開演
大学の講義室で昨夜の事を思い起こしてみた。帰宅してから不思議な感覚で今朝起きてからは夢だと思ったくらいだった。しかしコンビニのレシートや指についた煙の匂いは間違いなく昨日の出来事が現実である事を示していた。
隣でうつ伏せで眠る友人には散歩途中で話しかけられた、としか言っていない。どう考えてもおかしいが、俺自身も理解してない事を説明しようったって面倒臭い。とにかくあの男の言葉が本当なら親父の隠し子が今から何かを郵送してくるって事だ。
変人の言葉が現実にならないよう祈ってみてまたスマホに目を戻す。教授の授業はいつも通り学生たちの頭の上を滑り抜けて行くだけだ。
今日はバイトも無いので予定もない。彼女がいればもう少し日々に張り合いが出る物だが、女友達も、そもそも友達すら少ないこの身では期待するのははるか未来のことだ。
アパートの前に自転車を止めて帰宅する。家の鍵をキーケースから探り出している時昨夜の男の言葉が耳をよぎる。向こう、だとか、殺す、だとかとにかく現実感の無い言葉を並べられてイマイチぴんときていないが郵送という言葉だけが、妙に生活感があり、頭に残っている。
おそるおそる郵便受けを覗くが空っぽだった。少し気が楽になり階段を登る3階の隅にある自分の部屋まではエレベーターが欲しいところではある。ところが階段を上がると廊下に段ボール箱が置いてあった。誰かのゴミと言う雰囲気は無い。しかもよりによって自分の部屋の前だ。昨日の男の顔が頭をよぎる。
駆け寄って見てみると、配達状が貼られていて、宛先は井上克也とある。間違いなく俺宛だ。段ボールはそれほど大きいものでは無いがやけに重たい。
まさか爆弾か、まさかななんて考えながら、ちゃぶ台の上にゆっくりと置いた。配達状の送り元は空欄だ。なにか妙な事が起こっているぞ、と頭で考えてみたら、だんだん汗をかいてきた。
秋の夕方の匂いが窓から入ってくる。自分が間違いなく現実にいる事を指摘してくる。走りゆく車の音がフワフワした頭に突き刺さる。
ベッドの下に段ボールを押し込んでみた。現実逃避なのか、なんとなく自分の行動は理解できないが、それによって気持ちが幾分落ち着いた。
「とにかく今日は寝よう」
夕日をまぶたに感じながら目を閉じた。
それから一週間ほど立ったが、特になにも起こらない。郵便物事件から数日は戦々恐々としていた物だが、拍子抜けした、と言うのが実際のところだ。段ボール箱は相変わらずベッドの下に鎮座しているが、逃げも移動もしない。当たり前だが、俺はそれくらいするだろうとすら思っていた。
大学の研究室棟に入ると、同じゼミ仲間の高島がエレベーターを待っていた。
「おう」
「おはよう」
高島が軽く微笑んでくれる。高島は俺の数少ない女友達の一人だ。しかも美人で目立つ顔立ちをしている。服やアクセサリーが高価そうで、周りからはパパ活認定をされている。俺も納得しかけたが、彼女の物静かな雰囲気や、無駄口を叩かない所など、パパ活に向いているようには思わない。というのがゼミが一緒になってからの俺の見解だ。というか女友達がパパ活とか思いたくない。
「今日は授業?」
俺は差し障りない会話を切り出した。ちなみに高島と話す時は未だに緊張している。
「昨晩バイトだったから、昼まで寝てたわ。そっちは?」
「俺は、まあ授業」
因みになんのバイトをしてるかは知らない。一人暮らしらしいからやはりパパ活か水商売何だろうか。彼女が大人びて見えるのはやはりそういったバイトの結果なのではないだろうか。俺の見解が揺らぎ始めたところでエレベーターが到着した。
「そろそろ忙しくなるの」
エレベーターのボタンを押しながら、高島は言った。俺は何のバイトをしてるのか聞きたかったが、それ以上に詮索好きなチャラ男と思われたくなくて
「へぇ」
と返した。横顔を盗み見るが、やはり芸術家の手で彫り出されたように美しい。大学に入るまではこんな子と二人でエレベーターに乗れるなんて考えもしなかった。俺は今恵まれてるんだ。
浮かれた心をひた隠して階数表示を見上げる。ゼミ室の誰かが小学生みたいに囃し立てられたら嫌だな。と、男特有の勘違いをしてみたりした。
ゼミが終わると仲間達は各々の用事で帰って行く。無論高島も直ぐに帰っていった。高島はちなみにそこそこ良い車で大学に通っている。聞いた話では高級マンションに住んでいるそうだ。
俺は対照的に自転車でバイト先に向かう。向かうのは繁華街一歩手前の古本屋だ。本は好きだし、騒がしくない。バイトは割りかし気に入っているし、自分でもハマり役だと思う。バイト先への道すがら国道沿いを通った。あの時の男の事をまた思い出してしまう。
しかしあれから男の言うオカシイことがあった訳でもなく、今日帰ったら段ボールを開けて見ようか、と思った。兄貴に俺たちの他に兄弟がいる?とメッセージで聞いてみたが、いないとだけしか返って来なかった。兄貴はあらゆることで俺の上位互換なので、知ってるなら知ってると言うはずだ。
段ボール箱の中身によっては警察沙汰かな、と思うと急に面倒臭くなってきた。
その瞬間、一際冷たい風がふいた。いつのまにか空が曇っていて暗くなっている。木々のざわめきに混じってパチパチと枝の音がする。その瞬間ある事に気付いた。先程まで行き交っていた車が一台も通っていない。
それどころか人の姿が全く見えない。静か過ぎる世界に思わず自転車を停めた時だった。
ダァーン!!!!
