17 オラシオンの落し子たち
歩き出そうとすると、一番幼い男の子が引き留められた。おぼつかない言葉で礼をいって、握ったグーをアシリレラの手に置く。
「なにかな」
「へへ。ねずみさん」
「へ……?」
街中でネズミといえばドブネズミ。汚くてクサくて残飯を漁るだけではなく、雑菌にまみれた小動物だ。バラかれた細菌が人に感染し、数千万もの命を奪った歴史がある。そう学んでる。
ひと月のあいだの森林行軍でサバイバル気質が身についてるが、それはそれ。教わって刻まれた嫌悪感はぬぐえない。
「むぐっ」
振り払らいくなるのを、ぐっと堪える。モノをもたないスラムの子供がくれた、心からのお礼なのだ。無下に断ったりしたら、深く傷つけてしまう。
魔物との戦いより厳しい試練。ひっこめそうになる右手を、左で抑え込んだ。男の子は、アシリレラの手にねずみさんを乗せた。暖かい。生きてるのか。泳ぎそうになる目を向けた。
「……これは?」
ネズミであってネズミでなかった。生物の体をなしてない、落書きのネズミだった。
「さっきかいたの。すぐなくなるけど、おれー」
「姫。これって……」
「ああ」
メアンのキタキツネとよく似てる。形ではなく、半透明というところが。
「これはオ……オンカミだ」
ネズミさんは、1分もしないで光の粒子になって消えた。ポリゴンを投影する極小の玩具があるが、手のひらには何もない。
「あーそんなら、わたしも」「あたちも おれぃ」
アシリレラたちが驚愕してると、お菓子を貰って解散しかけた子供たちが、また、集まってきた。男の子をマネて、順番にお礼を出していく。
「ちょうちょ」「むかでー」「カラスさん」
ちょうちょは蛾だった。チョイスがどれも日陰っぽいと思うのは、偏見だろうか。しかし、どれも、何もない空間から作りだしてる。
「モーストさん。いったいどういうことです!?」
アシリレラはモーストに詰め寄った。オンカミは、オラシオンだけができる魔法呪文。帝国の科学者たちが世代を超えて研究しても、発生原理を突きとめられなかった、摩訶不思議な術。追いつめられ恐れられ、滅ばされる原因となった術。帝国の住人は彼らと交わろうとしなかった。
「こ、ここいらのはみんなできるぞ。大人をびっくりさせたり、小遣いをせしめたりしてたな。トリックかなんかだと思ってたが、オンカミだったのか」
OJONⅢの住民もおそらく、オンカミ研究のためだけに生まれ、増やされることになったはずだ。
「モーストさんも、ネズミさん出せるんですか」
「で、そんなわけあるか。出せるのはスラムの子たちだけだ。それも誰にでもできるわけじゃ……うーむこれは」
モーストは黙り込んだ。考えこむように腕を組む。
「どうしたんです。誰にでもできないというなら、この子たちは」
「この子らはハーフだ。みんなとは言わないが親がいない。OJONⅢ出身の誰かと、他所からやってきた誰かとの間に生まれて捨てられたハーフだよ。はは……研究した連中は、帝国はバカを見たな。そんな単純なことでオンカミを手に入れらるとは。理屈にこだわってなきゃ、銀河を席巻する無敵の人類が出来上がったぞ」
現地兵は吐き出すように言った。はじめは哀し気に、おしまいは自嘲ぎみに。
子供たちは大人の長話に飽きたようだ。オヤツのお礼も終わったことで、じゃーね。バラックの町を帰っていった。もらたオヤツを食べてから、どこかで待つ”おやかた”に、金平糖を渡すのだろう。
「あ、チロンヌフが消えかかってるよ。いそいで」
メアンが焦って駆けだす。それはマズイと、テパとアシリレラが追いかけ、事情のわからないモーストが後についた。
オンカミの根源は2種類。大地や星が生み出す自然エネルギー地魔素と、体で作られる生体エネルギー体魔素だ。どちらでもいいが、継続性の高い探索系はクールタイムが長く連続では使えない。
探索系のチロンヌフは気まぐれなキツネだ。自分が注目されてないと拗ねて探索を放棄することがある。
すこし進むと道が無くなった。掘建て小屋とバラックの間の、仕切りのない隙間を露路にして生活してる。
「右も左も軒先っしょ。人んちの庭を歩くみたいで落ち着かんス」
「スラムには地権なんかないだからな。いくつも住処が被ってる」
住人らはアシリレラらを見て奥に引っ込む。スラムの中でも外と奥では態度が違う。軍人たちは嫌われてるようだ。
「あからさまに嫌われるのは。くるものがありますね」
「やらかしてるヤツがいるしな。奥には店もないから愛想もふらないし。お、キツネがしっぽをふって停まってるぞ」
モーストの言う通り。古タイヤの積まれた小屋の前だ。キツネは、やる気のない寝そべった格好でしっぽを振ってる。アシリレラに気づくと空中に光になって消えた。
「あれが地図の場所だな。概ね」
「概ね、ですか」
「スラムだぞ。正確な地図なんかないんだよ」
「監視衛星が撮った写真は?」
「連邦軍が正確な最新をよこすと思うか?」
強引な侵略で版図を広げる帝国は、いつも反乱を警戒してる。タソック恒星系OJONⅢは勢力圏の外周部にあたるだけでなく、エプル協和連邦との境界線上にあった。研究星の住民に正確な情報を与えたくはないだろう。
小屋の周りに他の建物がない。そこだけ草っぱの広場になって開けている。古タイヤのほか、古びた鉄管や通信線、壊れたエンジン、木箱などが山積みだ。すこしの火の気でも燃え上がるだろう。建物がないのは火事を嫌ってのことか。
「はーふー。空気がうまいっす」
深呼吸するテパが。ここもスラムに違いないが、空を隠してた軒がないので、開放感が味わえた。
「ここが到着点になる。イエティ・マッスルアーム准将が生まれ育ち、軍の引退後に暮らした小屋だ」
テパの目が点になった。妹のメアンもだ。
「聞き違いっすかね姫。俺には、イエティ・マッスルアーム准将と聞こたんすけど」
「耳がいいようだな。イエティ・マッスルアーム准将で間違ってないぞ」
「英雄スタージャッカルじゃないの、それ。こんなスラムが生まれ故郷?」




