第十話 TAMEIKI☆ブーケ (佐竹風花視点)
私はもう何度もため息をついていた。ため息の数で花束を作ったら、さぞかしゴージャスな花束になることだろう。意味もなくケータイの画面を何度も開いたり閉じたりを延々と繰り返す。
あの後、尚吾にメールを送った。あの夜のお礼メール。でも尚吾から帰ってきた返信メールは絵文字一つっきりだった。親指だけを立てたグーの絵文字。
私がどれくらい悩んで、迷って、あのメールを送ったと思っているのだろうか。そりゃ、大したことは書かなかったけどさ。でも、あの後、私と聖ちゃんがどうなったのか知りたいとは思わないんだろうか。尚吾にとっては、そんなことどうでもいいこと?もう私のことなんて忘れちゃった?私の事なんてただの厄介事だった?
明日から実力テストが始まる。こんなことをしている場合じゃないのは分かっているんだけど……延々とそんなことばかり考えて、際限なくため息をつく。
「風花、テストどうだった?」
仲良しの桃花ちゃんが話しかけてきた。
「……聞かないで」
私は机の上に伏せてある、かつてないくらいひどい出来のテスト用紙の上に突っ伏す。
「今回のは難しかったよねー。私も全然ダメだったー」
桃花ちゃんのこの言葉を、そのまま受けとってはならない。彼女のダメは私にとってはまあまあの成績なのだ。逆に私のダメは桃花ちゃんにとっては気絶もので、神社で大凶を引いてしまって、即行でお祓いをしなくちゃと思うくらいの不吉な成績だということだ。
「今日、直人君に分からなかったところを教えてもらおうと思うんだけど……一緒に行く?」
滅相もない。私は首をぶんぶんと横に振る。直人君というのは、桃花ちゃんの同級の彼だ。彼は街にあるバリバリの進学校(男子校だ)に通っている。その進学校でも常に上位にいるのだとか。だから何か分からないところがあると、桃花ちゃんは直人君に教えてもらいに行く。
私もよく誘われるのだけれど、一度も一緒に行ったことはなかった。お邪魔虫なのはわかりきっているし、私の答案なんて、桃花ちゃんやその彼などに見せられるハズがないのだった。
でも、バーチャルな私は、よく一緒に勉強しに行っている。アリバイ工作員と言う訳だ。桃花ちゃんの家は、そういうことにとても厳しい家なのだ。
「じゃあ……」
桃花ちゃんが申し訳なさそうに上目づかいで見つめてくる。
「分かってるって。今日は直人君ちで勉強会ね?」
「風花、ありがとー。大好き」
桃花ちゃんがフンワリと抱きついてくる。栗色のふわふわな髪の毛からベリー系の甘い良い匂いがした。
帰りに図書館に寄った。アリバイ作りにもなるし、テストを見直す必要もあった。今年は受験なのだ。いつまでも悪かったテストのショックを引きずっている訳にはいかない。
まず国語と英語を見直す。この二つは割と得意教科なのだ。なのに……この点数。理科は生物をとっている。社会は世界史と地理を選んだ。これらも特に嫌いな教科ではないのに……目も当てられない。
どの教科も、受験生だと告白することさえ恥ずかしいくらいの点数だ。
しかし、一番の問題は……マセマティクス。数学が……こんな不吉な……いや逆に、突き抜けてて縁起がいいじゃんと他人には言われそうな点数に、私は言葉を失う。
他の教科は、参考書や教科書を見れば、大体分かるし、どうしてこんなケアレスミスをしたのかと自分で自分を殴りたくなるくらいのミスだ。だけど……数学だけは……解答を見ても解法を読んでもさっぱり頭に入らない。何が何だか分からない。分からないところが分からない。お手上げだった。
私は、ほどほどの時間に図書館を後にし、自宅に帰り、こっそりとテストを引き出しの奥にしまった。ドラ○もんの「の×太君」の気持ちが分かる人間になってしまったと、ため息をつく。
「ねぇ、風花、誕生日のプレゼントのことなんだけど……何か欲しいものはあるの?」
夕飯の時にママが切り出した。私の誕生日は今月だ。
「ううん、特に欲しいものはないよ」
私は意気消沈したまま答える。テストの結果は、まだ帰ってきていないとさっき嘘をついてしまった。
これは良くない嘘だ。誰を庇う為ではなく、誰かを気遣う為でもなく、自分の失敗を誤魔化す為の、相手を欺く為の嘘だ。だから心が沈む。尚吾がついた嘘とは質が違う。尚吾が益々遠くなった気がして、更に深いため息をついた。
「ふーん。最近元気がないのね?」
「そ、そうかな?げ、元気だよ?」
私は海老フライにグサリとフォークを突き刺した。
* * *
風花の母小春は、風花の部屋でマリアナ海溝ほどの深いため息をついていた。
「あの子、分かりやす過ぎるのよね……さて、どうしたものかしら……」
ふと、机の上に置かれているケータイに目がとまる。風花の高校はケータイ持ち込み禁止なのだ。非常事態だものね……。小春はケータイをパチンと開いた。
* * *
今年の誕生日は月曜日に当たっていたので、その前々日の土曜日にお祝いをしてくれるそうだ。母親がそう宣言した。
土曜日の午前中、パーティの準備をするからと家を追い出された私は、駅前の商店街をブラブラしていた。服を見ても、靴を見ても、コージーコーナーのガトー・オ・ショコラを見ても心が晴れない。
もう一度……もう一度訊かれれば、観念してテスト用紙を見せるつもりなのに……パパもママもテストのテの字も口に出さない。そのことが逆に私の不安を煽る。頼まれたシャンメリーだけを買って、帰途についた。
「おかえりなさい。ごめんね。風花のシャンメリー買い忘れちゃうなんて」
ママがキッチンではんなりと微笑んだ。
「ううん」
私はシャンメリーを冷蔵庫にしまいながら、こっそりと小さくため息をついた。どうしたらこんなモヤモヤした気持ちを払拭できるんだろう。
「パパは少し遅くなるみたいだから、先に始めておいてくれって、さっき連絡が入ったのよ」
ママは少し困ったみたいな様子で言った。
「じゃあ、パパが帰るまで待とうよ。二人じゃ寂しいよ?」
兄は残り僅かとなった学生生活を満喫しようとしているらしく、週末はほぼ家にいなかった。昨夜も『お土産買ってくるからな~』などと言いながら、とっとと旅行に出かけて行った。兄はマッタク当てにならない。二人でパーティなんて、あまりにも荷が重すぎる。笑い方さえ思い出せない程なのに……
「そうね、そうしてもいいんだけど……とりあえず、プレゼントがあなたの部屋にいるから、行って連れてきてくれる?」
「は?」
母親の奇妙なセリフに、私はキョトンとする。プレゼントを連れてくるってなんだ?はっ!もしかしたらペット?私は犬を飼いたがっていた。もしかして子犬なの?
私は瞬時に心配ごとを忘れた。階段を駆け上がり、少しドキドキしながら部屋のドアを勢いよく開ける。
「……」
私は勢いよくドアを閉めた。今度は用心しながら、細めにドアを開ける。いる。なんで?なんで私の部屋にいるの?
「おまえ、さっきから何してんだ?」
「なんでパンダが私の部屋にいるの?」
「パンダじゃねー、しょーごだ。しかも指をさすな、指を!」
尚吾は思いっきり顔を顰めて、耳触りの良い声で言った。