弾ける音がつんざいた。運動会の空砲のような音だった。音は反響して広がっていく。一瞬の静寂の後、爆音が響き始めた。間違いなく戦場のような音だ。弾ける音に爆音、爆音、爆音。思わず自転車の陰に屈み込む。甲高い音が耳をつん裂き、爆音が身体を揺らす。震える手でスマホを開くと圏外の二文字が目に入った。
「オカシイからな」
男の言葉が頭を繰り返しよぎる。血が上った頭でとにかく家に向かう事を思いついた。ここから自転車なら直ぐだ。
爆音が続く中自転車に飛び乗り思いっきりペダル漕ぐ。
アパートが目に入ると
「嘘だろ!」
と叫んでしまった。いや、叫んだような気がしたが、とにかく自分の声は一際大きな爆音にかき消された。
直ぐ近くの住宅地から煙が上がる。しかしそれどころではない。俺のマンションはコンクリートに無数の穴が開いていた。窓も割れ、ひび割れ、崩れ落ちている壁すらある。俺は必死に階段を駆け上がった。部屋は窓ガラスが散乱し、ちゃぶ台やテレビがボロボロになっている。ソファは破れワタが飛び出ていて、死体のように思えた。
俺は靴も脱がず部屋に入るとベッドの下から段ボール箱を引きずりだした。どうやら無事らしい。
これがあの男の話していた事なのか。直感的にそう感じた。
段ボール箱を引きちぎり開けると木箱が入っていた。焦る手を抑えながらなんとか留め具を外した。外では戦場の音が少しずつ近づいている。木箱を開けると紙きれと赤いプラスチックの筒が入っていた。
紙きれには殴り書きで、
「夜まで部屋に隠れていろ。夜ならレンズを空に向けてボタンを押しっぱなし。助けがくる。」と書いてあった。
俺は筒を引っ掴むとベッドの下に潜り込み息を殺した。銃声の様な物は既にあちらこちらから聞こえた。
永遠に続くかと思えた数時間後、やっと夜の帳が降りてきた。銃声はほとんど収まり、散発的に聞こえるのみだ。無様な事に俺は泣いてしまった。とはいえ意味不明の事態に恐怖ばかり、この状況で漏らさなかった方が御の字だろう。何かの破片で切ったのか膝や膝には血が滲んでいる。
俺はフラフラとベランダに向かいガラス戸を引いた。ガラスの破片がカリカリと音を立てる。赤い筒のレンズと思われる方を空に向けてボタンを押し込んだ。筒を夜空に向けながらベランダに座り込む。
穴の隙間から街を見ると真っ暗な中にそこかしこがオレンジに染まっている。時折流れ星の様な物が破裂音を後引きながら街を走り回る。
その体制で数十分ほどいただろうか、遠くからエンジン音が聞こえてきた。おそるおそるそちらを見ると大きなゴツゴツした車がこちらに向かってくる。その車はウチのマンションの下に止まり、中から銃の様な物を抱えた人影が数人降りた。
それを見て思わず隠れた俺は縮こまった。歯がカチカチ音を立てる。彼らは救いにきたのか、それとも殺しにきたのか。あの男の言葉は真実だったのか今更不安になってくる。
人影は何かお互いに呟くとマンションの階段に向かった。俺は慌ててベッドの下に潜り込み、息を殺した。数分の後、足音が数人分部屋のまえに近づいてきて止まった。心臓はバクバク跳ねて頭が真っ白になる。
ドアがゆっくりと開く。鍵の事など忘れていたが、かけなかったことをひどく後悔した。
「井上克也」
男の声がした。
「井上克也、いるか?」
「隠れてるのか、出てこい味方だぞ」
先の男に続いて女の声がした。足音が近づいてくる。
「部屋はあってるか?」
「間違いないさね。ここからレーザーが出てたよ」
二人は言葉を交わして近づいてくる。ブーツが二人分、視界に入ってきた瞬間、視界が真っ白になった。