一目で気に入りました♪
春。
引越の季節。
新しい門出。
それから・・・巣作り?
なんてことを考えながら荷物を片付けた。
・・・と言いながらも、片付けるほどの荷物はないのだけど・・・。
「萱間さん、荷物片付いた?」
「あー、はい」
「それじゃあ、出掛ける支度が出来たらこっちに来てくれるかな」
「はい、分かりました」
ドア越しに声を掛けてくれた彼に、返事を返した。
自分の服装を見て、出掛けてもおかしくない恰好なのを確認する。
・・・でも、色気もへったくれもない恰好だ。ジーンズに赤のチェックのシャツだなんて。
バックを持ちながら、溜め息しか出て来ない。
ほんと春なのに踏んだり蹴ったりだわ。
部屋を出たらこの家の家主である桐谷課長が、玄関で待っていた。
「すみません。お待たせしてしまって」
「そんなに待っていないから、恐縮しなくても大丈夫だよ。それよりもいろいろ買い揃えないといけないだろう。持ちだせた服はほとんどないんだし」
「はあ~・・・」
「とにかく落ち着くまでは、気にせず家に居てくれていいからな」
そう明るく言って私の背中を叩いてきた。励まそうとしてくれているのは、分かっているけど地味に痛い。でも本当に桐谷課長は良い人だなと、私は思った。
私は萱間萌音。昨日から理由があって桐谷課長の家に・・・間借り?それとも下宿?することになったの。
昨日は最悪な一日だった。いつものように家を出て駅に行ったけど、電車が電気系統のトラブルとかでいつもより遅れてきた。おかげでいつもより2割増し?の混雑具合の電車に乗ることになったのよ。
会社に着いたのは始業時間ギリギリだった。気持ちを切り替えて仕事に打ち込もうとしたのに、仕事を始めて30分もしないうちに、私が住むマンションの管理人から電話がきた。なんでもうちから水漏れがして、下の階の部屋が水浸しとか。私が洗面所の水を出しっぱなしにしたんじゃないかと、云ってきたのよ。私はそんなことはしていないと言ったけど、とにかく電話じゃ埒が明かないので、マンションに戻ることになったのよ。
課長に事情を話して一度マンションに帰る許可を貰ったんだけど、気がつけば課長も一緒にくることになって、車の助手席に座っていたの。
マンションに着いたら、不機嫌な顔の管理人と下の階の人がいた。いきなり怒鳴りつけられて、ビクッとなった。そうしたら課長が穏やかに割って入ってくれて「とにかく状況の確認をしましょう」と提案してくれて私の部屋に行ったの。
部屋の鍵を開けてドアを開いたら、見えた状態にあ然とした。まず、開いたドアから水が流れだしてきたのよ。下の階の人は「ほら、見たこと・・か・・・」と、言ったけど、見えた状態に口を大きく開けたの。管理人さんも同じだった。
だってね、室内に雨が降っているというか、滝が見えるというか。しばらく呆然自失としていたけど、課長の言葉で皆我に返ったのよね。管理人は管理会社に連絡をし、課長はうちの会社の人事課に電話を掛けたの。課長からの連絡でうちの社員が私以外4人、このマンションに住んでいることがわかって、彼らもすぐに駆けつけてきた。
結局マンション内の水の供給を一時止めて調べた結果、私の部屋の上を通っていた水道管が外れて水が漏れたそうだ。おかげで私の部屋がある7階の部屋は全室使い物にならなくなったようだ。特に私の部屋と両隣は水浸しになったそうで、勿論下の階も水が浸みて住むのに支障があることだろう。
管理会社の人も来て「原因は調査します」と言ったけど、いろいろ問題がありそうなの。うちの社員が5人もいるからか、社長が弁護士をこちらに寄こしてくれたのには驚いた。けど「交渉はお任せください」と言って貰えて少し気が楽になった。
水が落ちてくるのが気にならなくなったところで、部屋の中に入ったけど、足の踏み場もない状態だった。大丈夫だった洋服はプラスチックの収納ケースに入った服だけ。他は全部水を吸っていた。電化製品も水を被って使えるかどうかわからない。それ以前に今夜はどこで寝ればいいのだろう。
とりあえずホテルにでも泊まるかと思ったら、課長が「部屋が空いているから一時避難でうちに来い」と言ってくれた。私は申し訳ないし「ホテルに泊まる」と言ったのに、気がついたら無事だった収納ケースや化粧品などの身の回りの品と共に車の中だった。
課長の家・・・部屋は3LDKのかなり広めの部屋だった。ちゃんとお客様用?ベッドまであって、一部屋を自由にしていいと言われて荷物をそこに置かれて、また車に乗って会社に戻った。
もう、うちのマンションのことは会社中に噂になっていて、皆が言うには欠陥住宅じゃないかとのこと。手抜き工事の余波が、今、出てきたのではないかということだ。
仕事終わりに女性社員に囲まれて服屋にGO!だった。いつの間にかカンパが集まっていたそうで、そのお金で服を何着か購入してくれたのよ。「残ったお金は好きに使うように」と「課長の好意に甘えなさい」と言われたのは、前半はありがたいけど後半はなんで?
