番外編 オン ザ ギャラルブルブリッジ(1)
第二十八話 ピクシー☆レッドで、尚吾が佐竹家のエコハウスに泊った時に見た夢です。三話完結の小品です。
幽かに甘い匂いがした。
桃の果実に似た匂いを含んだ甘い風が、時折涼やかに通り抜ける。
気づくと、俺は深い森の中に一人佇んでいた。
遠くに視線を投げると、下方前方に金色に輝く吊り橋が架かっているのが見える。橋が架かっているのは分かるのだが、橋の先は濃霧が立ち込めていて、それがどこへつながっているのか、対岸がさっぱり見えない。橋は、それ程ひどい霧に包まれていた。
背後の森は鬱蒼としていて、どこか人を拒むような毅然とした気を放っている。俺は、軽く首を竦めると、とりあえず前方の橋を目指して歩き始めることにした。
小道の両脇には、たわわに実をつけた木々が連なっていて、その右奥に清らかな水を湛えた川が流れており、水面が太陽の光を乱反射してキラキラ輝いていた。その川の下流の方から、小鳥のさえずりのようなはしゃいだ声が、幽かだが、たくさん聞こえた。
――誰か人がいるらしい。
俺は少しほっとした気分で、川の流れに沿ったゆるい下り坂を軽快に歩きだした。
橋のたもとには、丸太でできた巨大なゲートがあって、その脇に、やはり丸太でできた管理小屋があった。俺がゲートに近づくと、小屋から巨大な女が出てきた。
「おい、おまえ、ここに何しに来た?」
女の声は良く通るアルト。巨大な女を見上げて、俺は唖然とする。
「母さん?何してんだよ、こんな所で……」
しかし、女は俺の言葉に顔を顰めた。
「無礼な、私はおまえの母さんなどではない。私はこのギャラルブルブリッジの番人モーズグズだ。ここはおまえなどが近寄って良い場所ではない。さっさと立ち去るがよい」
「ギャラルブル……ここが……」
ギャラルブルと言うのは、ギョッル川に架かっていると言われる黄金の橋で、ギョッル川はニヴルヘイム(霧の世界)とヘルヘイム(死者の世界)を隔てている。
「ギャラルブルを見てみたいんだけど、もしかして観覧料が必要?途中まで行ってみるのってできないのかなぁ」
番人があまりにも母親に似ていたので、ついつい気安く質問してしまう。そんな俺をモーズグズは胡散臭そうに見下ろした。
「ここは観光スポットではない。おまえは何も知らないから、お気軽にそんなことを言っているのかもしれないが、この橋はあの世とこの世を繋いでいるのだ」
そう言ってモーズグズは、どうだ驚いたか、と言わんばかりにふんぞり返った。
「そんなこと知ってるさ!だから見てみたいんだろ?」
俺は好奇心の塊になっていた。
「……死にたいのか?」
モーズグズが深刻な顔で問う。俺は力強く首を振った。
「まさか!だから途中までって言ってるんだろ?」
「……死ぬ気がないのならやめておいた方が良い。橋の片方はこちら、もう片方はあちらの世界につながっている。こちらに戻る確率も、あちらに行く確率も二分の一だ。悪いことは言わない、やめておけ」
モーズグズはあしらうようにそう言って、首を振った。
「だから、来た道を戻ればいいんだろ?」
元来た道を帰ればいいのだ、そんなこと当たり前の事だ。俺はその時、簡単に考えていた。
「それはそうだ。来た道が分かるならば、誰でもそうするだろう」
「俺、方向感覚には自信があるんだ」
「それは、ほぼ当てにはならん。命を掛けてまで行く理由がないのならば、やめておけ」
モーズグズは、ドアを閉めて、今にも奥へ引っ込みそうなそぶりだ。
「……俺、昔祖母ちゃんに聞いたことがあるんだ。ギャラルブル橋に行けば死んだ父さんに会えるかもしれないって……」
俺はドアに手を掛けて必死に事情を説明する
「……おまえの父親は死んだのか?」
少し驚いた様子のモーズグズに、俺は幽かに落胆する。
「……やっぱりあんたは本当に俺の母さんじゃないんだな……」
「……生きているものを通すことは原則として禁止されている」
俯く俺に、モーズグズは少し決まり悪そうにそう言った。
「そっか、残念。通してくれたらお礼にアクアビットをプレゼントしようと思ってたんだけど……無駄になってしまったな」
