08 獣狩り
かさりとも音をたてることなく、森の深い草地を走る巨犬ポチと、続く少女アシリレラ。それを追いかけるモーストは、隣りを行くテパに訊ねた。
「あんたらのプルートキングドッグは人をこき使うんだな」
自分たちの部隊にも1匹プルートキングドッグはいる。階級は一等兵。あそこまで強くないが戦闘調教師に完全服従する忠犬だ。テパは情けない顔で答えた。
「姫は、下にも置かないあつかいしてるっしょ? 俺たちより待遇いいくらいっす」
モーストは返事をするテパに面食らう。訊きはしたけど、応じてくるとは思わなかったのだ。こいつらオラシオンとは、先刻まで死闘を繰りかえしてたのに、驚くくらいおくびにださない。
「ホントに『姫』呼びなんだな。ネットで知ったときは冗談かと思ったぜ」
『姫』ことアシリレラも、この男も、とても人なつっこい性格をしていた。
「姫は姫っしょ。オラシオン族長の娘。あれで誰より強いっすよ」
オラシオンには、暗いウワサがいくつもあった――
・族長を筆頭に怪しげな呪文を使うカルト集団
・独特の教義『殺すほどに徳を積め、死後は高い地位につける』がある
・血に飢え、殺戮を好み、激しい任務がないときは、仲間うちで殺し合う
・一族が数を減らしても省みない。
――だが、イメージとウワサが食い違う。モーストの身長は175センチある。標準的な帝国軍人より低いが、オラシオンは皆それより10センチは低い。顔つきが童顔であることも手伝って中学生だ。アシリレラはりわけ小さく、小学生にか見えない。高く見積もってでも軍人ではなくアーミーコスプレの子供だ。
「あれだけ若い少尉はなかないいないぜ。強いのはたしかだろうが、少尉クラスは戦術が重視される。あんなちんちくりんが強いなんて、盛ってないか」
わざと『姫』を否定してみた。この軍曹の態度でうわさのほどが知れる。能天気の裏に隠した本音をさらけ出してみろ。
「あー。ちんちくりんだけど盛ってはいないっすね。抜けたところはあるっすけど」
(コケ下ろした? 探りに感づいたなら、見事なとぼけぶりだ)
「……止ったっすね」
前を行くアシリレラが伏せた。モーストとテパもそれに倣う。先にいる老犬がふり返ったので、アシリレラはそこまで、ほふくで進んだ。老犬は11時の方向に鼻先を向けた。
「あそこにいる角付きの大熊のような獣を狩れというんですか」
(角付きの大熊だと……?)
イヤな感じがする。モーストは目を凝らした。あたりの景色は夜闇のようだが、目は数分前から慣れていた。樹々や蔓、葉を茂らせて複雑に生い茂る雑木の隙間に、巨大で危険な毛皮がゆっくりと動く。
「い、一角熊じゃないか。たしかに肉は旨い。うまいが、とんでもなくやべーヤツだ」
「……すぅ」
犬は前足に頭を載せて寝そべった。怠惰に、しっぽをひょいと上げて下げる。
「おいおい。寝ちまったぞ。どうするんだ」
「『たのんだ』ってことっすね」
「俺たち3人でやれってのか。あの犬なら一撃だろう。てめーがやれよ」
冗談じゃない。一角熊は、その大きさから鈍重だと勘違いされるが、足が速くて俊敏だ。鼻も利くしカンも良い。高い木だって難なく昇る。その運動性を武器に森では敵なし。食物連鎖の頂点にいる最悪の獣だ。
「エサを調達するのもハンドラーの仕事っすから」
「だったら別のをやれよ!」
声が裏返った。苔イノシシとか跳ねウサギ。大人しい獣ならほかにもいる。なぜよりによって、凶悪な獣なんだ。あのプルートキングドッグはどれだけグルメだよ。
声を殺したアシリレラの叱咤がとぶ。
「静かにして……」
「……すまない」
モーストは頭を冷やす。彼は盗聴した通信時を聞いてる。深読みしないなら、連中は帝国軍に裏切られたことになる。だが、それが罠でないと誰が言い切れる。
一角熊をみつめる彼女の斜め後ろに近づく。背中を無防備にさらしてる。この位置であれば、背後から締め殺すこともできる。
(どうするか)
この娘は投降すると言ってきた。テパの能天気ぶりと娘の言葉。本気なのか。提案に乗れば一連の騒動は納まる可能性が高い。だが信じて連れ帰り、それが偽りだと分かったとき、自分たちは内部から切り崩される。判断がつかない。
「モーストさん。このあたりに川はありますか」
「あ。ああ。なんだ? 川」
「ええ、川です」
「浅い谷なら近くにある。左側が斜面になってるのがわかるか。伝っていけば着く」
何を言い出すかとおもえば川。喉が乾いた。それとも体を洗おうというのか。戦闘スーツは保温保湿に優れ防護力もあるが、新陳代謝までは考慮されてなく、長期の着用はつらい。一角熊はあきらめるのか。あり得ないことでもない。
