第二十四話 パーティ☆ディッシィーズ (佐竹風花視点)
玄関に入った途端にふんわりとミントの香りがした。尚吾の部屋も微かにミントの香りがしていたけど、ここはもっと強くミントの香りがする。
「荷物はダイニングテーブルの椅子の上にでも置いておきなさい。私は着替えてくるから、少し待ってなさい」
「……はぁ」
尚吾の母親はテキパキと指示を出してから私をリビングにおいて出て行った。私は簡単な自己紹介をしただけなのに、まるで知人の子供が来たかのような扱いに、私はすっかり戸惑ってしまった。
帰ってきたばかりだと言うのに、部屋は程よい温度に調節されている。うっすらと汗ばんでいた私はハンカチで汗をぬぐった。しんとした部屋の中は、きれいに整えられていて生活感が希薄な気がする。私は所在なく、手早く用意された冷茶を一口ごくりと飲んだ。爽やかなミントの香りが鼻腔を抜ける。尚吾の家は、よほどミントが好きなのだろうと一人納得する。
「はい、これ、あなたの分よ」
尚吾のママは、リビングに戻ってくるなり私に白い布を手渡した。
「これなんですか?」
私は首を傾げる。布を広げてみると、それはエプロンだった。フリフリしたフリルがついた白いエプロン。
「エプロンよ。知らないの?」
「なぜにエプロン?」
私は?マークを頭の上に漂わせながらぽかんとしてしまう。
「もちろん、料理を手伝うのよ。エプロンがないと服が汚れちゃうでしょ?」
そして、私は今、ジャガイモを剥いているところだ。トーネさんは電話をかけている。守衛さんにすぐに戻るからと言ってあるのだと私が言うと、トーネさんはすぐに守衛ルームに電話をかけた。
「ああ、一之瀬だけど、ええ、御苦労さま。少し事情を聴かせてもらいたいのよ。ここに関係者じゃない女の子がいるんだけど……ええ、そうよ。いいえ、それはいいの。私が訊きたいのは、この子が中に入れた状況よ……」
私はトーネさんの言葉に慌てた。私が無理を言ったのだ、そのせいで守衛さんが責められてる?あわあわと私が言い訳をしようとするとトーネさんは受話器を押えて、あなたは黙って続けなさいと言って睨みつけた。
「……そう、そうだったの。分かったわ。私が、このマンションのセキュリティの高さを買っていることはあなたも知っているわよねぇ……ええ、そうね。確かにこの子は間違いなく息子の友達らしいわ。でも、友達にも色々あるからねぇ。今後はもう少し気をつけた方がいいかもしれないわ。関係者以外を勝手に入れたってことで、次の特別手当を一割カットさせてもらうわ……」
私は目いっぱい動揺して、トーネさんに縋りついて首を横に振る。トーネさんはそんな私に目もくれず続けた。
「そして……人情に厚い対応をしたということで、特別手当を二割アップすることにするわ。分かったわね。じゃあ……」
さっさと通話を切ろうとしているトーネさんから、私は受話器を取り上げた。
「守衛さん!ごめんなさいっ、ごめんなさい~、私、トーネさんにちゃんと謝って元通りの特別手当に戻してもらいますからっ、だからっ……」
泣きそうな声で謝る私の耳に、受話器から穏やかな守衛さんの声が聞こえた。
『お嬢さん、謝ることなんてないですよ。お嬢さんのお陰で私は特別手当をアップしてもらえましたよ?聞いていなかったんですか?』
「へ?そうだったっけ?」
涙目で見上げると、トーネさんはやれやれという様子で肩を竦めた。
「あなた……面白い子ね」
受話器を置いて呆然としている私に、トーネさんは思いっきり馬鹿にした様子でそう言った。尚吾そっくりだ。しかし……守衛さんのお給料までトーネさんは牛耳ってるの?尚吾のお母さんって一体何者?疑問符の海の中で私は途方に暮れる。
ところで、私のジャガイモ剥きは延々と続いていた。小さめのジャガイモがわさわさ入った茶色い紙袋をドサッと渡されたのだ。一体いくつ剥けばいいのやら。一方トーネさんは、再びどこかに電話をかけ始めた。
「Hei! Mom.Hvordan har du det? Ja da.…… Nei.……jo da ……」
何やらヤダとかナイとか言ってると思っていたら、突然日本語を話し始めた。
「悠吾!元気にしていた?お誕生日おめでとう。ええ、そうよ……」
ユーゴ?誕生日?私は首を傾げる。
「いいえ、今誰がいると思う?うふふ、尚吾のトモダチよ。しかも女の子。誕生日によ?信じられる?……違うわよ~。面白いわよ~、今ジャガイモを剥くのを手伝ってもらってるんだけど、剥きあがったジャガイモったら、半分のサイズになってるの~……あら、そんなことないわ……もちろんよ……」