俺は、しょっていたバックパックにアクアビットが入っていたことを、なぜか突然思い出した。
「なにっ、アクアビットだと?」
突然モーズグズが身を乗り出した。俺はバックパックを下ろして中を探る。アクアビットと、そのほかにも何か入っているようだ。
「あー、あと、ニシンの酢漬けもあるな……」
「ニシンの酢漬け……」
モーズグズの喉がごくりと鳴るのが聞こえた。
俺は管理小屋の中に通されていた。
原則、この管理小屋の中さえ、生きた人間を入れるのは禁止されているのだとモーズグズは言う。しかし、アクアビット一杯で入れるのならば、その原則もあまり大したことはなさそうだと、俺は見当をつけた。
「いいか、今までに、おまえのように好奇心から橋を見たいと言ってきた者が居ないわけではない。しかし、戻って来れたものは、半数か、それより少し多いくらいだ」
モーズグズは、彫刻が施された重そうな金属のゴブレットからアクアビットをグビッとあおると、大きなため息をついた。ゴトリとゴブレットを置くと、更に手酌でボトルから注ごうとしているモーズグズを俺は制止した。
「その戻ってこれた半数は、何故戻れたんだ?理由は?」
モーズグズはギロリと俺を睨みつけたが、俺はボトルを離さなかった。
「理由などない。運だ。戻れる確率は二分の一、橋のこっちに戻るか向こうへ行くか。最初にそう言っただろう?」
「それなら、戻れる確率はきっちり二分の一のはずだろう?それが何故少し多いことになる?」
二杯目のアクアビットを飲みほしたモーズグズは、ほろ酔いになってきたらしく、少しばかり態度が柔らかくなってきていた。それに気を良くした俺は、三杯目のアクアビットをゴブレットになみなみと注ぐ。
「やはりそれも運だろうな。どれを選ぶかによるのだ」
「どれを選ぶか?何を選ぶんだ?」
俺は首を傾げる。
「ピスケだ。おや?言ってなかったか?」
モーズグズの説明によると、生きているものをやむなく橋に送りだす場合、その案内係としてピスケ(小妖精)を一体つけるきまりになっているのだそうだ。そのピスケはギョッル川のほとりで暮らしている特殊なピスケで、それぞれ一つだけ際立った才能を持っているのだという。
「才能?」
「そうだ。身体能力が発達しているもの、視覚または聴覚が優れているもの、本をすばやく読めるもの、悪戯をさせたら並びなきものなど、様々だ」
「悪戯をするのが得意で何か良いことがあるのか?」
道に迷った時に本をすばやく読めて何か役に立つのかという疑問はあったが、悪戯はそれに輪を掛けて役に立ちそうもない。
「それは誰にも分からない。才能に関しては、何がどこで役に立つかなど、向こうの世界でも分かりはしないだろう?ちなみに悪戯をさせたら並びなきものは、選び主をきっちり連れて戻ったぞ」
「へぇ、じゃあ、そのきっちり連れて戻ったっていうやつを一匹貸してくれよ」
「一度選ばれたピスケは、もうここにはいない」
「いない?」
「そうだ。消える」
「なんだよそれ、使い捨てかよ」
俺は憮然とする。
「使い捨てとはひどい言い方だな。役目を終えて次のフェーズに移るだけだ」
次のフェーズ……俺は考え込む。もし俺が選んだピスケが次のフェーズになど移りたくないと考えていたらどうなのだろう。ピスケ自身は選択できるのだろうか。
「ピスケは次のフェーズに行くか行かないか選択できないのか?」
「ピスケという生き物は、次のフェーズに行きたいものなのだ」
「ふぅん」
俺は腑に落ちないまま頷いた。
「おまえ、やっぱり行くつもりなのか?これほどまでに止めても……」
モーズグズは悲しそうな顔で俺を見た。
「ここまで説明を聞いて、行かないのはつまらない」
「つまらない……か」
モーズグズは、馬鹿な奴だと言わんばかりにため息をついた。
「じゃ、ピスケを貸してくれよ。どこにいるのさ」
「ピスケは自分で選ぶのだ。ついてこい」
モーズグズは管理小屋の奥の部屋につかつかと入って行った。俺もそれに続く。
