マヤ神聖文字殺人事件 その八
「三枝さん、また着いていますよ、変な手紙。本当に気持ちが悪いわ。このところ、着かなくてやれやれと思っていたのに。はい、先生」
三枝美智子は第三通目の手紙を前にして、凍りつくように体を強張らせた。
前と同じ、直線書きの宛名書きであった。
少し震える手で、封筒を開いた。
やはり、今まで通り、封筒の中には紙片が二枚入っているばかりだった。
マヤ数字と思われる紙片には、左側に奇妙な図形と〇が二つ、右側には前と同様に棒が二本、書かれてあった。
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そして、もう一枚の紙片には。前とは異なった絵模様が描かれてあった。
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もう、いい加減に止めて頂戴!
美智子の目から涙が溢れてきた。
十月二十一日(日曜日)、光一と麻耶が日本に帰る
早朝、光一たちはタクシーに乗ってメリダ国際空港に向かった。
コンチネンタル航空のカウンターで搭乗手続きを行い、税関を通って、ヒューストン行きのコンチネンタル機に乗り込んだ。
そして、ヒューストンのジョージ・ブッシュ・インターコンチネンタル空港で成田行きのコンチネンタル航空機に乗り換え、夕方、成田に向かって飛び立った。
十月二十二日(月曜日)、第三の殺人事件発生
藤原文彦は会社の食堂で昼食を済ませ、机に戻り、パソコンのメール画面を見ていた。
昨日の高尾山は少しきつかったかな、どうも疲れが残ったようだ。
五十を過ぎたら、休日は大人しくしていなさいということか。
しかし、家からすぐ近いところにあるのだから、できるだけ、登りたい山だ。
そう思いながら、メールの大部分は読み捨て、返答すべきメールのみ、キーボードを叩き、
返信メールを返した。
藤原にはキーボードをかなり強く叩く癖があって、時々その音は女子事務員にくすくす笑いを誘うこともあった。
まだ、紅葉には早いが、高尾山はいい山だ。
女房も明日には帰ってくるのかな。
今頃は、京都の嵐山あたりでのんびりと色づき始めた山々を友達とお茶でも飲みながら、観ている頃か。
おっと、字を間違えた。
間違えた字を削除して、訂正しなければ。
夜もかなり遅くなって、光一は茗荷谷のマンションに帰って来た。
メリダからヒューストンまで四時間、ヒューストンで一時間半ほどの待ち時間があって、それからヒューストンから成田までの十二時間の飛行機の旅ということで、延べ十八時間ほどの旅はさすがに光一を疲労させていた。
部屋に入ると、リビングに置いてある電話機の留守番電話のランプがチカチカと点滅していた。
正樹はここ二日間ほど出張するとのことだったので、その間、誰からか電話があったのかと思い、留守番メッセージを再生してみた。
三枝美智子からの電話だった。
十月二十日、今日、第三番目の手紙が着いた、との伝言があった。
更に、マヤ数字で十月二十二日の表示がある紙片が入っていた、と伝言は続いていた。
しまった、と光一は青褪めた。
十九日にメキシコから確認した時、日本では二十日の朝だった。
三枝美智子の話では、まだ第三の手紙は着いていないとの返事であり、安心したが、手紙はその後に美智子の研究室に届いたのだった。
こんなことならば、正樹に美智子から聞いた藤原文彦という名前を告げ、且つ、アレハンドロを監視するよう、伝えておくべきだった、と光一は思った。
取り返しのつかない判断ミスを犯してしまった、と光一は切歯扼腕した。
時計を見た。
もう、十時を過ぎていた。
遅かったか、と思った。
『あの日、戦いの旗が高く掲げられた』
日墨交流協会の事務局が置かれてある大学のポールに見知らぬ旗が掲げられていた。
深夜、柳正樹警視の連絡を受けて、八王子警察署の署員が八王子市内にある藤原文彦宅に赴いた。
玄関の戸を開け、中に踏み込んだ警察官の目の前で、首を吊った藤原文彦が鴨居からぶら下がって揺れていた。
それは、不気味な光景であった。
十月二十三日(火曜日)、事件現場調査
柳警視の指揮下、警視庁の捜査一課が動いた。
現場で奇妙なものが発見された。
壁のハンガー掛けに、三人の被害者である大森氏、井上氏、藤原氏の名前が書かれたネームカードがぶら下げられていた。
また、更に奇妙なことに、首を吊った藤原文彦の死体に寄り添う形で、手製のテルテル坊主もぶら下げられていた。
そのテルテル坊主の着物には、Y・Mという頭文字がくっきりと書かれてあった。
十月二十四日(水曜日)、アレハンドロに対する容疑が固まり、逮捕状が出た
「アレハンドロは一体どこに逃亡したのでしょうか? いずれ、時間の問題で逮捕されるでしょうが。十月二十二日以降、駒場の留学生会館には帰っていません」
正樹が電話で光一に話した。
十月二十六日(金曜日)、逃亡したアレハンドロに対する本格的捜索が始まった
アレハンドロに対する指名手配の写真が交番の掲示板に貼られた。
復讐による連続殺人はもうないだろう。
復讐は完璧に終わったのだから。
だが、光一は事件の最終結末が未だ果たされていないと思っていた。
『そして、彼らは森の奥へと散り散りに入っていった』が未だ成就されていないのだ。
光一は、チラム・バラムの書に基づいて忠実に殺人を履行していったアレハンドロがこの最後の詩文をどのように成就していくつもりか、考えていた。
父を自殺に追い込んだ三人に対する復讐が済んだ今、アレハンドロが見知らぬ異国の中で逃亡し続けるということは考えづらかった。
『森の奥へと散り散りに入っていった』
大都会という虚飾に満ちた人工の森を目指すのか、それとも、どこか本当の森に身を潜めて暮らすのか、いずれにしても、逃亡を続けるには強固な協力者が居て、逃亡者を支えていかなければならない。
まして、アレハンドロのような外国人の風貌は逃亡には絶対不向きであろう。
日本という国は、外国人に対してはそれほど寛容な国ではないのだ。
光一の脳裏に、特異な容姿で表されているマヤのイシュタブという女神の姿がよぎった。