第十六話 HATSUNETSU☆メール (視点変更有)
(佐竹諒(風花兄)視点)
「お兄ちゃん、風花が起きているか見て来てくれない?起きていたら何か食べられそうか訊いて来て欲しいんだけど……」
夕飯の準備をしている母親が俺に言った。
風花は昨日から熱を出している。最近は、すっかり丈夫になって、風邪なんてめったに引かなくなっていたのに……
ここ数日、妹は数学の勉強に明け暮れている。せっかく馬鹿で風邪をひかない体質だったのに、惜しいことだ。俺は二階へ上がった。
レースのカーテン越しに、夕暮れの弱弱しい光が射し込んでいる。
ベッドを見ると、風花はぐったりした様子で眠りこんでいた。俺は厚手のカーテンをそっと閉めて、ルームライトを極弱く灯した。
俺は、風花の額に手を当ててみる。まだまだ熱は高いようだ。俺はベッドの端に腰を下ろして、風花の顔を見つめた。隣にはいつものシマクマ。
こいつ、まだこれを愛用してるのかと苦笑する。
『諒、風花、今夜が峠だって言われたのよ』
母が、こわばった顔ででそう言った。父親も深刻な顔をしている。
俺はその夜、親戚の家に預けられた。風花は風邪をこじらせて、肺炎を起こしていた。苦しそうな風花の息遣いと、激しい咳と、重苦しい空気を今でも覚えている。風花が小学二年、俺が中学一年の時のことだ。
気を紛らわすためだったのか、母が風花のベッド脇でチビシマクマを縫っていた。
茶色とベージュのシマシマのクマ。
俺は、このオレンジと黄色のシマクマの中に、あの時のチビシマクマが縫い込まれていることを知っている。チビシマクマにデカシマクマのモビルスーツを作って着せたらどうかと提案したのは俺だった。(当時俺は、叔父さんの影響を受けて、ガン○ムにハマっていた)。ボロッちくなっていたのを見かねて俺が考案したのだ。
峠を越して以後、チビシマクマは風花のお守りになっていた。
小さい頃は、俺の後ばかり追いまわして、一緒に遊べって纏わりついていたのに……
俺は、小さくため息をつく。最近はあまり話すこともなくなったなぁと思う。
あの緑目のやつ……一之瀬尚吾とか言ってたっけ……
この前、たまには家で夕飯を食べるかと思って帰って驚いた。風花が、あいつと二人で夕飯を食べていたからだ。二人はかなり仲良さそうに見えた。聖一郎とだって、あそこまで砕けた会話をすることのない妹だったのに……
どんなやつか見極めてやろうとスポーツゲームを提案した。テレビゲームだとはいえ、ゴルフはかなり性格が出るゲームだ。やつはやったことがないと言った。コテンパンにしてやろうとフルスロットルで飛ばしたつもりだったのに、いつのまにか、ムキになっている自分がいた。
結果として、コテンパンになったのは風花で……俺は苦笑する。いつもは風花の機嫌を見ながら、手加減しながらやっていたのに、そんな余裕がなかったのだ。さぞかしご機嫌を損ねて八つ当たりされるだろうと覚悟をしたのだが、風花が八つ当たりした相手は、一之瀬尚吾の方だった。
兄貴なんて、どうせその程度のものさ。俺は一抹の寂しさを感じながら、小さくため息をつくと妹の部屋を後にした。
* * *
(佐竹風花視点)
私は靄の中を歩いていた。先が見えそうで見えない、何かがあるようなのに、それが何か分からない。不安と、それが何かを知りたい気持ちでトボトボと前進する。
靄はどんどん濃くなり、足は益々重くなり、ひどく喉が渇いていた。目を覚ますと、部屋にはごく弱く灯りが灯されていて、既にカーテンが引かれていた。
「……ううぅ」
まだ熱が高いのか何もしゃべる気にさえならず、唸り声をあげる。風邪を引いたのは久しぶりだ。体中がだるい。気配を感じ取ったのか、すぐに母親が現れた。
「どう?何か食べられそう?」
母親が持ってきてくれたスポーツ飲料を一気飲みしながら、首を横に振る。
「無理、今日はもうこのまま寝る」
「そう……じゃあ、何かあったら呼びなさい。ケータイを置いておくわ。ママのケータイを鳴らせば来るから」
「うん。ねぇ、パ……じゃなかった、尚吾に連絡しておいて欲しいんだけど……」
明日は尚吾が勉強を見てくれる日だ。
「しておくわ、この分じゃ明日は無理そうだものね」
「ありがと」
私は枕元に置かれたケータイをぱちりと開いて見る。メールがいくつか届いていた。
『風花、大丈夫?早く良くなってね』
桃花ちゃんだ。そのほかにも仲良しの友達からのお見舞いメールが入っている。それらをチェックしていると、新着メールが届いた。尚吾からだった。
『馬鹿もウサギも風邪をひくんだな』
という失礼なタイトルだ。
『水分はしっかり摂ってるか?栄養もしっかり摂れよ。小学生じゃないんだから、小春さんを困らせるな』
ママめ~、尚吾に何を愚痴ったんだか……。すぐに返信しようとして、手を止めた。来週は約束の三月十四日だ。
なのに……私はまだ数学のテストで百点を取れずにいた。でも、もし仮に百点を取れたら何をお願いするつもりなのか……実は自分でもよく分かっていない。私が尚吾にして欲しいこと……
私はバレンタインデーの次の日(週末を挟んだので正しくは三日後)の桃花ちゃんを思い出して、再びドキドキしていた。
「おはよ~桃花ちゃん」
桃花ちゃんは、授業中邪魔になるからと、いつも髪をシュシュでまとめる。その日も授業が始まる前に、彼女は髪をまとめていた。
「おはよう、風花」
にっこり笑った桃花ちゃんの首筋に、花びらを散らしたような赤い痣があった。
「ん?桃花ちゃん、ここ虫にでも刺されたの?」
「え?」
私の指摘に、桃花ちゃんはひどく慌てた様子で手鏡を取り出した。
「あー、まだ残ってる。もうー、直人君ったら……」
そう言うと、桃花ちゃんは、バサバサとまとめていた髪をほどいた。
「週末も親に見つからないようにするの、大変だったんだからぁ」
「……」
虫の正体って……
私は口をつぐんだまま、桃花ちゃんを凝視してしまう。
「やだ、風花、耳まで真っ赤。なんであなたが赤くなるの?」
桃花ちゃんは少し恥ずかしそうに、困った様子でクスクス笑った。
私は、尚吾に何を願うんだろうか?何を願いたいんだろうか。
『ウサギじゃないから風邪ひいた』
というタイトルを打ち込む。
『ちゃんと水分は摂ってるよ。小学生じゃないから栄養も摂れるようになったら摂ります』
少し行間を開けて、
『明日はパンダに会えなくて寂しいです』
と打ち込んだ。
『ウサギめ~』
と言うタイトルのメールがすぐに届いた。
本文にはお決まりの、
『パンダじゃねー、尚吾だっ』
と書かれていた。