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第二十八話 ピクシー☆レッド(一之瀬尚吾視点)


 風花の家に着いたのは十時を過ぎたころだった。

「ここなの?」

 母が目を輝かせて言った。久しぶりに来た風花の家は、夏の気配満載だった。家の前にある畑にはナスやキュウリやトマトがたわわに実っている。その脇に木製の手桶に水がはってあって、柄杓が突っ込まれていた。ヘチマがぶら下がった棚の下には竹細工の遊び道具がぶら下がっている。打ち水をしたのだろう、玄関までの石畳が程よく湿っていた。蛙の合唱も聞こえる。まだ閉めていないだけなのか、夏は閉めないのか、雨戸が開いていて蚊取り線香の匂いが幽かに漂っていた。

「ただいま~」

 風花ががらりと玄関の引き戸を開ける。

「お帰りなさい、あら?トーネさんは?」

 風花の母親の小春さんが顔を出した。

「庭を見てるよ~」と風花が振り返る。

 母は柄杓で水をすくって竹細工のスプリンクラーを回そうとしているところだった。

「母さん、ほら、風花のお母さんだ、挨拶しろよ。何子供みたいなことやってんだよ……」

 そう言いながら、俺は風花の母親に会釈をした。母が水を注意深く竹筒の中に入れると、水が竹筒の四方から噴出し、その水の勢いで竹筒はスプリンクラーみたいにクルクル回って水を撒き散らした。

「面白いのね、これ……あら、失礼しました。はじめまして、一之瀬トーネですわ」

 俺は、やれやれと肩を竦める。

 

 間もなく風花の父親も帰ってきた。さっそく今日泊まる部屋に案内してもらう。

「突然の申し出に快く応じてくださってありがとうございます」

 風花の父親は恐縮したように言った。

「いえ、住居に関しては、余るほどの関心がありますので楽しみにしてきましたのよ」

 風花の父親の説明によると、この家のコンセプトは「我慢しないエコ」。可能な限り自然からのエネルギーを取り込み、化石燃料由来のエネルギー使用量を極力抑える家、それを目指したのだと言う。高断熱構造、ソーラーパネル、雨水タンク、暖炉……考え付く限りの技術を集約したのだそうだ。


 ベッドルームはツインだったが一部屋しかなかったので母と一緒の部屋に眠ることになってしまった。

「俺、リビングのソファで寝ようか?」

 俺が顔を引きつらせながら言うと、母が俺の首にがしっと腕を回して笑った。

「何を言ってるの!久しぶりに一緒に寝ましょうよー。小学生のころは一緒に眠りたがってたじゃなーい」

 うう、最悪だ~


 風呂から上がったころ、風花がビールを持ってやってきた。

「今、母がおつまみ持って来ます~。父も少しご一緒しても良いか訊いて欲しいと言ってますけど……」

「是非ご一緒してくださいって伝えてちょうだい」

 母は窓から庭を眺めながら言った。


 折角ですけど、と言いながら風花の父親は雨戸を次々に閉めて行った。

「あら、少し風が入っていたのに、閉めてしまうの?」

 母が残念そうに言う。

「ここは雨戸を閉めることによって完璧な断熱構造になるんです。で、ここを押すと……」

 スイッチを押すと、何かが天井でゆっくり稼働する音が微かに聞こえた。

「何が起きるの?」

 母と一緒に俺も天井を見上げる。

「まあ、まあ、そのうちに分かりますよ。暑かったら扇風機を使ってください」

「そう言えば、この家は最初からあまり暑くなかったわね」

「この家の屋根は、色々な細工をしてあって、結果的に多重構造になってるんです。屋根が太陽の光で焼けていないんですよ。だから家の中がそれほど高温にならない」

 風花の父親は、屋根の構造や細工のからくりをそれは嬉しそうに語り、母親は一々感心しながら聞いていた。

「おまえは、ここに泊ったことがあるのか?」

 俺は隣で麦茶を飲んでいる風花に話しかけた。

「うん、涼しくていいよ~、なんかね、太陽電池で発電したエネルギーと夜間電力を使って、屋根裏に氷を作って保冷してあるんだって、この家自体が昔の氷冷蔵庫みたいになってるらしいよ。冬はそのからくりを使って、逆に暖房になるらしいんだけど……詳しいことは私は分かんない」

