり、私がいて。
耳元で囁いた。
『マスターに会えてよかったね、アサナシア』
私は暴れるのをやめた。服の裾を握りしめて、震える声で「帰りたい」と呟いた。
「どうして?」男は聞いた。
その瞬間から、「帰りたい」の声は、喉を通って出てこなくなってしまった。
私はこのひとに逆らえない。
このひとを『マスター』と認めたくない。
けれど、このひとの命令……命令でなくても、意に反することはすべて。
私には『できないこと』だった。
私は、このひとの操り人形だ。
男は、大切なお人形のように私を扱った。
私に美しい部屋と綺麗なドレスを用意して、自ら櫛で私の髪を梳いた。
ドレスは動きにくくて嫌だった。
あまり知らない男に触られるのも、嫌だった。
見た目にも美しい、食事の味を覚えていない。
私がはしゃぎ声で、耳元で囁く。
『とっても美味しいね』
でも私はそのとき、小さな姿のリョーが、はじめて作ってくれたヤキトリが食べたかった。
あのころは塩もなかったはずなのに、本当に美味しかった。
こんな、美しいドレスなんていらないから。
リョーとふたりで。粗末な服で。
焚き火を囲んだ、あの夜に戻りたかった。
男は私の手を引いて、街に案内する。
広い街は、見たことのないものばかりだった。
きらめく海岸の白い砂浜では、『水着』という服を着た人たちが泳いでいた。
「今度、アサナシアにもつくってあげよう」
私の口は、「はい、うれしいです、マスター」と答える。
けれど私は、マヴロスの小さな入り江で。
裸になって、リョーと泳ぎたかった。
魚を獲って、美味しそうって笑いたかった。
はじめてのキスを許したときも。
心の底では、嫌だって思っていた。
けれど私には抵抗することも、ましてや嫌がるそぶりをとることすら許されなかった。
私の『キノウ』は、男に惚れているかのように、動くのだから。
助けて、と思った。
心が千々に壊れそうだった。
リョーの無事を案じながら、
私はよく知らない男にキスを許している。
何日めかの夜が来て、そのひとは私を抱こうとする。私は、
全力で抵抗したい、相手の舌を噛みちぎりたい気持ちで、それが叶わない状況に追い詰められる。
私の耳元で私は囁く。
『マスターはこのひとなんだから』
違う。
『悪い魔王に騙されていただけ』
違う、リョーはそんな人じゃない。
『でも、マスターはこのひとじゃん。
アサナシアは、このひとの番なんだよ』
違う。
『このひとが運命の人なんだ、会えてよかったね、アサナシア。
これから、抱いてもらえるの、よかったね』
違う。
リョー、助けて。
勇気を振り絞って名前を呼ぼうとする。
「リョー」
『マスター』は私の口をふさぐ。
赤い瞳は、細められて優しく私を見つめる。
ベッドの上に組み伏せられて。
私の全力の抵抗を、『アサナシア』が阻止する。私はもうひとりの私に、自由を束縛されている。
……もうひとりの私なんて、いるの?
美しい銀髪の男は、囁く。
「愛しているよ、アサナシア」
愛しているなら触れないでほしい。
私の中の『アサナシア』がよろこぶ。
このひとに触れられて。
けれど私は、違う。嫌悪感でいっぱいだ。
私はリョーのことだけを想っている。
たとえリョーとの間に子どもができなくても。
リョーにだけ抱いてほしいのに。
いやだ、いやだ、いや、いやだ。
『アサナシア』は私をわらう。
『でも、それが、リョーがマスターではない証拠でしょ?』
違う。
違う、違う、違う、違う、違う、違う、違う、違う、違う、違う、違う、違う、違う、違う。
ちがう。




