1.聖女
鮮やかな赤い薔薇で彩られた庭園で、楽しげに微笑みあう一組の男女。
二人の間には白い木を彫って作られたテーブルが置かれており、その上には白磁のティーセットと城のシェフが腕によりをかけたお茶菓子がいくつも並んでいる。
テーブルを挟んで座る二人のうち片方は、半年前に聖女として王城に迎えられたミスティア・フェルティシモ様。金色の巻き毛に青い瞳をした、大輪の薔薇にも負けない美しさを誇る公爵家の令嬢。
もう一人は、アディセル国の王太子シオン様。紫がかった銀糸の髪は陽の光を受けてきらめき、紅に金を混ぜた夕焼けのような瞳は穏やかに細められている。
そして二人の傍らには彼らの侍従が一人ずつ、穏やかな笑みを浮かべて二人を見守っていた。
その光景はまるで一枚の絵画のようで、誰にも邪魔できないほど美しくも麗しい。
――私の婚約者と、新しく見つかった高貴な聖女の二人を、私はただ見つめていることしかできなかった。
かつて、アディセル国は大規模な災害に見舞われた。
当時のアディセル国は高い山に囲まれた力のない小国で、周辺国との交流も今ほどは盛んではなかった。そのため、支援を要請しても義理程度の些細なものしか受けられず、国を立て直すにはとうてい足りなかった。
民も貴族も関係なく飲めず食えずの日々が続き、王すらも疲弊し、誰もがこのまま命尽きるのを待つしかなかったその時、癒しの力を持った少女がアディセル国に現れた。
触れるだけで傷を癒す不思議な力を、少女は惜しむことなく使った。
災害により地は荒れ、食料も底を尽きかけてはいたが、健康な人間が増えたことと、献身的に働く少女の姿に人々は希望を抱き、国を立て直すことができた。
王は国を救ってくれた少女を王妃に迎え、同時に“聖女”の称号を彼女に与えた。
それからというもの、アディセル国には不思議な力を持つ子供が生まれるようになった。
千里先を見通す目を持つ人、多少ではあるが未来を見通す力を持つ人。
その力は様々だったが、他者とは違う、摩訶不思議な力を持つのは同じで、彼女たちは聖女と同じように国に貢献し、聖女の称号を得ていった。
何十年、何百年――千年以上もの時をかけて、聖女の称号は次第に国に貢献した人に対してではなく、不思議な力を持つ人に与えられる称号へと変化していった。
そうして今代の聖女となったのがエミリア・マクシミリオ。私である。
私に備わっていた不思議な力は、千里先を見通す目でも、未来を見る目でもなければ、癒しの力でもない。
嘘をついていたり、よくない考えを抱いたら、その人の周囲に黒いもやが見えるという、とてつもなくちゃちな力だった。
だけどそれでも不思議な力には違いなく、孤児であるにもかかわらず、私は聖女として王城に迎えられ、第一王子との婚約を結ぶに至った。
シオン様と初めて会ったのは八年も前で、私が七歳の頃だった。その時のことは今でも鮮明に覚えている。
不思議な力があると気づいた孤児院の院長先生が私を城へと連れていき、王様との面会を終えた後だった。
「ここで少し待っていてくださいね」
そう言って、院長先生は大人は大人の話し合いがあるのだと戻り、私は庭園で待たされた。
周りを囲むのは、丹念に手入れされていることがわかる瑞々しく綺麗な花ばかり。花弁の一枚でも傷つければ怒られるかもしれないと、身動き一つできなくなっていた。
「君が聖女の力を持っている子?」
不意に聞こえた声に驚き、声のしたほうに顔を向けると、そこにいたのは侍女を従えた見知らぬ男の子だった。
これまで見たこともない綺麗な男の子にその時の私は呆気に取られ、何度も瞬きを繰り返した。
「あ……そう、らしいです」
返事がないことに男の子が不思議そうに首を傾げるのを見て、私は慌てて頷いた。院長先生と王様は私のことを聖女だと言っていた。だから、男の子の言っている聖女も私のことなのだろうと思ったからだ。
だけど確証があるわけではなく、たどたどしく答える私に、男の子は「そっか」と小さく呟いた。
「じゃあ俺は君と結婚するのかな」
「あなた、と、ですか?」
「うん。王家の子供は聖女と結婚する義務があるんだって。王妃に据えられるのならそれに越したことはないけど、場合によってはすでに王妃がいたり、どうしても替えられない婚約者がいたりすることもあるんだよね。……そういう時には王に近しい親族に嫁がせたりするけど……」
そこで一度言葉を切ると、男の子は肩をすくめた。浮かぶ苦笑は何を思ってのものだったのか、八年が経ってもわからない。
「幸い、俺には婚約者も妻もいないから、君と結婚することになるだろうね」
「いや、じゃ、ないのですか?」
院長先生と王様も、義務がどうのだとか権利がどうのだとか言っていた。当時の私は学もなく、彼らの話はどれも難しいことばかりで、義務も権利も、それどころか聖女についてもよくわかっていなかった。
けれど、目の前にいる男の子が私と結婚するらしいということと、彼がとても綺麗だということだけはわかった。
鉱山のお手伝いをしていた男の子が「ちょろまかしてきた」と言って見せてくれた、小指の爪先ほどの小さな原石よりも綺麗な男の子。
着ている服も、学のない子供でも上等だとわかるもので、そんな子と自分が結婚するだなんて想像すらできなかった。
「どうして? 別に嫌ではないけど」
不思議そうに首を傾げる彼に、私は自分の体を見下ろした。
私のいた孤児院は辺境の地にあり、食べるものがほとんどないこともあった。農園のお手伝いをすることもあり、綺麗な服を着たことなんてほとんどない。
今は城に行くからとお風呂に突っ込まれ、見栄えがいいようにと当て布のない服を着せてもらいはしたけれど、やせっぽっちの体も、薄い布でできた服も、とてもではないが彼と釣り合いが取れているとは思えない。
誰が見ても不釣り合いな様に、私は彼の周りに視線をさまよわせた。
「君は俺とでは嫌?」
「わたしは……いや、ではない、とおもいます」
いくら目を凝らしてみても、彼の周りには何もない。視界に映るのは綺麗な花々と私たちを見守る侍女だけ。
本当に私と結婚してもいいと思っているのだと、私に対してなんの敵意も抱いていないのだとわかった。
「そっか、よかった。これからよろしくね」
そう言って笑う彼があまりにも綺麗で、胸の奥からこみあげてきた温かさが大粒の涙に変わり、零れ落ちた。
止めようと思えば思うほど止まらなくて、男の子はぽろぽろと泣く私に慌てふためき、ここまで沈黙を貫いていた侍女にどうすればいいのかと聞いていた。
そんな姿も何故だか嬉しくて、こんな素敵な人と結婚できる私はなんて幸せなのだろうと思っていた。
当時十一歳だった彼が王太子となってからもずっとずっと、彼のもとに嫁ぐのだと思い続けていたし、誰もがそう思っていたはずだ。
――新しい聖女が現れるまでは。