 確かに扇風機だけとは思えないほど部屋自体がひんやりとクールダウンしてきているようだ。


 風花も母屋へ引き揚げてしまったので、家や家具のことで盛り上がる風花の両親と母親を置いて俺は寝室へと引き上げた。さっき荷物を置きに来た時よりも、格段に寝室の気温が下がっていた。これなら寝苦しくて夜中に起きることもなさそうだと、いい気持ちで俺はベッドに横になる。そう言えば、俺、今日誕生日だったんだっけ……いつもはこの日の長さをもてあましている頃なのに、気がつけばもう後少しで翌日だ。

 少しウトウトし始めたころに、母親が寝室にやってきた。

「尚吾……もう寝たの?」

「……」

 俺は寝たふりをする。

「……随分すんなり眠れるようになったのね、小さい頃は眠れないーって良くぐずってたのに……」

 むっとしつつも、俺は寝たふりを続ける。母親の小さな溜息が聞こえた。

「全く、誰に似たのかグズなのよねぇ。キスの一つくらいケータイが鳴る前にしておけっつの。そーゆー所はパパに全然似ていないわねぇ」

「やっぱり、あの時、狸寝入りしてたんだな!」

 俺はガバリと起き上った。

「あなたもね~」

 母親がしたり顔でウインクを一つした。

「電話の応対が随分しっかりしてると思ったんだ」

 俺は動揺する。どこから聞いてたんだ?

「パパはもっと強引だったわよ?」

 俺はがっくりと肩を落として溜息をついた。

「……残念ながら、イタリア人の血はとーさんよりも薄いんでね。シャイな日本人とシャイなノルウェー人の血が濃いんだろうよ」

「悠吾は半分ばっちりイタリア人みたいだけどねぇ。双子なのに……」

 母親は肩をすくめて首を振った。確かに弟の悠吾には浮いた話が山ほどある。しかし一年以上続いたガールフレンドの存在は未だかつて聞いたことがなかった。それって彼女がいないというのと限りなく近似しているんじゃないかと俺は思っている。まぁ、人のことは言えないが……

