俺の母は悪女と噂されている
母が悪女と噂されているのをその息子は幼い頃から知っていた。
生まれてすぐに捨てられ、2年後に実母の夫となった老男爵が迎えに来た、そして正式な養子と迎え入れられリゼル・イル・ロズウェルドとなった。
リゼルの母は美しく子供を産んだのはまだ16歳だった、この世界ではままある事だがその2年後の18歳で齢70代の夫の後妻となったのは流石に珍しく外聞も悪い、そして心無い人々の噂の的となっていた。
加えて母親が身重で神殿に駆け込み子供を産み落とした以前の素性が知れなかった事も原因になった。
人身売買などは地方では残る世界でもあった。
そこから逃げて来たか、暴力的な夫からか又はどこぞの由緒あるお嬢様が誘拐され、暴漢に襲われた…などと当初は同情されていたが、
「遺産狙いで結婚した」と噂から「子供を捨てた」「父親も分からないらしい」そしてどこの生まれかもわからない「素性が知れない」となれば後は転げ落ちるように悪評が広がっていった。
「何れは夫の遺産を元に更に上の貴族を狙い落とすつもりらしい」
「どこぞの貴族様に言い寄って夫人に睨まれていた」
「茶会で茶を零された仕返しに令嬢の頭にお湯を注いだ」
「子供の父親はうだつの上がらない男で殺してどこぞに埋めたらしい」
など、その噂は真実か虚偽なのか様々なものが飛び交っていた。
リゼルの世話係として付けられていたメイドたちもその噂を面白おかしく、そのまだ年端も行かぬ子供の前で遠慮なく噂していた中で、あるメイドが言い放った。
「まるでお話に出てくる悪女のような人ですね!」と。
そんな子供が悪意に満ちた噂を聞きながら育ち、7歳になっていた。
7つになると神の世から人の世へと生まれ落ちた祝いをするのが習わしで、年齢が該当する子供たちは皆が保護者や親族と共に神殿の祭殿へと集められていた。
光と影のコントラスト、美しいステンドグラス、人間たちの歴史と技術と魔法の力で作り上げられ壮麗でいて豪奢な建築物の祭壇で司祭長が祝辞を述べれば 天井から光の花びらが降り注いだ。
花の嵐のように金色の輝きを持つ花弁が吹き荒れる様は神の奇跡と言われていた。
その光景を目にして、もしかしたらこの儀式が切欠だったのかもしれない。
リゼルはその時にようやく理解した、ここは異世界で自分は転生し『前世』の記憶があるということを。
物心つく頃には漠然とした違和感を抱いていた。
日常に溶け込む魔道具や魔法という観念、魔力を持っていると言う事実。
周りの大人や子供たちに紛れて日々を過ごすうちに、
なんてファンタジーな世界なんだと…
その違和感を漸く実感していた。
とはいえ、劇的に性格が変わる事もなく前世と比べたり、違いを驚き楽しんですくすく育ち、10歳の誕生日が過ぎたころ養父であるロズウェルド老男爵が死んだ。
田舎の貧乏な生まれだったという男は彼一代で財を築き。小さい商会からあらゆる手を使い、有り余るほどの金を稼いだ。そうして金で男爵位を買い貴族になったと笑っているような人物だった。
「じいじ」と養子とした幼子に呼ばせていた男との急な別れにリゼルは酷く落ち込んだ。
が、あろうことか母は新たな男を見つけてきたのだ。
「あちらは貴方の事も承知しているわ、保護者は私なのだからついていらっしゃい」
とまで言う始末。
ほぼ夜逃げの態で生まれ育った国を出る事になった。
今でも何故自分が連れ出されたのか明確な理由を本人は分かっていないし、聞いても「あちらにも同じ年ごろの子が居るそうよ、まあ程よく仲良くしなさい」と何処か他人事だった。
息子が少々他と変わっている事を嘆きも喜びもしない。ただ手間が掛からない事は分かっているようで、邪険にもしないが興味もないと言う態だった。
とはいえ、始めて乗せられた船は豪華な客船で至れり尽くせりで、すっかり喪に服す気持ちが微妙になってしまっていた。
すぐにこれがただの客船ではなく、ある人物が一隻丸ごと貸切っているのだと知って驚く事になった。道理で他に客っぽい人を見ないと思ったら……
「のちほど主人がリゼル様にご挨拶したいと申しておりました」
となんか傍に仕えてくれていた従者に言われて、えっと固まってしまった。
そして改めて紹介された母を見初めた?らしい男と船上にて会う事になる。
セルシウス大公家当主ユウリス
前世の記憶から貴族については多少知っていた、この世界でもその地位や価値観はよく似ているのも男爵家で育てられたリゼルにはわかっていた。
グラン・イグニシア連合王国。
宗主国イグニシア王国の北西に位置する大貴族。
唯一の王族ゆかりではない大公家で自治権を持つことを許されているという。
つまり扱いは一つの国ということだ。
現王家からの信任篤い大公家の現当主はこの時34歳。
何故そんな大物があの母を、悪女と噂されているが内容の真意はともかく、事実だという事を知っていた息子は大いに驚く。
悪女と噂されている母が非常に男運が良いことをこの時改めて実感していた。