第八話 パンダ☆ドーン (一之瀬尚吾視点)
俺は風花のベッドに横たわりながら、天井を見つめていた。眠いはずなのに目が冴えて眠れない。どんなに仲の良い友人の家に泊まる時でも、なんだか落ち着かなくて眠れないのはいつものことだ。そんな時はひたすら、暗闇で精神修行をする修行僧のように何も考えない訓練をする。こう言う時に思い出すのは、大抵、気になっていることで、益々眠れなくなるからだ。しかし、その訓練もむなしく、さっき、ドアの外で話していた風花の母親の声を思い出してしまう。
ドアが半開きになっていたのだろう、内容がばっちり聞こえてしまった。風花はふられた訳ではなかったらしい。急病の友達……風花の泣き顔を思い出す。
馬鹿だな、あいつ……泣く必要なんてなかったのに。そいつの所に戻るんだろうか……。そいつは風花のことをどう思っているんだろうか……ただの友達?ただの幼馴染?それとも……
延々と考えて天井を睨みつけていた時、突然ドアがカチャリと音をたてた。
何だ?俺はドアを見つめる。ほどなくしてドアが開いて、何やら白い人影が立った。俺は反射的に時計を確認する。午前二時。嫌な時間だ。
その白い人影は、フラフラしながら俺がいるベッドにやってきて蒲団をはがし潜り込んできた。
「……おい、風花」
俺は困惑して声を掛ける。
「お兄ちゃん、寝ぼけてないでよ~」
寝ぼけているのはお前だ。俺は反論する。
「もう、○×※△×……だし……」
何を言っているんだ?仕方なく俺はベッドから出た。寒い。
「おい、風花、起きろよ」
「うん……」
ダメだ。兄貴の部屋に行った方がいいんだろうか?俺は部屋を出てみる。廊下はもっと寒い。ドアはいくつか並んでいる。他人の家で徘徊するのも悪いだろうと思い、階下に行ってみたが、誰もいない。当然か。仕方なく、風花の部屋へ戻る。風花は温かそうに布団に包まって眠っている。
寒くて仕方がなかった俺は、やむを得ず蒲団の端っこで眠ることにして、風花を壁際にぐいぐい押しつけた。ああ、温かい。明日……早く起きて弁解をしなくては……
俺は不思議なくらい急速に夢の中に引き込まれていった。
夢の中で俺は、昔、気に入っていた枕を見つけ出していた。
ノルウェーの祖母の家にあったもので、祖母手作りの抱き枕だった。それはクマの形をしていて、小学生の俺と同じくらいの大きさだった。肌触りのいい柔らかい布で、中には何が入っていたのかは知らないが、干し草みたいないい匂いがした。
祖母の家は居心地が良かった。日本にいた時みたいに容姿のことで何も言われない。俺たち兄弟は、小さい頃苛められっ子だった。ハーフの両親よりも外国人のような風貌の俺達兄弟に、周囲は大いに好奇心を含んだ眼差しを浴びせた。
養子なのかとか、連れ子なのかとか……。しかし、風花みたいに訊いてくるのはまだましな方なのだ。(あそこまで不躾なのも珍しいが……)
問題なのは、陰でする噂話……それを聞いたその親の子がする仲間外れ。それが原因で弟は中学生の時、不登校になった。だから弟は祖母の所へ行ってしまったのだ。年齢が上がるにつれて、そんな露骨な差別はされなくなったし、逆に今では日本人離れした容貌をチヤホヤしてくれる。
もしかしたら小・中学校時代を過ごした地域が良くなかっただけなのかもしれない。
突然枕が語りかけてきた。
『やぁ、久しぶり。元気だった?』
『……』
俺は途方に暮れる。枕に話しかけられたのなんて初めてだったからだ。あいつならスラスラ返答しそうだけど……あいつ?あいつって誰だっけ?
『なーんだ、元気そうじゃん。心配して損した』
『おまえ、どこに行ってたんだよ』
その枕は、ある日突然俺のベッドからなくなった。どこを探しても誰に訊いても行方がわからなかった。
『ちょっと野暮用でね』
枕はうそぶいた。
『あれからまた、うまく眠れなくなって、結局日本に帰ってきちまっただろ?』
『そりゃ、悪かったね。でも君はそうする必要があったのさ』
枕は小刻みに震えた。クスクス笑っているようだ。
『おい、笑ってるんじゃねーぞ』
クスクス笑いながら、枕が俺のことをぐいぐい押してくる。おい、やめろよ。枕が俺を押しだそうとしている側を見ると、奈落の底のように真っ暗で底が見えない。
『おい、やめろって言ってるだろ?落ちる』
俺は真っ逆さまに奈落の底に落ちて行った。ドーン
佐竹家の朝は、爽やかな……悲鳴から始まる。
「きゃ――」
俺はベッドの下の床で打ちつけた腰をさすりながら慌てた。
「おい、風花、静かにしろよ」
「ななななな、なんでパンダがここにいるの?」
俺はカクリと項垂れる。昨夜のうちに訂正されて、もう呼ばなくなっていたのに、一晩寝てリセットされたのか?
「パンダじゃねー。しょーごだ」
騒ぎを聞きつけて、佐竹夫妻が部屋を覗きにきた。
「あら?風花?なんであんたがここにいるの?」
母親が目を丸くする。
「なんでって……あれ?私なんでここにいるんだっけ?」
「あなた、寝ぼけて部屋を間違えたんでしょう?」
母親は、風花が今ここに寝ぼけてやって来たと思っているようだ。俺はドキドキする。
しかも、風花は、以前寝ぼけてベッドに入り込んできた兄の諒を叩き出して落っことしたこともあるらしい。今回はその逆バージョンに違いないと、風花の両親が俺に詫びた。寝ぼけ癖は兄妹共通らしい。
俺は正す勇気も気力もなく、苦笑いでやり過ごした。