第十九話 ハートブレイク☆シェイク (二ノ宮陸也視点)
三時に図書館に着くと、入口付近に小柄な女の子が立っていた。肩の上で揺れる艶々の髪が、春の日差しを浴びてキラキラしている。桜の花びらが一枚、髪に張り付いていた。
「待たせたな」
その女の子に、尚吾が言った。
「ううん、そんなに待ってない」
彼女は少し微笑んでから、尚吾の隣にいる俺を見て、少しだけ首を傾げた。
「こいつが風花だ。で、こいつは二ノ宮陸也、俺の友人だ」
尚吾は、彼女の髪についた桜の花びらをとりながら、それぞれに紹介した。彼女に触れる尚吾の仕草があまりにも自然で、俺は少し居心地悪い気持ちで彼女に挨拶をした。まぁ、多少予想はしていたんだけど……俺はどう見てもお邪魔虫なようだ。
風花ちゃんは、少し小首を傾げて考える仕草をしてから、軽く目を見張った。
「あ、もしかして、チョコレートの人?」
バレンタインデーの大袋のチョコ、尚吾経由で風花ちゃんに渡していたのだった。自分自身でもすっかり忘れていた。
「ああ!そうだったな。そうだ、その二ノ宮だ」
尚吾も忘れていたようで、何度も頷きながら肯定した。
「袋いっぱいのチョコレートありがとうございましたっ。美味しく頂いちゃいましたっ」
満面の笑顔の風花ちゃんは、満開の桜みたいだった。
「あ、いや、貰ってくれてありがとう。こっちこそ助かったよ」
風花ちゃんが、尚吾に数学を見てもらっている間、俺は本を探していた。
俺が受験勉強の時に使っていた本で、世界史の勉強に最適だと思っていたやつだ。
それぞれの地域の歴史を覚えるだけでも精一杯なのに、この地域でこんなことがあった年、別の地域では何が起こっていたかなどと聞かれても、浮かぶのは?マークだけで、世界史の模擬テストの点が伸び悩んでいるのだと彼女は言った。
ところで……俺は一人ごちる。何が羽化したばかりの蝉だよ。どんな儚げな子かと思った。めちゃくちゃ元気そうじゃん。
家庭教師に行った後、尚吾がいつも愚痴る風花ちゃんと、羽化したばかりの蝉らしい風花ちゃんと、今日会った風花ちゃん……すべてが別人みたいに感じる。俺は首を傾げる。
目当ての本を探し出して、二人が勉強している席へと戻る。
長テーブルに、二人は肩を寄せ合うようにして座っていた。少し離れた位置の椅子の背もたれに、俺のリュックがぽつんと所在無げに掛かっている。見事な不等辺三角形だと苦笑する。
尚吾に言えば、ムキになって否定するような気がするけれど、二人は仲のいい恋人同士みたいだった。風花ちゃんの尚吾を見上げる瞳や、尚吾が軽く風花ちゃんの額をつつく何気ない仕草が、二人の親密さを雄弁に語っているようで……
俺がいいなと思った子には、大抵ああいうやつがくっついているのだ。だから未だに特定の彼女がいない。俺は一人ため息をついた。
「んと……アメリカ合衆国」
帰り道、三人で駅までブラブラ歩く。風花ちゃんの家は郊外にあるらしい。
「じゃあ、クロアチア」
尚吾が言った。
「次、二ノ宮さんですよ~」
突然、風花ちゃんが振り返って話しかけてきた。二人の後ろを歩きながら、ぼんやり考え事をしていた俺はたじろぐ。
「あ、ですよ。あ、から始まる国名~」
「へ?あ?あ~、アゼルバイジャン?」
とっさに思いついた、あ、から始まる国名を口にした。
「きゃー、やった~、マックンシェイクは二ノ宮さんのおごりですねっ」
俺は呆然とする。「しりとり」だったのか。しかも賭け?
