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4.嘘

 シオン様が黒いもやをまとうようになったのは、彼が十五歳の頃だった。

 最初は何かの見間違いかと思った。だけど黒いもやはたしかに存在していて、ほんの少しだけとはいえ、シオン様の周りを漂っている。


「エミリアならきっと、立派な王妃になれると思うよ」


 どうしてそんな嘘をつくのだろう。

 ばくばくと鳴る心臓に、ふと先月参加したパーティーを思い出す。

 初めての聖女の仕事として公的な場に参加させてもらった時のことを。

 私はそこで他国の方が嘘をついていたので指摘してしまった。だけどそれは私が無知だっただけで、他国の方に「貴族には貴族の流儀があるのですよ」と逆に指摘されるに終わった。

 もしかしたら、シオン様は私の体たらくを聞いてガッカリしてしまったのかもしれない。

 

「本当に、そう思ってくださるのですか?」

「当たり前だろう?」


 不思議そうに首を傾げるシオン様。だけど、もやは消えず、彼の周りを漂っている。


「……シオン様にふさわしい王妃になれるよう、これからも精進いたします」

「うん。エミリアならきっとできるよ」


 どうにかして挽回しないといけない。だけどどうすれば、シオン様に認めてもらえるのだろう。どうすれば、シオン様は心の底から私を望んでくれるのだろう。

 思いばかりが募り結果は出せず、日を追うごとに増えていく黒いもやに、胸の痛みだけが増した。


「今は絵画について学んでいるんだってね。熱心な生徒だと教師が褒めていたよ」


 これは嘘ではない。彼の言葉すべてに黒いもやが出るわけではなかった。


「はい。造詣を深めれば、他国の方とお話しする際にも飽きさせずにいられるかと思いまして」

「そうか。そこまで考えてくれる君が聖女で、本当によかったよ」


 にじむ黒いもや。ふわふわと漂う黒が、この言葉は嘘だと教えてくれている。


「君が聖女でよかったよ」

「君ならきっと素晴らしい王妃になるよ」


 そう言う時には決まって、黒いもやがにじんでいた。

 彼は私が聖女であることを喜ばしく思っていない。そして王妃になることも、望んでいない。


 私は体も小さくて、孤児院でお手伝いしていた時も失敗ばかりだった。だけど聖女の仕事は体の大きさは必要ないし、大きなものを運ぶための力も必要ない。

 聖女の仕事なら頑張れると思っていたのだけれど、思い上がりにすぎなかった。シオン様の黒いもやを見るたび、まだまだ未熟なのだと思い知らされた。


「エミリアは今日も可愛いね」


 そう言って微笑む時にも、黒いもやがにじんでいた。私が平凡な見た目であることは誰よりもわかっている。

 容姿も能力も、褒められるところなどどこにもない。


 だけど唯一、シオン様が黒いもやを出すことなく私を褒めてくれることがあった。それは、勉強に関して。

 教師からの評価を口にする時だけ、嘘がなかった。


 シオン様のおそばにいたくて、彼に認められたくて、唯一褒めてもらえる勉強を頑張った。そして聖女の仕事も褒めてもらえるように頑張った。

 そうすればいつかきっと、シオン様も心の底から私が聖女でよかったと思ってくれると信じていたから。


 だけど一年が経っても二年が経っても――いくら頑張ろうと、シオン様から黒いもやが消えることはなかった。

 むしろ増え続けていた。最初はうっすらとだったのが色を増し、滲む程度だったのがたしかな質量を持って、シオン様を囲んでいた。


「結婚したら、人の少ない避暑地に行って羽を休める……というのはどうかな? どうせ忙しくなるから、長居はできないと思うけど」


 未来を描く彼の言葉にすら黒いもやがにじむ。

 ずきずきと感じる痛みも、胸の奥に湧く悲しみも見ない振りをして、漂う黒いもやからも目を逸らし、夕焼け色の瞳をじっと見つめた。

 ちゃんと笑えているかを確かめるためにも。


「シオン様のなさりたいようにしていただければ、私はそれで満足です」

「……じゃあ、色々と、考えてみるよ」

「楽しみにしております」


 さらに増えた黒いもやに気づかない振りをした。


 ミスティア様が聖女として登場してからも、私は見ない振りを続けていた。

 私に付いている教師たちが「お上手です」「聖女様は飲み込みが早いので教え甲斐があります」と褒めてくれる時に、少しだけ黒いもやを出すのも見ないようにした。

 ミスティア様について他の人と話している時には、黒いもやが出ていないことにも気づかない振りをした。


「ミスティア様が王太子妃に――ひいては王妃になってくださるといいのですが」

「ええ、本当に。貴族出身の王妃のほうが諸国からいらした方にも説明がしやすいですし――」


 そんな文官たちのやり取りも聞かなかった振りをした。


 そうやって鈍感な振りをしてきても、結局どうにもならなかった。シオン様が私を認めることはなく、心の底から望んでくれることもなかった。



「エミリア!」


 アラン様との茶会を終えて部屋に戻った私のもとに、慌てた様子のシオン様が駆け込んでくる。ノックもなく扉を開けた彼の周りには、まだ私の名前しか呼んでいないのに黒いもやが漂っていた。