奥の部屋の最奥に、小さなドアがあった。俺やモーズグズには、どうやったって通れそうにもない小さなドアだ。『トムとジェリー』のジェリーが住んでいる巣穴についたドアのようなやつ。モーズグズはコンコンと人差し指の先でドアを叩いてから、親指と人差し指で、その小さなドアノブをつまむとひょいと引き開けた。するとどうだろう、中からワラワラと小さな生き物が飛び出してきたのだ。
小さな生き物は人間の女の子の姿をしていて、すべてのものに羽がついていた。しかしその羽は様々で、鳥の羽のようなもの、蝶の羽のようなもの、透明なトンボの羽のようなもの、どれ一つとして同じものがいないように見えた。
「さあ、この中から選べ。ただし一体だけだ」
「どれがなんの才能を持ってるんだ?」
「それは分からない」
「あれらと話はできるのか?」
「無理だ。あれらは妖精語しか話せない。選ばれて初めて、その選び主と言葉を交わす術を獲得するのだ」
「じゃあ、どうやって選ぶんだよ?」
俺は眉間にしわを寄せた。
「見ろ。おまえにできるのは観察することだけだ」
「んな無茶な……自分の命を託すことになるかもしれないんだろ?」
俺は声を張り上げる。
「ではアドバイスしてやろう。もしおまえがあちらの世界でガールフレンドを選ぶとする。どうやって選ぶ?」
ハシバミ色のモーズグズの瞳が悪戯っぽく輝いた。
「それは……色々だろ。見かけだけじゃなくて、話が合うとか、一緒にいると楽しいとか、料理がうまいとか……」
俺は、とりあえず無難な条件を上げてみる。
「相手の女が、どうしてもおまえに選ばれたいと思ったとする。その場合、大抵の女はおまえが気に入りそうな話題を持ち出して楽しい気分になるように努力するだろうし、料理だって練習すれば、それなりのものを作れるようになるだろう。そうしたらおまえはどのように選ぶのだ?自分の為に努力してくれるものなら誰でも良いのか?」
「それは……そうしてくれれば嬉しいだろうけど……そういうことってあまり努力されても息苦しそうだな……」
俺は肩を竦めた。俺の反応にモーズグズは、そうだろうと満足げに頷く。
「私個人の意見を言わせてもらえるなら、頼れるのは直感だ。それだけだと思う」
モーズグズは高らかに宣言した。
「いい加減に素敵なアドバイスをありがとう」
俺はため息をつくと、ピスケ達の観察を始めた。
ピスケ達は、羽以外でも、どれ一つとして同じものがなかった。髪の色、瞳の色、肌の色……。目が慣れてくると、その表情の違いも区別がつくようになってきた。気が強そうなもの、弱そうなもの、陽気そうなもの、憂いを湛えたもの……。
「なぁ、これは単なる疑問なんだけど、もし俺が女でも、やっぱりここにいるピスケから一匹を選ぶことになるのか?」
ここにいるピスケは、ほぼすべてが女に見えた。正確に数えたわけではないが、ざっと見まわしただけでも百匹以上はいるだろう。ピスケとはすべて女なんだろうか?
「ここにいるピスケは、すべておまえに選ばれたいと思って、あの扉から出てきたもの達だ。選ばれたくないと思っているものは出てこない。もしおまえが女ならば、おそらく性別の違うピスケが多数現れているだろう」
「ふぅん」
数体、男の子のようなピスケがいるのを、やや引き気味に見つめながら、俺は観察を続行した。
「急がない。ゆっくりと選べばいい」
モーズグズは部屋の隅にどっかりと座りこんだ。
ピスケ達は、それぞれ思い思いの様子で、選ばれるのを待っているようだ。編み物を始めるもの。仲良し同士で固まって戯れ始めるもの、一人で何か考え事をしているようなもの、ひたすら空中を飛びまわっているもの。
小さなピスケ用のソファーにしどけなく横たわりながら、髪をいじっている優美なピスケに、俺は目を留めた。そのピスケは本当に美しい容姿をしていた。こっちに戻ってこれない確率は二分の一。万が一戻れなくても、こんなに美しいピスケが間違ったのならば許せそうな気がする。俺はそのピスケに手を伸ばした。
「おっと!言い忘れていた!」
後ろでモーズグズの声がして、俺は伸ばしていた手を引っこめた。
「ピスケに一度触れたら選んだことになる。取り換えはきかないからな、よっく考えてから選べよ」
モーズグズの声に振り返って忠告を聞いているうちに、あの優美なピスケは空中に舞い上がってしまった。
――あ……れ?どれだったっけ?
