22. タフィ
「なあ、アサナシア。お前の運命の相手が、俺じゃなかったらどうする?」
結婚式の前の晩。ベッドの上でごろごろしながら、「明日が楽しみで、ドキドキして眠れない」と笑うアサナシアに聞く。
アサナシアはきょとんとした顔で、窓辺に立つ俺のところに来る。
アサナシアは、綿でできた生成色のワンピースを着ている。寝巻きにしているものだ。
俺は、黒い襟付きのシャツとズボンの上に、黒いローブを羽織っている。ルーキスの協力もあり、この数年で、衣服もだいぶ進歩した。
「そんなわけないですよ。マスターが、私の運命の相手です」
「お前のマスターが、俺じゃなかったらどうする?」
「えっ?」
アサナシアは、ぱちくりと瞬きを繰り返す。
窓から吹き込む夜風に、アサナシアの長い金色の髪がふんわりと揺れた。
「マスターが何を心配しているのかわかりません。
リョーが、私の運命の相手ですよ」
アサナシアが笑ったので。
ああ、もういいか。
やめよう。
俺もアサナシアを運命の相手だと思って。明日の結婚式で、ずっと一緒にいることを誓おう。そう思った。
このマヴロスに何人の異世界転生者がいて。何人のプレイヤーがいて。いくつのルートが同時進行しているのか、俺にはわからない。
だが『宗教ルート』のプレイヤーは、異世界転生者だ。そうでなければ、布教につとめる宗教の名前に『アサナシア教』なんてふざけた名前をつけるわけがない。
アサナシアの姿は、プレイヤーの誰かがキャラメイクしたものかもしれない。でも、俺がデフォルトのアサナシアを覚えていないので、魔王の姿と同じでデフォルトの姿である可能性もあった。
それか、プレイヤーではなく、俺たちよりずっと上の上位存在がつくったものかもしれない。
わからない。
『宗教ルート』は『魔王ルート』と対を成すルートだ。魔王ルートはマヴロスに船団でやってくる宗教ルート&開拓者ルートの者たちを退ける必要があるし、宗教ルート&開拓者ルートは打倒マヴロスの魔王を目指す。
アサナシアは、宗教ルートにおいてもヒロイン候補のひとりだった。宗教ルートにおけるアサナシアは『魔王の下で、意に沿わない扱いを受けている女戦士』……的なところだ。
でも、意に沿わない扱いなんて、していない。
村のみなに祝福されながら、結婚式で誓いのキスをするときのアサナシアの嬉しそうな顔といったらなかった。
アサナシアはもう、俺の妻だ。
俺は、結婚が子どもができることのトリガーになっていると思っていたから、アサナシアにもそう話していた。結婚したらきっと、子どもができて、家族が増えて――そんな未来を俺たちはぼんやりと思い描いていた。
けれど、俺とアサナシアの間にはいつまでたっても子どもができなかった。アサナシアは、それですこし落ち込んでいる様子だった。
村に木でできた家々が並び。延々と広がる黄金色の穂のなかを、手を繋いで行き交う子どもたち。
俺とアサナシアの。村のみんなの開拓の末に村が発展し、冬を越せるようになり、食料が安定して手に入るようになり。それとともに、増えていった村の子どもたち。魔物との混血の子も、混血でない子も、仲良く遊んでいる平和な光景だ。
ふたりで遠目に、遊ぶ子どもたちを微笑ましく眺めながら。アサナシアがふと、こぼした言葉。
「いいな」
あの日、必死にアサナシアとかき集めた小麦の子孫が。小麦の穂が、たくさん風に揺れて。アサナシアの髪のように金色に波打っていた。
ルーキスは最初、アサナシアに対して敵意をむき出しにしていたが、数年たって魔王城が完成し、俺たちが結婚する頃にはもう、アサナシアに対する警戒をすっかり解いていた。
ルーキス曰く。
「アサナシア様がどれだけ頭がお弱いかがわかりました。私たちの敵ではありません」
「ルキ、ひとの妻を侮辱するなよ……」
「申し訳ありません。しかし、事実です」
俺とアサナシアは小さなルーキスを「ルキ」と呼んで可愛がっていた。最初に出会った頃より少し背丈が伸びているが、まだまだ背伸びしているだけの子どもといった印象だ。
アサナシアは、ルーキスの肩に後ろから手をまわしてハグしようとする。