いつの間にか私が課長宅にお世話になることは決定していたの。会社公認で!
カンパも「他にも同じ被害にあった社員がいるよ」と言ったら、その彼らが「自分たちは水浸しになってないから、萱間さんを助けてあげて」と言ったらしい。
・・・そうか、水浸しにならなかったのか。いいな~。
でも、しばらくは断水で水が使えないから、マンションの住人は知り合いのところに身を寄せたり、ホテル住まいを余儀なくされたらしいの。それなら私が課長のところにお世話になるのも同じだろうと、社長にまで言われたのよ。なんで社長に会う羽目になったのだろうと思ったけど、弁護士を寄こしてくれたのだから報告は当たり前だろうと言われたら仕方がないか。
桐谷課長と並んで歩きながら昨日の出来事を思い出していたら、課長に話し掛けられた。
「萱間さん。とりあえず必要なものを買ったらマンションに行って片付けようか。手伝うからね」
「課長の手を煩わせる訳にはいきませんから、いいです」
「遠慮はいらないよ。何より水を吸ったものは重いんだぞ。あと、被害状況を確認してリストを作る様に言われただろう」
そう言われたら断ることなんてできない。昨日弁護士が部屋を片付ける前に、何が駄目になったのかリストアップしてくるようにと、連絡を寄こしたそうだ。それを元に管理会社や建設会社とマンションの販売元と交渉することになるらしい。
「まずは服だな。昨日は普段使いのやつだけだったんだろう、買ってきたのは。通勤に向いた服を買わないとな」
桐谷課長が何故だか楽しそうにいう。ああ、そういえば妹さんの服を買いにいくのに、よくつき合ったと言っていたっけ。主に財布を当てにされていたそうだけど。
あの広い部屋の謎は昨日の夜に課長が話してくれた。もともと兄弟と暮らしていたそうなのだ。この春に大学を卒業した弟と、結婚が決まって転勤する彼について行った妹と3人で暮らしていたんだって。
ほんとうなら1人には広すぎるから引っ越しを考えていたらしいけど、如何せん時期が悪い。今は春。引っ越しシーズンの真っ盛り。それが落ち着いた5~6月に引っ越しをしようと考えていたそうだ。
これで、課長が今まで結婚していなかった理由がわかった。課長はとびっきりのハンサムってわけではないけど、爽やかなフツメンだ。親近感が沸くから課長にアタックする女性は数知れずとか。でも今まで課長は断り続けていたそうだ。「手のかかる一回り下の弟が自立するまでは」と恋愛を避けていたとか。なんでも昔から熱中すると一つのことに入れ込み過ぎて、他に目がいかなくなる性格だとか。
いつも穏やかな課長の意外な一面を知って、驚くと共に少し嬉しかった。他の人は知らないことを私だけが知っているのかと優越感を感じる。
お店に着いていろいろ試着させられて、スーツを3着とワンピースを2着。それから、ブラウスやスカートを何着か・・・。
って、なんで課長が支払うの?はあ~?社長がお見舞いとして購入しろって?
イヤイヤイヤ。おかしいでしょ。なんでそうなるの。そんな頂けませんって。
えっ?じゃあ、課長が支払う?それもおかしいですよね。それなら自分で支払います。
・・・えーと、すみません。ワンピースはなしで、ボーナス払いでいいですか?