「俺だってちゃんと彼女くらいいたさ。イヴの三日前にふられたけどな」

 俺はむっとして反論する。

「え?誰?」

 母親は目を見開いた。

「紹介しただろ?安藤芹香」

 あれ?彼女だって紹介し忘れたかな?俺は記憶の糸をたどる。

「えっ?あの子彼女だったの?」

「なんだと思ってたんだよ」

 母親の意外な反応に俺は首を傾げる。

「私の仕事を手伝いたいって、彼女言ってたから……てっきり修業に来たんだと思ってたわ」

「……」

 二人して口をぽかんと開けて見つめあう。修業……って……さては、こき使ったな。俺は一人溜息をついてからクスクス笑った。

「一週間手伝ってもらったら、急に来なくなっちゃって……あらら、あの子彼女だったの?ごめーん、もしかしたら私のせいで別れた?」

 母親も笑いだす。

「笑いごとかよっ」

 俺は一応怒ったふりをする。芹香が俺だけを見ていたんじゃないことは知ってた。傍から見てもそのようだったんだろうと納得する。

「だからごめんって言ってるじゃない。でも今は風花ちゃんがいるからいいでしょ?」

 母親はまだ笑っている。俺は苦笑する。そんな面白そうに笑われたら、怒るふりもできないじゃないか。

「……風花は彼女じゃないよ」

 俺は小さく笑む。

「え?彼女じゃないの?」

「あいつはそんなんじゃない……あいつは受験生で、俺はあいつの家庭教師だ」

 あいつは今大事な時期で、俺が迂闊に手を出していいやつじゃない。俺は自分に言い聞かせるように言葉を紡ぐ。

「馬鹿ね、受験なんて関係ないわよ。好きなくせに」

 母親が呆れたように言った。

「……」

 好き?それも少し違う。そんな言葉じゃ当てはまらない。俺は考え込む。

「好きってのも当てはまらないな。好きか嫌いかと言われれば、好きだけど……もっと、なんて言うか……大切なやつなんだ」

 母親は俺の答えに驚いたように目を見張ってから、首を横に振って小さく笑った。

「前言撤回よ。あなたはパパに良く似てるわ」

 父は、母をとても愛していた。父の母に対する言葉を聞いていると、どこの小さな女の子に語りかけているのかと首を傾げてしまうほどだった。こんなに大柄な女なのに……。そんな両親だったから、俺はどこの親もこんな風に甘ったるくベタベタしているんだろうと、かなり年がいくまでそう思っていた。

「……ねぇ、尚吾、気づいてる?もう日付が変わってるわ」

 母親が壁掛け時計を見つめながら静かに言った。

「……ああ」

 母親はベッドに寝転んだ。

「……パパが死んだ後、私たち一生懸命だったわね。私はあなたたちを立派に育てなくちゃって思ったし、パパの分も働かなきゃと思ったし、店を持てば持ったで、従業員を路頭に迷わせられないって更に頑張ったし……でも、それはきっとあなたも悠吾も同じだったんでしょうね。パパがいなくても前進しなきゃって、みんな必死だった……」

 母親は両手で顔を覆った。小さな嗚咽が聞こえてきて俺は途方に暮れる。この人といると、俺は自分の無力さに打ちのめされる。小さくて何もしてやれなかったあの頃の俺に戻ってしまったみたいで……


「ねぇ、今日、あの子をエレベーターで見た時、私びっくりしたのよ。『友達』って簡単な言葉が理解できなくなったくらいにね。その後、あの子の行動を見て私が何を想像したか分かる?」

 母親の声に笑みが戻る。

「あの子って、風花?」

 明るさが戻った母親にほっとしながら俺は問い返す。

「そうよ。あの子、あなたの部屋にチョロチョロって近づいて、ドアノブに誕生日プレゼントを掛けて、次の瞬間、まるでつむじ風みたいに去ろうとしてたのよ」

 俺は風花の行動を想像して小さく吹きだした。ウサギ……だったりして。

「ピスケよ。パパがうちにピスケを寄こしてくれたんだって思ったの。だから、どうしてもこのピスケを捕まえなきゃって思ったのよ」

 捕まえなきゃって……虫じゃあるまいし……

「ピスケ?妖精?」

 俺は苦笑する。スカンジナビア地方では小さな妖精のことをピスケと呼ぶ。イングランドで言うところのピクシーだ。悪戯好きで、馬を盗んで乗り回したり、子馬のたてがみをひねって結び目をつくったりすると信じられている。また、人間を道に迷わせるのもピクシーの得意技で、この、ピクシーに惑わされることを「ピクシーレッド」(Pixy-led)という。

「そうよ。悪戯で、でも時には手助けをしてくれる妖精。その証拠に、私たちから重苦しい時間を盗んで行ったわ。淀んだ空気を吹き散らして、爽やかな風を運んできたじゃない。つむじ風みたいな妖精……」

「……」

 風花についての母の意見にはほぼ同感だったが、それを口にしてしまうと逆に風花が夢のように消えてしまうような気がして俺は口を噤んだ。

「俺、眠くなった。もう寝るよ」

「ええ、おやすみなさい。尚吾、いい夢をね」

 その夜の夢は、目覚めた時にはほとんど何も覚えていなかったんだけど、不思議な金色の夢だった。母がいて風花がいて、そして……父がいた。



読んでくださってありがとうございます 招夏

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