「ねえ、ルキちゃん。私たちの子どもにならない?」
「遠慮します」
ルーキスは慌てて、するっと逃げだす。ハグされたりなんだりがあまり得意ではないのだ。
「ボクが子どもになってあげるよ。リョーのだけだけどね!」
「俺は俺だけで子を成せるような器用な生き物じゃない!」
「そんなこと言わないでよ、ママァ〜」
「クヴェちゃん、リョーをリョーって呼ばないで! 呼んでいいのは私だけなんだから!」
クヴェールタは相変わらず変態だ。
なお、クヴェールタとルーキスは仲が悪くて会うたびにお互い『好かない』という様子を見せている。
俺とルーキスは、いつか来るであろう侵略に向けての準備も行なっていた。
『宗教ルート』のプレイヤーは、魔王打倒に成功した場合。開拓者たちの力を借りながら、別大陸で興した宗教をマヴロス大陸に広めていき、開拓者たちとともにマヴロスという大陸を我が物として開拓していく。
つまり俺には、ストーリー進行上、負けられない戦いが待っている、ということになる。
ここまで開拓を自分の手で進めたのに、他人に『開拓』を奪われてたまるかよ。
だが、マヴロスに外からの船は一向に来る気配がなかった。何年たっても、俺はルーキスとの約束を果たせないままだった。
崖の上から海を見る。きっといつか、船の大群が押し寄せるであろう海を。
「来る日は、来る」
自戒のために、ルーキスに告げた言葉を繰り返す。来る日は、来るのだと。
さらに数年がたち、グルーニが亡くなった。
大往生だった。もちろんグルーニの妻や子が先に亡くなっていて、今は孫の世代になっている。
俺とアサナシアも、グルーニの埋葬後、人が減った頃合いを見計らって花を供えに行った。
アサナシアは寂しそうな表情で、摘んできた白い花を、一本ずつ手向ける。
「マスター、私、わかったことがあるんです」
「私もマスターも、永遠に若いまま生き続けるから。だから、子孫が必要ないのかもしれません」
そんなことない、と言ってあげたかった。
元のゲームではちゃんと、魔王とアサナシアの間に子どもができるのだと。けれど、俺たちにはいつまでたっても子どもができない。
何度、愛しあっても、愛しあっていても。
「そう、神様が判断されたのかも」
ピチチ、と声がして、アサナシアは顔をあげた。薄茶色の羽を持つちいさな小鳥が、アサナシアの手元の花をついばもうとしている。ハチドリのようだ。
「なあに? ほしいの? あげる」
アサナシアは笑って、グルーニにたむける花を一本、ハチドリにあげた。
するとハチドリは、思いのほか重かったのか、花をグルーニの墓に落とした。
アサナシアと俺は顔を見合わせて、笑った。
「あなたも、一緒にグルーニの冥福を祈ってくれるのね」
不思議なことに、優しい声をかけたアサナシアの指に、ハチドリは止まった。
ハチドリを見つめるアサナシアの眼差しは、優しい。
「その鳥、飼おうか、アサナシア」
「飼う?」
マヴロスには家畜を養う概念はあっても、ペットを飼う概念がない。
アサナシアは不思議そうな顔をした。
けれど俺は、転生前の世界で。子どものいない夫婦が犬や猫を飼って、幸せそうに暮らしていたのを思い出したのだ。
「アサナシアが大事にしたら、きっとその鳥も、アサナシアを大事にしてくれるよ」
ハチドリは逃げなかった。
「私のところに、きてくれるの?」
アサナシアは柔らかく笑いかけた。
「名前をつけてあげよう」
「うーん……埋葬の日に出会ったから、タフィちゃん」
「ピチチ!」
埋葬ちゃんって。
アサナシアのネーミングセンスに呆れながらも。タフィに笑いかけて嬉しそうなアサナシアを見て。俺は心が軽くなるのを感じた。
それからタフィとアサナシアは、いつも一緒にいた。不思議なことにタフィはアサナシアのそばを離れなかった。まるでこの世界に来てはじめて見たものがアサナシアであったかのように――母親であるかのように、タフィはアサナシアについてまわった。
タフィは俺の癖っ毛の頭で昼寝をするのも好きで。アサナシアは本当に嬉しそうに、困り果てる俺とタフィのことを見ていた。




