第四十一話 NOROI-no ☆ JIKAN (視点変更有)
(一之瀬尚吾視点)
コツコツとやけに高く響く靴音が辺りの静けさを際立たせる。ああ、これは夢の中だ。分かっている、またあの夢だ。俺は顔をしかめた。
薄暗い部屋の中、高い位置にある明かりとりの細長い窓から強い光が射し込んで、窓の桟の影がくっきりと白い壁に刻まれる。光が強い分だけ影が濃いように、幸せが大きかった分だけ、絶望が深かった。心の中がどす黒い闇に浸蝕されていく。
「……父さん」
俺は唇を噛みしめる。顔に掛けられた白い布、微動だにしない体……そこには温もりのかけらも残っていなかった。
夜の高速自動車道、よそ見だったのか、ハンドル操作ミスだったのか、壁にぶつかったその車はスピンしながら父の車を巻き込んだ。計三台を巻き込んだ大事故。死んだのはスピンした車の運転手とその助手席にいた女性、そして父だった。
父を殺したのは俺だ。無理して夜の高速などに乗らなければ良かったのだ。本当は次の日に帰る予定だったのに、それを……俺が無理をさせた。
「ええー、明日俺ら誕生日なんだよ?一緒にいられないの?」
「うーん、できるだけ帰るようには頑張るよ」
父は少し困った顔で言った。
「絶対だよ、だって誕生日プレゼントのゲーム一緒にやろうって約束したじゃん」
「はは、そうだったね」
父は嬉しそうに笑う。
「尚吾、あまりパパに無理を言っちゃ駄目よ」
母が軽く俺をにらみつけた。
「いいんだよ。実は父さんもあのゲームをみんなでやるのを楽しみにしてるんだ」
父はにっこりほほ笑んだ。
だけどそのゲームは一度も開けられることはなく、どこに行ったのかさえ、今はもう分からなかった。
俺は震える指先で、父の顔に掛けられた白い布をつまむ。これはこの夢の約束だ。父の顔を見るまでは俺はこの夢から醒めることができない、そう信じていた。心を奮い立たせ、白い布を取り去って俺は慄然とする。
いつもならそこには、どうして死んでいるのか分からないと思われる程、きれいで穏やかな顔で眠っている父の顔が現れるはずだった。
「……っ、どうして?……どうしてだよっ」
俺は呆然と呟く。青白い頬、ふさりと顔に掛かる柔らかい髪、つんと少し上向いた小さな鼻……風花!
「尚吾、おまえのせいだからな、おまえが誕生日に一緒にいたいなんて無理を言ったから、風花は死んじゃったんだ。おまえが殺したんだ!元に戻せよっ、風花を元に戻せよっ」
隣で悠吾が泣きながらわめき散らした。
「悠吾……」
こうなることが分かっていたら、俺は何も望まなかった。何も望まなかったよ。ごめん、ごめん、ごめん、ごめん……涙が零れ落ちる。
俺は泣きながら目を覚ました。最近はあまり見なくなっていた夢だった。ベッドの上で膝を抱えて慟哭する。ナニモノゾマナイ、ナニモノゾマナイ、失うくらいなら、ナニモノゾマナイ。
* * *
(佐竹風花視点)
久しぶりに尚吾に会うために一人で街の図書館にやってきた。あの事件の後、両親も心配したし、私自身一人で街に出るのが怖かった。でも、いくら連絡しても尚吾は忙しいらしくて会話らしい会話もしてくれないし、メールに至っては、読んでくれてるのかいないのか、全く反応がなかった。あの事件を境に尚吾の態度が急変したような気がしていた。
いつもの長机に荷物をおろして参考書を出したところで尚吾が現れた。一人じゃない。シルクロードの彼女と二ノ宮さんが一緒だ。シルクロードの彼女は尚吾にピッタリと寄り添って、尚吾の腕に手を絡ませていた。
「よう、久しぶりだな。元気にしてたか?」
尚吾が小声で言った。
「……」
私はぼんやりしたまま口もきけない状態だった。
「一人で大丈夫だった?風花ちゃん」
二ノ宮さんの言葉に我に返る。シルクロードの彼女は私に視線をちらりと向けただけで、後は尚吾ばかりを見ていた。
「悪いけど、この後俺ら用事があるんだ、勉強の方は二ノ宮が見てくれるって言うから、俺はこれで帰るよ。頑張れよ」
尚吾はそっけない態度でそう言った。
「受験生は大変ねー、かわいそ」
シルクロードの彼女は大してかわいそうとも思っていない表情で艶やかに笑うと、時間がなくなるわよ急ぎましょうと尚吾を急きたてた。
「風花ちゃん、外に出て少し気分を変えようか?」