手伝ってもらってる?全部私に剥かせてるくせに~。私はブツブツ文句を言う。私のジャガイモの剥き方が気に入らないのなら、自分で剥けばいいのだ~。むむむむ、知人の娘説撤回!これじゃあ役立たたずのメイド扱いじゃん~
でも……私は考え込む。尚吾の誕生日に友達が来るということがそんなに珍しいことなんだろうか。しかも、トーネさんは尚吾が私に誕生日を教えたと思い込んでいるようだ。私は心苦しくなる。尚吾は自分の誕生日を私に教えたわけじゃない。図書館で見知らぬ人になってしまったようだった尚吾を思い出して、私はまた泣きたくなった。
「もう、そのくらいでいいわよ」
電話を終えたトーネさんが戻ってきた。剥き終えたジャガイモを蒸し器に入れて火を入れる。私はキッチンにいるトーネさんの後ろに所在なく立ち尽くした。
「どうしたの?座っていていいわよ?テーブルの上のクッキーをつまみなさいな」
振り返ったトーネさんが不思議そうに言った。
「あの……私、尚吾の誕生日を教えてもらったわけじゃないんです……」
「?」
トーネさんは少し首を傾げて、でも、何も言わずに私の言葉を待っていた。
「私が……勝手に尚吾の部屋に置いてあった運転免許証を見ちゃったんです。尚吾は私に誕生日なんて教えるつもりはなかったんです。だから……今日だって、私が勝手にここに来ただけで……尚吾は何も欲しくないって言ったのに、私が勝手に……」
こんなことになるはずじゃなかったのだ。だんだん自分が惨めになってくる。
「尚吾の部屋に入ったの?」
「あ、あの、私、父の事務所に届け物をしようとしてて、道に迷ってしまって……で、尚吾に救助されて……その時に部屋に……。私、いつも尚吾に助けてもらうばかりで、だから、お礼に誕生日をお祝いしたくて……だけど、きっと尚吾は迷惑なんだと思うんです。だから、私がここにいることは、尚吾にとっては迷惑なことなのかも知れなくって……だから……」
トーネさんの目を見て話す勇気は既に尽きていたので、私の視線は床上三センチほどの高さを浮遊している。
「尚吾に会いたくないの?」
「会いたいですっ……でも……」
とっさに浮上させた私の瞳はトーネさんの柔らかな微笑を捉える。尚吾に会いたかった。でも、尚吾に嫌われることが怖かった。
「また尚吾を怒らせてしまいそうな気がして……」
私は再び俯いて小さくつぶやいた。
「心配なのね?」
「えぇ……まぁ……」
私はしゅんと深く項垂れた。
「わかったわ。もし尚吾が帰ってきて、あなたがここにいることが気に入らないようなら、私が尚吾を追い出すわ」
「はぁ?何言ってるんですか?そうじゃなくて、私が邪魔かもしれないって言ってるんですよ?私が出て行きますよ~」
私は困惑する。トーネさんったら、私の言ったことをちゃんと聞いていたんだろうか?
「ここは私の家よ。誰がメインゲストなのか私が決めるわ」
トーネさんはにっと笑った。
「尚吾の誕生日なんだから、尚吾がメインゲストでしょう?」
私は力なく文句を言う。
「そうだわ!すっかり忘れていたわ。尚吾に連絡しておかなくちゃねっ」
トーネさんは再び電話の受話器を取り上げた。やっぱり留守電になってるわ、もう、しょうがない子ねぇなどと毒づきながらトーネさんは留守電に呼びかけた。
「尚吾?私よ。いい?よく聞きなさい。あなたの大事な人を預かっているわ。返して欲しければ、今すぐに帰って来ること。分かったわね?そうね~六時までに帰らなければ、あなたの大事な人がどうなっても知らないわよ~」
大事な人?トーネさんは私を見てニヤリと笑ってから受話器を置いた。え?大事な人って?しかも、何?まるで脅し……
「トーネさんっ」
「なあに?」
冷蔵庫の中をごそごそし始めたトーネさんに話しかける。
「大事な人って、私じゃないですよね?」
「他に誰がいるの?」
トーネさんが怪訝そうに眉間にしわを寄せた。
「違いますよっ、私は尚吾の大事な人なんかじゃないです。トーネさん勘違いしてますよぉ~」
私は必死な面持ちで反論する。
「あなた本当に馬鹿なのね~」
トーネさんは冷蔵庫から挽肉を取り出して、私を見下ろすとはぁ~と溜息をついた。
「大事じゃない人を預かってるから来いって言われて来る馬鹿がどこにいるの?」
ああ!私はポンッと手を打った。そりゃそうだ。
ところで、トーネさんは、尚吾の誕生日を祝うために料理をしようとしてるんじゃないんだろうか?尚吾はそのことを知らないんだろうか。私は首を傾げる。尚吾は……どこに行ったんだろうか。
読んでくださってありがとうございます 招夏