空中で、ほかのピスケと群れてしまえば、それがどれだったのか分からなくなってしまった。
――まぁ、急ぐことはないんだし……
俺は気を取り直して、再びピスケを観察し始めた。観察しているうちに、ピスケは常にこの部屋に居るわけではないことに気づく。あの小さな扉から出たり入ったりしているようだ。一旦出たものが戻ってくることもあるし、戻ってこないこともある。今まで居なかったものが新たにやってくることもあるようだ。
もしかしたら、俺が最初に選ぼうとしていたピスケは、扉の向こうに戻ってしまったのかもしれない。俺は選ばなくて良かったとほっとする。この部屋から出て行くと言うことは、俺に選ばれたくなくなったということなんだろう。無理して付き合わせるのは、なんだか悪い気がしたのだ。
俺が小さくため息をついていると、扉の向こうから少し毛色の変わったピスケが現れた。他のピスケが、すべて艶々のピンと伸びた羽をもっているのに、そのピスケの羽は少しクシャクシャしていた。そのクシャクシャした羽の先を、さっきから一生懸命小さな手で引っ張って伸ばしているのだが、手を離すと羽は再びクシャクシャっと戻ってしまう。ひどく慌てて出てきた様子で、髪もバラバラ、羽はクシャクシャ、少し涙ぐんだ瞳は愛らしいスミレ色をしていた。
しばらく見ていると、そのピスケは、部屋の隅っこに隠れるように座り込んでしまった。羽を伸ばすことに没頭し始めたらしい。
手で伸ばしたり、ぶるぶるっと、犬が雨のしずくを振り払うみたいに体をふるわせたり、羽を温めるようにはぁーっと息を吹きかけたり、ピョンピョン跳ねてみたり。しかし、何をしてもその羽は形状記憶されているようにクシャクシャっと戻ってしまうのだった。
俺は笑いを噛みしめたまま、そのピスケを覗きこむ。こんなのに命を掛ける気はしなかったが、見ていると飽きなかったのだ。そのうちに、クシャクシャの羽でも一応飛べるらしく、パタパタと羽を動かしているうちに、自分でも意図しないまま浮き上がってしまったらしい。不用意に浮き上がって、他の飛び回っているピスケとぶつかってしまった。
ぶつかられたピスケは、思いっきり迷惑そうに眉間にしわを寄せて、クシャクシャ羽のピスケを地上にたたき落とした。ピンと伸びた羽と違って、クシャクシャの羽ではコントロールがうまくいかないらしい。クシャクシャはクルクルと旋回しながら地上に落下した。俺は慌てて手を伸ばす。クシャクシャは俺の掌にふわりと着地した。
俺は伸ばした手を引き寄せて、クシャクシャをしげしげと観察する。怪我はしていないようだ。クシャクシャが、掌の上で座り込んだまま、きょとんとした顔で俺を見上げる。クシャクシャの体の周りには、金色の光の粒のようなものが取り巻いていて、なるほど妖精らしいやと思ったところで、後ろからモーズグズの声がした。
「よしっ、そいつを選んだんだなっ」
俺は、はっと振り返る。選んだつもりはなかった。俺は茫然とする。
「ちょ、ちょっと待ってくれ。俺はこいつを選んだんじゃなくて、落っこちてきたから受け止めただけで……」
「選び主さまっ、私、精いっぱいご案内させていただきますっ」
俺の言葉を遮って、クシャクシャがクリクリの瞳を更にクリンクリンにさせて俺を見つめた。俺はクラクラする。