ってなったのに、なんで課長がワンピース購入しているの?俺からの見舞い品?住まわせてもらうだけで十分ですから~。
服屋での攻防を終えて、とりあえずワンピース以外は自分のお金(ボーナス払いだけど)で購入出来てホッとした。
そのあと、私が使う食器を買いにいった。課長のうちには茶碗が課長の分しかなかったの。それは今朝、朝ご飯を食べようとして分かったこと。弟妹が持っていってしまったことに、気がついたそうだ。
それにこのあと私の部屋に行って使える食器を持ってくるつもりだけど、私の家には茶碗はないの。もともと私は滅多に自炊はしなかった。作ってもパスタくらい。ご飯は炊かないけど、たまに保存食やお店でご飯を買ってきたから茶碗はあった。あったのだけど、5日前に落として割ってしまったのよ。
茶碗とお箸を選んだあと、他の食器も見ていった。いろいろ見ていて、私はある物に釘付けになった。しばらく眺めていたら課長に訊かれた。
「気に入ったのなら買おうか」
「あー、いえ。いいです」
「気に入ったのだろう」
「これは二つでペアなので一つだけ買うのは可哀そうな気がしますから、だからいいです」
そう言ってお店を後にした。
その夜、夕食を食べ終わり課長が急須にお茶をいれて持ってきた。一緒に持ってきた湯呑に私は目を瞬かせた。
「課長、これ・・・」
「昼間店で萱間が見入っていたから、よっぽど気に入ったのかと思って買ってきたんだ。別れ別れにするのは嫌なんだろう。ならば二つとも購入してこうやって使えばいいだろう」
お茶を入れて私の方に並べて置かれた湯呑はペアのもの。
私が一目惚れしたもの。
描かれているのは猫の絵。大き目の湯呑は黒くて白い猫が左横を向いて少し俯いた感じに描かれていて、小さめの湯呑は白くて黒猫が右横を向いて少し見上げる感じで描かれている。上手く合わせるとキスをしているように見えるのよ。
湯呑を近づけて向きを揃えて重なる様に置いて・・・。ニマニマと笑いが込み上げてきた。
顔を上げて前を見たら・・・あれ?課長がいない。
右横に影を感じてそちらを見たら・・・。
不意打ちに胸がドキドキです。
「萱間はかわいいのな。かわいいんだけど鈍すぎ。まあ、そこもいいのだけど。これから一緒に暮らすことになるから、ゆっくり落とすつもりだったけど、予定を変えることにしたから」
ちょっ、ちょっと待って?
えっ?
これ誰?
穏やかな課長はどこに行ったの?
この強引な人は誰?
キスの合間に言われたことは、外堀は埋まっていて、うちの親にも了承済みだとか。
知らぬは本人ばかりなりって何?
だ、誰か~。
たすけて~。
蛇足を少々。
萱間萌音 26歳
桐谷課長の妹と同い年(二人に接点はなし)
感覚が人とずれている。あと、すごく鈍感。
桐谷課長からのアプローチに全然気がついていない、残念な子。
桐谷課長(下の名前は考えてませんでした)34歳
爽やかイケメンです。周りの女性からのアプローチが凄かった。
課長に就任した年に入ってきた萌音のことは、最初は何とも思っていなかった。
萌音が2年目に課長の補佐として動くようになり、仕事のしやすさに萌音のことを見直し、それと共に自分に興味を持たれていないことに、逆に惹かれるようになった。
あの手この手でアプローチしたけど、全く萌音に相手にされないまま、3年目が過ぎた。
4年目。とりあえず外堀を埋め始める。その頃には、萌音に惚れていることがほぼ会社中にばれて、周りからは応援ムードになっていた。
今回のことが意識させるのにちょうどいいと、強引に自宅に同居させることまで出来たけど、いざ落とそうと迫ったら・・・気絶されました。
その後もいい雰囲気をだすと、萌音が意識を失って現実逃避するという、悪循環。
いつになったら報われるんでしょうね?
それから、服の購入代金。課長から金額を聞いた社長が、その分ボーナスにプラスしました。