「俺腹減った、ダブルチーズバーガーセット頼んでいい?」
尚吾がニヤニヤ笑いながら言った。
好きにしろよ……俺はため息をついた。
「行きたい学部はもう決めてあるの?」
マックンのホットコーヒーを啜りながら、俺は風花ちゃんに訊いてみた。
「……ある程度決めてはいるんですけど、今、揺れてます」
風花ちゃんはチョコ味のマックンシェイクの蓋にキュインとストローを差し込んだ。
「揺れてる?」
尚吾が頼んだセットについているフライドポテトをかすめ盗りながら、俺は訊き返す。
「……私、もう人生を踏み外してしまっているので、前途洋洋のお二人に話すのは、癪に障るんですが……」
尚吾と二人してコーヒーを吹く。
「君、まだ高校生だろ?いつ踏み外したんだよ?」
笑い転げている尚吾を横眼で見ながら、俺が訊いた。
「う~、実は、私、文転したんです」
「はぁ~?おまえ理系選んでたの?」
あり得ないモノを見たような目で風花ちゃんを見つめながら、尚吾が言った。
「だって、おまえ、数学……」
「あああああ、ダメダメ、言っちゃ駄目だから~」
風花ちゃんは、隣の尚吾を黙らせるべく、ポテトをつまみあげると尚吾の口につっこんだ。
「ズバボロ……」
尚吾はポテトをくわえたままモゴモゴしゃべった。
「あは、数学が足を引っ張りまくるんで、見かねた先生に説得されたんです~」
風花ちゃんはシェイクをずずっと啜った。
彼女は薬草に興味を持っていて、生薬を研究している学科がある薬学部か農学部に行きたかったのだという。
「それで、最近揺れてる訳だ」
尚吾がニヤニヤ笑いながら言った。風花ちゃんは、むっとした顔で尚吾を睨み返す。
「本番の試験で、私が人並に解けるようになった範囲の問題が出ればいいんですが、私は、かなり早い段階で躓いたんです。だから、範囲が決まっている学校の定期テストとかならどうにかなるんですが、模試になるともう全然ダメなんです」
風花ちゃんは、自信ありげにそう言った。
「自慢げに言うな。範囲を拡大すればいいことだろ?」
尚吾があきれて言った。
駅の改札口まで風花ちゃんを見送った。
「二ノ宮さん、ごちそうさまでした。尚吾、またね」
俺は微笑んで手を振った。
「ありがとうございました。また、よろしくお願いします、だろ?」
尚吾が渋面で文句を言う。風花ちゃんは、そんな尚吾ににっこり笑って、その通りの言葉を復唱した。風花ちゃんが改札を抜けてホームへ降りて行くと、尚吾はケータイを取り出した。
「あ、尚吾です。今電車に乗せましたんで、後、よろしくお願いします。いえ、では……」
通話はそれだけだった。
「誰に電話したんだ?」
俺は怪訝な顔で問いかける。
「風花の母親。あいつんち駅から少し離れてるから」
俺は目を見開く。どんだけ過保護なんだ?
「おまえ、風花ちゃんの保護者みたいだな」
「保護者だろ」
さらりと返答すると、尚吾は歩き出した。
俺は尚吾を追いかけながら、一人軽く吹きだしていた。尚吾の新たな一面を見た気がする。尚吾は人を大事にし過ぎるんだろうと思う。そんな尚吾だからこそ、人づきあいが狭くならざるを得ないのだ。広かったらとても対応できない。俺は、そんな不器用だけど破滅的に優しい尚吾の良い友達でありたいと心から思う。
「なー、これから飲みに行こうぜ」
「えー、男二人でか?」
「たまにはいいじゃん。俺失恋したみたいだし……」
「え?誰に?俺の知ってるやつ?大学のやつ?ちゃんと気持ちを伝えたのか?」
「いや、でも、もういいんだ。その子、好きなやつがいるの分かってるから」
俺は肩を竦めて小さく笑った。
「なんだよ、お前らしくないなー。そんなの盗っちゃえよ。誰だよ。言えよ。俺にできることがあれば手伝うぞ?」
マジな顔の尚吾に苦笑する。
「いやいや、おまえなんかに頼んだら、ミイラ取りがミイラだ」
俺もしかつめらしい顔で返答した。
「えー、そんな魅力的な子?誰?誰?」
「まぁ、それは居酒屋ででも~」
俺は、尚吾の肩に腕を回して歩き出した。
その晩、俺たちは夜遅くまで飲み歩き、真夜中になって尚吾の部屋に辿り着いた。尚吾のベッドに転がりながら、俺はワニのゴウザブローβを抱きしめた。俺は、もう風花ちゃんに会わない方がいい。尚吾の為にも、俺の為にも……