「ありがとうございます。テパ。血抜きの準備」
「わかりっす」
テパは言われて左の斜面を降りて行く。
(仲間と別れた……だと)
俺と2人だけでやるつもりなのかこいつは。いや、獰猛な一角熊をけしかけ俺を殺す気だったか。それなら先に動いてやる。武装解除されて丸腰だが、小さな娘も武器をもってない。1対1の肉弾戦なら楽勝だろ。そもそも強敵のプルートキングドッグにやる気がない。アシリレラは姿勢を変えた。
モーストは拳を握り構えると、来るであろう攻撃を予想する。俺なら蹴りだな。直に後ろ蹴りなら足を払い背中を肘うちしよう、まわし蹴りなら逆からまわり込んで……
少女がつぶやく。
「斬り込みます。ほかに獣はいないようですが、まさかのときは後ろを任せます」
マキリに手を置き、まっすぐに、闇中を歩いていったのだ。
「なにっ!??」
モーストは毒気を抜かれた。ぽかんとあっけにとられた。
「山においでなさる神の化身よ――」
近づくアシリレラに気負いはない。森ではなく湖のほとりでも散歩するような、リラックスした足取りだ。あたりが静かになる。なにやら、鼻歌めいた聞いたこともないフレーズを口ずさみさえしてる。
「――いまわれらが肉となり命の礎とならんことを切に願いおんたてまつる――」
一角熊は気づいてふり返る。仁王立ち。みたこともない巨きな体躯だった。少女の3倍はある。額の傷は多くの激戦を潜り抜けたことを物語る。数多の獣を食らい、雄同士の熾烈な縄張り争いを勝ち抜いた証だ。この地における孤高の一頭は、いまも追いすがる蜂の大軍をものともせず、蜂の巣を左手で嵐エサとしていた。
ニヤリと笑ったように、モーストには見えた。たかが弱い人間ひとり、何様のつもりだという優越したようだった。
熊は右腕をふりあげ、何気なく降り下ろした。あいつの体が斬り裂かれる。モーストは、わかっていても動けなかった。
「――キムンカムイ」
しかし、右腕が降り下ろされることはなかった。ふり上げた状態で、金縛りにあったように動けなくなり、目を開いたまま崩れるようにその場に倒れた。
静寂になった森に喧騒が戻る。アシリレラは倒れた一角熊の胸をマキリで一突き。刃物は抜かず、手を合わせ祈りの言葉を捧げる。
「山の髪に誓います。与えられし化身の肉は一片たりとも無駄にはしないことを」
熊の目から生気が消える。命絶したのだ。
フリーズの解けたモーストが詰め寄る。
「お、おい、なにをやった」
「キムンカムイのオンカミです」
「なに? キム、オンカミカミ?」
岩を落とし火を噴く、奇術を使うと聞いてはいた。予め仕掛けておくとか、なにかトリックがあると考えていたが、はっきり見た。これは違う。注射も銃も無しに、狂暴な初見の一角熊が、一瞬で寝たのだ。出たとこ勝負で仕掛ける時間はなかった。
「キムンカムイのオンカミ。祈りをささげて山の神から肉をいただくのです」
「だからオンカミっていうのはなんだ」
「オンカミはオンカミです」
なんの説明にもなってない。オンカミというのがオカルト技か。
テパが斜面を登ってきた。手作りの縄を肩に担いでるのが野性的だ。
「蔓でロープつくったっす。姫っ。お。さすが鮮やかっすね川に運んで血抜きっすね」
「うん。いい肉だ。大尉も喜んでくれるだだろう」
アシリレラはほくほく顔。熊の胴体に縄をかけ、テパとともに引っ張る。しかたなく、モーストも手伝う。
川の冷たい水に着ければ肉を傷めないで血抜きできるという。真っ暗になるまで時間をかけ一角熊の血抜きを終える。目を覚ましたポチがやってきてかぶりついた。腹いっぱいに、ひっくり返るほど食べたようだが、臓物と肉の1割も減ってない。
肉を切り分けたが3つに分けで担ぐにも重すぎたので残りは木に吊るした。あとで他の連中にも運ばせる。テパが器用に毛皮も剥がしたが、皮をなめす道具も時間もないので地中に埋めた。
モーストは、30キロはありそうな熊肉を担いだ。
「なにをやってんだかな。俺」
「食糧運搬ですね。みんな腹を空かせて待ってますよ」
仲間たちと言っていいのか。オラシオンとOJONⅢの面子たちを残した居場所に戻る。怪我人はみな例の術によって回復しており、肉は、すきっ腹になった元気な部下たちに歓迎された。
すでに、簡易かまどには火が入っており、肉を焼くだけ。調味料はオラシオンが持ってた塩だ。食べようしたところ、別れ別れになった別隊――ラメトクといった――が合流する。森は、即興のバーベキュー会場になった。
腹が満ちたりたオラシオンとモーストたちは、めったに食えない美味な肉におおいに感激。一晩じゅう火を囲んで語りあった。