「アランと会っていたんだって?」

「王妃殿下が予定を組んでくださいましたので」


 ぎゅっとシオン様の眉間に皺が寄る。しかめられた顔が何を表しているのかは、黒いもやを見なくてもわかる。

 不快、だ。


「……楽しかった?」

「有意義な時間を過ごさせていただいたと思っております」


 アラン様は私の知らない――兄としてのシオン様について話してくれた。六歳も差があるから同じ遊びをしたことはあまりないそうだけど、子供の頃に読み聞かせをしてくれた話や、湖に行った際には浅瀬までしか駄目だと見張られていた話。

 弟を大切にしているシオン様の話はとても新鮮で、嬉しく思うと同時に、悲しくもなった。


 婚約者として八年も過ごしてきた仲なのに、家族に対してのシオン様を知らなかったことに気づかされたから。


「君は……アランとの婚約に乗り気なのか?」

「……どうなるかはわかりませんが、シオン様との婚約が解消されればそうなるかと思っております。ですので、シオン様は私のことはお気になさらず――」

「俺は、何度も君がいいと、そう言ったはずだ」


 ミスティア様との仲を深めていただければ。そう続けるはずだったのに、たちこめる黒いもやに息を呑む。

 シオン様の爪先から胸元までを覆うほどの、濃く深いもや。これほどまでのもやをシオン様が出したことは、これまで一度もない。


「君が聖女でよかった。王妃になる相手でよかったって、何度も、何度も……」


 どんどん色を増していく黒いもや。もやの一部が重みを得て、シオン様の足元に滴る。じわりとにじむように広がる様は、まるで水たまりのよう。


「それなのに、どうして君は……!」


 もしもこの黒いもやが、同情とか悲しみとか、相手を思いやることでも生まれるのなら、私はシオン様に望まれているのだと甘い夢に浸れたかもしれない。

 だけどそうではないことを私は知っている。


 黒いもやは思いやりからは生まれない。怒らせたい、傷つけたい、陥れたい、嵌めたい、泣かせたい――そんな、相手を害したいという思いから生まれることを。


「シオン様、もう……嘘はいいのです」


 床の上に広がる、もやだった水たまりに視線を落とす。この濃さが、重さが、シオン様が私をどれほど嫌っているのかを表している。

 私は胸の痛みをごまかすように、震える唇を歪める。

 上手に笑えているだろうか。笑えていると、いいのだけれど。


「俺は、嘘なんて――」


 言いかけて、ハッとしたように夕焼け色の目が見開かれる。金を混ぜ込んだ紅色の瞳が揺れ、シオン様の顔がみるみるうちに青ざめていく。


「俺は、違う、そうじゃないんだ。君を傷つけようなんて、思っていない。本当に、君を大切にしたいと……だから、これっぽっちも、そんなことは」


 必死に言いつくろうシオン様の周りでは、水たまりになっていた黒いもやが密度を増している。この言葉すらも嘘なのだと、私の力が、胸に感じる痛みが教えてくれている。


「シオン様、私の力はよくご存じでしょう? シオン様がこれまでずっと嘘をついていらしたことを……私はわかっております。だから……もう、いいのです」


 シオン様はずっとずっと、私に優しくしてくれた。

 教養もない、無知で愚かな子供に、孤児院育ちの薄汚い子供に、シオン様はいつだって優しく笑いかけてくれた。


 私は聖女でシオン様は王太子だから、二人とも変えることのできない立場だからと自分に言い聞かせ、陛下に婚約の解消を嘆願することすらしなかった私に、優しくしてくれた。

 私のことを悪しざまに言うことも、嫌だと言うこともしないのをいいことに、彼の優しさに甘え続けた。

 私に嫌悪感を募らせていることを、わかっていたのに。


 だからこれは、なるべくしてなった。


「シオン様には良くしていただきました。ですがこれ以上は……私に囚われるべきではありません」


 震える唇を必死に動かす。


「……婚約を、解消いたしましょう」


 優しい優しいシオン様。私を見捨てることができず、心にもない言葉を口にするしかなかったシオン様。

 シオン様にふさわしい聖女が現れたのだから、私のことなど捨て置いて、どうか幸せに。

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― 新着の感想 ―
[気になる点] これ、ヤンデレのタグつけちゃいかんやつ。だよね。(笑)
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