さっきから私は間違えて三回も同じ問題を解いていた。解き終わって、ああ、これはもう終わったところだと消しゴムで消す。二ノ宮さんが見かねたように心配そうな顔で言った。
あの事件の後、二ノ宮さんは叔父さんとの約束を果たすべく私を街に連れ出してくれた。怖がる私を家まで迎えに来てくれて、家まで送ってくれた。美術館や博物館やショッピング、そして決まって最後にデザートの美味しいお店で休憩をした。恐縮する私に、二ノ宮さんは、実家が地方都市なので今まで行きたいと思いつつ行けてなかった所に行けて嬉しいと言った。特にデザートの店なんかは、男同士や一人だと入りにくいしねと言って笑う。二ノ宮さんは本当に親切で優しい人だ。
「どうぞ」
以前入ったことがある喫茶店で、二ノ宮さんは私にチョコトルテを頼んでくれた。ベルギーチョコを惜しげもなく使ったそのトルテに私が感動したのを覚えていてくれたのだ。
「ごめんなさい。なんだかぼんやりしてて……」
メニューさえ、何が書いてあるのか頭に入らないほど私は混乱していた。
「いいから、食べなよ」
勧められたトルテは深く濃い味で、以前と同じように美味しいのに、私には鉛を呑み込んでいるように感じられた。二口ほど食べてフォークを置いてしまった私に二ノ宮さんが首を傾げる。
「美味しくないの?」
「いえ、美味しいですよ……」
弱く笑む。
「俺も一口もらっていい?」
二ノ宮さんは小さく笑んで問いかけた。
「え?あ、はい、どうぞ」
二ノ宮さんは私がフォークで切り取ったところから一口分を切り取った。私は少し動揺する。私が食べたところ……
二ノ宮さんは、ふむ、これで気分が浮上しないようならかなり重症だねと呟いた。
「ねぇ、風花ちゃん、少し歩いても構わない?一緒に行きたいところがあるんだけど」
「え?あ、はい、構いません」
二ノ宮さんが連れて行ってくれたこところは、ウォータフロントにある桟橋の近くだった。その桟橋からは湾内を巡るクルーザーや離島へ行く船がでる。車道から階段で上ると、海際までが広い遊歩道になっていて、植え込みがあったりベンチがあったりして、ちらほら人がくつろいでいた。
「うわ~、素敵、外国の景色みたいですね~」
沖の方に白い燈台があって、電光掲示板の記号が点滅している。何かの信号なんだろうけど、船舶のことを知らない素人には意味不明の記号だ。さまざまな大きさの船が行き交っていた。
「だろ?俺は実家が海に近くてね、時々無性に海が見たくなった時にここに来るんだ。まぁ実家の海とは雰囲気は違うけど、海は海だから」
潮風を受けて爽やかな雰囲気で二ノ宮さんが言った。
「あ~、でもあの看板でばっちり日本ってばれちゃいますね~」
私が指したビルの天辺の看板には、大きな丸の中にひらがなが一文字書かれていた。たぶん食品会社の看板だと思われる。
「はは、日本らしくていいじゃん」
「中の一文字が『へ』だと馬鹿にされてるような気がしませんか?」
「『ひ』の方がまずくない?マル秘で」
二人して笑い合う。
「良かった。風花ちゃんの笑顔が見られて」
二ノ宮さんが嬉しそうにほほ笑んだ。
「……」
「ほら、見てごらんよ。あれ、たぶん離島に行く船だよ。出港したみたいだ」
二ノ宮さんが指さす方向をみると、白い中型の船が出港したところだった。
「離島って、なんだかロマンチックですね。行ってみたいな」
「でも、離島に行くなら、友達と、とか、一人で、とかは駄目だよ」
二ノ宮さんが意味深な様子で言った。
「どうしてですか?」
「この桟橋から出る船が着く離島は、恋人同士で行く所なんだ。現地は恋人同士ばっかりだそうだよ」
「……そうなんだ」
「俺は風花ちゃんと行けたらいいなとは思うけどね」
「私……」
私は目を見開いて二ノ宮さんを見上げた。
「分かってるって、気にしないでよ」
二ノ宮さんはやけに明るく笑いながら言った後、真面目な顔になって続けた。
「今日のことは、尚吾からしっかり事情聴取しておくからさ、心配するなよ。安藤と尚吾は何でもないって。だから元気だしなよ」
「……」
二ノ宮さんはそう言ったけど、私は哀しい予感を打消せないまま、こくりと小さく肯いた。
読んでくださってありがとうございます 招夏